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静岡みきのくち保存研究会 ホームページ

稀少伝統工芸品

   
みきのくち






神酒飾り





蝶花形


  私達は、神様、仏様という宇宙の真理によって生かされています。
  神様、仏様に、感謝の心で、
御前にお供えする細工物が、神酒口(みきのくち)です


HPの入り口


技と伝統工芸品の伝承を願い活動中

静岡みきのくち保存研究会 会長

佐々木 福弥(作品集)  建築大工1級技能士

            LーWAVEこんにちは 
(リビング静岡)2008年1月26日号に掲載していただきました。
有難うございました。
http://www.s-liv.com/column/konnitiha/2008/0126.html


ミキノクチ調査事始め1 by佐々木



 スペイン人で、ロンドンで活動している、建築家のレオノール・セラーノ・リーヴァス女史より、日本からの帰国前に、ミキノクチの技術講習を、是非受けたいとの熱い要望がありましたので、清水建築組合に、建築工事などの本業が忙しい中、急遽、講習会を開いていただきました。誠に有難うございました。
 また、、当日は、清水のタウン紙・「清水ベイプレス」さんにも取材に来ていただき、掲載戴きました。
 御礼申し上げます。平成29年晩秋。
懇切丁寧に、
製作指導する
市川氏

清水ベイプレス
11月25日号

忘れられた文化へのこだわり
(みきのくち調査事始め2 ・副会長小林。往来物倶楽部HP内)


往来物倶楽部
江戸時代の教育の研究
(小泉吉永先生・主宰)

 

読売新聞の記事に、江戸時代、都市部では10割、農村部でも8割の子供が、
寺子屋へ通っていた
とありました。

文盲の民の多かった当時の全世界で
江戸時代の日本人の殆どは、最低でも、かな文字の読み書きや読書が出来ました。
明治の文明開化や大発展は、江戸時代の教育と出版文化の、
花咲いた結果でもありましょう。


山本明保氏 開設

おみきぐち展示場
観覧無料
静岡市葵区瀬名3丁目
2385-2
諏訪神社跡地

試作品40
山本 明保氏



展示場内部

新作にも 精力的に 取り組んでいます。
国道1号線「中吉田」交差点を、北側に折れて、
県道平山・草薙停車場線を直進、静清バイパス下の「瀬名IC」を更に直進します。
更に、「東上バス停」・「コーポ中川」直前の角を右(東・山側)に折れて、
突きあたりの「東上公民館」前を左に曲がり、120Mほど先。諏訪神社跡地
 作業所前に、駐車場あります
仕事で留守の時も有りますので
お出かけの前に、お電話下されば、幸いです。

携帯090-5108-5066
9時~16時頃。

実費にてお譲りも致します。



清水建設産業組合HP

技能士の仕事ぶりを紹介
http://s-kensan.net/skillup/waza_1/

1静岡みきのくち保存研究会(会長 佐々木福弥さん)
2佐々木福弥さんの作品(神酒口、聖観音)
3野村晋一さんの作品(神酒口)

清水の日本一・みきのくち
 清水は、古代からの湊町でしたので、船大工が存在し、船大工から派生した宮大工も存在しました。
 清水の経木製ミキノクチは、江戸時代・明治時代の「お伊勢さん参拝みやげ」として、下市町(奈良県)産の「みきのくち」が、大工さん達に伝わったものではないでしょうか。
 
 戦後の昭和時代までは、、年の暮に、腕の立つ大工の棟梁が、お出入りの家に、お歳暮代わりに配布したもので、商品ではありませんでした。年の暮の夜なべ仕事として、若いお弟子さん達に製作させたものです。現在の大工組合の講習会の様に、手取り足とりで、コツなどを教える事はなく、見本を見せて、「これと同じものを作れ」と言うだけだったそうです。「自分で考えて、工夫して作れ」、ということでした。ノコギリカンナ技術修得の一環でもありましたが、昔の親方(何の職業でも)は、詳しい説明などをしませんでしたから、お弟子さんたちは、年の暮の寒い空っ風の吹く作業所での、冷たい水を使う夜のタダ仕事でもあり、製作が嫌だった人が多いようで、夜遅く通る屋台の、「ピーピーラーメン」を食べるのが楽しみだったそうです。又、ミキノクチは、その棟梁の家の「」でもあり、他の大工さんに見せることもなく、家が隣同士の大工さんでも、作っている事を、お互いに、知らなかったようです。従って、親方により、呼び名も形も色々で、神棚に飾るものとしか、名前を知らない人も多くいました。結果、清水のミキノクチは、形の種類や作者が、日本一多くなりました。
 他方、静岡県の中部や東部の神具店では、剣形の板のミキノクチ(ノシグチ)が、市販されていましたが、現在では、殆ど絶えたようです。 



 清水次郎長について、私が、子供の頃、年寄り(故人・複数)から聞いていた話を、紹介します。 「俺が若い頃、清水(旧清水町近辺)の年寄り達は、親から、『乞食になっても、あんな者になるな』と言われた」、と言っていたよ。大店(おおだな)に用もないのに押し掛け、金をやらないと帰らないとか、子分が商い屋に行って、飲み食いや買い物などをした際、代金を請求すると、これが欲しいかなどと、刀を振り回したりして払わないから、回船問屋など、利用する者には都合のよい存在だったろうが、一般町民にはね。清水は、天領で、警察力も弱かったから、已むを得なかったのかね」  (明治になってからは、新政府のお手伝いもしたようです)。




   
当会は、ミキノクチの広報と、技術の伝承を目的に活動しています。
http://www3.tokai.or.jp/mikinokuchi/
会長 佐々木 福弥


メールは、副会長 小林へ。
omiki-guchi2009@suruga.tnc.ne.jp