第70話    2005.04.24


『児童虐待殺害事件』―ケロッグ10コレクション―

 以下は今月上旬「伊豆毎日新聞」に掲載された記事の要約である。
『母親の交際相手から虐待を受けた事件で、急性硬膜下血腫などで意識不明の重態だった小学生A子ちゃん(7才)は、5日午前5時15分収容先の病院で死亡した。
 同事件は先月30日未明、A子ちゃんが言うことを聞かないなどの理由で、A子ちゃんの母親と同棲中の会社員××容疑者28才(逮捕済み)が、布団の上にたたきつけるなどの暴行に及んだもの』
 容疑者名は実名で報道されたが、私はこの場における公表をためらい伏字とした。仮にA君とする。
 A君は料理人の父と、水産会社に勤める弟の三人家族で、母は数年前にガンで他界した。
 その前後だと思うが、A君は離婚している。女児を抱き、幼さの残る嫁さんと三人で万楽へ来てからそう遠くない日のことだった。
 私のかみさんはその嫁さん(仮にBちゃんとする)をよく知り、彼女もかみさんになつき足繁く万楽へ通ってくれた。だから、私たちにとってA君はBちゃんの旦那さんであった。また、私のオモチャ仲間の親友でもあった。
 私はこの事件を新聞で知らされた折、容疑者の年齢および氏名(私は彼の名をうるおぼえだった)に「もしや?」という直感がはたらいた。
 それがA君だと知ったのは、事件後10日ほどしてからである。
 振り返って私が奇妙に思うのは、それまで誰一人としてこのいたましい事件を口にしなかったことだ。田舎町ゆえ些細なことでさえたちまち口の端にのぼるというのに、児童虐待というホットなニュースに町は口をぬぐっていたのである。
 そういうば、五六年前にもこのような沈黙があった。
 小学6年生の男の子が家の屋上から飛び降り、自殺を遂げたのである。動機は「親に叱られたから」と聞いたが、我が子を死に追いやるほどの叱責であったならば、これはとりもなおさず言葉の暴力であり、児童虐待のそしりを免れまい。
 私がこの一件の真相を知ったのは、事件後半年ほどしてからだった。それまで、町は頑ななまでに沈黙していたのである。
 ちなみに、この少年の両親と万楽は親しく、自殺する数カ月前に家族四人で訪れてくれた。
 私の一級上の母親は「あと五六年もすれば飲みに来るようになるだろうから、その時はお願いします」と、たのもしげに目を細めたことだった。
 やんちゃな少年は中学を出た頃から酒を飲み、ここ熱海はそのことに寛容なのだ。私は中学二年から飲み始め、高校生のときには既にスナックのボトルカードを所持していた。土曜の夜はめかし込み、友と連れ立ちウィスキーの水割をかたむけた。少年の母はそんな青春のお澄ましを、我が子にも思い描いていたに違いない。
 高校を中退して早々社会人となったA君も、そんな青春を過ごしたものと思われる。
「ぶちきれると手が付けられなかった」と、人はいう。
「酔ってもけして暴れることなどなかった」とも、人はいう。
「女(死亡した少女の母親)も共犯なんだ」と、A君と親しい友はいった。
 躾と折檻と虐待の別をどうつけるのか。殺人と過失致死の別は動機だけでは見分けられまい。動機に至る静機を誰が知ろう。事件は突発的に起きたのではなく、寒気の夜に裸でベランダに立たされていた少女を近所の人が目撃している。が、人は明日にならなければ賢くなれないものだから、今日になって「きのうのうちに……」などと、力なくつぶやくのである。
 児童虐待とは、少子化による過保護の反動であると同時に、オトナにおける幼児性の暴走である。コレクターもまた幼児性の為せる技であるだけに、私はA君を透かしてわが身を省みなければならない。

 遊びをせんやと生まれけむ 戯れせんやと生まれけん
 遊び子どもの声きけば わが身さえこそゆるがるれ
                   ―梁塵秘抄―

(写真解説)
 ケロッグ10コレクション「トニー&少年」全高約6.5センチ(メガハウス)。全10種。1BOX(10個入り)でそろうところが有難い。A君も野球少年だった。惜しむらくは、彼にはトニーがいなかったことだ。

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