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〜感想文集〜

藤枝市民劇場 第221回例会 2009年11月12日



     俳優座劇場プロデュース 公演

     十二人の怒れる男たち

●日本では始まったばかりの裁判員制度果たして有罪になりかけたものを無罪にできるか?このような議論で成長した制度になってほしいと思った。 (四十代 男性)

●とても楽しみに待っていた作品でした。そのとおり大変感激しました。このように事を考える時考えられたら素晴らしいと思います。表面を見ず、心の内面がみられるようになりたいです。素敵な作品をありがとうございました。 (六十代 女性)

●難しい芝居だ。動きが少ないので舞台の中をしゃべりながら歩く。気になったがやむをえないか。緊張感が終わりまであった。 (七十代 男性)

●内容もすばらしかったです。前の席だったのでタバコの煙が気になりました。必要だったのかな?と思いました。 (五十代)

●最後まであきさせず観られるいい劇でした。 (十代)

●今夜の例会は久しぶりに腹に(?)響く舞台でした。裁判制度に興味はあったけど、テーマは我々の人間性を鋭く突いてくる。差別や偏見、思い込み、多数意見に迎合する、ご都合主義など。
 「もっと語り合う事はないか、もっと確認すべき事はないか。」人生における大切な視点を与えられたように思います。 (五十代 男性)

●おもしろいところと真面目なところ、間の取り方が絶妙ですごかったです。おもしろく、楽しく観ることができました。夜が綺麗でした。 (十代)

●ラストの沈黙シーンが値千金でした。 (七十代 男性)

●今日本も裁判員制度の事で大変なときを迎えている。もし自分がその役をやる事になった時に役に立ついい作品であった。 (五十代 男性)

●とても参考になりました。 (五十代 女性)

●陪審員の判定が、無罪が一人、有罪が十一人!そこから討論が始まるのですが自分も陪審員の一人になったつもりで考えながら観劇をしていました。確かに自分の票によって被告人の人生が変わってしまうのは責任が重いことです。
 確か何年か前に藤枝市民劇場で同じ例会があったと思いましたが、そのときは日本に裁判員制度が出来るとは全然考えてなくて、もっと気楽に観劇していたのを思い出します。
 最後に全員無罪票になり幕が閉じられましたが何かもっと深いところに討論する何かがある様に感じました。
 昨今日本も毎日のように殺人事件が起こっています。最近の新聞の記事に犯人からの謝罪の記事と被害者の親の記事が載せてありました。
――親の気持ちは最愛の子供を殺されてどんな重い罰が下ろうと納得できないが、どういう気持ちで事件を起こしたか審判が下るまで手紙を欲しい――
と書いてありました。私も無罪に投じるナと考えていましたが、無罪にするにもとても重い責任があると思いました。 (うさちゃん)

●とてもおもしろかった。 (十代)

●一人の人間の命、大切な命、その審判の大切さ身にしむ。 (六十代 女性)

●陪審員というより弁護士に見えました。 (四十代 女性)

●サスペンスのようで、とてもおもしろかったです。 (五十代)

●すごく面白かったです。人間味あふれた劇でした。 (十代)

●二度目の観劇でした。一回目に観たときは差別や偏見が物事の判断や人の第一印象に与える影響の怖さが強烈に残りました。
 自分がいけすかないと思っている人になんとなく似ていたりすると目の前にいる人ではなくて「こんなタイプの人は…」という見方をしてしまうことが日常の中でも確かにあると思ったし、自分の目にはどれだけのフィルターがかかっているかも自分ではわからない。そのフィルターのせいで上手く行かないこともきっとあって。その時点では裁判員制度の導入も決まっていたので「選ばれたらエライこっちゃ」とも思いました。
 あれから五年後の今例会、今度は『話し合うことの大切さ』が見えて来ました。育った環境も、仕事も、年齢も全く違う人達が集まってひとつの結論を出さなければならない十二人の男たち。大いにもめたけれど彼らは全員でひとつの結論に辿り着いた。何故辿り着けたのだろう。
 私はその様子が運営サークル会とダブりました。運営サークル会はさらに性別も違うし拘束力もないのですからもっと大変です。
 外山誠二さん演じる陪審員十号が「面倒くせぇなー」と怒鳴っていました。確かに話し合うことは面倒くさい。自分とは反対の意見も出てくるし意見を言って恥ずかしい思いをする場合もある。でもその『面倒くさい』先にこそ充実感や達成感があるのではないか―そんなことを感じました。 (四十代)

●芝居は一人の少年の容疑をめぐって、年齢、職業、人種、育った環境の違う十二人の陪審員が意見を述べ合う討論劇であるが、最初から有罪と決め付けてかかる人や、早く家に帰りたい人など、死刑になるかもしれない少年の立場など一人を除いて殆ど考えていない。
 無罪を主張した最初の一人がいなければ、この劇は成り立たない。たった一人の意見だったが、暴力的な発言や行為があったとしても、結局民主的な話し合いで逆転無罪にこぎつけた訳です。
 その意味で私は、少数意見の尊重という民主主義の最たるものを見せていただいた気がしています。暴力ではなく話し合い、世界の政治家に訴えたいことでもあります。
 芝居から感じたもう一つは、やはり冤罪の問題です。最近の足利事件の菅谷さんや映画の「それでもボクはやってない」など想起された方も多かったのではないでしょうか?警察も検事さんも裁判官さんも是非、疑わしきは罰せず、の線でやって貰いたいと思います。 (六十代 男)