第8話  2003.04.12


『ブル公』―ペプシマンボトルキャップ・その2―

 オマケは「ひとり遊びの秘めやかなぬくもり」と、私は第1話(03.02.02)の結末に書いた。ところが、オマケといえどもひとりでは手に負えそうにないという現実の壁に阻まれた。
 ペプシマンボトルキャップ第3弾は全15種類。続いて発売された第4弾PART1,PART2あわせて24種類。この両方に色違いや成型色の違いが存在するらしい。らしいというのは、当時、私は実ブツのほかに雑誌やネット等の情報を持たなかったので、確かめようがなかった。また、確かめようなどという機転すら回らなかった。可憐なひとり遊びの段階であった。
 ところが、たまたま立ち寄ったコンビニで開封販売されているブツを見て、私は血の気の引くのをおぼえた。私のモミモミをあざ笑う不敵な手段もさることながら、いったい何種類あるのかという無知であることの不安と、知らなくてもいいことを知ったがための知恵の悲しみとで私は店を後にした。
「この俺様がそんな小細工に惑わされてたまるか。何色あろうとなかろうと、色なんぞは自分で塗れば済む話。バカめ!」と罵りつつも、私の高笑いは虚しく耳の底に響いていた。
 そもそも色違いや成型色の違い、また「シークレット」と称される少数派のブツどもは、業者と愛好家のどちらに歓迎されるのか?
 両方にである。業者は同じブツでも色違いを二種類こしらえれば二倍売れる。シークレットを仕込めば悲壮な博奕打ちがそれを目当てに大枚をはたく。愛好家は色違いや希少性に目を細め、他人を出し抜いたという快感をおぼえるだろう。万事めでたしめでたしである。
 が、ちょっと待った!
 私もシークレットを引き当てた日にはすこぶる上機嫌である。が、欲しくても当たらない日々の焦燥と渇望が、はるかにそれを凌ぐのだ。私は賭事をやらない。勝ったよろこびよりも負けた悔しさのほうが大きいからである。こんな性分だから、私は業者の温情をあこぎな小細工と断じて罵倒する。罵倒はするものの、内心では歓迎している。できれば欲しいのだ。
 ペプシマンボトルキャップの3弾は、5番のブル公を以てコンプとなり、雀躍りしたのも束の間、これにも成型色の違い(ブル公が濃白色)があると知った。私は上京のたびにショップを見て歩いたが、高くて8000円、安くても3000円の値がつけられていた。一本150円(スーパーなら100円以下)のペプシコーラのオマケにである。狂っているとしかいいようがないし、狂わせるのが遊びの世界かもしれない。
 狂うこと2年半の今年1月、私はとあるフリーマーケットでブル公の濃白色を見つけた。100円だった。正気は失われてはいなかった。

(写真解説)
 分かりづらいが、左・ブル公白色と右・ブル公濃白色。ふたつ並べなければ分からいほどの違いでしかない。だからこそ、コレクターのスケベごころに火が点くのだ。コレクションの要諦は、金と根と運である。人生に似てやしまいか。
 

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