第98話    2006.05.21


『マルシン・ハンバーグ』―ウルトラ怪獣名鑑・その7―

 なんの脈絡もなく、突如としてマルシンハンバーグが喰いたくなった。
 否、脈絡はあったはずだ。ただ、喰いたいという強烈な一撃が脈絡を吹き飛ばしたに違いない。ならばさっそく物語をこしらえなければ……。

 入学して間もなく、私は学生課へ出向きアルバイトをさがした。当時の大学生の時給相場は550円ほどだった。ちなみに学生相手の木造アパートの家賃相場は一万五千円前後である。
 私が採用された環七(大田区長原)に面した酒屋の時給は600円であった。年老いた夫婦二人の店で、私の仕事はオートバイでの配達だった。
 土地勘がまったくないからいちいち地図を画いてもらった。その地図も案外デタラメで、分からずに店へ聞きに戻ったこともあった。
 アルバイトもオートバイも高校からの馴染みで苦にはならなかったけれど、親許を離れての都会の孤独は存外にこたえた。四月とはいえ夕の風は冷たく、いっそ孤独を深めた。
「寒かったでしょう。外の販売機でなにか買いなさい」といって、店の奥さんが百円玉をくれた。
 私はあたたかい飲み物は買わず、帰宅途中のスーパーで玉子二個とマルシンハンバーグを買って夕飯のおかずにした。このことは今でもよくおぼえている。きっと何度も、おそらくは自慢気に人に話したからだろう。
 一人暮らしの侘しさと少年の生活力と、一瞬のためらいと気配としての貧困。それらは今日すこぶる甘美な記憶として私の中にうずくまっている。

 それからおよそ十年。
 映画監督になるはずが池上でクズ屋をしていた。クズ屋といって籠を背負い、町のゴミを拾い集めていたわけではない。大田区の町工場で出る非鉄金属の破片やら削りカスを回収していたのである。これはきわめて真っ当なリサイクル事業だった。ただ、朴訥な業者はみずからを卑下して「クズ屋」と称していたのである。
 当時の鉄の価格は15円前後。アルミはジュラルミンとサッシでは異なるけれど200円前後。銅もやはり物によって開きはあるが300円前後だったと思う。
 株や債券が猖獗をきわめていた時期にあって、目方が勝負のクズ屋稼業は、私になにがしかの本質を教えてくれたと思う。
 油まみれの仕事でもあったから、作業着は洗濯してもけしてきれいにはならなかった。ところがよくしたもので、工場から出る古着を山ほどもらい、クズ屋稼業の二年間は買わずにすんだ。また、飲食店への迷惑を慮り、昼はもっぱら手作り弁当だった。もちろん、自分でこしらえた。だからたいがい同じおかずで、定番はマルシンハンバーグとシーチキン入りの玉子焼であった。
 マルシンハンバーグは子供時分のたのしみであり、ご馳走であったようにも思うけれど、この頃になると好きで食べていたというよりも、手間がかからず安価で腹持ちがいいということで食べていた。

 クズ屋をやめてからも、私はマルシンハンバーグを食べつづけていた。マルシンハンバーグは独り者のわびしい食卓をさらにわびしく、さらに惨めなものにしてくれた。それは「いつまでもこんなものばかり喰ってちゃダメだぞ」という励ましであった。
 先日、突如としてマルシンハンバーグが喰いたくなったのは、おそらく、今のだらけた中年の私に「おい、これまでの労力を無駄に終わらせるのか?」といった、内なる叱責ではなかったか。
 きのう、私はマルシンハンバーグを喰った。四個入り一パックで278円。いくらか大判になった分厚みが減ったようだった。味も時代に合わせて淡泊になった。
 これはもう別物だ。私が慣れ親しんだかつてのマルシンハンバーグは、私の記憶の中にしか存在しない。立ち止まるなということか。

(写真解説)
 ウルトラ怪獣名鑑ウルトラセブン編・プレミアムエディション。左・旧作。右・新作。全高約6.5センチ(バンダイ)。ウルトラ怪獣名鑑は昨年終了した。これは愚挙であり、改悪である。しずかに背を向けよう。

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