第87話    2005.12.18


『アタミ日帰り温泉の会』―キングコング―

 帰郷して七年になる。
 先日、若い客に尋ねられた。
「別荘を持つとすればどこがいいか?」と。
 私は迷わずこたえた。
「東京」と。
 彼は落胆したようだった。「軽井沢」とでもいっておけば良かったか……。

 私は東京に二十年暮した。言わば第二の故郷であり、友人の多くは今も東京に暮す。年に何度かは上京し、時に友を訪ねるが、たいがいはオモチャ屋巡りにうつつを抜かしている。が、このところは専らネット・オークションと通販が購入方法で、眠いまなこをこすりながら電車に飛び乗ることがなくなった。
 インターネットは明らかに私の生活を変えた。人間嫌いは亢進し、寺山修司が叫んだ「書を捨て街へ出よう」という美学が耳の底で溺れている。
 救出せねばと水泳をはじめた。少なくとも月に二回は行こうと決めたものの、今月は一回がいいところ。これでも人並みに雑用が多く、生来の潔癖症ゆえに放り出して街へ出ることができない。ディレンマというか、相対論というか。まあ、生活とはこうしたことなんだろう。

 四年前に「御鳳輦」と呼ばれる祭りに参加した。生涯に只の一度、厄年を迎える氏子が例祭の一翼を担い、相応の出費をともなう熱海独特の祭事である。有志によるものだけれど、地元に居て知らん顔はできない。
 夏に死んだヨネ(第79話参照)は知らん顔をして、すっかり仲間外れにされた。おとなになっても人間が残酷であることに変わりない。先人は「三つ子の魂百まで」といった。その実を思い知らされた祭りであった。
 もし、私が東京で暮していたならば、祭りには参加していなかっただろう。面倒くさいのと、疎遠という理由で。
 犀星の「ふるさとは遠くにありておもうもの」で、私は帰郷しても旧友に会うことは稀だった。振り返りたくないのと、生活のリズムの乱れを怖れての理由で。
 否、私は熱海があまり好きではなかったのだ。子供の私は小学生の頃から友だちと、時に一人で市外へ出掛けた。一人東京へ出掛けたのは中学二年生だった。中卒で板前修業に入った近所のガキ大将の足跡を訪ねて四谷を歩き、繁華な渋谷を散策して地下鉄に乗り浅草へ行った。マルベル堂で当時人気絶頂だった桜田淳子のブロマイドとサイン色紙を買って満足したのをおぼえている。また上京後もよく浅草で遊んだ。遊んだといっても仲見世を冷やかしたほどのことだったが。
 東京が面白かったのは七年ほどだった。永らえばまたもとのふるさと、ということなのだろう。三十過ぎたあたりから、山頭火の「花が葉になり東京よさようなら(間違いないか?)」という句を口にするようになった。だからだろう、せっせとアジアを旅したのだ。
 今では山頭火といえば流行のラーメン店を連想するのではなかろうか? 本店は旭川市にあり、私は行った折に食したけれど、芭蕉の裔の名に恥じぬ美味さであった。

 マリリン・モンロー主演の「七年目の浮気」という映画があった。七年という時間は、ヒトの生理と何等かの因果関係があるのかもしれない。たとえば物事に集中できる時間は何十分といった具合に。
 仕事にも、母とかみさんとの三人暮しにも慣れた七年目の今年、後輩と二人「アタミ日帰り温泉の会」なるものを結成した。いずれホームページを立ち上げ、熱海近辺の温泉情報を発信しようと意気軒高である。
 一級下の彼とはその存在を知る程度で親交はなかったけれど、御鳳輦をきっかけにメールのやりとりをするようになり、ついには裸の付き合いとなった。
 彼も高校卒業後東京に暮したUターン組である。三人の子供と変わり者(と彼がいう)のかみさんと両親の七人家族で、東証一部上場企業(といっても地方のガス屋だが)に勤めるサラリーマンである。
 彼との親交が今年最大の収穫であった。
 本年はこれにて終了。良いお年をお迎えください。

(写真解説)
 セブンイレブン限定で500ml飲料水のオマケ「キングコング」全10種類。制作は海洋堂。映画の封切りは今月12 日。映画館へ行こうか、DVDを買っちまおうか……?

※写真をクリックすると拡大します。
 

トップへもどる