第66話    2005.02.27


『お子様のこころ』―仮面の忍者・赤影―

 旧友との再会。
 6年ぶりだった。郷里の老父を見舞った帰りに万楽へ寄り、酔って機嫌良く帰宅した。
 6年前は長男を連れ、ウンコのおむつを器用に取り換え帰って行った。その子は小学2年生になったという。
 昭和42年2月から「仮面の忍者・赤影」は始った。私は小学2年生になったばかりだった。旧友の伜がどんなテレビ番組を視ているかは知らないけれど、この年齢の精神は存外にたくましく、見聞きした事物に強烈な歯形、爪痕を 残す。

 赤い仮面は 謎の人 どんな顔だか 知らないが
 キラリと光る すずしい目 仮面の忍者だ 赤影だ
 手裏剣シュシュ シュッシュシュ 赤影は行く

 小さな影は 青い影 無敵の術を 身につけて
 ひらりと飛んで 宙をゆく 少年忍者だ 青影だ
 手裏剣シュシュ シュッシュシュ 青影は行く

 やさしいおじさん 白い影 三人そろって 力を合わせ
 悪いやつらを なぎたおす 正義の忍者だ 白影だ
 手裏剣シュシュ シュッシュシュ 白影は行く

 上記は翌43年3月(全52話)まで、毎週水曜日の夜7時から30分間、関西テレビ系列で放映された「仮面の忍者・赤影」の主題歌である。
 私はウルトラマンをはじめとする特撮やアニメの物語はほとんど記憶していないが、その主題歌はことごとく記憶しており、先年、新宿は歌舞伎町のスナックで酔客のリクエストに応じて熱唱し、おひねりを投げ入れられたことがある。ちなみに、同窓会では小学校はもとより幼稚園の園歌をも歌い上げ、往年の園児どもをうならせた。が、これには人前で円周率を諳んずるお調子者に似て、一抹のさびしさをおぼえる。
 赤影、白影、青影といった主要登場人物の名前は、番組のスポンサーとなった三洋電気が、カラーテレビの普及目的のために取り入れたという。また、鉄人28号で知られる横山光輝原作の「赤影」は、当時「飛騨の赤影」という題名で少年サンデーに連載されていた。ところが、テレビ放送の開始とともに番組名と同様の「仮面の忍者・赤影」と改められたのである。
 横山光輝にとって、山深い飛騨の幽玄は忍者の妖幻と結び付くのだろうが、少年の私たちには朦朧で、番組名の方が取っ付きやすく、仮面の忍者であればこその人気ではなかったと思われる。
 先月、ヤフオクにてノスタルジックヒーローズのソフビ貯金箱「仮面の忍者・赤影」を落札した。
 これは飛騨の赤影をモデルとしている。子供の私は本が嫌いで漫画すらほとんど手にしなかったから、原作の赤影にはまったく馴染みがない。しかし、年齢によるものか、このところの手詰まり感によるものか、まるきり馴染みがないにもかかわらず、原作にこそ懐かしさを、なによりやすらぎをおぼえたのである。
 この感覚は、リアリティーを追究して飽くことを知らないタカラの「チョコQ」よりも、拙いながらも社会現象になるほどの人気を博したフルタの「チョコエッグ」しかも「旧弾」と称される初期の動物シリーズにおぼえるやすらぎである。
 文学はそこに何が書かれたかも大事だか、何が書かれなかったかも大事であり、完璧は常々嫌われる。世阿弥のいう「秘すれば花」である。
 お子様のこころにとって、チュコQは正直に過ぎて、ざっくりいっちまえばフルチンではしたないのである。それに引換え旧弾は、不格好ではあるけれどもパンツを穿いていて行儀が良い。150円のチョコレートのオマケ(旧弾のシークレット「ツチノコ」)が、今なお1万円を超える高値で取引されている事情は、単にそれが希少というだけでなく、造形の持つ魅力にもに負うているのである。
 ちなみに、私はチョコエッグならびにチョコQの造形を手がける松村しのぶ氏の最高傑作を「ヒメネズミ(第26話の写真)」としている。

(写真解説)
 右・仮面の忍者赤影・金目教編「左より白影、赤影、青影」(エポック社)。左・ソフビ貯金箱「仮面の忍者・赤影」全高約13センチ(ノスタルジックヒーローズ)。右はテレビ版の赤影でリアルタイプ。左は原作版の赤影でデフォルメタイプである。「だいじょーぶっ」って、ずいぶん流行ましたっけ。

※写真をクリックすると拡大します。
 

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