海蔵寺本尊

延命地蔵大菩薩尊像
こがわのおじぞうさん
「地蔵通信4」より



清水市北脇新田

河岸の地蔵堂内
 
小川地蔵尊


◎ 川から現れた お地蔵さん

清水市郊外、北脇新田の村はずれ、静岡から流れて来る巴川の近くにある、「河岸の地蔵堂」には、「河岸の地蔵尊」と併せて、「小川地蔵尊」が祀られています。「小川地蔵尊」は、焼津市小川にある「宝城山海蔵寺」のご本尊の「延命地蔵尊」のことです。北脇新田村のお地蔵様は、台座に「文化五辰年九月二十四日」の銘があります。文化5年(1808)、正式に勧請したものでしょう。
焼津の小川地蔵尊」は、水にゆかりの「川除け地蔵尊」としても信仰が厚く、西は大井川から藁科川、安倍川、長尾川、東は巴川まで、流域の多くの村々において、村人を水害や水難から守って来ました。北脇新田の小川地蔵尊は、一番東に在る「川除け地蔵さん」です。

さて、北脇新田の「小川地蔵尊」ですが、このお地蔵様は、元々は、蛇行して流れていた旧巴川(古川)を遡る途中で、「上り富士」の名所であり、水深が深くて川船の竿も届かない地蔵淵」という所の土手に、露天で川に面して祀られていたようです。何時の頃か、大雨の時、村を水害から守るために、身代わりになって巴川に落ち行方不明になりましたが、水深が深くて回収が出来ず、忘れられていたものでした。戦時中(昭和10年代後半)のある日の朝方、このお地蔵様が、吉川村生まれで、北脇新田村住の農業 本多 新太郎さん(明治18年生)の夢枕に立ち、「巴川に埋まっているから、掘り出して欲しい」と話されました。我に帰った新太郎さんは、未だ日の出前で薄暗い時刻でしたが、鍬を手に古川へ出かけて、川底を掘り始めました。新太郎さんは、一日中、川の底を下流の方まで掘り回りましたが、発見できません。通りがかりの村の人々は、「何をしているだろう」と思っていたそうです。日が沈み、薄暗くなり、野良仕事の村人も帰ってしまったのに、見つけることが出来ないので、幻だったのか止めようか、と思った時、鍬にカチンと当たったものがありました。掘り出してみると、泥だらけの大きい石でした。一人では運べないので、長男のお嫁さんのたけさんに来てもらい、二人で家に運んで水で洗うと、出現したのは夢枕に立ったお地蔵様でした。一時自宅の庭でお祀りしていましたが、その後建てられた「河岸の地蔵堂」に奉納して、現在に至っています。
ありがたや ここにこがはのぢざうさん 
まへはともゑで ひかりかがやく