第5話  2003.03.11


『打出の小槌』―チョコエッグ・その2―

 私はすっかりチョコエッグにはまってしまった。売り場から消えた衝撃で猛烈な渇きをおぼえた。店の壁に「飢餓に瀕した店主にチョコエッグを」などという貼紙をし、ご来店のお客様にも蒐集の協力を求めた。
 はたして、協力に応じてくださる御仁があらわれた。そのお方は当店「やきとり万楽」の前の美容室の娘さんのご亭主で、消防士である。聞けば、彼の職場の先輩がたいそうチョコエッグにお熱だという。
「昼休みにセイフー(地元のスーパー)へ買いに行かされるんです。それも一個二個じゃない、五個十個。それをそれこそ卵を割るようにして開けていきます。欲しいのはオマケだけですから、殻のチョコはお鍋に放り込んでいく。そして『おまえらこれ喰え!』となるわけです。ワンワンちゃんじゃあるまいし、鍋でなんか喰えますか。あれには参りましたね」と、彼は苦笑した。
 体育会系の彼はその場で先輩に電話をかけてくれた。
 翌日、私は待望のチョコエッグを受け取った。それは既に販売が終了した日本の動物1弾、2弾、3弾のうちからの十個ほどで、チョコエッガーが不遜と恍惚と、羨望とヨダレとで「旧弾」と呼ぶお宝であった。が、猫に小判、豚に真珠というやつで、私はそのうちのふたつばかりを惜しげもなくネットのトレードにまわした。
 するとどうだろう、旧弾一個に対して、先様は私が希望する4弾やペット動物1弾という新弾を十個以上。熱烈なのになると「ご希望のシリーズ一揃いではいかがでしょうか?」などとうやうやしくお伺いをたててくる始末。さすがに私は警戒した。だってそうでしょうよ。現金に換算したらこちらは150円。あちらは5760円。つまり24倍の価値があるとおっしゃるのだ。
 私はこれまでこうした世界を知らなかった。バブル期にいくらか株を買い、コンドーム銘柄で多少の潤いはあったが、せいぜい三割五割の儲けを手にしただけだった。
 しかし、ここは株式市場とは異なる。つまり、価値判断は飽くまでも個々人に負託するのである。オモチャやオマケにも販売価格、出荷数、発売時期、希少性、それらを総合的に判断した場であるオークションという価値の目安はある。が、それは目安でしかない。繰り返すが、価値は飽くまでも個人が決めなくてはいけないのだ。また、決めた個人に対して、側は「あの野郎はバカだ」とか「モノの価値を知らない」などと、憐れんだり、知ったかぶりをしてはいけない。私が芋を喰ったからといって、先様が屁をこくわけではないのだから。
 私は恐々とトレードに応じ、めでたく4弾ならびにペット動物1弾をそろえることができた。まったく、この時期の旧弾は、私にとって打出の小槌であった。
 ただし、このめでたさが新たな渇きに転じたことを明記しておく。

(写真解説)
「お宝」と呼ばれたブツの一部。「なーんだ」と思われたでしょうか? まずは他人と同じもの(共有制)を。つづいて他人にないもの(希少性)を。さらに自分だけのもの(個性)を、となる。市場が成熟してくれば、原型師、造形師と呼ばれる人たちからも作家が現れることだろう。

 

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