第94話    2006.03.27


『W.B.C 紫紺のサムライ』―イチロー―

 今月20日、米サンディエゴのペトコ・パークに於いて、王監督率いる我等がニッポンはアマチュア世界一のキューバを10-6で降し、見事ワールド・ベースボール・クラッシック(WBC)初代王者に輝いた。
 一次リーグ(東京ドーム)および二次リーグで韓国に敗れ、準決勝進出よりなにより、同じ相手に、しかも反日教育盛んな小賢しい韓国に敗れたことに、イチローではないが、私も強い「屈辱」をおぼえた。
 幸い、メキシコが百億円プレイヤーを擁するアメリカを破り、まさに九死に一生を得た日本は、三度韓国とまみえ実力どおり、6-0で韓国に圧勝。決勝戦へと駒を進めたのであった。
 準決勝は19日(日本時間20日正午)に同じくペトコ・パークでプレーボール。
 日曜日ということもあり、私は午前中に友人の父親の葬儀に出席したきり一切の予定をキャンセルし、テレビの前に陣取った。
 日本の先発は巨人の上原。切れ味の良い速球と落ちる変化球で7回3安打8奪三振の完封。
 0-0で迎えた7回表。先頭の松中(ソフトバンク)が左前ヒットで二塁ベースにヘッドスライディング。さらに「どうだ!」とばかりにベースにパンチ一発。
 一死後、それを見て「熱くなった」という代打の福留(中日)が、真ん中寄りに入ってきた甘いストレートをライトスタンドにたたきこんだ。これで火のついた打線は、つづく小笠原(日ハム)がフォアボールで出塁すると、今大会打撃好調の里崎(ロッテ)、代打の宮本(ヤクルト)、そしてイチロー(マリナーズ)のタイムリーで一挙5点をもぎとり試合を決めた。また、8回には前の回で送りバントをしくじった多村〔横浜)が広い、さらに広いペトコ・パークの右中間スタンドにダメ押しの一発。
 ところが、その後、雨で試合が45分間の中断。開始より三時間半が過ぎ、中断した球場を映すテレビ画面に、以下のようなテロップが流れた。「一部地域をのぞき、野球中継をこのまま放送いたします」
 ああ、なんと一部地域の不幸なことか。
 ところが、我家のテレビはコマーシャルばかりが流れて一向に試合が始まらない。よもや、その不幸な一部地域とは、このオレ様のところか!?
 私がSBSテレビに電話をし、罵声を浴びせたのはいうまでもない。NHKだったら受信料不払いに出たところだ。
 熱海は、否、熱海の一部地域では山が障害となりTBSといった東京の放送を見ることができないのである。
 ネットの速報で試合結果を知った私は、一人しずかに祝杯を挙げた。それは私にとって、サッカー・ワールドカップ(フランス大会〕初出場を決めた日以来の快挙であり、快哉であり、満ち足りた一日だった。

 キューバとの決勝戦は二日後、春分の日の祭日。放送は第一テレビ。まさか韓国戦の時のような世紀の大失態はあるまいと思いつつも、試合時間が三時間を過ぎたあたりから、また一発をくらって一点差に追いつかれたこともあって、私は落ち着かなくなった。
 四時間におよぶ大熱戦。しかも世界一。テレビはつつがなく放映したけれど、放送時間をさらに延長し、選手が球場を後にするまでその勇姿を見たかった。
 その夜、私はてぎるかぎり深夜のニュース番組を追いかけ、我等が紫紺のサムライの余韻をたのしんだ。また知人は翌朝、五時に起床し出勤するまでニュース番組を追いかけたという。スポーツ紙を全紙買い集めたマニアもいた。
 正直、私は今回の大会にさしたる関心はなかった。むしろ一次リーグの折には、野球中継のお陰で店が閑になるだろうと歓迎しなかった。
 二次リーグの初戦でアメリカに敗れた時は、所詮アメリカのために仕組まれた大会だなどと高を括った。韓国にふたたびの敗退は「屈辱」であり、きわめて「不愉快」ではあったが、それはサッカー観戦で過去に何度か味わい、慈悲忍辱の修練を積んだ。
 熱くなったのは三度目の韓国戦だ。この勝利によって私は溜飲を下げ、決勝戦は初回に四点挙げたこともあり、余裕をもって観戦できたのである。

(写真解説)
 ペプシコーラのオマケのイチロー。全高約7.5センチ。今大会の私はイチローに尽きた。彼にとって野球はまさしく闘いであった。野球ファンはベンチの清原が見たいのではない。無名であろうと名誉を賭した男の闘いが見たいのである。

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