★諷天日記
free tibet
初めて諷天日記にお立ち寄り頂いた、不運なお客様へ![]() |
よくぞ、お越しいただきました。 この諷天日記は私、諷天の寅、が真心込めて、自己中心、言いたい放題、 気が向くままに書いているつもりです。 他人様のお考えやお立場などは全く斟酌(シンシャク)する事なく、ただひたすら 自分の快楽、満足を心掛けております。 そういう、立派な心がけですから、反論、ご批評はお受けいたしません。 但し、共感やお褒めのメールは、有り難く頂きますのでお待ちしております。 |
| 2012.02/23 | 「また春が」 毎年恒例になっちまった感があるが、今年も花の季節がやってくる。しかし、 又、今年も桜の話か、と早合点しないでいただきたい。 「ハウス桃宴」と云う花見がある。オジサンにとっても未経験なのだがね。 山梨県笛吹市のJAが主催するらしい。時期は2月中旬から3月中旬迄となる。 なんでも、桃の栽培農家が経営するビニールハウス内にて桃の花見をどーぞ、 という趣向なのだ。そこで、今年の初花見はハウス内で桃の花見としゃれ込 もう、と決めた。ハウス内の気温は22度程になるという。いいじゃないか。2月 末に5月の気候だよ。ビニールシートにテーブルは用意しますから、酒も料理 も持ち込んじゃって下さい、と云う。ついでに、おねいちゃんも用意しますから。 そーゆーわけにはいかないそうだ。 数年前のオジサンの駄句だが、 馬手に酒弓手に女の花見かな これが、理想なのだよ。 しかし、この理想が困難を極める。酒はまぁなんでも良いが、おねいちゃんは 一応、オジサンにもコダワリ、ってぇものがある。 まず、年の頃は三十から四十ってところか。いや、現実を見据えると五十でも いたしかたない。姿かたちもなんだって良い、とゆーわけにはいかない。やはり、 和服だなっ。色白痩身、水仙の花の如くあざやかに際立つ女が良い。 まぁ、そろそろ読者諸賢もバカらしくなってきただろうから、止める。だが還暦 も過ぎて残り少ない余生なのだ。言うくらい良いじゃないか。いつも云うが歳を 取ったら不良になってもいい。どうせ大したことはできないんだ。年寄り臭くなっ て何が楽しいのだ。 花は半開を看、酒は微酔に呑む と昔の偉人が云ったそうだ。なに、そんな 分別は三途の川のほとりの花見だ。 満開の花は哀しいほど美しい。鯨飲する酒にこそ人生のやっさもっさを忘れて 心のしわを延ばすことができるものだ。 風車ほらあの頃のセルロイド 諷天 |
| 2011.12/07 | 「男というものは」 久し振りの更新で、こういう話もなんだがね。 男というものはガキの頃から、いい歳のオヤジになっても変わらず好きな のは、雲古、お叱古の類いの話題なのだ。大体、この手の話がキライだと 胸を張って言う男は胡散臭い、いや、変態じゃないか、と思われてしまう程、 男社会では目を輝かして語り、仲間の連帯を確認しあう重要な話題なのだ。 しかし、女はこの手の話を男が振ると露骨に「やぁーねえ」と、身をよじりなが ら普段より1オクターブ高い声でおっしゃる。何が「やぁーねえ」だ。どこそこの ケーキが美味しい、だとか、あそこの雑貨屋さんのはカワイイとかのたまって、 さっきまでトイレで哲学者のよーな表情で足が痺れる程座り込んでいたことな ど、無かったことにしよう、とする。ゆうてわるいが、そーいうところが誠意が無 いというか女の虚飾の構造がある。やはり男の方が善良な生き物なのだな。 先日、男が3人寄り集まって酒を呑んだ。やはり話題は男達の胸をときめか す話題になるよ。 「俺ね、家では座ってお叱古をするんだ」 と太郎(仮称)がひっそりと呟いた。 思いがけない衝撃的なお叱古の話に騒然となる。しかし、実はワシも時々座り 小便をするので胸の高鳴りを抑えて、「それはオスとして如何なものか」となる べく荘厳な口調で言う。次郎(仮称)は「男が立ってお叱古をするのは、有史前 より戦いに備え防御する態勢を取る男の本能なのだ。オス犬ですら雄雄しく片 脚を上げてオスであることを誇示して小便をするぞ」と荒々しくビールジョッキを テーブルに打ち据えるように置きながら吠えた。太郎は「いや、うちの奴がね、 お叱古の飛沫が便器の外に飛び散って臭くなるんじゃないの、と云うんだ」と弱 々しく言うと、遠い目をしてビールジョッキを持ち上げる。「ワシもそう思う節があっ て時々、但し自発的にだ、座り小便をするが」と呟きつつも、「だがね、女が男に 座り小便を強要するとは思い上がりもハナハダシイ。それじゃぁ、女に立ち小便 をして紙で拭かずに済ませなさい、と言ったらどうなるんだ」と支離滅裂なヨッパ ライの戯言になる。 ワシは更に太郎と次郎に酒の肴として最高の話題を提供した。 「俺はね、座り小便をしたら、ついでにガンバッテ雲古もして、これ見よがしに そのまま立ち去る時がある」 と告白した。 「それは男として立派な行ないだ」と次郎が言う。太郎は「そんなことをしたら家 を追い出される」と苦笑する。 「俺は家では異物なんだよ」 と妻と娘の女家族に囲まれて暮らす太郎がポツリ と云うと、「まぁ、男が折れていれば家庭は平和だからな」と、いつもは強気な次郎 がシンミリと話を接いだ。 家庭難民、という言葉が頭に浮かぶ。オジサン達は家庭に充満する閉塞感から 逃れたくて居酒屋にたむろしているのだろうか。男にとって仕事(社会)は家庭内 と全く違った人間関係の中で、<家庭の中とは違う別の自分>を表現することが できる世界なのだな。外に生きがいを見出した男達はこうして段々、家に居場所 が無くなり、やがてリタイアした男達は妻が支配する家庭内で荒涼とした孤独を味 わうことになる。 結婚できない男やバツいちの独身が増えたというが、その中に非婚を目指す男 が多く含まれているような気がする。 結婚生活、夫婦ってそんなに良いもんじゃない。まぁ、男だけじゃなく、女もそう感 じているんだろうけど。 靴下の穴見つけたり年の暮れ 諷天 |
| 2011.08/12 | 「吉田兼好が云うにも、かかわらず」 今日はねぇ、久し振りの更新だけど、気が乗ってないんだ。 大体、書き方が違うだろ。でも、こうして、酔っ払って書くのも本心があらわに なって良いと思うんだ。 人、ってえのは100人寄れば100様でね。こうでなくては立派じゃない、って こたぁないはず。兼好は、そりゃぁ、立派な人だろうけど、別に兼好が云う立派な、 あるいは美しい生き方 が他人にとって、それが模範であるべき、か。 そういうものじゃない、と思う。別に良いじゃないか、人は100人、100様でさ。 「大方、聞きにくく、見苦しきこと。老人の、若き人に交わりて、興あらんと物良ひ ゐたる。」と従然草に有るが。別にその人の生き方、もしくは生活の仕方じゃねぇ か。自分の年齢を受け入れるのに「ふさわしい受け入れ方」を兼好流の美意識 に捉われなくてもいいじゃねえか。 ヘルマン ヘッセ が「老年が青春を演じようとするときにのみ、老年は卑しい ものになる」 と云っている。別にどこの偉い人が何て云ったか、自分の知識を ひけらかしているわけじゃない。偶然、持っていた本にある一節だよ。美意識も 人それぞれ。見苦しい、とか自分の美意識に合わないとか,他人様に言いつの ることじゃない。 と、俺は思う。 要はね。人生のそつない渡り方、世渡りの仕方、などから、「すぱっ、と完全 に退く」 あらゆる所属から開放された生き方 をすべきなのが、夕映えの時節 に生きる我らオジサン、オバサンなのだ。 美しい老い、見苦しい老いなど関係無い。そんなこと気にするな。義理も礼儀 も糞喰らえだ。もう、自分の人生はケリがついたのだ。欲もなければ一切が足り る、という。 だから、俺は派手なアロハにワッペンを縫い付けたダメージジーンズで街に出 かける。別になんにも人生に不自由はしていない。これが100人寄ったら100分 の1の俺流。 ヨッパライのオジサンだけど・・ |
| 2011.04/15 | 「いい歳をして」 60もとうに過ぎて、オジサンはいい歳なのだ。 しかしねぇ、、いい歳をして自分のバカさ加減にウンザリすることが多い。 モチロン、年をとる、ってことは決して賢くなるわけじゃない、ってことは解って いるがね。しかし様々な経験を積んできたはずじゃないか、と我が身の進歩 の無さを嘆く昨今なのだ。 だがね、いい歳なんだから賢くあるべき、と考えるのは勘違いじゃないかな。 最近、我が仲間である中高年を見渡すと、「かしこそうに振舞いたがる人物」 が多い。 大体ね、本当に賢いひとはエラソウなことを声高に話したりしない。 むしろ賢いひとほどアホなことを言って、ひとを安心させたりするものだ。逆に アホなひとほど、かしこそうなことを言いたがり、意味もないのにムズカシイ 言葉を使いたがるようだ。 オジサンはそう思って自分の「真性アホ」を慰めているけどね。 或る本に書いてあったが、中高年はじーっとそこに居るだけでも臭いもので あるらしい。それは、説教臭、自慢臭、ひがみ臭、威張り臭、という臭さらしい。 そこへ持ってきて、加齢臭という実物が加わるのだからタマラナイ・・ プライドや威厳、面目を保つのに努力しているオジサン、オバサンはそういっ た臭さを振りまいているのだよ。 いい中高年になることは難しい。正しく生きる、まじめに生きるなどと言い張る ことは周りを緊張させるし、薄情になりやすい。それより、もっと生きやすい楽な 生き方を見つけたら、優しさが漂う魅力的なひとになれるのではないかな。 見た目はアホでいい。褒められるひとにならなくていい。まして、マジメに生き なくていいんだ。やましいこと、後ろめたいこと、誰かに合わせる顔がないこと、 そんなことをいっぱい持って、尚且つ無邪気に生きる中高年になりたい。その方 がひととしては魅力的なのではないかな。 まぁ、落ちこぼれオジサンの戯言かもしれんが。。。 夜桜やありたけの命さらしおり 諷天 |
| 2011.03/13 | 「救国アピール」 待ちかねた東北大地震の被災地への救助活動が本格化した。 諸外国からのレスキューチームも続々と成田空港に到着している。被災地 では行方不明の家族を必死に探す人たちが居る。瓦礫や倒壊家屋の下には きっと、まだ命有る被災者が居る。被災地から遠く離れた我々にもできること はきっと有る。それぞれが自分に出来ること、を考えよう。 決して傍観者に なってはいけない。決して評論家になってはいけない。嘗て、日本人は幾多 の困難、国難も鮮やかに切り開いて生き抜いてきた。今こそ、日本人の特性 である、思いやり、和の精神、を発揮し、誇りある日本人として世界に「困難 に際し勇気を持って立ち上がる日本人」を示す時なのだ。 あらゆる意味において、今こそ世界に注目されている日本、日本人なのだ。 東北の応援のために、日の丸を掲げよう。 苦しい時こそ、声を挙げよう。 様々な支援を始めた企業を応援しよう。 自分の手足を東北に捧げるボランティアに声援を送ろう。 救援車両に道を空けよう。拍手で励まそう。 自分にできることは勇気を持って行動しよう。 今こそ、日本人として、誇りある行動をとろう。 立ち上がれ、日本。 ガンバレ、東北。 |
| 2011.02/17 | 「言うてすまんが」 オジサンもいつもおねいちゃんの事ばかり考えているわけじゃない。時には お叱古をしながら、生きることの無常について深淵なる想いに浸ることもある。 大体、そういう哲学者になる時にはお叱古の最中、尾てい骨辺りから肩甲骨 にかけて冷たいものが走り抜けるものだ。女にもそーいう経験があるのか知 らんが、オジサンにはそういうゾクッとしてお叱古をチビリそうになることが時々 有るんだ。そーいう時には背後に何か居る、というか人の気配がするものだ。 しかし、恐る恐る振り返っても誰も居ない。まことに神秘的な現象ではある。 やがて無事お叱古を済ませて、立派なモノを扉の中へ鎮座いただき、そして 想うことは生きていることの アリガタサ なのだ。 人生は穴から出て、やがて墓穴という穴に潜り込む迄の、あてなど無い「穴 から穴への独り旅」なのだという。又は、「人生、一生二万日 死に来た世に 未練無し」、と言ったひとも居る。まぁ、中には生きる意義、を見出してガンバル ことを生きがいとする健康優良児的中高年もいらっしゃるけどね。 オジサンはモチロン、人生とは壮大なヒマつぶしである、と思っている。ただ、 ヒマつぶしの仕舞い方、にアホな頭を痛めているのだよ。 子供が玩具を広げ散らかした後の片付けがうまく出来ないのと一緒なのだ。 この{片付けの仕方が唯一、ヒマつぶしの人生の意義}なのではあるまいか。 象は終焉を自ずと知り、群れから離れておのれの始末をつける、というが、 ボケ老人はそーいうカッコいいことは出来ないな。しかし、旅の途中に見知ら ぬ小さな駅のベンチでポックリ逝けたらいいなぁ、、などとソッと呟き、お叱古 をしながら背中に走る冷たいものを感じて身震いをするオジサンなのだ。 ヤレヤレ、歳をとって良いことはなんにもねえや。 喰って寝て起きて糞して尻を撫で 言うてすまんが人生それだけ 詠み人誰なんだろう |
| 2011.02/03 | 「水をわたる」 水をわたる誰にともなくさやうなら 山頭火 還暦とは水をわたること、ではないか、と考えるのだが。 諷天日記の読者にも30代のおねいちゃんから、70代の昔のおねいちゃん までデパート並みの品揃えだけどね。多分、団塊世代を中心にその前後の方 が主流だろう。50歳前の若い人達にはスッと理解が出来兼ねる話題だろうな。 歳をとってから解ること、というものがあるものだよ。 又、話は飛ぶようだが。帳尻が合う、とは収入と支出が合致する、という意味 だろう。転じて、つじつまが合うこと、を意味するわけだ。よくしたもので、人生の 帳尻も合うようになっているものだな、と還暦を迎える歳になると思えるものだ。 運、不運は平等に誰にでも訪れる。何も天狗になって団扇を振り回したり、悲観 してバケツの中に涙をこぼすほどのことじゃなかった、とな。 深い谷は高い山の狭間に在るものだ。ろくに谷間の無かった人生には、仰ぐ ほどの山にもめぐり合わないものだろう。しかしよくしたもので、願わない、諦めて いることを運良く与えられることはなかったな。 還暦を過ぎて水をわたると、もう山も谷もわたる気力はないものだ。そして今更、 見目麗しく才長けたおねいちゃんに、愛の告白を受ける幸運もないだろうしね。 どうやら帳尻は合っているがまだ決算はしていない。しかし、とうに還暦を越した オジサンは、誰にともなくさやうなら、なのだ。 還暦を迎えたオジサン、オバサン達に、山頭火の上句を捧げます。 どーだ、年があらたまって最初の諷天日記らしく、格調高かっただろう。(笑) 遠山の雪のひかるや旅立つとする ふりかへる椿が赤い 山頭火 |
| 2010.11/18 | 「花見と紅葉狩り」 世の中の常識は大概、分かってきたつもりだったけどね。 例えば右目で桜の花見、左目で紅葉狩り、と同時に愉しもう、なんてことは、 右手でビール、左手で日本酒を呑みたいオジサンでも考えないけど、風の噂 では 桜の花見と紅葉狩り が同時に愉しめる所が在るらしい。 まさかねぇ、それじゃぁ、まるで二人のおねいちゃんに両手をそれぞれ掴まれ ているような極楽浄土気分じゃないか。そりゃ、豪華だね。 しかし、噂の真相を確かめる必要はまぁ、あるのではないか、とオジサンは 半信半疑で出かけてみた。 愛知県豊田市小原、という所がその極楽浄土らしい。そこは、清流、矢作川 の支流に沿う、岐阜県境に近い奥三河の山に囲まれた桃源郷だったよ。 桜が晩秋の山村のあちこちに咲き乱れているんだ。一重五弁の豆桜の一種 に見えた。春に咲くソメイヨシノの花のような豪華絢爛の装いはないが、白秋 の愁いを吐息の如く漂わせる風情なのだな。名前を「四季桜」と云う。春と秋に 花を咲かせる珍しい桜なのだそうな。 モチロン、桜の隣りには楓の木々が晩秋の落日のような赤を纏っているんだ。 この不思議な景色には只、唖然としたよ。オジサンの一般常識はひっくり返って しまうよな。 「世の中、変わったこともあるもんだ。これじゃぁ、酒と饅頭を交互に口に入れて いるようなもんだ」 とオジサンは呟きながら帰ってきた。 釈然としないまま、この奇観を素直に楽しもう、とはなれないオジサンなのだな。 やはり、春に桜、秋に紅葉狩り。それと、饅頭と酒 は別々でいいんじゃないか。。 季節を待ちかねて花を喜び、紅葉を愛でるのが天地自然の理にかなうものだよ。 [参考までに] 11月1日より11月30日まで、「小原 四季桜祭り」が開催中である。 東海環状道路 豊田藤岡IC下車、国道419号を瑞浪方面へおよそ20分。 小春日や小石も日なたに座を定め 諷天 |
| 2010.09/28 | 「ジジイになったら」 何処で暮らしたいか。? 最近、よく考える。 そりゃ、優しくて気は利いて、見目麗しく才長けた女と、駅前の高層マンション の1室でツツマシク暮らしたいのであるが、それはそうだが、そーいう実現不可 能なたわごとを除いて、どの地方に住みたいか、ということだ。 まず、人が好い所、景色もまぁまぁ良い所、それと喰い物が安くて(年金生活 者にはこれが大切) 旨いものが山盛り有る 都会 がいいな。 「そんな都合の良い所があるものか」という嘲りの声が薄くなった頭上に降り 注ぐようだが、これが在るんだ。 まぁ、人に依っては異論、反論も有るだろうが、それはそれ、いつもの独断で 書くけどね。 まずどれだけ、ひとが優しいかというとだな。 食堂に入っても、買い物に行っても、おねいちゃんは年寄りに微笑んで「オッ チャン」と声を掛けてくれる。決して、「オッサン」と声は掛けないのだ。おねい ちゃんに「あんた、顔に似合わず優しいなぁ」と褒めると、「イケズやなぁ」と肩を ちょいと、シバカれる。 食堂のテーブルに前の客の吸ったタバコの入った灰皿 を見て、「早くホカシテくれ」と おねいちゃんに声を掛ければ 「イラチやなぁ」と 優しく睨まれる。 (このカタカナのところがこの地方の言葉なのだ) で、どれだけ、旨い喰いものがあるか、というと、秋口には市場にマッタケが 一皿、980円で並び、秋が深まると皆「カニ、カニ・・」とわめき、冬にはてっちり 、てっさ、というオジサンには今まで縁がなかったフクザツなものが、{一人前、 1,980円}という看板が街角に現れる。春にはくぎ煮の匂いが漂い、タケノコ が艶めいて食卓を彩り、やがて夏になれば、ハモ という酒呑みにとって、箸の さきが震えるような肴が出回る。 最後にどれだけ風光明媚か、というと、西へ出かけると瀬戸内のたおやかな 海が緑の小島を散りばめて現れる。 東に行くと真水をタップリと湛え、鮎、鰻、 鮒、もろこ、など、絶妙な味わいの川魚を抱えた琵琶湖が現れるのだ。 モチロン、最後に世話になるお寺も国宝級も含め、これでもかっ、というくらい タクサン在る。 東京タワーなんかより愛嬌が有るタワーの下には、「ソースの二度浸けはアキ マヘン」と大書した串カツ屋が軒を並べ、家出したオジサンが最後にたどり着く 1泊、2,000円も出せば泊まれるホテルもタクサン在るのだ。 若い頃、住んだ街も有る。ほろ苦い思い出も今は懐かしい想い出に変化した。 ところで、JRの電車に乗る時に使う ICカード というものがある。JR関東では 「スイカ」、JR東海で「トイカ」というが、この地方で何て云うか、って? 「イコカ」 というんだ。 このユーモアセンス、タマランデ。 柚子を切る厨に一升瓶立ちぬ 諷天 |
| 2010.07/06 | 「違法賭博は罪だけど」 ワシは昨今の相撲界の博打事件について、詳細を知らない。だから、こうし てここに書き込むことも憚られる。なので、一つのこと に絞ってもの申したい。 その「一つのこと」 とは、 賭博は罪になるが「人倫の道」に反した「悪」ではないぞ、 という主張だ。 マスコミのコメントは、「悪い事をした何某は当然の報いを受けねばならぬ」的 正義を振りかざした態度に見える。 そこで、マスコミ関係者に問うが、あなたは賭け事はしたことがない、のか。? 賭けマージャン、賭けゴルフ、花札、トランプ、野球賭博以外にも博打行為は多 く有るぞ。 全く、博打行為を自分の信念に基ずき過去にも一切拒否したひとが 批判するのならば、それはそれでワシはそーいうひとは好かないが許容できる。 見え透いた偽善者こそ、恥を知れ と言いたいのだよ。 パチンコ、競輪、競馬、競艇、宝くじ、は「明るく正しい」賭博なのかい、エッ。? 為政者が民をコントロールする手段が「法律」なのだな。それは人倫の道とは違 って為政者が都合よく決めたルールに過ぎないのに、その法を守る羊のような 日本国民は大したものだ。テレビで偽善者どもがしたり顔で、ひとの道に背く不 祥事である、と話す。ワシは決してその言動に頷かないぞ。勿論、視点を変えれ ば、子供の教育上どうだ、暴力団の資金源になってしまっていることはどうだ、 国技の相撲としてどうだ、、諸々異なった見方、考え方が有る事は百も承知だが、 それでも、ワシは法に違反したことならば、法に則り罰を受けることだけで良いで はないか、と思う。たかが罰金刑で済むのではないか。それは日本国民として、 国のお世話になっている以上仕方ないな。しかし、同じ穴のムジナ がエラソウ に責めるなよ。 法は人倫に基ずく正 ではない、とワシは主張する。 モチロン、いつもの如く、 異論、反論はあなたの正しい考えであってワシの考えるところではないので受 けつけません。 遠花火一人芝居の手酌酒 諷天 |
| 2010.04/20 | 「男子、厨房に入れば」 世間一般、料理が得意なのは男、と相場は決まっている。だって、一流の 料理人はほとんどが男なのだから。しかし、一般的に家庭を持った男は料理 はしないものである。ところが、料理人ではないが料理ができる男というのは、 女には素敵に見えるものらしいな。 ここが、女の浅はかなところだ。 大体、男というものは日常、色々な料理を食べているものだ。社会生活上、 外食の機会が女より圧倒的に多いのだからね。それに発想力、探求心、など は男の方が優れている。だから男は料理に興味を持てば、上達する素地があ るのだ。 しかし、食、に好奇心を持つ、ということは女に好奇心を持つことと、表裏の 関係なのだな。およそ快楽というものは色にせよ食にせよ、生命の持つ本能 的好奇心なのだから。 それに加え、男が厨房に入る愉しみを覚えたら、それは、{男が自立できる 能力}を得たことであり、妻の存在価値が貶められて家庭はアブナイのである。 つまり、妻たちは亭主が料理に目覚めたら、夫婦の危機なのだと自覚した方 がいい。 いや、もしかしたら、妻たちはそれを密かに望んでいるのかもしれないな。 それ故に男の料理上達を歓迎しているとしたら、妻たちの深謀はまさに恐ろしい ものだ。 女の浅はかなところだ、と思ったオジサンの方が、女の罠に落とし入れられて いるわけだ。 世の男達よ。 料理に好奇心を持たぬ方が、家庭円満、ミジメな老後を避ける方法なのかも しれませんよ。 さぁ、ワシはそろそろ夕食の支度をしなくっちゃ・・ シャボン玉取り戻したき言葉あり 諷天 |
| 2010.04/18 | 「道の駅」 主に全国の国道沿いに展開する、道の駅。 最近のデータに依ると、全国 917ヶ所に存在している。くるま旅をする人間にとっては、とてもありがたい 施設だ。深夜でも清潔なトイレを利用できるし、昼間には地元の農産物や、 特産品を安価で提供していただける。 珍しい野菜に出会うこともよく有るし、 オジサンの心臓をチクチクさせるような、おねいちゃんに出会うことだってある。 地元の観光施設、温泉などの紹介もしてくれるし、オジサンの旅先での心強い 存在だな。特に、トイレのレベルは高い。バリアフリーのトイレも当たり前に有る し、シャワー付き便器も珍しくない。 先日、山梨県、国道20号線沿いの、道の駅はくしゅう に車中泊でお世話 になった。甲斐駒ケ岳の麓に在って、清らかな名水、荘厳な名山を両脇に備 えた白眉の道の駅である。 朝早くからトイレ掃除をしてくれる地元のオバサン には頭が下がる。 先日、そのオバサンがグチをこぼしていた。 「男便所だけどねぇ、、こんなに汚されたのは初めてだ」 と呟く。 ワシが汚したわけじゃないけど、なんとも言葉が返せないな。申し訳ない・・ オジサンにとり、全国道の駅は大変ありがたい施設だ。マナーの悪さに地元 の人たちが道の駅の保全、管理に嫌気が差さなければいいが・・ もうすぐやって来るゴールデンウイークには、南信州の各道の駅で車中泊を させていただきながら温泉に入ろう。南信地方には眠くなるような良い温泉が たくさん在る。下條村の秋桜の湯、平谷村のひまわりの湯、天龍村のおきよめ の湯、南信濃村のかぐらの湯、、などをオジサンの桜色のヤワ肌を新緑に染め ながら、露天風呂の湯巡りをするつもりだ。 五月初めであっても、山中ではまだ桜に出会うかもしれない。山菜にも出会う ことだろう。 オジサンは温泉で心の穢れを洗い流して、昔、持っていたはずの、あの水晶 のように清らかな精神を取り戻すのだ。 無理か、、、。 トンネルを抜けて信州山笑う 諷天 |
| 2010.03/18 | 「淪落のひと」 最近は目にしない漢字をタイトルにもってきた。大正、昭和初期に「デカダン」 という言葉と共に、当時の文化人に愛用?された言葉のようだ.. (ワシもまだ 生まれてないから詳細は知らん)。 だが、怠惰な日常をはき捨てるように過ごす我が身を俯瞰すると、全くピッタ リの形容詞ではないか。 解説の要はないだろうが、淪落とは、「道徳にはずれること。堕落すること」。 デカダンとは「本来はフランス象徴派の芸術家の一派。転じて唯美的、退廃的、 背徳的なことや、ひとのこと」 まぁ、ひとを評する言葉としては決して褒め言葉じゃない。しかし、ひと、っての は本質として、デカダンでエゴイストであって、自律、自制をしない限り、淪落す ることが ひと の本性ではないか。 ということは、ワシは本来の人間性を取り戻し、ひとらしくなった、と云えるかな。 ワシがよく云うフレーズだが、「もう、何をしたっていいじゃないか。不良行為と、 犯罪行為の違いはわきまえた歳なんだから・・」 勘違いをしない限り、オジサンにこういう自由は許されて良いよな。 どう思う、ご同輩。? 青ぬたの烏賊の白さを酌婦妬く 諷天 |
| 2010.03/08 | 「人は見た目が9割」 大体、ファッションとやらは、まぁ上品な質感を持ち清潔で当りまえの形態 のものが良い、と考えてきた。それに加えて、おねいちゃん達に好印象を持 っていただければ、もう、云うことはないものだよ。 しかしこの数年、ホワイトカラーの制服であるスーツを着用しなくなってから、 自由な装いで自己主張を意識するようになってきたな。 もう、誠実で明朗、責任感に溢れて仕事上の有用な知識を豊かに持った 紳士然、と装う必要性が無くなったからだ。 だが、それは仕事上必要な 見た目 に過ぎないことだったのだよ。ホント はそんな 健康優良児的オジサン なんかであるものか。 では、どのようなファッションに変わったのか、というとだな。 まず、オジサンは誠実なんかではないぞ。人には云えない恥ずかしい過去 をいっぱい背中に背負っているぞ。女に優しくなんかないし、子供は煩くて蹴 飛ばしたいくらいだ。酒を控えてメタボ脱却なんかチャンチャラおかしい。不自 由な人生なんかクソ喰らえだ。 という不良中年を表現した装いに変化した。さなぎが蛾に羽化したようにな。 先日、古着屋で、手甲シャツというものを見つけてきた。鳶シャツとも云う。 手の甲を覆う程に袖丈を長くして、袖口と肩には補強を施した作業用シャツ なのだ。まだラベルが残っているのを見ると、一応新品であるらしい。生地 は厚手のデニムだ。洗い晒しのインディゴブルーは和の藍染めと似ている。 当初、デニムのGジャンと見間違えたが、試着すると全く違う雰囲気をかも し出す。着丈は鯨尺でいうと、大分長めの2尺2寸。厚手の生地であるので 前のボタンを掛けなければ 羽織 の雰囲気だ。愛用の刺し子の藍染め風 の作務衣の上に羽織ると 現代版、町火消しの棟梁、といった風情か・・ まあ、ワシが着ると山寺の鐘撞きオジサン、という風情かもしれないが。 こんな和のテイストが、憮然と落日を見つめるように暮らすオジサンには 肌に馴染むような心持ちがしてならない。 もう、見た目を装うこともない。見た目通りのオジサンでどこが悪い。 と、開き直って生きよう。 来てみれば木蓮の花騒ぎ立つ 雪柳裾にまとわる別れかな 諷天 |
| 2010.02/22 | 「むっとして」 今、旧仮名使いの 我輩は猫である を読んでいる。 さすが、明治の文豪、夏目漱石先生の著だな。至るところに明治の知性 が溢れている。 文中の注解は一々巻末まで解説を読みに行かなければ、 我輩のやうな(ちょっと、漱石先生のマネだ) 平成のボンクラには理解が できない。それどころか注解にない文章もなんと難解な熟語に満ちている ことか。それに、この物語の時代はまだ江戸文化の香りがするものだな。 久し振りに歯ごたえのある読書をさせてもらっている。読みにくい旧仮名 の本を読むのも被虐的ではあるが愉しいものだ。。 さて、文中には魅惑的な語句に満ちているが、とても気に入った俳句が 登場する。 ご紹介しておこう。 むっとして戻れば庭に柳かな 江戸中期の俳人、 大島蓼太(おおしま りょうた) 作 江戸時代の粋、風流、肩肘張らない町民文化の香りが漂う句だ。 で、我輩は、むっとして をもじった句を作ろうと、目下、苦吟中である。 しかし、老化著しいボンクラ頭は、狂瀾を既倒になんとか(マタマタ、漱石 先生の受け売りである)しないと、いくら沈静端粛の態をもって苦吟しよう とも、なかなか成句をみないのである。読者諸賢も是非一句、ひねり出し て欲しい。 何か文体まで、漱石先生に似せてきたな。。。 むっとして数え直すや年の豆 諷天 先日の節分に因んで作ったが。。 |
| 2009.12/03 | 「中国地方の名湯 其の三」 日本に露天、野天、と称される湯は数知れない。しかし、ここほどの個性 溢れる野天風呂はおそらく国内の十指に入れて良いだろう。 その温泉は岡山県、湯原温泉の「砂湯」。 近畿、中国地方の温泉好き の方には御馴染みの温泉であるのかもしれない。 ワシは四回目の入湯になるだろうか。夏にはカジカが鳴く清流のほとり、 河原に湧出する公営の野天風呂。無色無臭、透明な柔らかい湯が、三つ に別れた岩風呂の小石の底から湧出している。形ばかりの脱衣場が男女 別に建てられているが、モチロン由緒正しき、公明正大、清く明るい「混浴」 なのだ。水着着用はマナー違反です、と看板に書いてあるので、女性の一 部はバスタオルを巻きつけて入浴する。一部というのは体の一部じゃなくて、 入浴する女性の一部の方、である。ということは、そーでない一部の方は由 緒正しく全裸で入浴なさるのだ。読者もお気付きの通り、ワシはそれが嬉しく てたまらない。日本の温泉は昔は皆、そうだったのだ。 この自由で明るい 雰囲気は他の追随を許さない独特のものだ。 夜になると、周囲の旅館の浴衣を着た女性達がカラリコロリと下駄を鳴らし てやってくる。若い男達は髪をなで付け、しかし「そんなこと興味ないもんね」 という顔をしながら、オドオドと湯の中で待っているんだ。オジサンはなで付け る髪は無いから、星空を眺めるフリをして、おねいちゃん達に囲まれ酒池肉林 の悦楽とはこういうことではないか、と三木 清先生の人生論ノートを思い起こ し、偽善について、感傷について、幸福について、等とにわか哲学に耽りながら、 めまいがするまで湯の中で戯れているのだ。 ちなみに、入浴料は無料。入浴時間は24時間。洗い場は無いが湯に入る 前には、よく股間を洗って皆が気持ちよく入浴できるようにしてもらいたい。 広い無料駐車場もある。マナーを守り大切に利用していきたいものである。 中洲には釣り人独り秋の川 諷天 |
| 2009.12/02 | 「中国地方の名湯 其の弐」 昨日に続いて心に残る温泉の第二弾ですが。 最近、世界遺産に登録された石見銀山。そこから産出された銀の積出港 が温泉津(ゆのつ)港なのである、そうな。温泉津とはワシの知恵を総動員 させると、昔より温泉が自然湧出している所に在る津、つまり港なのである。 それを、字にすると、温泉津、と書いて「ゆのつ」と読ませたものであろう。 まあ、この解釈について責任はもたないから、そのつもりで。 温泉津の銘酒、開春の蔵元、若林酒造さんに伺ったところ、公衆浴場は 元湯と薬師湯の2軒。元湯は熱い、と聞いたので薬師湯に出かけてみた。 資料によると、昔より自然湧出していたが、明治五年、浜田大震災により 大量噴出したことで、当時は震湯、と呼ばれていたそうである。日本温泉 協会、というどのような権威をもつ組織なのか知らんが、中国地方で唯一 オール5の認定を下した温泉なのだそうだ。ワシはこういう権威はキライだ けどね。湯に権威付けは似合わないしな。 入湯料、300円。但し、石鹸は備え付けはないので番台で購入、50円。 10人程が入れる浴槽が一つ、湯口からは自然湧出、加温、加水無しの淡い 褐色の熱めの湯が浴槽に注がれていた。湯質は硬い肌触りだ。体力の落ち た人は湯あたりに要注意かもしれない。 昔、港で働く男達は仕事の疲れを この湯に浸かって癒したことだろう。世界遺産の湯はなんとなく、ありがたい 気持ちにさせられた。湯上りの爽快感も素晴らしい。良い湯だな。 木造三階建てのレトロな雰囲気も良い。三階のデッキでは無料でコーヒー を飲めるようになっている。デッキより眺望すると、鄙びた旅館が立ち並んで いるのが見える。ここも、正しい日本の温泉町の風情に満ちていた。 さあ、明日は出雲大社を表敬訪問して、島根県より鳥取県に入る。境港で 新鮮な魚三昧の美食を堪能したいものだ。 蟹の爪霧の港の空を切り 諷天 |
| 2009.12/01 | 「中国地方の名湯 其の一」 不況のことは一時忘れて、ノンキな湯巡りの旅日記です。 先日、山陰地方の温泉を訪ねて島根、鳥取、そして岡山、と巡ってきた。 島根県、広島県、辺りにお住まいの方ならご存知だろうが、その他の地方に お住まいの方はおそらくご存知あるまい、と思うが、とても良い温泉を見つけて きたのです。 まず、お話させていただきたいのは、島根県江津市の山の中に昔より湧出 する、有福(ありふく)温泉です。数は減ったが今でも8軒の鄙びた木造の温泉 旅館が細い坂道の右左に肩を寄せ合うように佇んでいる。それらの温泉宿に 挟まれるように3軒の外湯が点在する。 一番歴史のある外湯は昭和初期に建てられた御前湯。古いタイル貼りのレト ロな外観が風情タップリなのだ。3坪(六畳)程の大きさの浴槽が男女別に一つ ずつ在るのみ。打たせ湯や露天風呂など無い、シンプルな正統派の公衆浴場だ。 しかし、湯が特筆ものなのだよ。まず、加水、加温、一切無しの源泉掛け流し。 塩素滅菌などクソ喰らえなのだ。次に、湯質が良い。たまらなく良い。無色無臭、 透明な単純アルカリ泉は美しい透き通るような肌を作る「美人の湯」として有名だ という。オジサンは美人にはなれないけど、薄絹に包まれるような湯ざわりは眠く なるような恍惚感を覚えるのだ。 ちなみに、入浴料は300円。朝7時より21時まで開いているという。 オジサンは今までに100を越える温泉を訪ね歩いたが、有福温泉、御前湯は 最も胸に残る湯の一つであることは間違いない。日本に生まれて良かった、と しみじみ思わせる名湯である。 湯の町は土地の言葉に時雨かな 諷天 |
| 2009.11/29 | 「男はそれをガマンできない」 最近、土日、祭日に限り、高速道路をたった千円でどこまで乗ってもヨロシイ ということになり、キャンピングカーで放浪したい私にとってはありがたい制度だ。 だが、誰にとってもありがたい制度であるわけで、高速道路は大変な混雑 ぶりである。 私の悪癖なのだが、道路が渋滞してノロノロ運転を余儀なくされる時に限り お叱古をしたくなるんだ。こういう時は身をよじり、目も潤んで深いため息をして、 早くP/Aに到着できるよう、神仏の名前を知っている限り挙げて希うわけだ。 だが、先日、「ヒャッキン」という私の愛する店でこれまた私の為に開発された ような物を見つけのだ。 その包装袋に謳われている魅力的な言葉の羅列を ご紹介しよう。 男女兼用・ 冷や汗タラリおしっこしたいっ・ 高速道路でのくるまの渋滞に・ おしっこを素早く固め臭いを消す・ 「おしっこ用携帯ミニトイレ袋」 なのだ。 いつかきっと使ってやろう。と心を躍らせながら機会を待っていたところ、先日、 その心ときめく機会がやってきたんだ。 時速10kmの停止、発進を繰り返す低速道路の上で、ハンドルを持ちながら からだを捻り、おもむろにズボンをずらし隣の車の視線を気にしながらも我が立 派なモノを登場させて、説明書通りに袋の入り口にあの頭を押し込んで達成感 やら安堵感に包まれて幸せの絶頂の中で緊張を解いた。 だが、次に起こる悲惨な出来事はマッタク予想していなかったのだよ。緊張 を解かれてほとばしり出たお叱古が温かいんだ。それは当りまえだよな。だが、 次に内モモ辺りや、座っているシートにかけてお尻が妙に潤んできたんだ。 アッと気付いた時には遅かった。下げたズボンの股間辺りが色が変わり、重く なっている。 「ヤッタね」 こんな情けない思いは何十年ぶりだろうか・・ 渋滞はまだまだ続いた。 お尻を半分さらけ出したまま冷たくなったシートに 座って、ひたすらP/Aに到着する事を今までと変わらず神仏に希う私だった。 原因は座ったままの姿勢だな。勢いよくほとばしり出たお叱古が横たわった 状態の袋から逆流してしまったんだ。 ようやくP/Aに着いて、運転席のクッションはゴミ箱に捨てた。パンツもズボ ンも履き替え、哀しい目をしたオジサンは青い山の向こうの温泉を目指し、ひた すらドライブしたのだ。 民主党にモノ申したい。 高速道路の無料化は止めてもらいたい。これ以上の渋滞は、仕事や家庭の 重責に耐えてきた上に、更に休日にも身をよじらせて人生の無情に打ちひしが れるオジサンを増やすばかりなのだから。 秋の暮れ昭和の店に老女居り 諷天 |
| 2009.10/08 | 「ひとの器」 このところ、見知らぬひとと少なからず胸襟を開いて、様々な事を話す機会 が相次いだ。 謙遜はしていても、心中、人生の表と裏を語れる経験を持つと自負する中年 のお年頃の人々だ。 少し、恐れをもって語らねばならないが。ワシも同じ年頃ではあるので、自戒 をしなければならないな、と感じていることなのだが。 何が、 ということだが、語りにくい。ならば語るな、ってか。それも口惜しい。 そこで、勇気を持って云わせてもらうことにする。 世のご同輩の方々、それぞれ立派な、ひと様に決して劣らぬ様々な経験を 経て、実直な人生を切り開いていらっしゃったのだがね。 諸々の価値観、選択を要する正邪、正鵠を得た洞察、判断、等、 正々堂々 と語り過ぎ、押し付け過ぎなのではあるまいか。言葉を替えれば、自信過剰で はあるまいか。世の中、我より凄い人が居る、という事実。 我が思考、判断、 価値観は普遍妥当性を得たものでは無いかも、という「恐れ」 を持たな過ぎ なのではないか。 こんなことを書く自分こそが、天に唾するが如く我が口舌を恥じる者だがね。 だが、愚を知る者、すでに愚ならず、ではないか、と慰めている。 井中の蛙なんとやら、、だ。呑んでいるから開き直って書き続けるが、、、 ご同輩、 貴方の貴重なご意見は受け賜った。が、10人居れば10分の一、 正しいだけ、の考えなのだよ。ひと様の考えが自分と違っても、当りまえなのだ。 オジタリアン、オバタリアン(少し古い表現だが)よ、身の程を知れ。 と言っても、聞く耳を持つわけがない。それが唯我独尊のオジサン、オバサン なのだな。 まあ、自分の事をそんなに卑下して書くなよ、、だって。? そーじゃない、ってば。 この拙文をお読みいただき、「そう、そんなひと、居るね」とか「いやだわねぇ、 デリカシーの欠如したひとは、、」 と思われた貴方。 保証書に太鼓判を押して断言するが、「これは、マッタク 貴方のこと」 なの です。 何故なら、こうした傾向を持たぬオジサン、オバサンは居ないのです。 そして、こうした傾向の顕著な人に限って、他人事 という意識を持っている。 それでもまだ、「そうなんだ」と微笑む貴方。 そうですよね。その鈍感さが 貴方をここまでオジタリアン、オバタリアン化させたわけだから、こんな駄文が 貴方の心に届くわけがないか。 酒瓶を後ろに回しとろろ汁 諷天 |
| 2009.07/07 | 「俳句は宇宙の広さだなぁ」 61回目の夏が来る。夏はいつも心が弾んだものだが、いつからか責める ような暑さに辟易して沈鬱した気分の季節になりつつある。若い頃の夏は甘 美な匂いに充ち、切なくてなにやら秘密めいた空気に鼻の穴を膨らませたも のだったな。夏祭りもそんな媚薬を与えてくれる場だった。 歳をとると少しは人生を裏からや斜めから、ひっくり返して眺めるようになる。 別に賢くなったわけじゃないが、慎重にはなるものらしい。 神田川祭りの中をながれけり 俳人であり劇作家であった、久保田万太郎 の句です。 祭りと神田川は、日常と非日常、現実と架空、楽しさの中の哀しみなど表裏の 関係。楽しい祭りに浮かれても、底には冷徹な日常が有る。神田川は人生その もの、なのだな。生きていればひとは思いがけない幸運にも恵まれるが、足をす くわれる不運にも遭う。祭りも楽しいものだが、それはすぐ終わるもの。神田川は 暗く澱んだ水を浮かれた祭りの中、いつものように静かに流れている。 あまり醒めていると祭りの熱狂も味わえないが、歳をとったオジサンのちょっと 賢いところは祭りの後の虚ろな日常をも知っていることだ。 しかしこうして、不作為の後悔が続く人生の河を流れて、やがて諦観の穏やか な海に身を委ねたい、と、オジサンの胸を切なくふるわせる俳句は、なんと広い 世界を持つものだろうか。 もう一つ。 湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 久保田万太郎 更にもう一つ、どーでもいいかも、だけど。 道迷ふいのちかぎりの蛍かな 諷天 |
| 2009.05/11 | 「ゴールデンウイーク」 毎度のことだが、夜逃げ用に入手したはずのキャンピングカーで、行き先を 定めないくるま旅に出かけた。土日、祭日に限り高速道路1,000円乗り放題 を目一杯活用する為には、ゴールデンウイークに出かけなくてはならない。 しかし、こうしたドライブ旅行を愉しめるのも体の動く今の内、らしい。今の内、 はいつまでなのか。老い はいつの間にか、スーッとやってくる始末の悪いも のらしい。ならばまだ、ほそぼそながら突っ張っていられるホントに「今の内」 に 放浪という甘美な不良行為に浸り、侘しさ、儚さ、の中に身を置いてみたい。 そこで目指したのは、夕焼け雲の似合う北国。山深い小さな温泉の露天風 呂はモチロン混浴で、北国の雪のような肌のおねいちゃんと初老の男はみず みずしい恋におちいるのだ・・ と、鼻息荒くエンジンの音高らかにオジサンは 出発したのだ。まあ、いつも夢は叶うものではないらしい、ということ位、この歳 になると薄々と分かってはいるのだがね。 北国の日本海側の玄関口になる新潟県の寺泊 という港町に着いた。ここは 魚のアメ横、と世間で喧伝されている魚貝の宝庫だ。海老、蟹、鯛にヒラメ、鰯 に鯵、なんでも安い。県外の観光バスも列をなしてやって来る名所なのだ。 本来、寺泊は温泉地ではないが近隣に2軒ほど日帰り温泉施設ができている ので行ってみた。まだ新しく清潔な施設だ。念願の露天風呂も在るが、モチロン 混浴じゃあない。 こういう施設に於いて、いつも不快に感じることなのだが。 折角の清潔で快適な施設ではあるが、入浴マナーのお粗末さはなんとかなら ないものだろうか。 湯船より観察して見るところ、体を洗わず浴槽に直行するひとが大多数。その 中には、申しわけ程度に足や股間に湯を掛けるひとも居るが、洗った、とは云い 難いものだ。 昔は念入りに足、股間を洗い、浴槽の下方(瀧口の反対。湯尻) から、静かにつま先から入ったものだ、という。 今や、湯の中で足の皮をむく人、 ゴシゴシと脂の浮いた顔を洗う人、中には股間を両手で広げて洗うオジサンまで 居る始末。特にオジサン族がヒドイもんだね。だから、ワシは湯から上がる直前 にもう一度石鹸で体を洗い流してから出ることにしている。いくら塩素殺菌装置 が有るとはいえ、とてもじゃないが誰かの雲古やお叱古の溶け込んだ湯を体に 付けたまま上がることはできないな。 そこにいくと、新潟と長野の境、秘境秋山郷の奥に在る切明温泉は素晴らしい。 山深い谷川の河原を掘ると熱い湯が沸き出てくる。天然、手作りの野天風呂に入 ることができるわけだ。当然、無料、時間制限、男女区別などない、大自然真っ只 中の公明正大な 混浴 なのだっ。 モチロン、明るく、正しく、清らかに、おねいちゃん達と裸の交流をしてきた。 しかし、このことの詳細は書かない。オジサンの胸に秘めた 「放浪の旅に咲く、 儚くて、甘いヒミツ」 なのだよ。 |
| 2009.02/19 | 「紀伊半島」 くるまで紀伊半島を巡ってきた。 目的はいろいろだが、まず、温泉。次が喰いものでクエと鯨を喰うこと。そして あの有名な那智の大滝を訪れることだ。まあ、もう一つ、ついでのおまけだけど 和歌山美人と出会い、潤んだ瞳に見つめられながら手を握られること、かな。 紀伊半島は若い頃、女友達と肩を寄せ合い旅行したことを思い出すが、あの 甘い記憶が所々で蘇りとても懐かしい。その後もう一度、大分オジサンになって から、那智勝浦の温泉に来た事があるので、3回目の紀伊半島の旅だろうか。 歳をとると神社仏閣が身近で親しみを覚えるものだ。そこで初めて那智の大滝 を口を開けながら見上げて、続いて熊野那智大社、青岸渡寺を神妙に詣でた。 覚悟はしてきたつもりだったが、参道を果てしなく続く石段が運動不足の身には こたえる。オジサンには昔の過ちや恨みを神様の前で仕返しされているように 感じるのはどういうわけなんだろうか。石段をヨロメキあえぎながら登っていると、 平安時代の貴人の旅装束の恰好をしたおねいちゃんが二人登ってきた。こりゃ、 天女がオジサンの苦難を見かねて手を握りに現れたか・・。 不審なあえぎ声に 聞こえるだろうが、声を掛けずにはおられない。 話を聞くと、下のみやげ物店の 貸衣装という。オジサンに優しくするのも供養の一つ、とでも思っているんだろう か、姉妹に挟まれ写真を撮ったり、手こそ握らせてはくれなかったが、美しく心優 しい姉妹だった。 まあ、話はキリがないが、その後那智勝浦のすし屋で鯨のさえずり(舌)を喰い、 日は変わるが白浜の公衆浴場、波打ち際に在る 崎の湯(入浴料300円、露天 風呂のみ)にも浸かり、九絵亭という生意気な料亭でクエのチョコッと載った海鮮 丼も喰った。 結果、当初の目的であった幾つかの温泉や那智の大滝見物、更にクエと鯨を喰 い、もう一つ、ついでのおまけ、キレイなおねいちゃんの潤んではいなかったが憐 れみを含む優しい瞳にも見つめられ、オジサンの旅は拍手大喝采雨あられ、天女 も舞い踊る大団円の幕を引いたのであった。 娘らの声遠く聞く春隣 諷天 |
| 2009.01/20 | 「大寒の口福」 まあ、そのようなタイトルで書き出したが、大したことじゃない。 静岡県焼津市に酒通に知られた磯自慢という銘酒を醸す小さな酒蔵が在る。 そこの新酒の酒粕を頂いたので甘酒を作ることにした。鍋に水を張って小さく 切った板状の酒粕を放り込む。砂糖を入れて弱火にかけて温める。沸騰寸前 に、伊那より送られた信州高遠の銘酒、黒松仙醸をトローリと流し込むと、天女 もタメイキをついてオジサンにすがりつきたくなるような、妖艶且つ馥郁たる香り が立ち昇る。古根生姜をほんの少しおとして、茶碗の端から舌を焼かぬように、 すすり飲めば大寒の季節にこれに勝る美酒はないな。 昼食にはなんと半世紀ぶりに和風ジビエ料理にありついた。たわわに実った 庭の金柑に架けておいた鳥よけネットにひよ鳥が一羽懸かった。決して意図し た罠ではないが、なぜか嬉しくて仕方ない。 子どもの頃、ひよ鳥を小さく刻んで炊き込んだ醤油飯を喰ったことを懐かしく思 い出した。まだ生きてはいるが大分弱ってしまったひよ鳥を網からはずし、首に 包丁を一気に当て血抜きをする。羽をむしり、取りきれない細かな産毛は、ガス の上に鳥をかざし産毛を焼いて始末をする。 炊き上がったひよ飯を口に入れると、上品な脂の旨みがかすかな野生の香り と一緒に広がり、噛みしめると細く可憐な骨が肉と一緒に歯にあたる。 この季節の野鳥は一番脂がのり、美味なのだ。フランス人がジビエ料理を珍重 するのも尤もだ。 鳥獣保護法により、最近では捕獲対象鳥獣もめったにお目にかかれない。又、 最近のひとは、野生鳥獣を食用にすることにヒステリーに近い拒否反応を示す。 我らの世代以降の若いひとは多分、一生知らない味なのだろうな。 非難されようと、軽蔑されようと、旨いものは旨いのだ。これから食糧難の時代 が来ようと、我らは逞しく生きるすべを知っているんだ。 と、オジサンは自己弁護しつつ又、ひよ鳥が偶然、庭の網に懸かることを夢に 見て心をときめかすのだ。 大寒やかまどの湯気に手が踊り 諷天 |
| 2008.12/28 | 「中高年の危機」 家庭内離婚、という言葉が有る。 中高年にとっては人生の終局に迎えた 深刻な危機の状態だな。 林 郁 著 {家庭内離婚} の中からの抜粋だが。 「人生の円熟期を迎えるはずの中高年夫婦の離婚が増え、妻から離婚を 申し出る割合が激増した。離婚理由は浮気、暴力、飲酒など原因のはっきり したものから、志向性、人生の目標、性格の違いといった精神的つながりの 不在を示すものへと変わってきた。夫が妻子のために働き続けている間に、 妻はなぜ離婚の決意を固めてゆくのか。」 と述べられているが、世の中の中高年男性諸氏、「フン、チャンチャラおか しいやい」 と云ってられないのでありますぞ。 しかし、日本では正式離婚より{家庭内離婚}のほうが問題なのではないか ということだ。妻にとっては経済的な自立の難しさ、子の世話、世間体、気力 や自信の無さ等が新しい人生のスタートを妨げる。 夫にとっても、中高年になってからの離婚は心身ともにダメージが大きいな。 リタイアしてようやくすべての肩の荷を降ろし、さてこれからが第二の人生だ。 人生の総まとめ、をすべき時が来た、はずだったのだから。 そりゃ妻と別れても、荷物まとめて飛び出た玄関先で、優しくて可愛いおね いちゃんが待っていてくれるならば、それはそれで第二の人生、が光輝くかも しれないが、世の中、そうはいかないな。 結婚とはやっかいなものだ。しかし、男と女は互いに引き付け合い、結び 付くようにできている奥深い関係なのだな。所詮、人間も自然界の生き物。 オスとメスはツガイが自然な姿なのだ、と言い切ったひとがいた。 フクザツな事情で今、独身の中高年諸氏、2009年は良い巡り会いが有る と良いね。どうせ、独りじゃ生きにくいのだからね。 家庭内離婚状態の中高年はもう一度夫婦関係の調整をして、家庭内再婚 ができないものか。年の初めがそういうきっかけになれば良いが。 そして、 そんな不吉な問題など「ワシ、関係無いもんね」という、鈍感なのか、はたまた 幸せな家庭をお持ちの中高年諸氏、どうぞ勝手にして下さい。 世の中は深刻な経済危機に見舞われているが、そんな嵐の中、肌を寄せ 合って微笑んで居られる温かい家庭こそ、最大の幸福なのかもね。 いよいよ、2009年がすぐそこまで来ています。 先行きの暗い世の中ですが、 こういう時こそ、夫婦仲睦ましく家庭回帰ですよ。 と、云いつつもフクザツな事情のワタクシなのであります。 君なくて炬燵と話す四畳半 諷天 |
| 2008.11/30 | 「本音で」 概視感、という言葉が我ら団塊の世代人の心情に沁みる。なにはともあれ、 ここまで生きてきたな、という感慨とともに、もうこの世の大概のことは、知って しまったな。これからお墓に潜り込むまでの間には、もう目からウロコを落とす ことも、驚いて心臓を口から出すこともないだろう。ついでに、通りすがりのおね いちゃんに、愛の告白を受けることもゼッタイ無い、ことも知っている。世の中は このようなものだ。「もう全部見ちゃったもんね」という心境が、概視感なのだ。 ついでに、世の中には見ていても、見えてないフリをするのが良識だ、という 場合があるものだ、というウソくさいルールも知っている。 しかし、「もう、誤魔化すのはやめようよ」 と言いたくなるときが有るな。 この数日、総理大臣という国家、国民の代表たるべき御仁の、マスコミ、政府 関係者等の批判を浴びた言葉がある。 「医師の中には、社会の常識(良識か?)に欠けた人物が多いことは否めない」 およそ、そのような趣旨の発言に対し、マスコミ、見識者、等から、逆に常識に欠 ける発言だ、という批判を受けている。 しかし、私は<医師に非常識な人物が多いことは日本の社会においては常識 ではないか> と思っている。しかし、ご当人もその発言を正確ではない、と撤回、 謝罪をしたそうな。 私のささやかな経験でも、医師のみならず、国家公務員の一部エリートやら、 更に地方公務員特別職とされる教職員、警察官の中にも、腐ったエリート意識、 人格の偏り、などの匂いを嗅いだことがある。 社会から、一目おかれる、敬愛されてしかるべき職業に就く人の中にこそ、警 戒すべき人が比較的多く存在する。という真実をも、われら中年の概視感の底 に滓のように沈殿しているのだ。 そういう 本音 を発言することは社会の良識ではないことになっている。子供 達にも決して教えてはいけない、ということが常識なのだ。 一体、常識とは真に良識なのだろうか、、、いや、常識、良識は決して正義では ない。 正義 すら、およそ頼りない、不安定な定義 なのだ。 概視感は、本音で生きろ、正義を疑え、とオジサンに警告しているようだな。 かく云う私こそ、常識に欠けているから、こんなことを書くのか・・ まあ、私のようなオジサンの言葉には、世間様に影響力など微塵も無いのだか ら、ご勘弁いただくことにしよう。 坂道に風集まりて吾亦紅 諷天 |
| 2008.10/04 | 「生まれた街」 亡父の趣味であった俳句に ふるさとにかへり花や鳥と寝ん という 駄句がある。 歳を取るとふるさとが妙に恋しくなるものだな。 誰かの句にも、 ふるさとへ廻る六部の気の弱り というものも有った。 六部、とはお判りにならない方も、昨今ではおいでになるだろうが、解説は ご容赦いただく。 通じなくなった日本語を嘆きたくなるのも老化現象だな。 ワシは、駿河の国は清水の生まれ なのだが、懐かしさは風景、街の匂い 話言葉、などの他、食べ物にも有る。 他国のおひとは驚くだろうが、骨付きのイルカの味噌煮、をご存知だろうか。 ワシがご幼少?の頃、父親の自転車の前に乗せられ、度々イルカを売る魚屋 に、アバラ骨の付いたイルカの肉を買いに行った記憶が蘇る。 煮込んで醤油やら味噌の甘辛いタレの沁みこんだ、黒くて弾力のあるイルカ の肉を、骨の部分を手掴みにして、歯を立て、肉を引きちぎるようにして、むさ ぼりつくんだ。 クジラと同様、イルカも当時は貴重な蛋白源なんだな。 しかし、蛋白源だから、 とか、小ざかしい理屈は不要だな。 旨いんだ。 クジラ、イルカ等の捕獲は野蛮だ、と非難される世の中だけど、ワシには故郷 の味なのだから、放っといてもらおう。 牛や羊のつぶらな目を見ると可愛いと思うが、あれを屠殺するのは、野蛮だか ら止めろ、とは云わない。 仕方ないんだ。 命を頂いて感謝はするが・・ 人間とは業の深いものだ。 せめて、食べ物は残して捨てることがないように 自戒しよう。 燃え残るかんな夕澄む五十路かな 諷天 |
| 2008.08/18 | 「残り短し恋せよオヤジ」 お盆も終わった。亡父の盆行事も滞りなく、とはいかないが、なんとか 済ませた。 亡くなったひとを想うことは、自分の人生を想うようなものだな。 なんと、ささやかな、平凡な生き方であるものか・・ まあ、誰でもこのよう なものであるらしいが、と鼻くそを丸めながら呟いてみる。 なにか、もっと 値打ち らしきものに溢れた人生がないものか、と想うが、 有るわけがない。只、この歳まで生きているだけでも、大したものだな。戦後 間もない時代に生を受け、大きなだんご状態の競争社会を、ただひたすら上を 向き、生き抜いてきただけでも、値打ちが有るんですぞ、ご同輩。 この先、どれだけおまけの命をいただけるのか、仏さましか分からないが、 ただ、素直にガマンせず居心地の良い生き方を心掛けよう。相変わらずだが、 再びそう思うことにした。 我ら団塊世代は今や輝ける世代なのだ。長く生きてきた経験や知恵に溢れ、 そこそこの体力も維持した、若者にない魅力を持った、いぶし銀世代なのだ。 世のオバサマ達やおねいちゃん達、そういう優しいまなざしを我らオジサンに そそいでいただきたい。私は世間さまの冷笑を浴びつつも、まだ数年このような 勘違い人生を愉しみます。 薄くなった頭を帽子で隠し、オジサンが残暑厳しき歩道をひたすらウォーキング に励むのはイジラシイじゃないか。 夏野原虫の羽にも汗滴る 諷天 |
| 2008.06/01 | 「日本人の品格」 夜8時、自宅へ向かうバスの中。途中、男子学生の団体が乗り込んで、 10人ほどが立つ混雑具合。 私は乗車口に近い座席に座っていた。 やがて、市立病院近くのバス停にさしかかると、車イスに乗った老人と、 それを押す老婆がバスの乗車口の前の歩道に佇んでいる。 外は暗いが バスの中の明かりが心細げな老夫婦を照らし出す。 運転手がバスを降りる。 「乗りますか?」 「。。。。」 老婆の声は聞き取れない。 「なんとか押し込みますよ」 と、乗車を促す運転手の声。 「。。。。」 老婆が更に何か言う。 車イスの老人も何か小声で運転手に話すが、私には聞き取れない。 その直後、私は何事が起きたか、一瞬理解できなかった。老夫婦は運転手の 手を借り車イスごとバスに乗るのか、と思いきや、さにあらず車イスを歩道の奥、 バスから離れてビルの駐車場の車の蔭に引き込んだのだ。バスの明かりも届か ない暗がりだ。 そして、車イスの老人の口は固く結ばれた。 乗客は私を含め無言で、ただ漠然と死んだ魚のような視線を外に向けている。 老夫婦が乗客の目を避け、暗がりに車イスを押し込んで佇む姿は、まるで「恥」 を耐えているかのようだ。 戦前より、ただひたすら働き自助努力を重ねてきた律儀な老夫婦は、混みあう バスを見て、「人様に迷惑を掛ける」 と恥じたのか。 何の恥だ? タクシーに乗れない事情をか? 我が子が面倒をみないことか? 乗客の憐憫の情を受けることか? ご老人に申し上げるが、そんなことはないぞ。 「恥」ならば、私が受けねばならぬ。 バスの乗客の中、60歳近い私は最も年長の一人だろう。その私は死んだ魚の 目を持ち、役に立たない足を持ち、バスの中の若者たちに声を掛ける口も持たず、 惻隠の情を持つことができない、だらしない中年男だった。 自分の老後。社会福祉を批判、不満を口にする資格は私には無いな。 昔、マニラに居た頃、年寄りや小さな子供達に自然に手を差し伸べる、貧しくとも 微笑んで暮らす心優しい人々を沢山見た。 しかし、日本の社会はもっと貧しくて哀しいな。 私はこんな国を作ってきた戦後世代の醜い中年の一人だな。 団塊世代は日本の品格を汚したのだろうか。 客去りて南天の花こぼれおり 諷天 |
| 2008.05/04 | 「団塊男の落とし穴」 「そろそろ、人生の生き直しでもしようか、と思ってさ。田舎に帰ることにした」 と少し照れくさそうに彼は云う。 彼の名をUとしておく。 私がまだ会社勤めをしていた20代の頃、同い年ということでよく居酒屋で 仕事の野心を心に秘めて語り合った、同僚だった男。 私は若い内に、その会社を勢いに任せ飛び出してしまったが、Uは定年 となる今年まで、野心が諦めに変わっても慎重に未来を見据えて、会社内 に自分の地位を築いていった冷静沈着、思慮深い男というのが私の評価だ。 Uは上司の引き立てを受け、取引先の経営者の末娘と見合い結婚をして、 妻の実家より譲り受けた土地だが、人目をひく瀟洒なマイホームを建てた。 そんなUが、人生の生き直し とは、穏やかならぬ一言に私も緊張した。 既に一人息子は成人し、東京に一流企業の肩書きを得て暮らしているという。 「もう、いいんだ。ヤツ(妻)も好きなことをしたい、と言うしな」 「なんだ、どういうことだ?」 と私はUの心中をいぶかった。 「俺も好きだった女と暮らしたいしな、、新潟に居るんだ」 とUは顔を歪める。 「そんなひとが田舎に居たのか」 私はUがひとが変わった、と感じた。こんな ことを私に云うような奴じゃなかった。 「昔のことさ。結婚前のことだから、不倫じゃないぞ」 と笑う。 彼の田舎とは日本海に面した、原子力発電所だけが地域を支える、冬には 陰鬱、という言葉がそのまま当てはまる、息をひそめたような町だ、とUは云う。 生まれた家は長男夫婦が暮らし、両親はすでに無い。 「過疎地だから借家なら溢れるくらい有る。住む所に困りゃしないさ」 と云い、 Uは屈託の無い笑顔を始めて見せた。 私は何も云いようがない。 お互いの 持病のグチをこぼしあった後、Uは馴染みの居酒屋での再会を約して、帰って 行った。 Uよ、おまえはもう忘れているのかもしれないが、昔、私たちが独身だった頃、 幾度か、酔っ払ったおまえから聞き出した初恋の話を、私は忘れてはいないぞ。 Uは高校生の頃、初恋をした。 その彼女は高校2年の時、不幸にも急な病に より亡くなった。私は病名は知らない。Uは彼女の母親から病の経緯はよく聞い たらしいが、肝腎な彼女の胸の中にUが有ったのか、彼女からも母親からも告げ られていない。 「片思いじゃないか」と私が揶揄すると、Uはムキになって反論したものだ。 田舎を出てからも、毎年の命日には故郷に帰り、墓参りは欠かさない、と云って いたが、、。 Uよ。 おまえの生き直しとは、何んだ。 妻と何が有ったのか知らないが、、 いったい、おまえはどこに行くんだ。 話題の性格上、内容は粉飾されており、個人の秘密に配慮してあります。 去りし日々両手に溢れ夏来たる 諷天 |
| 2008.02/28 | 「団塊世代のリタイア後」 まだ、女の尻を追いかけ回す元気くらい残っている?我らだ。 セカンド ライフをアクティブに、なんてカタカナで云うと意味不明でもカッコ良いけど、 真実は、女を口説く意気地もなく、会話も無く、体も動かさず、あげくの 果てに病院通いが趣味みたいなもので、、、なんて事になりがちなのだ。 アテにしていた年金も、僅かなものになるらしい・・ 「やけのやんぱち 日焼けのなすび、色が黒くて食いつきたいが、わたしゃ入れ歯で歯がた たないよ」と、寅さんのような啖呵の一つも切りたくなる。 そこで、提案だ。 地方の役場が地域活性化、空洞化阻止、とか、声だかに云いだした。 或る町の役場では、空き家を格安で賃貸してくれる。私も「田舎暮らしを しませんか」と猫なで声で誘ってもらった。 だが、オジサン一人で、又は、いやがる妻を引きずって移住することも できまい。それに、都会のひ弱なオジサンが憧れるほど、田舎暮らしは生 易しい生活ではないのが現実だ、と賢い人が云う。でも、できれば、わず かな年金だけで健康的な明るい農村生活を、、などと、世間をよく知った 知識人のヒンシュクをかうような虫のいいことを、私は考えてしまうのだ。 もう失うものも無い気楽な身ではないか。豊かな年金生活、という夢の 可能性を気楽にお試しください、と云われれば、そりゃ、なんとかならない ものか、と誰でも考える。 月、10万円生活。できれば、基礎年金だけ、月6万5千円生活が理想だな。 そこで、名付けて、「グループホーム田舎暮らし体験」。 4DKの家ならば、 寝室は二人で共用して、男女別、夫婦別でも良いが、8人で借りる。 掃除、 炊事、農作業、そうした作業は話し合って分担する。 格安一戸建て住宅を斡旋してくれる地方の役場もあちこちに有るようだし、 畑を借りることもできそうだ。 更にこれを、マニラ民宿の建物を利用して、「年金でグループホーム外国 暮らし体験」 へと発展させることもできそうだな。 現在の生活基盤を捨てて、移住する必要もあるまい。ちょっと、一ヶ月だけ 滞在を、というようなセカンドハウス的発想でどうだろう。 そこで、 <楽しく、グループホームを考えてみよう会> では オジサン、オバサンのメンバーを大募集しております。 一人、月1万円の負担で家賃、修繕積立金等がまかなえるでしょう。食費、 水道光熱費、消耗品費、新聞費、農薬や種、その他の雑費を合計して、一人、 1泊当たりの負担が2,000円の計算ならば、明るく楽しい年金生活も見えて くるだろうか。? 山うどを抱えて女莢かなり 諷天 |
| 2008.02/17 | 「桜が咲いた」 伊豆の河津桜祭りが今月九日より始まった、というニュースを聞いた。 清水港より西伊豆、土肥に駿河湾をフェリーで渡り、土肥から観光バスで 河津に行く日帰りツアーが毎日催行されている。 これはいい。 なんたって、車の運転が不要なのだから、酒が呑めるぞ。 それに、観光バスには桜に誘われたおねいちゃん達がワンサカと乗っていて、 オジサンは両手に花、状態かもしれない。という、美しい誤解に胸を膨らませ て出かけた。 しかし、桜はまだ一分咲き。河津川堤の花見客相手の売店だけが満開だ。 なんでも、先日は何年ぶりか、で河津も雪が積もったそうな。河津の海岸から 望む、伊豆大島の三原山も雪化粧をしているのを初めて見た。 ところで、花見に格別の想いを持つようになってから数年経つ。今年も桜を 見ることができた、という感慨だな。 運が良いな、ありがたい、という想いだ。 しかし、今年初の花見は、天城山からの吹き降ろしの北風に、桜もオジサンも 身を固くして、川端に佇んでいるばかりだった。 いつかの花見のように、酒に桜の花びらを浮かべて呑みたかった。 いつかの花見のように、微笑んで歩きたかった。 今年も桜前線を南から北へ、追いかける旅をしよう。オジサンのささやかな夢 は、いつか、北の果てまで桜に連れ添い、最果てで散る桜を見送ることだ。 惜別の宴を散る桜と共に過ごしたい。 きっと、「良い人生だな」と思えるはずだ。 人生なんて、そんなものだろう・・ うめさくらあせびやぐるまそうに酔い 諷天 |
| 2008.01/17 | 「年の初めに」 年の初めに、とは云いがたい今日ですが。 このH/Pを開設して、早いもので4年半経過した。そして昨日、読者の方 よりメールを頂き気付いたが、H/Pのカウンターが30,000回を達成した。 まずは、月並みなご挨拶ですが、拙いH/Pに飽きもせずお越しいただいた 読者諸賢に、深く感謝を申し上げます。と共に、これからも変わらぬご厚誼を 賜りますよう、衷心よりお願い申しあげます。 そして、私、年男でもあり、誕生日を迎えれば、ですが、めでたくも還暦となる のであります。・・ついでに、厄年でもあるわけですが。 しかし、もう、この歳に なれば、厄など、チャンチャラおかしいのであります。 読者諸賢にも、団塊世代人が多くいらっしゃいます。まずは、皆様、還暦まで 無事、いや、色々口に出せぬことも有りましたが、兎に角も、生き抜いて来られ ましたこと、慶賀に堪えません。そして、団塊ぶら下がり世代や、もっと若い皆 さん、もう少し、頑張ってください。皆さんも、もう少しで人生の楽園に入れます。 いよいよ還暦より、文字通り生誕よりの暦を0に戻し、人生もう一回、生き直し、 です。 やりたいことをやりましょうね。云いたいことを云いましょうね。 ガンバルこと は、もう沢山ですよね。 こう、書くと、涙が出てきそうです。 さあ、今年も人生の楽園の環境造りを愉しみましょう。 行く先の鉄路冷たし初気色 諷天 |
| 2007.12/13 | 「年の暮れに」 先日、私より少し年長の従兄弟が急逝した。 まったく挨拶無しの気の早い 逝き方だった。 葬式で坊さんのお経に耳を傾けながら想うことは 「無常」。 全てのものは変化し、一時も現状を保つものはない、ということ。 生は死 への変化の始まりなのだし、有は無への変化の始まりなのだ。 無常とは突き詰めると、死、ということ。 自分が今日まで死から遁れてきた ことは、実に幸運な事。 ならば、今を精一杯生きたい、と想う。 そこで、いつもの自己点検作業をした。 後、三日の命、としたら何をするか? 読者諸氏も、まさか会社には行くまい。 まず、一日目。 動 の日としよう。 行きたいところはどこか?会いたいひとは誰か?そこで云いたいことは何か? しなければいけないことは何か? 会いたいひと、居るなあ。誰かは秘密だ。云いたいことは息子と娘にウンと有る。 二日目は静の日 としよう。 書いておきたいことは何か? 話したいことは何か? 片付けたいことは何か? 仏壇にも手を合わせよう。 三日目、乱の日 になるだろう。 酒は一番いいものを呑もう。つまみも金に糸目はつけないな。酔ったら歌い、 泣き叫ぶのか・・。傍に居てくれる女も欲しいな。気心が知れた女がいい。 やがて、三日目が終わる、が、さあ、旅にでよう。大勢のひとの前で、格好よく 逝く自信はない。なるべく、ひと気がない所に出かけよう。 死は究極のドロップアウト。その擬似体験は刹那のドロップアウトの「旅」だな。 私は、無常、を生き様の美学として、行きたい所へ旅に出る。 そして、食堂の おねいちゃんや地元野菜売場のオバサンに、すこーしお世辞を云って喜ばせて、 それから私は寂しく微笑むのだ。 このように、分かったような分からないことが、無常、なのだ。 大根炊き好物と云ふ歳になり 諷天 |
| 2007.10/17 | 「和して同ぜず」 君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。 と、云うそうな。 ワシはモチロン君子じゃないのは、読者諸賢に指摘されるまでも無く、分か っているけど。 さて、団塊世代人もそろそろ還暦を迎える。戦後、大量生産された我々は 幼稚園時代より和を以って尊しとなす、の教育を受け、なんでも和して、皆同 じことが求められてきた。又、爆発的に増えた同世代人の中を生き抜き、激し い競争や摩擦を避けるためにも、哀しい事に同世代間の暗黙のルールを作り、 協調する必要が有った。 以来、50数年、自分を殺し、大きなダンゴ状態を 形成しながら、やっとここまで生きてきたんだ。 もう、いいじゃないか。 やりたいことをやろう。云いたいことも云おう。嫌なことはやらない。ガマン もしない。自分勝手に生きよう。ひとに嫌われることも恐れるな。女も騙そう。 不良になろう。若い奴らに迎合しない。ケンカもしよう。家出もしよう。 まあ、そうもいかないならば、せめて、和して同ぜず、の精神だけでも持とう。 男の矜持として、君子でありたいじゃないか。 鹿鳴きて天城の山の幾重かな 諷天 |
| 2007.09/26 | 「粋の考察」 ステキな生き方、納得できる生き方、そう心がけて人生の秋を過ごしたい。 もう見た目の美は諦めて、立ち居振る舞いの美、清々しい精神を維持したい もの、と思うが、これがなかなか難しい。 中年男の理想の生活に、粋な生活 が有ると思う。私の云う粋とは見た目 のことじゃない。そこのところを誤解しないでいただきたい。 よく、湯上りの浴衣姿が粋だとか、三味線持ってりゃ粋だとか。そんな饅頭 の包み紙の柄の良し悪しみたいなものを論じたいわけじゃない。 本来の粋 とは「ある精神」に基ずく「立ち居振る舞い」のこと、だと思う。 その、「ある精神」だが、それは物事に拘泥しない、媚びない、男気を持った、 他者に依存しない、独立した涼やかな精神のこと、ではあるまいか。例えば、 最近の言葉で云うところの○○オタクとか、専門○○、とかは粋の範疇には 存在しない。粋な拘らない振る舞いとしては、広く過不足ない知識、教養は 持つが、仕事の専門知識を除いて、趣味嗜好で深く掘り下げた知識は他人に ひけらかさない。 そっと仕舞っておくと粋だな。 人との付き合い方にも、粋は有ると思う。 媚びない、拘束しない、かけ引きし ない、干渉しないこと。 女につきまとう、なんて粋どころか、野暮の骨頂だ。粋な男なら黙っていても、 女に付きまとわれることだろうな。 粋なファッションなんてヤボなことは考えず、粋な精神 が欲しい。 毎度のことだが、私が粋な人間になったわけじゃない。なりかけたわけでも ない。 そこのところを、誤解なさらないように。 中年男の夢を語ってみただけだ。 墓の蔭斜めに伸びて秋の昼 足早に秋来早暁布団出す 諷天 |
| 2007.08/05 | 「バカは死んでも治らないなら」 人生、大体こんなもの、と思えるのが中年なのだそうだ。終了感 とでも云う のか、不安や焦燥感に包まれ、中年性鬱病に陥るひともいる。 中には達成感、を感じる、幸せな中年も居るかもしれないが。 サラリーマンならば、いよいよ定年退職の年齢になり、ますますパチンコ屋 の閉店間際の儚さ、未練、に似た心境にもなるだろう。 ならば、枯れて味のある渋い、人として実り豊かな円満な人となってきたか、 と云えば、決して、全く、明らかに、ゼッタイにそんなことはない。人間はワイン じゃないんだ。じっと歳が経てば熟成するものじゃない。むしろ、歳を重ねて 生来の悪癖、弱点、スケベ心、矮小な性根は益々助長されていくのが並みの 人間なのだ。 世の真相とは冷酷なものだ。 しかし、私が一方的に心友、としている 坂口安吾もその堕落論の中で、人間 は堕落するもの、と心強いことを云った。生きよ、堕ちよ、それが正当な自分の 救済、自分自身の発見である、と分かったような分からないような言葉で、生存 の孤独を語った。 そこで、我ら団塊世代人は決して立派な年寄りにはならない(少なくても私は) と宣言する。身は枯れ始めようとも、心は枯れない。生臭いと云わば云え。不潔、 ダサい、カッコ悪い、と云わば云え。 虚飾の虚しさを知った中年は、孤独に親しみながらも、我が人生、生きざまを、 加齢臭を漂わせながら、世の後輩どもに見せつけるのだ。 せめて、これくらいの意気地がなければ、中年なんか醜いだけ、というミもフタ もないことになっちまうからな。 オバサン達、恋に目覚めて、悪妻になってもいい。オジサン達もひとを愛しても いい。中年は不良になろう。犯罪と不良行為の違いはわきまえた歳なのだから。 どうせ、モテナイけどね。 旅に出て祭りの中に独りかな 諷天 |
| 2007.03/12 お気に入りの 伊万里の盃洗と 染付けの徳利と杯 ![]() |
「魚と肴」 「旬の魚を肴にして、搾りたての新酒を呑むこと」 人の世の数多い愉悦の内、一番を挙げよ、と云うならば私はためらい無く、 こう言うだろうな。 私は友人、知人たちが目を輝かせて喧伝するほど女好きではなく、それよ りも酒と魚に重きを置く人間なのだ、ということを言っておかなくてはならない。 早春に、私が幸せだったひと時が有る。それはトラフグの薄造りと、白子の 焙りを肴に酒を飲んだ至福のひと時。 又、カワハギの薄造りの肝和えを、 そっと舌に乗せて目をつむり、首を振って、微妙な事情を人生に感じた時。 瀬戸内の早春の彩り、いかなごの親魚、ふるせを焙り、レモンを絞って口に 放り込んだ、あの震えるような官能の昂ぶりのひと時。 しかし、魚にも時に不愉快にさせられたことが有る。先日、ある地方の魚屋 で生きの良いカワハギを見つけた。背の高い魚屋のお兄ちゃんが私に威勢 よく声を掛けてくれたのだが。 「ハイ、どうです? お買い得っ」 彼が手にしたカワハギのパックシールに、丸ハゲ と表示してあるのだよ。 宮崎県知事に似ていると自慢の私も憮然としたな。魚屋のお兄ちゃんは急に 腰をかがめ、目線を私の頭より低くしたように思えたが、気のせいだろうか。 そういえば、かわはぎのみならず、他の魚の呼称にもユニークなものが有る。 万引き とはなんだ?と思えば、しいら のことだし、オジサン、と呼ばれるの はヒゲの立派な底魚の名前。チンチンとは黒鯛の幼魚のこと。 ほーたれとは、 片くちいわしだ。 糖尿のトラとは、、ワシのことだっ。 春愁う海の底見る独り酒 諷天 |
| 2007.02/20 | 「京都 残照」 あるひとから、京都の今どきの居酒屋を教えていただいたのを機会に、 久し振りに京都の町に出かけた。 青春時代の懐かしく甘い思い出や、辛く苦い思い出も息付く、あの懐か しい小路の片陰に、一瞬陽がさしたように記憶が鮮やかによみがえる。 あの頃、グループサウンズの歌が流行っていたな。 あの頃、京の大路には市電と呼んだ路面電車が走っていたな。 あの頃、健ちゃんちでジャンケンして、お好み焼の出前を頼んだな。 あの頃、出雲から出て来たあの娘に、随分酷いことをしたな。 あの頃、自転車で駆ける冬の京都は切れるほど寒く痛かったな。 あの頃、下宿した4畳間は家賃4千円だったが、払う金に苦労したな。 京都の街中の道路だけは全く昔と変わらない。建物は大きく変化して、 もはや烏丸通りから東山の大文字が見える隙間は無いが、道はそのまま 拡幅もせず、新しい道路もない。だから今でも迷うことなく歩くことができる。 まるたけえびすにおしおいけ あねさんろっかくたこにしき しあやぶったか・・ まだ続きますが、呪文ではありませんぞ。 丸竹夷二押御池 姉三六角蛸錦 四綾仏高・・と書くのです。 古い町の 碁盤の目、東西の通りを頭文字で北から南に覚えるわらべ歌です。 強がりて独りがよろし葱刻む 諷天 |
| 2007.02/19 これが、蔵名入りの 利き猪口なのだ ![]() |
「京都 伏見」 日本酒のこと。 日本の三大酒どころは兵庫の灘、京都の伏見、広島の西条でしょう。 そこで、昨日、伏見の酒蔵開き に出かけた。 新酒の香り豊かな蔵で搾りたての酒をゴチになって、坂本竜馬の由来を 語る寺田屋の前をフーンと横目に見て、古い木造の酒蔵の通りを散策したり して、小春日の好い一日だった。 伏見と云えば、有名な蔵は黄桜、月桂冠。だが伏見には30程の蔵元が有 るそうだ。灘の男酒に比較して、伏見の女酒、と云うそうな。どちらかというと、 力強い切れ味の灘酒に較べて、伏見の酒は嫌味の無い、サラリとした甘み を持つキレイな酒、というイメージだな。 今回、収集した蔵元名入りの利き猪口の内、特に印象に残る蔵元は、古く 重厚な酒蔵を持ち、わざわざ倉庫から三種類の杯を探して下さった「日出盛」。 利き猪口を無心した私に温かく応じて下さり、梅酒を作った後の梅を好きな だけ持ってきなっと気前の良かった 「富翁」 の可愛い事務員と、利き猪口を 下さった心優しい上司のオジサン。 また、利き猪口をきれいに包んで下さり、どうでもいいような私の話に付き合 っていただいた、「英勲」 の美しく心優しい事務員さんに感謝です。 良い酒つくりには良い人格形成が欠かせない、と云う経営理念を持つ蔵元 が滋賀の今津に有ったことを思い出す。正に、良い社員を持つ酒蔵が良い酒 を醸すことだろうと、今、新たに感慨を持つ。 京都の酒の、あの優しい口当たりの秘密は、こんなところに有るのかなあ。 又一つ、住みたい町ができてしまったな。 |
| 2007.02/04 「大津絵」 左が瓢箪鯰 右が鬼の念仏 ![]() |
「滋賀は住みよいか」」 終の住まいは何処に定めようか、色々思いを巡らすのは愉しい作業だ。 海外移住してマニラ住まいも候補には変わり無いが、このところ、和の奥 深い文化を持つ街にも心が惹かれる。 例えば、滋賀県大津の大津絵をご存知だろうか。一番有名な絵は藤娘。 他にも、鬼の念仏 もよく見かける絵ですね。 江戸時代より、世俗絵として時代の諷刺、風俗、教訓などに和歌を添えた ものだ。私的にはひょうたん鯰、鬼の念仏 に惹かれる。 鬼の念仏には 真なき姿ばかりは墨染の心は鬼にあらわれにけり ひょうたん鯰には ひょうたんに似たる思案の猿知恵でいつ本心の鯰おさえん と、狂歌が添えられている。 粋なものだね。こうした文化が根付く街に住みたいと思う。大津は目前に 琵琶湖が控え、大好きな釣りもできる。京都も山一つ越えればすぐそこだ。 更に、少し北に行けば水郷で有名な近江八幡も風情豊かな土地だし、その 向こうには国宝、彦根城を持つ古都、彦根。さらに長浜とみやびな街が続く。 もう一つ、湖の西岸、近江今津には知る人ぞ知る、妙なる酒を醸す酒蔵 も有る。只一つ、温泉に恵まれないことが残念である。 どちらかといえば、あまり注目を集めることの少ない、地味なイメージの滋賀 県に、ただ今興味深々なのだ。 憎らしいひとの心もなまずかな ひょうたん鯰の添句 |
| 2007.01/12 | 「えべっさん詣で」 兵庫県西宮市、西宮神社。十日えびすの祭礼が一月十日だ。昨年に続い て今年も福を授かろう、と虫のいい魂胆でいそいそと参詣した。本殿の前庭 には毎年奉納される本マグロがドンと横たわり、私と同じ虫のいい善男善女 が五円、十円、景気の良いひとは百円玉をマグロに争って貼り付ける。 不思議なもので、お参りを済ませるとなにやら安堵感やら満足感にほんわり と体中が包まれる。日本の伝統の良いところだが、最近、日本人の慎ましさ、 倫理観が失われてきた、という。 社会の雰囲気は確かに変化した、と思う。 良き伝統を持つ日本に住む日本人よ、子の虐待に怒れ、成人式の成人らし からぬ、バカ成人に怒れ。ひとを殺し切り刻む、殺伐とした今の社会に怒れ。 正義を持たぬ企業倫理、紳士たるべき企業のトップ、政治家、公務員の倫理 の荒廃に怒れ。もったいない、と思う美徳。おかげさま、という感謝の心、を忘 れた日本人に怒れ。 なんか、怒ってばかりで寂しい。私は紳士の矜持を持とう、と思う。その決意 が平凡、無能な私のわずかな誇りだ。 団塊世代のおじさん達が皆、怒りを持って立ち上がればきっと、世の中は 安倍総理大臣の云う、美しい日本になるんだろうなあ。 夕暮れの色のみ温き枯野かな (ヌク) 諷天 |
| 2006.12/27 | 「また、歳の暮れに」 ある本に書かれていたこと。 私はこれまでの人生で、ウソはついたことがない、ひとを騙したことも、 裏切ったこともない。ひとに媚びなかったし、ひとをバカにしたこともない。 臆病でもなかったし、小賢しくもなかった。あさましくもなかったし、威張る こともなかった。ひとの気持ちを弄んだこともないし、残酷でも傲慢でもな かった。利己的でもなかったし、約束を破ったり、ひとを侮辱、軽蔑したこと もなかった、 ・・・わけがない。 と。 ここに、少し大きめの手編みのセーターが有る。かれこれ20年も前か ら、苦い記憶と共にずっと傍に有る。 20年以上も昔の話。 ソウルの歳の暮れ。夜、歩道でおばさんが七輪の上で焼いて売る栗を 新聞紙に包んでもらい、両手を温めながら歩いた。 路上の幌馬車のよう な、寒さ除けのビニールを巻いた屋台で、お燗した真露の小瓶を飲んだ。 部屋でテレビを見ている私の後ろに、細く柔らかな指が私の肩から手首 にかけて尺取虫のように歩いた。首の後ろから腰にかけて同じ尺取虫が また優しく這った。 その意味は年を越し、後に理解した。 私はある本に書かれた、その、・・・わけがない、全くそんなわけがない 卑怯な人間だった。 歳を重ねるほどに、私の醜さは心の底に澱のように溜まっている。 密かに指で計られ編まれた、少し大きめの手編みセーターは、この冬も 薄汚れた中年男を温める。 かばん下げ立ち飲む男年の暮 諷天 |
| 2006.12/13 | 「男の更年期」 男にも更年期が有る、といわれて久しい。 私にもいささか心当たりがある。 1、 まず、怒りっぽくなった。 2、 人付き合いが苦手になった。自分の至らなさを棚上げして、他人の 人柄を見極めようとする、イヤらしい自分が居る。 3、 そんな自分が嫌いになる。自己嫌悪だな。 4、 そうすると、生きていくのが楽しくない。鬱の始まりなのか。 体力も目に見えて落ちているし、目もかすんできているな。 まだまだ、老後というには若すぎる団塊世代だ。なんとかこの憂鬱から 逃れたい。そして晴々と人生の第二幕を謳歌したいのだが。 男の更年期に効く薬も有るのだろうが、憂愁は衰え(死)を自覚した、 生命の怯えからくるのではないだろうか。心に効くビタミン剤が必要だな。 信頼と深い絆で結ばれた人が居れば、きっとささくれ立った心にビタミン 剤のように潤いを与えてくれることだろう。 読者諸氏にはそういう人がいらっしゃいますか? 寝付かれぬ寝床に忍ぶ霜の声 諷天 |
| 2006.10/14 | 「団塊オヤジの独り言」 もの想う秋たけなわ なので、一応私も、もの想う ことにした。 2007年問題の中心人物である私もご同輩も、この秋は団塊世代人の これからの生き方を、多少なりお考えになったりするのではないですか。 子供達は成人し、そろそろアテになるのか、と思えば親の名前すら忘れる 健忘症を患っている様子だな。 では、こちらも勝手に老後の生き方を模索しましょう。 まず、衣食住の内、着る物は沢山はいらない。着飾ってもジジイに振り向く のは犬くらいだ。 食は歩いて3分のスーパーが有ると便利だ。毎日、レジのおねいちゃんの ご機嫌を伺いながら、日替わりの特売がゲットできて、年金生活者は助かる。 住まいは医者通いに便利な街中、それも電車の駅前辺りで、日当たりの 良い5階以上のマンションが理想だ。 それと、棺おけを立てなくとも入れる、 広めのエレベーター付きが良いな。 誰と住むのか、が悩ましいところだ。妻達は年金分割で離婚を画策している かもしれません。 独り者は気楽だが、爺さんの孤独は悲惨らしい。 しかし、 濡れ落ち葉になるのは男の沽券(こけん)にかかわる。 オヤジの末路はバラ色にはほど遠い。 臭い、汚い、役立たず、とおぞましい言葉を聞く前に、良い提案が有ります。 オヤジ達(私もだ)は、気持ちよく豪快に酒を飲もう、旨いものは腹一杯喰おう、 塩辛い、高脂肪、気にすることは止めよう。アツイ湯に浸かり、なけなしの金は 子に残さず、女をたぶらかすことに使おう。 そうです、これで、ポックリ逝くことを狙うのです。 尚、この提案に、反論や叱責、はお受けしません。勿論、責任も取りません、 念の為。 昼酒を叱るが如く百舌鳥の声 (もず) 諷天 |
| 2006.09/27 古い枕屏風に貼った 酒のラベル ![]() |
「秋あがり、ひやおろし」 酒屋の前に大きな張り紙が出ていた。 「 秋あがりの酒 入荷しました 」 「 ひやおろし 入荷 」 日本酒(ポン酒)の世界はとても繊細だ。 いかにも日本人らしい。 先月は夏越しの酒(なごしのさけ) と呼ばれていたのに。 夏を越し実りの季節を迎えて、厳寒の季節に圧搾されたポン酒は、蔵の中 で貯蔵され、いよいよ円熟された風味を持つ、とされている。(だけど、私には まだ違いが分からんが) 酒蔵では新米での酒造りが間もなく始まることだろう。 ところで、私は今年の春より新しい趣味?を始めた。 ポン酒(一升瓶)のラベルを集めている。それと、酒蔵を訪れた時に頂いたり 購入したぐい飲みサイズの利き猪口(白磁に酒蔵の名入り、底に紺の渦巻き がある物)もすでに十五個ほど収集した。 酒を飲むだけでは飽き足らず、いよいよ酒瓶まで撫で回し始めた、と蔭口が 聞こえそうだな。 しかし、よく酒瓶のラベルを眺めると、とてもきれいな文字や絵がラベルの中 で躍動しているものだな。世界中に日本酒ほど、季節毎風味が変わり、呼称が 変わり、瓶の意匠にこだわった酒はない。 これぞ日本の文化そのもの、日本 の誇りだな。 ポン酒で愛国者になった私は、単なる飲んべえ にすぎないか・・・ 日暮れ待ち茶碗両手にひやおろし 諷天 |
| 2006.08/13 | 「初盆」 父が三月に他界した。 我が家では初めての仏さんで、仏壇もお墓も新品だ。亡父も気持ち良い ことだろう。 昨日、お坊さんがみえてお経を上げてもらい、なんとなく心が落ち着くな。 離れて住んでいる娘もお盆の期間中、家に居る。 久し振りに八畳の和室に娘と私の布団を敷いて寝た。 私の所に来ると いつもそうだが、私の背中にくっついたり、手を繋いだりして寝る。 「パパ、 女子高生と一緒に寝るなんてウレシイでしょ」 と生意気なことを言う。周囲 の人達からも「お父さんいいね、ウレシイでしょ」と言われるが、そうじゃない。 切なくて、哀しいのだ。 娘はそうすることで父親を確認しているのだよ。 親を必要とする間はしっかりと父親の存在を娘に示しておかなくてならない。 いずれ、父から離れ一人で歩くことだろう、それまでは。 しかし、娘が今の私の歳になるまでは、私は生きていないだろうな。 お盆は行く末を想う良い機会だな。 亡父に感謝する。 合掌 空蝉の背を焦がしたる炎夏かな 諷天 |
| 2006.06/21 | 「梅雨」 鬱陶しい梅雨の季節だが、この季節の愉しみ方も有るようだ。 梅雨とは丁度梅の実が熟す頃降る雨なので、梅雨と云うそうな。なんとも 日本的な表現だな。 それでは、日本の情緒溢れた正しい梅雨時の愉しみ方?を求めて、滋賀 県近江八幡の水郷めぐりに出かけた。 乗り込んだ船は葦の屋根をちょこんと掛けた小船である。なかなか趣きが 有る。 すいっと岸を離れた小船は同乗者5人を乗せ、琵琶湖に続く西湖に 出る。 葦が茂り、見通しの利かない水路を進むと、葦切(よしきり)が茂みの中から 警戒の鳴き声を発する。辺りには全く人間の作った構造物は見当たらないし、 音もない。風が葦を揺する音、鴨や葦切の水を掻く微かな音、そして我々の ホーとかアーとか、間が抜けたため息だけの世界なのだ。 時代劇の水辺の撮影は、もっぱらここで行われるということだ。それならば、 すっかり黄門様になりきって胸をそらすと、更に水上を渡る風が心地よい。 「外国暮らしより、やっぱり日本の暮らしの方が良いね」と言った、バンコク で3ヶ月間、単身ロングステイした知人の言葉が胸に沁みる。 そうだな、作務衣を着て下駄を履き、鰹の刺身に茗荷を添えて、日本酒を スッ、と飲む。 傍らでは素足に浴衣姿の色っぽい女が酌をして・・・ オジサンは日本的なものに憧れを持つのだ。 日本を愛そう まだまだ知らない日本を見つけようと思ったのである。 まあ、 読者諸賢には、そんな当たり前のことを今更書くなよ、と叱られそうだが。 掘割に蛇泳ぎて水涼し 諷天 |
| 2006.05/22 | 「頑張ってたまるか} つい先日、関西方面に10日間ほど滞在した。 特別なことをするのでもなく、温泉に浸かり、安くて旨いうどんを喰い、友人 とリサイクルショップ巡りをして、灘の酒蔵でただ酒をゴチになって昼寝をした。 一応、何かする大義名分も有るのだが、あまりやらなかったな。 私は今、頑張らない生活をしようと頑張って努力しているのだ。ウハハ、、。 たまに逢うと 「頑張っているかい」 と声を掛けてくる知人がいる。「ワシはもう 頑張るのは止めたの」って言うと不思議な顔をされた。 そんなに頑張る事は 美徳で正しい生活 なのかしらん。 五十代も半ばを過ぎたんだ。もう良いじゃないか・・・と遠い目をしていたい。 そんな心構えになって、とても心に余裕がでてきたと思う。 しかし、頑張らなければならない事 が無いのも少し寂しいのはやはり日本人 だなあ。 団塊世代人よ、私に同調していただけないだろうか。 皆んなで頑張らない 生活をしようではないか。 実は少々気が引けてきたのだ。平日、忙しげに歩く人々の中、つい道を開け、 隅に避けて歩いてしまう私なのだ。 |
| 2006.03/31 | 「団塊世代人はガマンしないぞ、宣言」 今年も桜の季節になった。もう、静岡市内も満開のようだが、花見に行く 気にならない。 身内に不幸が有ったのでそのせいでしょう。もう一つ、人に疲れたせいも 有りそうだ。 この頃思った事。 我々団塊世代人ははや、六十歳に近くなった。段々、失うものも無くなって きて、不貞腐れてきたのか、今まで当たり前のようにしてきた、ガマンをする こと, が嫌になった。 同年代ならきっと同じ思いを持つ人も多いことだろう。 長幼の序を受け入れることができない傲慢な人。 自分の価値判断、知識 のみが正しいと思い込み、私に持論を披瀝する年下の人、にどうにもやりき れなくなり 「それならワシにも考えが有る」と反撥してしまうのだ。 私はニコヤカに生きたいけれど、思想、価値判断、長年培ってきた様々な 経験に基ずいた言動、等を曲げてまで、私より若い人に迎合したくない。 そんなガマンしたニコヤカさが、人品卑しからぬ円満な良い人というならば、 そんなもの、下品な言い回しで恐縮だが、、、 ハッキリ言って、クソ喰らえ、だ。 しかし、世の中平穏に渡る方が心地よいはず。不遜な輩に近ずいて、クソ を喰わせるよりも、近ずかないよう心掛けることにする。 どうせ、生まれた時も死ぬ時も連れは居ないのだ。 狭量な村意識で人と 繋がることもあるまい。 いつもの如く、反論、ご批評のメールはお受けいたしません。 但し、共感 やお誉めのメールは有り難く頂きます。 亡き父がほいと出てくる花見かな 諷天 |
| 2006.01/29 | 「平成十八年」 年も改まり、もう一月も終わる。 読者の皆様、今年も宜しくお付き合いをお願いします。 今頃、新年の ご挨拶も気恥ずかしいですね。 ところで、全く無名で、別に何も感心することも無い、勿論なんの取り得 も教養の足しにもならない、H.P を一つご紹介したいと思います。 タイトル ねぼすけ男の釣 アドレス http://www14.plala.or.jp/nebosuke/ 私のサイトは読者と一対一の決闘?を望むので掲示板は設けており ません。専らメールにて、ほのぼのとしたメールやら、丁々発止のメール をやり取りさせていただいておりますが、ご紹介いたします、ねぼすけ男 の釣 には掲示板が設定されており、私も皆様に知られていないH/N にて時々乱入しております。 日記もほのぼのとして良い味が出ています。 ねぼすけ男になりかわりまして、皆様のお越しをお待ち申しあげます。 諍いて降り立つ庭に月冴える 諷天 |
| 2005.11/17 | 「日本人として」 14日、かねてから願っていた靖国神社にお参りをしてきた。 地下鉄やら、なんやらを乗り継いで、大分歩いて、人に尋ねてようやく 辿り着いた靖国神社は、荘厳な中に悲哀が漂っているように感じる。 鳥居の下で一礼して本殿の前に進み、二礼二拍手一拝の作法に則り 参拝をする。 美しき故郷の安寧を願い、妻や子、父母、恋人を我が命と引き換えに 守ることができると信じて、心ならずも戦場に散った兵士達に深い尊敬 の念をこめて感謝を捧げた。 戦場では兵士達は靖国神社で逢おう、と言い合って死の恐怖に耐え、 家族や恋人への最後の便りには、靖国神社に来て下さい、待っています、 と書かれていたそうだ。 今、国立戦没者慰霊施設を新しく造る事を、他国の批判をかわす為に、 検討されているらしいが、はたして、そこに参拝して英霊達に向き合える のだろうか。 靖国神社には当時の指導者達が合祀されていることが、中国、韓国等 の批判を浴びるが、他国の不遜な言動は無視すれば良い。 確かに、時の指導者には悲惨な結末を招いた<結果責任>は有るし、 その責任は問われるべきだが、それは日本人のみが言える事だ。 しかし、我々日本人は亡くなった人に鞭打つのは止めよう。もし、あの戦争 に勝利していたなら、時の指導者達の評価は全く逆転するほど、相対的な 評価なのだから。 それも、今は言うまい。 只、政治に翻弄され、戦死した一般兵士に、のちの日本人として、ひたすら 感謝を捧げよう。 あなた方がいらっしゃったから、今の日本が有るのです。 合掌 |
| 2005.10/01 | 「オジサンの美学」其の二 中年になると、一応世の中が分かってくるものだな。 こんなものか、という諦観もあるし、生き方に自信もある。仕事上も私生活 でも、一通りの経験やら修羅場を踏んで、もうあまり世の中の諸事情に戸惑 うことも少なくなった。逆にとぼけることも上手になったね。 哀しいのは人を見切る術に長けてきた事だ。しかも、何食わぬ顔でにこやか に、だ。今まで身に付いた生き方のテクニックは世渡りには大いに役立ったが、 それは自慢できる事でもないし、立派なことでもないと思う むしろ、身に付い たそれらを捨て、心を身軽にできたなら、カッコ良いと思う。 人のあしらい方や、金儲けの仕方、他人の優位に立つ駆け引き、そんなもの 糞食らえ、だ。 世の団塊世代人よ、そんなことを飲みながら自慢することを止めよう。 私はそんな世渡りの道具を捨てるぞ。 (なるべく) バカになろう。 (と思う) 女共にバカにされても、肩の力を抜き微笑んでいられる男になるぞ。しかし 一旦、事生ずれば過去の栄光のパワーが蘇るのだ。(そう、ありたい) それを、虎嘯風生(虎うそぶけば、風生ず)と云えるそうだ。 これは理想です。決して私がそうなったわけではありません。願望ですから、 念の為,、、、。 熱き胸知らずや熟柿落ちにけり 諷天 |
| 2005.09/30 | 「オジサンは遍路の旅に出た」 過日、お彼岸の頃、かねてから望んでいた四国に行き、お遍路さんになった、 とは言っても数日間、数箇所の札所参拝をする俄か遍路ですが。 私は日頃、宗教とはご縁が薄いので、特にこれと云える信心はありません。 読者諸兄に信仰の勧誘はしませんのでご心配なく。 私のこのHPのテーマの一つでもある、「団塊世代」に該当している読者には、 共感を得られると思いますが、社会に出て30有余年、競争に明け暮れ家族 を守り、すり減った魂にたまには酒ではない、潤いを与えたい、と思ったのです。 友人知人には若くしてせわしくも、あの世に駆け上がってしまった者も何人か います。自分は運良くここまで達者に生きてこれたな、と感慨も有ります。そんな 思いを持つのか、電卓、パソコン、携帯から離れて精神世界に浸るオジサン達 が四国には一杯居るのです。 未知の心の世界に思いを馳せて、畏れを持つのも、ヘンに自信を持ちすぎた オジサン達には良いことでしょう。 大きな声で般若心経を詠み、お大師様に素直に頭を下げられるようになった 私自身に驚きました。 海外に居ると訊かれる事が多いが、「貴方の宗教は?」と、問われる事があっ たら、これからは、私は仏教徒です、と答えられます。 ありがたい事です。感謝です。心の置き所が見つかりました。 これからも次の札所に向かう旅に出ることでしょう。 どうです、ご一緒に。 決して宗教の勧誘ではありませんぞ。格好良く言うならば、哲学のお誘いです。 南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう) 合掌 若遍路何故と問わぬか彼岸花 諷天 |
| 2005.06/21 | 「オジサンの美学」其の一 立派なオジサンが電車の中で破廉恥行為をしたり、大学教授が女子学生 に何んかしたり、会社の部長が女子社員を追い掛け回したり、世のオジサン の評価は地に落ちたな。 しかし、社会に出て以来、恋をして、結婚もして子を育て、会社に貢献もして、 様々な苦労や経験も積んできたオジサン達だ。若者にも尊敬されるべき立派 な実績も有るはずなのに。 年齢を重ねていく事への心理的な抵抗を、真面目なオジサン達が不器用な 行動に移すと、とても見苦しい事となるのかな。 中年に恋が有っても良いが、黄昏流星群(コミック オリジナル)のような事は 有り得ない。恋する事は勝手だが、相手が同じ恋心を持つだろう、なんて期待 は若者だけの特権なのだな。 はっきり言って、オジサン達には男の魅力なんて無いのだよ。中年男向きの obra,leon,自遊人、等の雑誌が書き立てている魅力溢れた渋いおじさまなど幻 想なのだ。オジサンの真の姿は、未来の夢も語れず、病気に怯え、髪はどこか にいき、腹は自堕落を象徴する様にたるんで、目はかすみ、記憶力はにわとり の如く、となっているのだ。 まだまだ男として魅力を持っている、などと思うのは、錯覚であり未練なのだ。 もし、そんなオジサンを真剣に愛してくれる人が現れる奇跡に恵まれたら、その 人を大切にした方がいい。そんな幸運は絶対、この先もう無いのだから。 オジサンには大人の恋が有るものだ。 それは、節度、つつしみ、将来の結果予測に基ずいた知恵に溢れた恋となる べきだな。決して付きまといとか、連日メール攻撃や勘違い迷惑電話、お触り 攻勢など、オジサンの権威を貶めないように。 外観のカッコ良さなどもう無いのだから、せめて男の美学とカッコ付けて、見栄 を張り、微笑みながら、もうひと頑張り思秋期を生きるのだ。 男はつらいよ。 子等を真似靴を手に持つ梅雨の道 諷天 |
| 2005.06/04 | [2007年問題」 我々、団塊世代が60代に突入しだすのが2007年となる。ジーンズを穿き ビートルズを口ずさむ定年退職者の誕生なのだ。 最近、リタイアする団塊世代が企業に与える影響を問題視しているらしい。 各人の持つ技術、知識、知的ノウハウが、スムースに若い世代に引き継が れるのか、が心配なのだそうな。 又、新しい市場が2007年より生まれる、と捉え団塊世代の研究を始めた 企業も有る。 私のところにも、団塊世代の習性やら行動、思考傾向の研究を目的とした さまざまな企業より、我々を囲い込み観察を図りたいらしく、色々勧誘が有る。 我々はそうした研究機関のモルモットだな しかし、実は2007年を待たず、50代にして早々とリタイアする中年が増え ているのだ。 では、どうして早期リタイア族が増えているのか。彼らは何を求めているの か、研究機関は知りたいだろうなあ。 我々は失望しているのだ。老いていくこれからの人生に、虚無感を抱いて いる。失われた10年と言われた時代以降、不満や焦燥感を持っているのだ。 まじめに、まともに仕事をしてきた事が正当に報われない世の中は変だ、と 怒っているのだ。だから、リタイアして、新しい生き方を模索しているのだ。 しかし、現実は厳しい。スーパーマーケットに行くと、50代と見受けられる おじさん達が一人買い物をしているし、日帰り温泉施設には、一人で温泉めぐ りをしているおじさん達が目立つ。他人様の観察ばかりをしていられない。 私自身が全く、そのおじさんなのだった。 静寂は郭公鳴きて深まりぬ 諷天 |
| 2005.04/27 | 「JR福知山線、尼崎事故」 今朝、死者数が訂正され、90人と報道されているが、まだ増えるらしい。 犠牲者、ご家族の皆様に申し上げる言葉も見つからない。ご遺族への痛切 な同情と、犠牲者のご冥福を、ひたすらお祈り申し上げます。 読者諸氏も同じでしょうが、私もテレビ中継を見つめて何度もこらえきれず 涙を拭いた。 行方不明の娘さんを探していたお父さんや、妻の死を確認した初老の夫が テレビに映る。遺体安置所の前でマイクを突きつけられながら、インタビュー に応じている中年男達は私と同じ団塊世代の男達だ。 淡々と自分を見失うことなく、自制された行動、抑制された話、に私はとても 尊敬する。もし、私があの立場なら、あのような自制された振る舞いや、抑制 の効いた話し方が出来るであろうか。 様々な競争を生き抜き、妻を娶り子を育て、忠実な会社人間として我慢も 重ね、ようやくこれから、自分らしく生きられるかもしれない団塊世代の男達。 それが、この事故で瞬時に、築き上げた家庭の崩壊だ。 くやしい、絶望、悲痛な慟哭の声を抑えて、テレビカメラの前で見事な対応 をしている。そこには長い社会生活の中での苦労、経験が有る事がしのばれ るが、それも哀しい。 私に尊敬されても何も嬉しく無いだろうが、あの見ず知らずの男達に、深い 哀惜の気持ち、を同世代の友人としてお伝えしたい。 それから、こうした事件報道の中で、いつも気に障ることが一つ有る。 それは新聞、テレビ等の記者達の言動だ。報道関係者の権利とでも思って いるのか、被害者の心情を忖度(そんたく)する事の無い、失礼極まる一方的 なインタビューや、加害者側JR社長、幹部等に浴びせる尊大な言葉の羅列。 勘違いも甚だしい。君らは何様なのだ。君らの態度、言葉使いには、ヘドが 出る。 思い上がるな、報道関係者。 |
| 2005.04/03 | 「祭りと桜」 四月三日となっても、我が家の前の桜には一輪の花も無い。一体、どうし たんだ。 四月一日より、恒例の静岡祭りがうやうやしくも、盛大に開催されている。 大御所花見行列と称して、徳川家康に扮した加藤 茶さんとミスなんとか、 が扮した大奥女中の仮装行列が街を練り歩くらしい。私は自慢じゃないが、 まだ見たことが無いので祭りの内容に関して責任は持てないが、夜には 夜桜乱舞とかの踊りが、賑やかに駿河の町に繰り広げられる、とのことだ。 由緒有る祭りでもなく、ただ、桜の時期に合わせたイベントではあるまいか、 と思う。 しかし良いではないか、大衆諸君、大いに楽しめ。桜の無い夜桜乱舞なんて シャレているじゃないか。でも私は絶対行かないけれどね。実は人ごみの中に 居ると人酔いする私なのだ。情けないが、、。 そこで、昨日温泉に出かけた。山梨県南部町の山の奥、南部町営奥山温泉。 ここの露天風呂はGOODです。体温と同じ位の低温の露天風呂は何時間でも 入っていることが出来る。私は密かに「思索の湯」と名付けている。 入浴料は500円。但し、休憩室を利用すると休憩料1、000円が加算されて 合計1,500円となる。 ちょっと、ひどいんじゃあないかい?町長さん。それに、午後二時には売店も 閉店となるのだ。係員の態度といい、まるで人嫌いの営業手法だね。 でも、好い湯なんだよなあ。 幾たびも酒器を確かめ花見かな 諷天 |
| 2005.03/03 |
「春は桜」」 もう三月に入った。 この冬は当初の暖冬との予想ははずれて、今朝も 静岡市の郊外は氷を見たし、日中も風は冷たく、少年のような、まあ、そうで もないような、私の頬も北風に吹かれ赤くなった。 昨日、近くの桜並木まで出かけてみたが、つぼみはまだ赤みを帯びる気配 はない。黒々と固く閉ざされたままだ。この様子では桜の開花が早まることは なさそうだ。今年の静岡市の開花日は3月30日となるだろう。 根拠は有りま せん。 お告げみたいなもの、と理解して下さい。 私は今年こそ、幾日も桜の花に囲まれながら、酒盃を持ち、この世の享楽に 耽りたい。 毎年、桜の花の下に立つと、来年の桜は見る事ができるのか、理由もなく 不安に駆られるのだ。 散ル桜残ル桜モ散ル桜 ですから。 今年はきっと、南の風に乗ってやって来る桜を迎えに出掛けよう。紀伊半島の 南端で待ってみよう。そして、桜前線を花とともに北へ、北へ旅をしてみたい。 やがて、二ヶ月に及んだ桜との道行きは北海道の北端で、サヨウナラだ。 ところで、若い頃の花見は散り往く桜をはやしたて、仲間達との楽しい宴会の 場だった。 今は散り往く桜が惜しい。来年の花見はないかもしれない。だから惜別の宴を 一人ひらくのだ。しかし、このような心情で桜を愉しむのも、オジサンの特権だな。 どうだ、若者よ、羨ましいだろう。 風となり通り抜けたい桜道 諷天 |
| 2005.02/15 | 「あれから10年」 今日は真面目な話です。 「珍しい」 とつっこみを入れないで下さい。 厳冬期に春を探そう、と出かけたのは瀬戸内海と大阪湾を分ける淡路島。 我が尊敬する、車寅次郎兄の啖呵売(タンカバイ)を思い出した。 ハイ 寄ってらっしゃい 見てらっしゃい サア ものの始まりが一ならば 国の始まりは大和の国 島の始まりは淡路島・・・・・・ 淡路島北淡町は平成7年1月17日の阪神淡路大震災の震源地になった所。 そこには長さ10KMにもおよぶ地震断層が出現している。 現在、そこは震災記念公園になっていた。 断層保存館の入り口に立ってまず驚かされるのは、神戸市東灘区国道43 号線の陸橋崩壊建造物だ。更に奥に進むと、保存された断層やその上に建つ 住宅が当時の無残な姿のまま保存されている。そして体験資料館では当時と 同じ、震度七の凄まじい揺れが体験できる。 遠来の観光客は嬉々として体験ルームの椅子に腰掛ける。そんな人達の中 に神戸で被災した人が居た。 その人は体験ルームに入る事を拒否した。 足が前に出ないようなのだ。それでも係員に促され、硬い表情を崩さず、中に 入ったが、その人の心中には他人には計り知れない想いがきっと有るのだろう。 震災を体験した者だけに有る、心の闇が広がるのだろう。運良く助かった被災 者にも震災で命を落とした友人、知人、肉親、会社の仲間等がきっと有るのだ。 わずか数十秒の地震体験の後、体験ルームを出る人々は,入る時と打って 変わり、静かだ。 あの被災体験者はフラッシュバックされたあの時の衝撃に、 じっと耐えているかのようだ。 私は深く心に留めておこう。自然災害に対し、人はどうしようもなく無力で悲しい 存在だという事を。 皆さんも行かれる事をお勧めする。地震の構造を学ぶ為ではなく、地震が人々 に与えた悲しみを共有する為に。 震災記念公園は突然起きた数十秒の震災が原因で亡くなった、6、433人もの 人々の慟哭を感じる場所なのだ。 どうしようもない事が、最も人を無口にさせる。 春日向くつ下脱ぎて爪光る 諷天 |
| 2005.01/31 | 「これを言っちゃあ、おしまいよ」 冗談じゃない、世の中そんなに甘くないぞ、と思う事が有る。勿論、甘くて 切ない、香り高い人生のひとコマも有る事は否定しないが。 でも最近、私も少し世の中が分かりかけてきたのか、気になる言葉が有る。 例を採ると、歌の文句に ♪ボロは着てても心は錦〜♪ と水前寺清子が 唄うが、 冗談じゃない、「ボロを着てれば心もボロさ」と唄う渥美清の歌が正解だ。 同じく歌の文句に ♪あんな女に未練は無いがア♪ と唄うが、 冗談じゃない、そんな時は 「あんな女に未練は有るがア」 だろ。 見合いの後、仲人が「美人は三日で飽きるけど、ブ◯は三日で慣れるからね」 と、俯いてためらうムコ候補の背中を撫でながら説得するが、 冗談じゃない、美人はいくら見ていても飽きないが、ブ◯は三日も一緒に居れば 腹が立ってくるハズじゃないのか。 人の能力に差は無い、バ◯と悧巧は紙一重だって? 冗談じゃない、人の能力には生まれつきの差が有るものだ。猿をいかに教育しよ うとも人にはなれないのと同じで、何事でも努力をすれば報われるとは限らない。 反対に、幸運に恵まれ努力なんて不要の場合も数多い。 真実は虚しいな、、、(お願いですから反論やお怒りのメールは止めて下さい) 山の陰梅一輪で賑わいて 諷天 |
| 2005.01/02 | 「オジサンのウォーキング」 一ヶ月前から、正月でも欠かせない日課となったウォーキング。 今朝も4キロを40分掛けて歩いた。 毎日、道順が異なるのは、今朝は どの道を歩こうか、と考えるからだ。 本当はお気に入りのルートも有るが、 毎日同じルートは選択しないのだ。同じ時間、同じ道には同じ名前も知らない 人とすれ違う。きっと、その内に親しくなっていくのだろうが、それが何か気が 進まない。 にこやかに挨拶を交わしながらすれ違った人と、明日も明後日も 会いたくないのだ。それが好い女なら、なおさらだ。好い女は自意識、プライド が高いので、きっと、「毎朝、私の顔を見たくてあのオジサンはやって来る」と その女は思うのだ。 冗談じゃない、オジサンは朝から発情していないぞ。 オジサンは青い山を眺め、人生とは何んぞや、と独り言をつぶやきながら 鼻息を荒くして、一人、我が道を歩きたいのだ。 オジサンのウォーキングは哲学者になれる大切な時間なのだよ。 息白くアスファルト打つスニーカー 諷天 |
| 2004.12/25 | 「メリークリスマス」 別に僻んでいる訳では決してないが、世の中、クリスマスだそうだ。 フランスレストランも、なぜかホテルも、予約で一杯だし、何処のお店も クリスマスの飾りつけで本当にお祭り騒ぎだ。別に文句が有る訳じゃないが、 只、正直なところ申し上げると、少しシラケている。 一体、何んなんだ、クリスマスって。 クリスマスとは、 一、子供がおもちゃを正々堂々と要求出来る日。 二、お祖父さん、お祖母さんが孫におもちゃを献上する日。 三、若い夫婦はいつも一切れしか買わないケーキを丸ごと買い、玄関に豆電 球をノレン代わりに垂れ下げ、我が家が世間並みであることを認識する日。 四、独身男女がなぜか目の色を変える日。 五、オジサン達は飲み仲間を求めて変にハシャギ、その妻たちはクリスマス ツリーの前で韓国のペとかヨンだとか・・・様あ、とつぶやき目を潤ませる日。 私のセカンドハウスの有るフィリピンでは、もう少し正しいクリスマスのようだ。 人々は小奇麗な服を着て、朝早くから教会に行って説教を聴き、賛美歌を唄う。 テレビでは高名な神父が演説をして祈る。まるで世の中の動きが止まったよう。 そして、人々は「メリークリスマス」と口がはれる程言い合い、微笑むのだ。 イブの夜は近所の子供達の合唱団が結成され、賛美歌を家々の玄関の前 に来て清らかな声で唄う。金持ちの家の前は次々にコーラス隊が襲来する。 目的は勿論、アレです。 しかし良いものですね、キリスト教徒って。ところで我が日本民族の多くはお寺 に先祖代々の墓を持つ仏教徒ですが、お釈迦様の誕生日、知ってますよね。 これが以外に認知されていないのです。勿論、諷天日記の読者諸氏はきっと ご存知ですから、ここには書きません。 しかし、がんばれよ、お寺さん。 檀徒がキリストさんの誕生日を盛大に祝って、お釈迦さんの誕生日には全く 無関心なんて、ちょっと変だよ。 それと、お坊さんはキリストさんの誕生から数える西暦なんて使うなよ。 我よりも想いは深き雪の岩 諷天 |
| 2004.12/03 | 「アウトドアの季節」 いよいよキャンプシーズンに突入した、と申し上げても、プロ野球チームの キャンプインではない。読者には、とうとう遊び過ぎが祟ってボケてきたのか? と思われる事だろう。 いや、しかし、真面目に申し上げるが、私にとって冬がキャンプシーズン、 最適期なのだ。 その根拠を申し上げよう。 一、まず、アウトドアの天敵、いやな虫の襲来が無くなる。 二、気温が氷点下に下がる時期には、食品に付くばい菌が激減し、食品が 腐らなくなり清潔である。 三、アウトドアの食事の愉悦、鍋料理が旨くなる。(正しいアウトドアは決して バーベキュー等やってはいけない、あれは女、子供に任せれば良い) 四、自称、ロマンチストの私にとって、冬の透き通るような星空はウイスキー や、芋焼酎のお湯割りに最高の環境となる。 五、朝、起き立てに熱々のホットコーヒーのカップをかじかんだ手で包むのは、 好い女の手をつかむ事以上の喜びなのだ。 六、防寒対策完璧のシェラフに潜り込んだ時の安堵感は、厳しい冬に木の実 を集めて巣篭もりをしている幸せなリスになったようだ。 七、キャンプ地の温泉で雪見風呂を楽しめば、今まで生きてきて良かった、と 出て来た腹を撫でながら思うものだ。 八、朝、凍る坂道をいそぐ女子高生を見つめ、滑って転んでパンツを見せなけ れば良いが、と心配しつつ、期待したりできる。 どうだ、冬はキャンプに最適な季節だと、ご理解頂けただろうか。 |
| 2004.11/04 | 「世界のボス」 アメリカ大統領選挙はブッシュの再選となるようだ。 その事に日本 政府は喜んでいるらしい。 まるでガキ大将に追従笑いをしている学級 委員だな。 勉強はできるが、からきし意気地がない存在だ。 昔、こんな出来事が有った。 東南アジア旅行に出かけようと成田空港行きの電車の中での事。満席 で座席の取れない私はドアの前、車両のデッキに立っていた。同じ様に 白人青年一人と、マンガを読みふけっている日本人おじさん一人が立って いた。 そこへ、車内客室より東南アジア系青年がドアを開け私達の所へ 出て来た。 タバコを吸いに来たのだ。 当時、禁煙など男のやる事じゃあない、と男気を気取っていた私だ。紫煙 に誘惑されたが、灰皿を目指し東南アジア君の隣に移動するのも億劫だと 文庫本に目を落とした瞬間、白人青年がアメリカ英語でキツイ一言。 「ここでタバコを吸うな」 東南アジア君は白人青年に、客室内が禁煙なのでここまで出て来たんだと 気弱な笑顔を浮かべ了解を得ようとしたが、ますます白い顔の白人青年は 引き下がらない。 「私はタバコが嫌いなので君はタバコを止めろ」と要求する。 気弱な東南アジア君は長いタバコを灰皿に押し込むと無言で客室に戻って 行った。 そうしたら、今度は隣のマンガおじさんがタバコをくわえたのだ。 こりゃ、どうしたものかと思う間もなくアメリカ青年は第二次紛争に突入した。 「タバコを吸うな」と言い放つ。 おじさんは私より若干英語が苦手らしく、意味が分からない。ボーゼンと アメリカ青年を見つめる。 「。。。。。。。」 私はやむ終えず助け舟を出さざるを得ない。 「タバコを吸うな、と言っていますよ」 「アレ、、ここ禁煙だった??」とおじさんの目が泳ぐ。 「禁煙じゃないけどあの白人はタバコは嫌いだから吸うな、とさっき来ていた 青年にも言っていたんですよ」 と私。 「ああ、、、」白人に弱いおじさんはタバコを素直に箱に戻す。かわいそうに なった私は「アメリカ人に多いタイプだよね」と慰めた。 すると、アメリカ青年 はイエローキャブ日本娘から習い憶えたらしく、私の日本語を理解したのだ。 彼は引っ込みがつかず、今度は私に 「hey,you」 と来たもんだ。 私も自慢じゃないがマンガおじさんと大して変わらぬ英語オンチだ。青年の まくし立てている話の半分も分からない。分からなければ腹も立たないので 無視をした。 いい加減にしなよってキレそうになった頃成田空港駅に着いた ので第3次紛争はあっけなく終わりとなった。 この青年は典型的ホワイトアメリカ人性向を持っていると思う。そして、渦中 のマンガおじさんは、私に飛び火した第3次成田紛争には我関せず、とばかり 私に背を向け、マンガに目を泳がせる典型的日本人なのだ。 おい、アメリカよ、お前はそんなに正しいのか、ケッ。 |
| 2004.10/10 | 「誕生会」 十月十日は母親の八十歳のバースデイ。 そこで、子供達が集まって我が家で大宴会となった。弟は妻子が里帰り、 というか数ヶ月の家出中なので一人で来た。妹は亭主と末っ子と一緒に 参加した。こういうときに必ず参加する私たちの従兄弟が一人いるのだが、 三連休を利用して伊豆へ一人釣り旅行に出かけ、昨日の伊豆直撃22号 台風で生死不明であるので、今回はやむおえず不参加となった。 さて、我が家の特筆すべき宴会料理が二つあるのでご紹介しよう。 一つは豚足のやわらか煮込み中華風。八角と黒胡椒を効かせた逸品。 そして圧巻は豚の耳の千切り酢味噌和えである。沖縄地方を除きこの豚 の耳はスーパーの肉売り場では見かけることの無い食材なのだが、私は 最近知ったのだが、実は結構有るものなのだ。 買い方をお教えしよう。 肉売り場で、店員の前に立ち耳元でそっと一言。 「ブタの耳、有る」? と聞くのだ。 店員はやはり遠慮勝ちに声を落として 「有りますよ、どのくらい」? と答える。 こうして他の客に眉をひそめられることなく、取引成立となるのだ。 この貴重な珍味を我が妹は豚の耳、と聞いた瞬間話をそらし、目もそらし 箸をUターンさせた。 豚の耳に失礼な仕打ちである。 しかしこれは芋焼酎に秀逸なアテとなる。口あたりのいい耳のゼラチンが 芋焼酎とからまって我が舌を狂喜乱舞させるのだ。 やがて酔いが回って豚耳も皿に残り少なくなって、焼酎飲みの座った目は 前に居る人間達の顔の脇、つまり耳にねっとりとした視線を向け始めるのだ。 |
| 2004.09/07 | 「一周年と一万回」 大した記念日が現れた。 団塊世代の秘密基地 のカウントが10,000を突破した。そして、この 諷天日記を昨年九月一日に書き始めて、ちょうど一年が経過したのだ。 昨晩、記念すべき10,000を踏んだ女性読者より祝いのメールを頂いた。 「ありがとう、あなたの優しさがオジサンの胸をジーンとさせるのです」 しかし、最近、諷天日記の更新が滞りがちなのだ。何もやる気が起きず 鬱状態だ。 浮気じゃなく弱気の虫が体中を這い回っている。 団塊世代の男達にも更年期が来たようだ。 そういえば、若かりし頃は未来に向け夢を足し算していたのだが、今は 未来に何が無くなっていくのか引き算を始めている。 そして、鬱に追い討ちをかけるような世の中の狂乱ぶりだ。 ロシアの子供達を襲った大量殺人テロ。パレスチナ、イスラエルの無差別 テロとその報復テロ。バカなアメリカが始めたイラクの終わりの見えない殺し 合い。韓国の若い女性と老人を狙った大量殺人事件。国内に続発する子供 殺人事件。 それだけじゃ終わらない。自然現象まで不気味な様子を見せている。 浅間山の噴火、紀伊半島沖の大地震、次々と襲来する大型台風。それに、 今年の夏の異常な暑さ。 悲惨な報道に圧倒された私はただ無口になるのみだ。 世間が嫌になり、玄関の鍵を閉め読書に逃避した。しかし、まるで頬青白き 青年の如く、太宰に没頭している私なのだ。これでは、鬱は増大する一方だ。 昔、私と知り合った美しい女どもよ、もう一度私の前に現れ、私を若き頃に 戻してくれないか。 いや、しかし、おまえ達も、見るも無残な姿に成り果てて いるのだろうか。 読者の皆さん、私に励ましのメールを下さい。 人絶えた海に氷の旗残る 諷天 |
| 2004.07/29 | 「伯父のこと」 すでに亡くなった、父の兄にあたる伯父の話。 実は、生前親しくお付き合いをさせて頂いた事は無い。 親近感を持つ のは、亡くなった後、偶然目に留まった伯父の自費出版された数冊の 詩集を手にしてからである。 父方の伯父は三人有った。既に皆、鬼籍に入っている。 血の不思議 を感じるのは、父を含め伯父達四人、全て文才らしきものが有ることだ。 まだ伯父たちが元気だった頃、実家に集まると父と伯父達は、鳥さし、 という自作俳句の作者当ての遊びを始めるのだ。 なかなか、風流というか、高尚な遊びなのだ。 私のように、どこぞの おねいちゃんの話題しか持ち合わせていない人間にとって、羨ましい事だ。 そして、私にも継承された血の特性がもう一つ。 それは、人生を肩の力を抜いて、洒脱に生きる意志のようなもの。早い 話、遊び楽しむ生き方が上手。仕事は生活ができるならそれ以上望まない。 「がんばる」なんて言葉は微笑みの口元には似合わない伯父達だった。 昔、モーレツ時代と呼ばれた高度成長の時代。皆残業、早出も厭わず 豊かさに憧れ突き走った時代にも、我が先代達は微笑みを浮かべ、川に 鰻を捕り、山に野うさぎの罠を仕掛け、雨の日はわら半紙に俳句を書き なぐって、夏の夜は縁台に座って将棋をさしていたのだ。 当時はご本人達も少し後ろめたいものが有ったのか、自分の生き方に 胸を張るような姿勢は無かったと思う。 しかし、現在の社会のように、 充満する閉塞感の中で生きるのには理想的な処世術なのかもしれない。 先代達の生き方は時代を先取りしたものだったとしたら、その英知に尊敬 するが、、、なに、、そんな大それたことは有るまい。 しかし、D.N.Aはもっともっとさかのぼって、深遠な過去から受け継がれて いるのだ。 不思議な事である。 もう一人の伯父も自費出版の戦記を数刊出している。 第二次大戦に フィリピンに於いて大変な苦労をした伯父だが、D.N.Aはそんな苦労の跡 を見せないのだ。 |
| 2004.06/14 | 「信州の温泉にて」 長野県諏訪より国道142号線を北上すると和田村に入る。山々に挟ま れた秘境の趣が溢れているこの村に、村営の温泉が有る。 入浴料は 三百円、大広間の休憩室も付く。 日曜日、朝十時のオープンと同時に 入館したが、他に入浴客の姿が見えない。「これはいい、風呂の独り占め ができる」 手も足も伸ばせるところはみんな伸ばして、遠慮はいらない。 しかし、日頃温泉マナーに口うるさい意地悪オジサン、と自称する私だ。 誰の目が無くともマナーは守る。湯に浸かる前に洗髪をし、あっちもこっち もよく洗ってから湯を堪能していると、村の長老達が一人、二人とご入場 する。私も伸ばしたものを折り曲げて、長老達に敬意を表す。 そして又暫 くして、今度は二十歳前後の若者達がキャッキャ、キャッキャと入ってきた。 髪は茶髪じゃなく金髪の者が三人、下手な刺青を貧相な肩に入れた者が 三人、自由の女神風のヘアスタイルの者も居る。 敬意を必要としない来訪者だ。 私は湯の中から彼らの行動を見据えた。 が、しかし、なんと、驚く事に、 こいつら(失礼)は意外な振る舞いを始めたのだ。あっちもこっちも洗わずに 浴槽に直行するのか、と腕組みして目を凝らす私の前で、ごく自然に戸惑い も見せず、洗い場のいすに可愛い尻を乗せて、シャワー全開、ゴシゴシと あっちもこっちも石鹸をつけ洗い始めた。全員が同じ行動をとり、洗い場は 瞬時に満席だ。 「ウーン、エライゾ、諸君。」 関西弁で話す彼らの声も爽やかだ。刺青もよく見れば可愛いじゃないか。 金髪も、とさか頭も、いいセンスだよ。くるまの運転中は道路交通法などは 忘れていただろうが、そんなものはどうでもいいんだ。 オジサンも若い時 が有ったしな。 二時間も熱い湯、ぬる湯に交互に浸かって浴室を出た。外に出ると梅雨 の晴れ間は命の輝きに満ちている。私の愛車の隣に駐車している なにわ ナンバーのワゴンが泥だらけだ。昨晩は雨の中の長距離運転なのだ。 「交通標識に注意しなくても、おまわりには気を付けろよ。」 オジサンは急に胸が熱くなった。 下駄の土固きは遠い蛍狩り 諷天 |
| 2004.03/21 | 「これからは一人遊び」 人生の終末を誰と何処で暮らすか、前回(3/7付)日記を書いた後、考えて しまった。 暮らすことよりも大切なのは、暮らしがい、つまり生きがいなのだな。 只、喰って、寝て、垂れるだけの生活を誰と何処でしようが、それだけならば悩 む程の値打ちはない。 暮らしがい(生きがい)は人によって様々なのだが、よく リタイヤしたら旅行を暮らしがいに挙げる人も多い。しかし、楽しい事のみの計画 はいずれ飽きて終わると思う。そして、老いて体力がなくなれば不可能になる。 だが、心と頭の一人遊びは体力も不必要だし、天候に左右される事もなく、他人 様と争う事も無く続くのだ。 こうした一人遊びはいいな。 一人遊びが,必要なテクニックと痛感するのは、人生の節目に行き当たった時 だろう。 男性は仕事一筋で生きてきて、退職、転職を迎えた時、女性は子供が 巣立って、子育てから開放された時がそうだろうな。 そして、仲の良い夫婦でもやがて、どちらかが一人になる時が来る。生き方を 模索するには、一人暮らしも想定して於かなくてはならない。 そこで大切なのは、孤に親しむ、心構えだ。 一人遊びが上手ならば、孤に親しむのも容易なのだ。そうしたテクニックが老後 の暮らしに潤いを与える事だろう。 「男はつらいよ」の車寅次郎を尊敬する親友としてきた私は、随分寅さんから孤 に親しむ心構えを学んだ気がする。 寅さんのように孤に親しめる人は、他人様 への思いやりが深いのだなあ。情が厚いのだ。寂しさの裏返しかな。やはり寅 さんもつらいのだろうな。(笑) 寅さんも死んじゃったし、映画という一人遊びも色褪せた感じだ。でも一人遊び はまだまだ沢山有る私なのだ。人には教えられない一人遊びもあるんだぞ、、、。 病知り彼岸の人が懐かしき 諷天 |
| 2004.03/07 | 「人生の終末を誰と何処で暮らしたいか」 終末となると、もうベットの上だろうから、もう少し手前の事になるだろう。 要は、自分の人生をどう仕上げるか、というプランである。 人は一人では生きにくい。 しかし、多くの人に囲まれながら、生きたい様に 生きる事も難しい。 寂しさを受け入れて、一人自由気儘な生活を手に入れるのか。はたまた、 人々の間の温もりに接しながら、妥協は当然の事と孤高の精神は捨てて家族 に囲まれ、安逸な生活に浸るのか。 昔から、人里離れて庵を結び土に帰るように暮らす人も居た。そうした生活に 憧れを持つのは厭世観が強いのかな。血の繋がった家族であろうとも、時には 諍いも有るだろう。 平らかな精神、清々しい心で人生の終末を過ごしたいのだ。 理想はこうだ。 温和な気候の土地に、ごく小さな家を入手して一人で住む。 月に一度位は人 の恋しい夜も有ろう。離れた家族が懐かしいことも有ろう。そんな時は深い理解 と絆を持つ家族や友を訪れよう。女ならなお良いなあ。 そして一夜を過ごし、心も体も温まったら、又、我が家に戻るのだ。 格好良いよなあ、こんな終末、、、。 麗日や娘の髪が肩にふれ 諷天 |
2004.02/27![]() |
「焼酎の話」 焼酎は日本が世界に誇る蒸留酒です。しかし、海外にも焼酎は有ったのだ。 その一つにランバノックがある。フィリピンの地酒だが焼酎の仲間なのだ。そう いえば、奄美特産の黒糖焼酎に味も似ている。 原材料は椰子の樹液である らしい。椰子の木の先端、成長点を切り取り、少し下に向けて折り曲げ、そこに 樹液を溜めるためプラスチックのボトルを縛り付けておく。日をおいて、そのプラ スチックボトルを回収すると、中には白く濁った樹液が溜まっているのだ。既に 醗酵が始まっておりトバという酒になっている。日本のどぶろくに近い。天然の 醸造酒である。これを日本の焼酎造りのように蒸留してアルコールを取り出した ものがランバノックになるらしい。まだ酒造りを見ていないので、らしい、と表現 しておく。相当強い酒である。焼酎の類は水割り、お湯割りにして飲むのが一般 的だ。香りが立つのはお湯割りだろう。 ところで、お湯割りをつくる時、皆さんはどのような手順でつくるだろうか。居酒 屋などで飲む時に、グラスにまず焼酎を半分位そそぎ、その後魔法瓶の熱湯を 加えるのを見掛けるが、これは駄目。 まず、グラスにお湯を入れるのだ。そして、 少し、温度の下がった湯の中に焼酎をそそぐ。もっと良い方法は焼酎のボトルが 半分近く中身が減った状態の時、好みの分量のわり水を入れておくのだ。そして 飲む時にお銚子等に移してお燗をする。 熱い湯を急激に焼酎にそそぐと、アルコール臭が先に立ってしまうのだ。 焼酎 をびっくりさせないように、お湯割りにするのが美味しい焼酎を味わうコツである。 こうして飲む芋焼酎は旨いな。しかし、最近一本五千円を越すプレミア価格の焼酎 が有るのは許せない。酒飲みの諸君、プレミア価格の焼酎の不買運動をしよう。 本来の価格を取り戻そう。 尚、お茶とか、梅とか、レモンジュースで割るのは,甲類焼酎だけにして欲しい。 乙類焼酎はあくまで水割り、お湯割りで楽しまなければ焼酎に失礼だと思う。 しかし、黒糖焼酎をオンザロックや水割りで飲む時に、切ったきゅうりを入れる のはお勧めである。 お試しあれ。 寒の水君息災かと手に掬い 諷天 |
| 2004.02/16 杯コレクション ![]() 静岡の地酒 ![]() |
「日本酒の話」 三十年以上昔のことを思い出すと、日本酒は灘と伏見の名高い大手酒蔵の酒 が全国、各地で大きな顔をしていた。その後、少しずつ日本酒は変身していった と思う。きっかけは酒税の改定に有ると思う。二級、一級、特級、の酒税のランク 付けを廃止したのはいつだったか。それ以降、日本酒はのれん、伝統のブランド 志向から実力の世界に変わっていったと思う。 地方の小さな造り酒屋さんが、 やる気になったのだ。大手に卸す桶売りをやめ、直接消費者に品質を問う姿勢 を見せ始めたと思う。そんな蔵元の姿勢が杜氏に伝わり、蔵元と杜氏の長い付 き合いから生まれる信頼関係が良い酒を生み出していったのだ。また、中には 杜氏を招かず、蔵元自ら酒を醸している蔵も現れた。 ここにきて、地酒の品質は飛躍的に向上した。こうなると、旅行先で飲む地酒 が楽しみだ。私の住む静岡にもキラ星の如く、個性溢れる地酒が生まれている。 日本人でよかった、、、今晩は日本酒だな(キッパリ)。丁度、新鮮な鰆が一本 有る。 酢〆と照り焼きで一杯だ。 最近、居酒屋に出向くのも面倒なのだ。こそこそと、手料理と手酌が隠微な愉し みと化している。 鰆手に酒屋に向かう足もつれ 諷天 |
2004.02/05![]() |
「くるま旅の楽しみ」 私の夢はキャンピングカーに乗って、全国気の向くまま、風にふかれて適当に さ迷う、くるま旅をする事なのだ。 我が愛車は、マイクロバスをベースに改造したキャンピングカーである。 アメリカあたりでは全長が10メートルを越すモーターホームが、リタイア族の道具 となっているようだ。アメリカンモーターホームの充実した装備や快適な住空間は 羨ましいが、我が国とは道路事情に違いが有る。国内の道路事情ではせいぜい 我が愛車の全長、6,2メートル程が快適なドライブの限界だろうと思われる。 勿論、このサイズでは不自由さは有り余る程ある。しかし、なにせ車なのだから、 簡単な炊事ができ、快適に就寝できるならば良し、としている。キャンピングカー ならば、思い立ったらいつでも旅に出る事が出来る。 この気儘さが魅力なのだ。 私は全国の読者の皆さんにお願いがあります。 近々、放浪のくるま旅に出たいと思っているのです。きっと、いつかご当地を 通過する時があると思う。食べ物をめぐんで欲しいとは言わぬが、夜、気兼ね なく停泊できる駐車場と立ち寄り温泉の所在、営業時間の情報を頂きたいのだ。 全国、各地で色々な出逢いが有ったら楽しいだろうなと思う。 それと、安くて 旨い酒が飲める居酒屋も教えて頂きたい。美人のおかみが居れば、尚良いな。 私と同じくキャンピングカーを楽しんでいる方、又は興味をお持ちの方、 メールを下さい。一緒にくるま旅を楽しんだり、情報交換等お話しましょう。 小春日や映画ポスターながめおり 諷天 |
| 2004.01/20 | 「きけ わだつみのこえ」 という本の事 「日本戦没学生の手記」と副題が付く。 心ならずも、一部の先見の明に 欠ける権力者が起こした戦争に依り、命を落とした苦悩する学生達の遺書、 日記を集めている。 このような本が有る事は随分前より知ってはいたが、今初めて内容を知る。 敗戦後(終戦とは書かない)、60年に近付いた今、又、日本軍(自衛隊とは 書かない)が海外派兵されようとしている。正直なところ、私にはこの事態の 是非は判断がつかない。しかし、戦争に於ける国民の悲惨な状況はこの本 に溢れる程書かれている。 それ故、アフガニスタン、パレスチナの人々や、 イラク国民に深い同情を持つ。戦争とは合法化された大量殺人行為である。 その合法化にどんな正当性があるものなのか。 今、日本兵士にイラク派兵を命じた日本政府権力者は、兵士達は国の名誉、 国民の誇りである、と話す。愛国者が悪いとは決して言わぬが、もし、「きけ わだつみのこえ」に収録された先人達に意見を求める事ができたなら、彼ら は今の日本政府、日本人に何を語って下さるだろうか。 告白するが、この本を読みつつ、私は声をあげて泣いた。先人達の命を賭し た訴えに全く同感した。彼らは天皇の為に死んだのではない。遺書、日記は 鮮明に語る。彼らは、父、母、妻、子、兄弟、恋人、愛する人々と美しい故郷 の未来の為に、「苦しみ抜いて、理不尽な死」を受け入れたのだ。 私はこのような先人達が居られた事に、深い感謝と誇りを持つ。 そして今 の日本に満つ、私を含めて安穏と生きる日本人を恥じる。 しかし、 この本に記載されたような学徒兵だけでなく、許されるはずもない 卑劣な行為に及んだ兵や士官が数多く存在した事も、忘れてはならない。 言いのこす言葉はなくてすこやかにくらせというに涙ぐみしか ( 鈴木保次 陸軍少尉 二十三才 インドにて戦死) 「きけ わだつみのこえ」 223p より抜粋 岩波文庫 800円(税別) 旅の夜は夢の中にも雪が舞い 諷天 |
| 2004.01/14 | 「南国暮らしの夢」 昔より、よくマレーシア、タイ、フィリピンに貧乏旅行をした。南国の熱気に あてられ、現地に家を持ちたいと思い続けたがマニラに念願の家を持ったのは 10年前である。 リタイア後は、椰子の葉陰で褐色の肌に大きな瞳の娘達に見つめられ、読書 に明け暮れたい。南国の貿易風にハンモックで揺られていたい。風がよく通る バルコニーには、ビールを飲む為のテーブルを据えた。 庭にはバナナ、パパイヤ、ココナツ、を植えた。 夢は美しかった。 いよいよ、リタイアを決意した今、夢は現実の生活になる、、、はず。 しかし、現実は夢をあざ笑う。健在であった両親は八十才を越え、深刻な問題 も生じてきた。親を捨てるように、海外移住ができるであろうか。 私のがさつな計画は微調整をしなければならぬ。夢の家も水道の整備不良 で慢性水不足状態にあるので、大規模な改修をしなければならない。また、庭 には少し目を離した隙にシロアリのあり塚ができたのだ。南国のシロアリは外壁 を這い登り、屋根裏を襲う頭の痛い存在なのだ。 南国暮らしは決して大きな瞳の娘達に囲まれ、ココナツの香りに包まれた夢の 生活ではない。 しかし、私は南国が好きなのだ。 マニラ民宿の開業は来年に延期する事になるだろう。 多くの人々に期待されており感謝している。ついでに開業延期もお許し頂きたい。 尚、私のように海外に定住する事を夢みる方も多くおいでになると思う。是非、 メールを頂きたい。人生、もう一度、リセットして生き直しだよ。知恵を出し合い 楽しく歳をとっていきたいものだ。 倦みてなお命余るか藪椿 諷天 |
| 2003・11/26 | 「年金で生活できるか」 最近、新聞に年金の事がよく掲載されている。団塊の世代人は後、数年 で年金生活に飛び込むはず。関心を持たずにはいられない、一大事なのだ。 年金受給額は多い方がいい。しかし、負担の増える若い世代が可愛そうだ。 皆が満足できる制度になって欲しい。今後、現実として年金受給額は確実に 減りますよね。 その頼りない年金に頼らざるを得ない私なのだ。 農業従事者がうらやましいと思う。自然の中の農作業で、健康的生活を自給 自足できるのだ。 今から、この柔な身体では農作業も無理だろうから、他の 方策を思い巡らす。 「年金で暮らす」 日本脱出だな。 東南アジアの国々ならば、月、10万円 も有れば、なんとか暮らせるはずだ。 これからの団塊世代人は、東南アジアの心優しき人々に支えられて、暮ら そうではないか。 「みんなで渡れば、恐くない」 だろ? 一緒に行こうよ。 星凍る白き夜道に迷い犬 諷天 |
| 2003.11/16 | 「オジサンは港町の夜霧にむせぶ」 季節の移り行くのが身に沁みて感じる。 今日、フリース裏地のジャケットを出した。 温かい。 このまま、少し遠出をしよう。 港町で中年の哀愁を漂わせて、一杯飲もう。 この日記でお馴染みの、あの従兄弟を誘い電車に乗った。向かうは 駿河の国、次郎長さんの港町である。駅を出て、ネオン街に足を運ぶ。 少し降った雨も上がり、霧が出そうだ。哀愁をペタペタくっつけるのには 好都合な夜である。 しかし、懐かしきネオン街に入って、驚いた。 人の姿が消えている。まるで物語りに出てくる、ゴーストタウンである。 リルとかリリィとかの洋風から、狸の穴とか尼寺とか和風の店に至る迄 看板に灯がともらない。 かつて、酔客が肩で押して入ったドアも埃 だらけで、落葉が折からの雨に吹かれて、へばり付いている。 俺たちは良い時代に生きて来たんだ。これからの時代の行く末に、首 をすくめた。 ところが、お目当ての地魚料理の店に入ると、なんと殆ど 満席なのだ。なんとか、奥のトイレの脇、美女が微笑むポスターの下に 二つ空席をみつけた。 カウンター席に陣取ったオジサン達の光る頭越し に冷蔵ケースを覗くと、そこにはヤガラ、イトヨリ、カワハギ、石ダイが身を のけぞらしている。 まさに駿河湾の幸である。 早速、カワハギの身をたたき、ねぎと肝を和えたカワハギの肝和えを口 にほうばる。 肝の旨味が米粒程になった身にまとわりつき、口の中で ネットリ、コリコリとはじける。 次はヤガラの刺身を口に放り込む。「よくぞ、日本人に生まれたり」と思う のは、この瞬間である。小さなアワビのバター焼き、骨付きイルカの味噌 煮と続く。至福の時には言葉はいらない。オジサン二人は黙々と、時々 「フンフン」位を発声しながら食べ尽くし、ビールを飲み干す。 さあ、お勘定です。従兄弟と二人分「俺のオゴリだ」と宣言して席をたつ。 1万円で数千円のおつりです。 二人分ですよ。 こんなお店がこの港町 の片隅に有るのです。お店の名前は書きません。どうしても、という方、 メールで礼儀正しくお問い合わせを。ちょうど機嫌の良い時でしたら、お教 えするかもしれません。 礼儀正しく店を出たオジサン二人は、夜霧に薄くなった頭を濡らして、 「次に行くぞ」と、鼻息荒くスキップしながら、赤い灯、青い灯を、目指した。 もはや、哀愁のかけらも付いていないオジサン二人であった。 片付けておかねばならぬそれもまた みんな忘れて呑んでしもうた 山崎 方代 さん |
| 2003.11/06 | 「温泉と釣りキャンプ」 11月1日より2泊3日で静岡県伊豆地方の温泉を楽しみ、はぜ釣りに 興じ、夜は海岸でキャンプをしながらはぜの天ぷらで酒を飲む、という涙 が止まらない程、感激する企画であった。 お仲間は釣りが趣味の従兄弟(10月01日ふうてん日記に登場)と、 彼の釣り仲間、H氏である。彼らは南伊豆青野川で、はぜ釣りが主目的 である。 川岸で竿を出す前、すでに二人共、声は上ずり、釣れすぎた はぜをどうしよう、と言わんばかりの勢いである。 まあ、名人が揃って いるので、天ぷらには困らないであろうと、ひと安心であったが。 私は、はぜ釣りも好きだが、あまり私が釣りで活躍すると、自称、釣り 名人達に不穏な空気が漂うので、4匹も釣ったところで竿をおさめた。 今回、入った温泉は三カ所、修善寺の百笑の湯、南伊豆の銀の湯、 西伊豆町のなぎさの湯である。三つ共良い温泉だが、その中で一つ、 おすすめをご紹介する。 西伊豆町営、「なぎさの湯」。仁科川の河口より300メートル、海岸沿い にある小じんまりとした公衆浴場である。料金は時間制限無し、500円、 小さな内風呂と露天風呂、一つずつある。10人も入ればいっぱいだが、夏 休みを除けばすいている。サラサラとした無色、無臭のきれいな湯があふ れている気持ちの良い温泉である。駐車場も広く、湯上がりには潮風が 心地良い。観光名所の堂ヶ島も近く、景観の良い所である。 尚、キャンプは南伊豆の小さな漁港の片隅を拝借して、豪華に、はぜの 天ぷら付きの酒盛りを楽しんだ。私を含め三人の釣果は、H氏が日ごろの 腕前を発揮してトップ。従兄弟については、可哀そうなので釣果に触れる ことができない。 皆さんのご賢察にお任せする。 しかし、従兄弟の天ぷら料理の腕は板前並みなのだ。この日、彼が一番 輝いて、晴れやかに見えたのは、天ぷら油の前であった。 この夜は、遅く迄オジサン三人の嬌声が、港中に響き渡ったのである。 夏のこと想い繚乱落ち葉舞う 諷天 |
| 2003.10/25 | 「俳句が表現、私の人生観」 自作で表現できれば最高なのだが、先人の詠んだ俳句の方が心に 沁みるものが多い。 まったく我が才能の無さが情けない。 私は、立派な変節漢、で有るので、10年前と現在、又は10年後では 当然、人生観を表す俳句は違う句になってくる。 さて、今の、私の心の内をご覧頂こう。 散る桜残る桜も散る桜 どなたの作なのか知りません。どなたかご存知でしたら教えて頂きたい。 この句の表現する人生観が、今の私の心にとても共振しているのです。 諦めの心、潔い心、人生とはこんなもの、と突き放しているような。 昔、特攻隊員が「今、俺はお前を見送るが、すぐ後を追うからな」と、 同期の桜を見送った心を詠んだ句とか。 本当だろうか。 もう一つ。 風ぐるま風が吹くまで昼寝かな この句はマニラ民宿「風ぐるま」の名の由来です。 達観した人生観、人生を愉しむ心のゆとりを感じ、これからの生きかたを 決めた句となった。これもどなたの作なのか知りません。ご存知の方ぜひ 教えて頂きたい。 最後にわたしの駄作。 信州の蕎麦畑の老人の姿は,くだらない事に 心を惑わす私と違い、唯、淡々として居りました。 丸い背は愁いも知らず蕎麦を刈る 諷天 |
| 2003.10/15 | 「本当に、こんな事は書きたくないが」 日帰り温泉施設での事である。 是非、皆さんに考えて頂きたいと思い,書く事にした。 観察するところ、10人中8人もの日本人達よ、マナーをお忘れか? 温泉は不特定多数の人が、それこそ裸のつきあいの場である。 大勢の他人様と共に浴場を共用するわけだ。そこでは、他人様に不快な 思いをかけない事が当たり前の礼儀であるはず。まして、同じ湯の中に 居るのだ。不潔な思いを他人様に与えないよう行動するのも、ごく自然 な事だろうと思う。 しかし、現状は本当に酷い。まるで自分一人しか、この湯の中に居ない かのような振る舞いも数多い。 一体、どうなっているのだ、日本人? 子供や青少年の振る舞いなら、 まだ世間知らずの馬鹿どもが、とか躾の悪さを嘆くだけなのだが、年配者 の方がむしろマナーは悪いかもしれない。 温泉とはいえ、フィルターを通す循環設備の湯も数多い。 そこで他人 様に不快感を与えない、当たり前のマナー を人生経験豊富なあなたに 教えなければならない。 1.湯に入る前に、尻の穴、お珍珍、足をきれいに洗え。.コウ門には雲古の カスが付いているのだ。誰があなたの雲古の溶けた湯が好きなものか。 2.湯の中で、頭から滴り落ちる汗に混じった整髪料の臭いをふりまくな。 気が付かないのは本人だけ。湯の中でリラックスどころじゃない。 3.タオルを浴槽に漬けないのは、よく守られているが、そのタオルを湯の 中で絞るなよ。それではタオルを湯の中に入れない意味が無いだろう。 4.目を閉じ、あごまで湯に浸かっている人も居るのだ。もう少し静かに 湯に出入りしなさいよ。 5.湯の中で足の皮をむくなよ。 6.子連れの人、子供にマナーを教えなさい。 子供の遊び場じゃあない。 7.洗い場で使った手桶は、せめて中の湯を捨て次の人に渡そうよ。 これでは、温泉を楽しめるわけがない。 ひどすぎるよ、あなた方は。 |
| 2003.10/04 | 「ヨッ 寅さん」 おひかえなすって。 私、フウテンの寅さんのファンの一人です。 全作のビデオを持ち、亡くなった年には、長野県小諸市の寅さん会館にも いきました。 皆さん、ご存知かもしれないが、映画の中の心に沁みる名セリフをご紹 介したい。 「それを言ったら おしまいよ」 ほとんど全作に 「ほら、みな。あんな雲になりてえのよ」 第9作 「幸せな男が、ビールとダンゴ一緒に食うかい」 第37作 「男が女に惚れるのに歳なんかあるかい」 第?作 「いい女が泣くと、笛の音に聞こえるんだなあ。おばちゃんが泣くと、 夜鳴きそばのチャルメラに聞こえるんだよ」 第28作 最後にとどめの一発。 「俺とお前はお風呂のオナラ。 前と後ろに泣き別れ」 第37作 寅さんの生き方は、決してカッコ良いとは思わない。勿論、人生の優等生 であるはずがない。 しかし、世のオジサンには寅さんは理想の人間に見えるのだ。結構シャレ たセリフも吐いているしね。 しびれるよ。 あんな風になってみたいが、、なれないよなあ。 酒でも飲もっと。 風立ちぬ分去れの道一里塚 諷天 |
| 2003.10/01 | 「髪は男の命」 毛髪ほど、人の健康には無縁で、あまり役に立たないのに、人の情熱を 傾けさせ、また、心臓病にも匹敵するほど心配される人体のパーツは他に ないと思う。 実は、私も心臓病も気にしているが、髪もとても悩ましい状態だったので ある。 だが、いまの私の髪は過去の栄光を取り戻しつつあるのだ。 この H. Pでも、ご紹介させて頂いているカリカも、元は私個人の切実 なる悩みから、数多くの我が身の人体実験の結果、カリカを世間様に 広く知らしめることになったしだいである。 最近、気が付いた事がある。私の従兄弟で同年齢の男性なのだが、 カリカの効果があまりよろしくない。私の場合とは雲泥の差がある。 彼と私と、どこかに、何か、違いがあるはず。 そこで、ひとつ思い当たるのはタバコである。私は禁煙して 9年目、 そして、従兄弟はハイライトを1日2箱吸い続け、最近オジサンより オジイサンに近づいて、衰えには逆らえずロータール、ローニコチンを 高らかにうたっているタバコに切り替えて、未練たらしく、吸い続けて いるのである。 喫煙は決定的に毛髪に悪影響を与える。 思い当たる人を他にも大勢知っている。 髪を長持ちさせたい皆さん、 禁煙しましょう。タバコ代でカリカを買っても尚、おつりがくるのだ。 我々団塊の世代人は、いつまでも髪をフサフサさせ、世の女どもを 惑わせ続けるのだア。 しかし愛すべき我がオロカなる従兄弟は、いまだに未練たらしくタバコ をくわえて、薄くなった頭を手で隠し、場末のスナックで白髪を金髪に 染めた、昔のむすめ、を口説いているのだ。 墓の裏君忘れじと曼珠沙華 諷天 |
| 2003.09/21 | 「温泉パート2」 前回書いたように、この頃日本全国、田舎に行けば行くほど、新しくて、 立派な温泉施設がある。 住まいの有る静岡より一泊ないし、2泊の予定で、我が愛車、キャンピ ングカーのハンドルを握り、フラっと温泉めぐりに出掛けるのが最高の楽し みなのだ。 県内にももちろん良い温泉が数多いが、ストレス解消の転地効果を得る には、県外に出た方が良いのだ。 愛知県奥三河地方、長野県南信地方、山梨県全域は私の縄張りになった。 有名な観光地には目もくれず、フーテンの寅さんを気取って旅に出る。 湯上がりに、知らない土地の居酒屋ののれんをくぐったりして。 特に汚いのれんの掛かる古びた居酒屋は大好きだ。 そして、本当に稀だが。くどいがいつも有る訳ではないが。フーテンの寅さん の旅に似た、マドンナとの出会いも有ったりするものだ。 この事はここまで。 勿体なくて書けません。 しかし、結末も寅さんと同じだね。 また、一人旅に出たいものだ。青いダボシャツに雪駄をつっかけて。 今度は紅葉の露天風呂を訪ねる、くるま旅、とシャレましょうか。 おすすめの温泉の有る方、情報交換でもしませんか。メール下さい。 今まさに時節(とき)が移ろう羊雲 諷天 |
| 2003.09/17 | 「日本の良さは温泉につきるが・・・」 最近、どの地方に出掛けても、立派な日帰り温泉施設ができている。 おまけにパターゴルフ場やら、アスレチック施設、ゲートボール場併設なんて スゴイのも数多い。そのほとんどが公共施設なのだ。 私のような、大の温泉好きには、500円程度で、のんびりと立派な施設 を利用できることは、もちろん歓迎すべきことである。しかし、大変失礼で あるが、人口5000人にも満たない村々に、約100台もの大駐車場付きで、 サウナ、露天風呂、ジャグジー、寝湯のついた大浴場が、それこそ、村から 村、隣り町へとできているのには、ちょっとした驚きでもある。これら公共施設 の特徴は、必ず地場産品の直売所があり、そしてこれも又、お決まりの 「ふれあい」なんとかの看板が付く。 地方の町・村は「ふれあい」が大変お好きなようだ。 多分、これらの施設は、ほとんど全てが県又は国よりの交付金で成り立って いるのであろう。そしてその交付金の申請理由に「ふれあい」がキーワードに なっているのだろうか。 日曜・祝日は遠来の客で賑わっているが平日は閑散としている施設も多い。 経営としては無理がある施設も多い事だろう。こう乱立競争をしては当然でもある。 過疎に悩み、地元産業の育成を考えると「ふれあい」に走らざるを得ないのだろ うか、と想像している。確かに、外から人が来るという事は、活気も生まれるし、 地元に金も落ちて雇用促進にもつながるのだろう。 しかし、どこに行っても「ふれあい」の文字に出会うと、ちょっと違和感を覚える この頃である。 不況で国家予算も厳しい中、こうした町・村に投下される一人当たり資本投資額 は、温泉のみならず、農道、橋、トンネル建設等、都市住民の一人当たり公共資 本投資額をはるかに上回っているのだろう。やはり日本は裕福な国なのだ。 日本国中、どこに住もうと快適な生活を送れる平等社会を、国が作ろうとしている のだから。 はぐれ雲涯を探しに海に出る 諷天 |
2003.09/11![]() マニラ民宿風ぐるま ダイニングルーム内 にて、豚の丸焼き レチョンと言います |
「マニラの食事の事」 外国で生活する日本人にとって、毎日の食事は大きな関心事です。 日本の食生活にこだわっていては、毎日不満だらけになるでしょう。よその国 にお世話になっているのです。わがままは控えます。 思考のチャンネルを、少し変えてみます。マーケットに行くと、日本では見慣れ ない野菜が山積みです。魚売り場に目を向けると、色鮮やかな熱帯魚みたいな 魚に混じって、見慣れたイカ、アジ、カマスが光っています。さあ、どう料理しようか。 料理教室にでも通っておけば良かったな、「後悔先に立たず」です。 この国で 生活してみたいアナタ。まず料理教室に行く事です。それと出刃包丁は必携です。 だって日本のスーパーと違い、魚は切り身ではなく、丸のまんまなんですから。 こちらの人は油を使った料理が多いですが、我々は世界に誇る魚大好き民族。 焼く・煮る・蒸す・揚げる、なんでも来いです。 ところで、当館の食事は宿泊客のお好みをお尋ねして、満足頂ける様少しだけ 努力する積もりです。チェックイン時に好き・嫌いアンケートに「青魚は×」とか 「鶏肉は×」とかご記入下さい。しかし「お刺身に〇」などは、無視されます。だって ここは、現在のところ日本国マニラ市ではありません。 しかし!! 納豆はどこ? 海苔はどこ, ワカメは〜? (ひとり言でした)(笑) 異国の空風鈴吊りて誕生日 諷天 |
| 2003.09/01 | 「風になりたい」 私、昭和23年さそり座生まれ 別に誕生日をお知らせして何か期待している訳ではありません。いわゆる団塊世代です。 子供の頃から競争でした。大人になっても競争社会でした。嫁さん探しでも競争でしたよね。ご同輩ッ! 50歳を過ぎて、世の中が停滞ムードの中、ようやく立ち停まりました。「もう、いいや。」楽に生きたい。そして風になりたい。白秋の季節を知る年齢になりました。そこで私、はっきり言わせてもらいます。私は日本が嫌になりました。あらゆる゛日本らしさ゛に目をそむけたくなりました。それは、私の、過去の取り返しのできない失敗や恥ずかしい限りの愚かな振る舞い、浅はかな考えなど、自分の生き方に気付いた心の裏返しでした。 でももう一度、別の生き方をしてみたい。競争をしない生き方を。 恥知りて虫になりたし山深く 諷天 |