エスペラントは,今から120年ほど前の1887年に、ポーランド に住んでいたユダヤ人の医師のザメンホフという人がつくって発表し た,世界のどこの国の言葉でもない言葉です。ザメンホフの育った当時のポーランドは,帝政ロシアの領土で,いろい ろな人種・民族が入り乱れて住んでいました。そして、ロシア語、 ポーランド語、ドイツ語、ユダヤ語などの言葉も夫々異なっていた ため、言葉が原因の争いごとが絶えませんでした。ザメンホフは、 幼いころからその光景を見て、心を痛めていました。「言葉が一つ であったら争いはなくなり、平和になる。」と信じて、その一つの 言葉をどれにしたらよいか、いろいろな言葉を学んで考え続けまし た。そして、ラテン語のように「現在は使われていなくて、どこの 国・民族の言葉でもない言葉」だったら、どうだろうかとも考えま したが、この考えは、すぐに捨てました。というのは、ラテン語は、 ひどくむずかしい言葉だからです。誰もが身につけることができる 言葉、でないと世界中に広がっていかない、ということに気づきま した。
そこで、ザメンホフは、自分でこの「一つの言葉」をつくろう、と 決心しました。もちろん、言葉をつくるのですから、並大抵のこと ではありませんでした。様々な苦労があって、やっと前に書いたよ うに1887年に発表することができました。発表するときに、控 えめなザメンホフは、自分の名を書かずに、「エスペラント博士の 言葉」と名づけて発表しました。
このザメンホフがペンネームにした「エスペラント」というのは、 この言葉で「希望する人」という意味です。これが、しだいにこの 言葉の名前になりました。
発表後もザメンホフは、ユダヤ人の街で貧しい患者の診察・治療を しながら、夜遅くまでこの言葉を勉強しだした各国の人々の質問に 答えたり、アンデルセン童話集のすべてや旧約聖書のすべてなど、 シェクスピアをはじめ、多くの作家の作品をこのエスペラントに翻 訳しました。これは、どんなものもエスペラントで表現できること を確かめたかったことと、それを示すためだったのでしょう。これ らの翻訳は、一語一文がすべてエスペラントを学ぶ人たちの「お手 本」にもなったのですから、間違いがあってはならなかったので、 単なる翻訳とは言い切れない大変な仕事だったということが想像さ れます。ザメンホフがエスペラントを発表してから、今年(2005 年)で 正確には119年目となります。毎年、世界のいずれかの国のある 都市に世界中からエスペランティストが大勢集まって世界エスペラ ント大会を開催しています。2003年は、スエーデンのヨーテボリ市 で行われ、2004年は北京市で行われ、2005年はリトアニア のヴィリニュスで開催されます。また、2007年には、横浜で 世界大会が行われます。日本大会も毎年場所を変えて開催しています。 2003年は福島、2004年は亀岡、2005年は犬山市でした。
なお、このページの文字を緑色にしたのは、 エスペラントの色として緑色が使われているからです。これは、 「平和」を表すのだそうです。バッジとしては、緑の星を使ってい ます。この「星」は、「希望」を表すそうです。
エスペラントを学んで使っている人のことをエスペランティストと 言いますが、わたしたちエスペランティストは、この言葉を使って 様々なことを行っています。これについては、「エスペラントは何 に役立つか」のページをご覧ください。