第76話    2005.07.18


『遊戯三昧』―鉄人28号・その8―

 今年は「空梅雨」といわれ、たしかに熱海も例年に比べ雨がすくない。が、ここにきてようやく降りはじめた。水不足が懸念された九州地方にいたっては、死者が出るほどの大降りとなった。
 多くには恵みの雨となり、遺族には恨みの雨となった。

 春は花 夏ほととぎす 秋は月
 冬雪さえてすずしかりけり

 道元禅師である。
 山口素堂の「目に青葉 山ほととぎす はつ松魚(かつを)」の句は道元を下敷きにしたのだろう。素堂は江戸時代前期(1642-1716)の俳人で、和歌や漢詩の素養もあり、茶道・能楽などの芸事にも親しみ、松尾芭蕉とも親交が深かったという。禅にも通じていたのだろう。

 形見とて なにか残さむ 春は花
 山ほととぎす 秋はもみぢ葉

 良寛さん辞世の歌である。
 道元は13世紀に生まれ、良寛はその600年後に遊んだ。600年を経ても、山には耳にひびくホトトギスのいたことに、戦後生まれの私はおどろく。
 冬は寒く、夏は暑く、雨の時節には雨が降るが良い。そういわんとして道元を引いた。

 私のオモチャ集めは「ペプシマンのボトルキャップ」からはじまった。次いでフルタ製菓の「チョコエッグ」となり、幾人かの仲間を得た。ところが、収集家というのは貪慾な利己主義者である。利己主義者とは、自己の利害だけを行為の規準とし、社会一般の利害を念頭に置かない奴等であるから、収集家同士は一個の物をめぐって利害が対立し、良好な関係を築くのは難しい。
 トンちゃんと私の交際は希有な例で、だからこそこの雑文は彼を経か緯にして織り成すつもりでいたけれど、残念ながら彼は夢から覚めてうつつへと去ってしまった。
 私はテーマを失い、一時期この雑文およびオモチャ集めに嫌気がさした。大仰に「孤独の憂悶」とでもいおうか。
 蒐集した結構な数のオモチャは孤独の慰めどころか、ある夜、祭りのあとのさびしさにも似た寂寥に変じた。このオモチャをオモチャたらしめているものは、ひとえに私の想像力であり、それが萎えたとたん、オモチャは無惨を晒し、ガラクタと化したのだった。それはいそしみ築き上げてきた自己の基盤が、突如、空中分解した墜落の恐怖でもあった。
 その夜、私は貪慾な利己主義者たる自分に疲れをおぼえたのである。顧みれば、仲間に、私が定義したような収集家などいなかった。皆ひとしく食玩ブームに踊ったお人好しであった。
 否、一人いた。彼は私より一歳年長の看板屋で、貪慾な利己主義者たる風格をにじませていた。よって、今に至っては彼との付き合いはない。私ばかりでなく、彼は端から人との交わりを好まず、仲間の忠告に耳をかさず、同窓の女房を泣かせつつ酩酊をきわめていたのである。オタクの装いをした極道者とでもいおうか。
 しかしながら、私はひそかに彼を羨んでいた。ポケットサイズのハカリを持って売場にしゃがみこみ、一心不乱にレア物をあさり、出入り禁止の侮辱など屁とも思わず、ひたすら自己の世界の構築に邁進する彼の夢中に、いささかの劣等感をおぼえていたのである。
 夢中とは才能である。だれでもが何かに夢中になれるというものではない。中年のすれっからしになるとそのことがよく分かる。
 彼の噂は風の便りに聞く。今日、彼は私の励みである。遊戯三昧の権現となった。

(写真解説)
 鉄人28号・電動リモートコントロール。全高約23センチ(ビリケン商会)。ひとつは欲しいブリキの鉄人。単一電池2本で腕を振り両目を光らせ「ガァーガァー」と歩行する。写真の茶色の他に青色、またゼンマイ式で青と緑の二色がある。ヤフオクでの落札価格はゼンマイ青、ゼンマイ緑、リモコン青、リモコン茶の順だが、販売価格はリモコンのほうが高い。

※写真をクリックすると拡大します。
 

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