第64話    2005.01.30


『BE POSITIVE』―むかし懐かしロボット―

「今回は何を書こうか……?」
「書くって何を?」
「ホームページだよ。『おもちゃと文学』」
「あっ、そうか……。はる坊のこと書いたら」
 かみさんとこんなやりとりがあった。
 はる坊というのは私の幼なじみで、今はニューヨークに暮す。昨年12月に母を亡くし、その葬儀の折に万楽へ寄ってくれた。家族ぐるみの付き合いなので話だけは聞いていたけれど、彼に会うのは実に27年ぶりだった。
 上智大学のラガー、しかもフォワードだっただけのことはあり、たいした巨漢だった。私の知るはる坊は細ッピーであったから、一目見ては分からず、二目見てそれと知り面食らった。
 昨夏、はる坊は母の反対を押し切り独り彼の地へ渡り、英語力をつけたならば、いずれは映画制作の仕事に携わりたいという。映画は私の人生の一部であるから、私は私の夢を託すおもいで彼を応援したい。
 はる坊についてはまだまだ書きたいことがあるけれど、今回はこれにて。
 私はこの雑文については誰とも相談などしない。自分で決め、自分が書きたいことを書きたいように書いてきた。が、今回は無関心なかみさんに助けを求めるほどに追いつめられた。追いつめられたというのは、ネタが尽きたからではなく、反対にネタが氾濫したからで、つまりは収拾がつかなくなったのだ。
 昨年末に自動車事故に遭った。交差点での出来事で、直進車の私に右折車の相手が衝突してきたのである。幸い双方ともに怪我はなく、行政処分も下されなかったけれど、私の軽はドアを2枚破損。つい先日までポンコツの代車をあてがわれていた。相手の3トン車はウインカーを壊した程度で、業務に支障をきたすというので未だ修理に出さないものだから、保険額が定まらない。
 事故には「査定」という、悪徳な鮨屋のごとき「時価」があり、たとえ全損しても、保険会社は全損したクルマが買えるだけのカネを寄越さないという。私の場合だと、その査定額は15万円ほどで、これでは修理代にも満たない。そこで代理店の腕の見せ所となるのだが、はたして結論やいかに。
 年が明けてからもまた大変だった。
 永く患われていた方が亡くなった。この方のご主人は今日の「韓流ブーム」のさきがけで、漢江の恋を謳歌した国際人である。名うての愛妻家でもあったから、その哀しみは察するに余り有る。
 次には隣人がポックリ亡くなった。先週には温泉旅行に出掛けていたのだ。遺された老婆と、糖尿病の悪化で視力を失いかけている無職の夫は途方にくれている。近所とてまったくの他人事ではいられない。
 我家では母とかみさんが葬儀の手伝いに行った。熱海では町内会や組といった自治制度が確立されていて、組に不幸があれば組の者は手間に上がるのである。ところが、私はひとり無聊をかこっていた。
 右手の薬指の付け根を骨折したのである。しかも誕生日にだ。酒に酔っての炸裂であった。
 あまりの失態にすぐには医者へも行けず、その三日後に整形は専門外のホームドクターに診察を仰いだ。
「どうしましたか?」と、先生。
「ぶつけてたんです」と、口ごもる私。
 ヤクザをも恐れぬ百戦錬磨の先生は、
「これで厄が落ちたんですよ。これからは良いことがありますよ」と、にこやかにいわれた。
 私は救われた思いだった。
「もしここが田舎の診療所であるならば、骨折の治療は固定するだけでいいのだけれど、一度専門医に診てもらったほうが良いし、そのほうが私も安心です」と、先生はセカンド・オピニオンを進めてくれたけど、私はここを田舎と思い定めているので、じっと骨のつくのを待つことにしたのだった。
 まあ、そんなこんなでようやくパソコンを打てる程度にまで恢復した。自動車と人身の二つの事故とも、大事に至らなくて良かったと、安堵しているところである。蛇足ながら、折った右手はスズメバチに刺されたほどに腫れ上ったけれど、ついぞ店を休まなかった、とさ。

(写真解説)
 むかし懐かしロボット「Mechanzed Robot」全高約8センチ(あっぷる)。発売予定日は2月だが、こちらのサークルKではすでに販売されている。全6種でシークレットはこれのシルバーである。ダイキャスト製で、その重みに安らぐのであります。

※写真をクリックすると拡大します。
 

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