第53話    2004.07.31


『DVD探偵団』―スーパージェッター―

 5月下旬にドリームズ・カム・トゥルーから凄いブツが発売された。少年の私が血湧き肉躍らせたテレビアニメの数々を、8センチDVDにしてお菓子のオマケにしちまったのだ。
 私は発売を楽しみにしていたのだが、ついぞ熱海周辺のコンビニおよびスーパーの店頭にならぶことはなかった。やむなく、何度かの入札の後ヤフ・オクにて全10種類(内シークレット1種)を2900円で落札。と同時に、安売り店でDVDプレーヤーを5200円で購入した。以前から機会あれば買おうと思っていたので、今回の『DVD探偵団』がその機会となったわけだ。
 全10種類の内訳は「あしたのジョー」「おれは鉄兵」「宇宙少年ソラン」「スーパージェッター」「怪傑ライオン丸」「冒険ガボテン島」「まいっちんぐマチコ先生」「スペクトルマン」「エイトマン」そしてシークレットの「鉄人28号・実写版」である。
 鉄人・実写版は私が生まれた1960年の2月から4月まで、計13回が放映され、その第1話が収録されている。私はこれだけはどうしても視たいと思い購入したのだが、実はまだ視ていない。最初に「エイトマン」を視て、これはとても素面では視てられないと判断したからである。
 アニメのエイトマンは、かつて活動屋(映画人)が「電機紙芝居」と蔑んだそのものだった。無理もない。ディズニー・アニメが1カット300枚のセル画描いていたとすれば、我等がエイトマンはたったの20枚。なるほど「電機紙芝居」とはよく言ったものだった。
 エイトマンの放映は63年11月から始まり、見事にヒットを飛ばし、つづいて同じTCJ(後のエイケン)の制作で「スーパージェッター」が65年からはじまる。またこの年には「宇宙少年ソラン」もスターとした。
 「冒険ガボテン島」は67年4月から。毎週火曜日6チャンネル(TBS)で放送されていたと記憶する。ガポテン島についてはひとつだけ鮮明な記憶がある。この年10月20日に他界した吉田茂元首相の国葬が、同30日に日本武道館が執り行われた。当日はどのチャンネルをひねってもすべてこのことばかりだった。ところが、ひとりガボテン島だけは超然と放映されたのである。なぜか? 私は当時の関係者にぜひお尋ねしたいと思っている。
 「スペクトルマン」の放映は71年1月。私は高学年になり、アニメのヒーローからアイドル歌手へと興味の対象が移っていた。「帰ってきたウルトラマン」や「ミラーマン」もこの年にはじまったのだが、いずれも私のヒーローたりえなかった。
 「おれは鉄兵」「怪傑ライオン丸」「まいっちんぐマチコ先生」を私は知らない。私のアニメおよび特撮は72年放映の「ど根性ガエル」で終わっている。
 日本のテレビ・アニメは63年放映の「鉄腕アトム」を嚆矢とする。63年には「鉄人28号」「狼少年ケン」64年「0戦はやと」「少年忍者風のフジ丸」「ビッグX」65年は当たり年で先に紹介した「スーパージェッター」「宇宙少年ソラン」をはじめ「宇宙パトロールホッパー(あの河童一族だ!)」「宇宙エース(チューインガム小僧)」「遊星少年パピィ(ピーパピィー!)」「W3(ワンダースリー)」ご存知「オバケのQ太郎」「ジャングル大帝」。
 翌66年は「おそ松くん」「レンンボー戦隊ロビン」「魔法使いサリー」「ハリスの旋風(国松さまのお通りだい!」「ロボタン」つづく67、68、69年となると大爆発の観があるのでざっと記す。
 「黄金バット」「かみなり坊やピッカリピー」「パーマン」「リボンの騎士」「マッハGO GO GO」「ドッキンコ(原始人だ!)」「おらぁグズラだど」「忍風カムイ外伝」「もーれつア太郎」「ハクション大魔王」「タイガーマスク〔虎になるんだ!)」「ムーミン(こっち向いて)」「アタックNo1(だって女の子だもん)」「あしたのジョー」「ばくはつ五郎(ヨォッ、新聞部!)」「みなしごハッチ」「赤き血のイレブン〔鮨屋の伜)」「キックの鬼(ガラスの顎の沢村忠伝)」「いなかっぺ大将(この主題歌を歌っているのは天童よしみだ!)」
 きりがないのでこれにて終了。

(写真解説)
 スーパージェッター(エポック社)全高17.5センチ。「スーパージェッター」には個人の原作者はなく、その脚本グループには眉村卓、筒井康隆、半村良などの後の人気作家が参加していた。私は話の筋をほとんど記憶していないが、流星号のプラモには思いでがある。今見ても、やはり「かっこいい」と思えるのである。

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