第90話    2006.01.30


『糸川町こそ悲しけれ』―野球群像・岩田鉄五郎―

 熱海梅園の梅まつりが始まった。
「梅なんかどこにも咲いてやしねえじゃねえか」
 観梅客に文句を言われることたびたびと、宿の仲居さんが嘆いている。
 今年は各地で大雪に見舞われ、ここ熱海も正月早々に降られて難儀した。その後も寒気は容易に去らず、梅の開花を遅らせているのだ。

 糸川。
 往時この川べりは赤線で賑わった。糸川町といったが子供が学校でいじめられるというので友楽町と改められた。子供は誰に教えられずとも、赤線が悪処であることを知っている。
 この時季、糸川はヒカンザクラ俗に「熱海桜」に彩られる。知らない人は桜とは思わないから、梅だ、いや桃だと言い争うので、別名を「喧嘩桜」という。
 糸川は悪処であったから、少年の私が知る由もない。万楽に婿入りして知り、毎年のささやかな楽しみとなっているが、こちらも開花が遅れている。
 そのせいもあるだろう、三が日こそ人出を見たがその後はさっぱり。閑古鳥さえ啼かずの夜がつづいている。にもかかわらず、新規開店者がある。いったいどのような算盤を用いているのか、一度のぞいてみたいと思う。
「オレだったらカネをもらったって今の熱海でなんか商売はしない」
 このところの私の口癖である。

 先日、糸川の老舗ゲーバーのママ(ミスターマダムとでもいうべきか?)が亡くなった。享年72歳。ノーマルな私にはほとんど怪獣映画の世界だった。
 この店は日本のゲーバー界のさきがけともいわれ、何故か(この道の者が多いのだろうが)、芸能人およびその縁者が贔屓としていた。
 いつだったか「今ピーターが来てるよ」と、聞かされたことがある。
 彼(というべきだろうな、やっぱり)は網代に別荘を所有しているから、あるいは足繁く通っていたのかもしれない。ただし、お安くないのだ。またママの評判もけして馨しくはなかった。良い潮時であったろうと思う。

 糸川からポン引の姿が消えて久しい。ポン引とは客の袂を引いて悪処へ導く胡散臭い連中のことを指す。
 ときどき「そこのポン引のおばさんがひつこくてさあ」という話を聞くけれど、糸川名物のそのおばさんは○○ちゃんといってポン引ではなく、ちょっとやばいがスナックのホステスで、言わば呼び込みなのである。
 ところが、このところは袖の下欲しさに客を自分の店ではなくよその店へ案内する。おばさんはたくましく、したたかなのだ。
 私は彼女からしばし糸川界隈の話を聞く。噂やらゆうべの出来事などを聞く。喧嘩があったこと。救急車が来たこと。どこそこの店は危ないとか、支払いが悪いとか。おばさんはおおよそを知るらしいが、けしてニュースソースを明かさない。だからこそ永く糸川でやってこれたのだ。
 およそこの界隈の人たちは噂話をしない。しているのかも知れないが、私の耳には入ってこない。また私も人の噂話はしない。糸川で、否、糸川に限らず、狭い地域で暮していく知恵である。

 先日二十代の娘が大酒をくらって大暴れをし、一晩ブタ箱に放り込まれた。この娘に酒を飲ませたのは私で、いささか反省しているけれど、今どきまだこんなにも元気の良い娘のいることに、しかも沈みゆく熱海にいることに、私は多少なりとも意を強くした。
 熱海を一言でいえば、熱海は女の町である。良くも悪くも、女が元気でいることが、熱海が熱海であるための必要条件なのである。

(写真解説)
 野球群像・岩田鉄五郎。全高8.5センチ(コナミ)。水島新司の人気漫画「野球狂の詩」に登場する五十代の現役投手。今宵の糸川はこんな塩梅か……。
 
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