第69話    2005.04.09


『コレクター』―ジャイアントロボ・その1―

 酒場に置かれたテレビとは、色褪せないポスターのような代物である。
 時々「チャンネル変えてもいいですか?」という客がいて、たいがいは変えてはみても視てはいない。
 以前はシーズンになるとプロ野球を映していた。いわずもがなの巨人戦である。
「今日はどっちが勝った?」と、客によく訊ねられたので仕方なく映していた。
 ところが、一昨年あたりからそういう客がめっきり減った。と思っていたら、昨年のプロ野球のストである。私は野球少年で甲子園に憧れたけれど、プロ野球はいうにおよばず、高校野球とて今ではほとんど視ない。
 路上でキャッチボールをする子供の姿を見なくなって久しいし、ではサッカーボールを蹴っているかといえば、それもない。
 途上国とは、途の上に庶民の生活を垣間見ることのできる国の謂なのだが、先進国となった日本の路上は、なんともお寒い。
 ちなみに、首都ピョンヤンの路上を見ると、かの国は途上国でさえない気がしてならない。放送規制が厳重なだけなのかもしれないが。
 万楽でのチャンネル権は私が握っている。とはいえ、忙しくなればテレビどころではない。客は私がよくテレビを視ていると勝手に思い込んでいるようだが、そんなにうちは閑じゃないぞ。
 それでも、火曜の夜にテレビ東京で放映される人気テレビ番組「なんでも鑑定団」だけは視ている。忙しくて視られないときには、日曜の昼に静岡の放送局で放映されるものを視るようにしている。
 昨日のゲストは女優の藤真利子だった。マッチこと近藤真彦と浮き名をながした女優とは知っていたけれど、作家の藤原審爾の愛娘だとは初耳だった。
 鑑定の品は藤が父の藤原から譲られた朝鮮の焼き物で、20万円の評価額がつけられた。鑑定人は「いい仕事してますねぇー」でお馴染の中島誠之助である。
 中島は焼き物の評価に加えて、骨董コレクターでもあった藤原のエッセイを紹介した。
「私は人にあげて惜しいと思うようなものは、買わないことにしている」という内容の一文で、それに対して中島は「これこそ蒐集家の王道(といったのか、哲学といったのか、お手本といったのか?」と、コメントした。
 これは意味深長である。
 コレクターは自分の欲しいものを贖うのであって、端から人様にくれようなどとは考えない。ところが、藤原は人様にくれるのが惜しいものは買わないという。かといって、端から人様にくれるために買うわけではあるまい。
 ならば、人様にくれるという、つまりは物への執着を払い、欲望によって鑑識眼を曇らせないための心構えを説いているのか?
 物の価値というのは刻々に変化する。上記の番組内でも「10年前ならこのぐらいのお値段でしたが、現在ではこの程度」だとか「現在はこの程度の価格ですが、今後は値上がりが期待されます」といった評価が度々なされる。
 ところが、物自体は毀損でもしないかぎり価値が下がったりするものではない。変化は常にそれを手にする人間の側に、しかも一方的にある。
 この生理は物にとっては甚だ迷惑な話だ。が、物はそんな浮世に頓着しない。そこに物の持つ救いがあり、コレクターとは、物によって自己の小宇宙を創造する者である。
 蛇足ながら、昨今の野球人気の低迷は、創造力の欠如にある。世界一高いベンチウォーマー清原の、いったいどこに少年の夢があるのか。

(写真解説)
 塗装済ソフトビニールロボットキット「ジャイアントロボ・GR1」全高約32センチ(浪漫堂)。この模型は内部に素体が入っていて、つまりは着ぐるみ方式で各関節が動くのである。簡単な組立だったが、パーツの切断の際に指まで切ってしまった。既に絶版となり定価は7329円。が、これはヤフオクで落札した商品のオマケとして手に入れたもの。なんとも良い時代ではないか。

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