15年度の重点地区、日の出〜港橋〜次郎長通り界隈で、客船入港時に、 ●海王丸歓迎「日の出・次郎長通り歴史散歩」 @ 解説つき歴史散歩 A 小さな博物館めぐりガイド B 小さな博物館一斉公開(5館) を実施しました。 活動を通じて、同地区のマップと博物館の認定書(内容案内)ができました。 平成15年11月15日(土) ●海王丸歓迎「日の出・次郎長通り歴史散歩」 @ 解説つき歴史散歩 解 説:みなとまるごと博物館SHIMIZUの会 会長 杉山 満 集 合:浪漫館前 10:00出発〜12:30解散 (参加者50人程度、当日受付、無料) ルート:浪漫館〜壮士の墓〜次郎長通り界隈〜甲州回米〜末広〜テルファー 〜日の出埠頭(解散)⇒◎「海王丸(帆船)セールドリル」(13:00〜15:30) A 小さな博物館めぐりガイド 内 容:本町〜次郎長通りの小さな博物館(5館)を会員が同行して案内します。 集 合:海王丸前(日の出埠頭)、 開 始:10:30より、参加者5人程度で随時出発、無料 所要時間:約1時間30分(次郎長生家にて解散) B 小さな博物館一斉公開(5館) 開館時間:10:00〜17:00 ◎昔の看板と石蔵の博物館(石野源七商店、本町) ◎模型飛行機博物館(アサヒフォト、本町) ◎昔のお金博物館(大和文庫、清水町) ◎大正時代からのカメラ博物館(ヨシイカメラ、清水町) ◎次郎長生家博物館(同、美濃輪町) みなとまるごと博物館Shimizuの会 (小さな博物館部会事務局) (株)地域デザイン研究所 望月誠一郎 TEL054-263-8747 FAX054-263-4787 Email chiiki@mail.wbs.ne.jp (ウォッチング事務局) (株)川口建築都市設計事務所 中本健一郎 でんわ:0543ー66ー5439 |
(NO14:別図上の番号) 昔の看板と石蔵の博物館 (館長名:石野治子 商店名:叶ホ野源七商店) 江戸時代の清水湊は、この付近の巴川河岸であり、ここ本町や上町には廻船問屋(諸問屋)が多く集まっていました。 徳川家康(大御所)は、1615年、42軒に廻船問屋特権を与え、商品売買や回船業を許すいっぽう、駿府城築城物資、御用米の輸送、駿河湾の警備などを命じました。 当店の創業は18世紀初頭、問屋再興は1852年(嘉永5年)と伝えられ、諸問屋の看板を始め大福帳などが残されています。また、徳富蘇峰が書いた不二庵の木額、明治以降専業とした酒商の看板類なども展示しています。 この蔵は「石蔵普請入用控」によって、1884年(明治17年)に建てられたことが分かります。 「蔵談議」、「コンサート」、「古文書を読む会」などの会場としても利用されています。 興味ある方はお気軽にご参加ください。 |
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(NO15:別図上の番号) 模型飛行機博物館 (館長名:大村 潔 商店名:アサヒフォート) 模型飛行機1000機を目標に収集、制作し、現在800機ほど。一部を店の2階に展示しています。 館長は、かつて横浜の米軍基地に勤め、多くの実物を目にし、飛行機の研究に情熱を燃やした。その後「清水メッサーシュミットクラブ」を開き多くの仲間がここに集ったとのことです。 映画「頭上の敵機」で使用されたカップやイギリス空軍が実際に使用していたフライングヘルメット(1942年)などの貴重な品は、得意とする英会話で、外国船の船員などと交流し、国際的な人材ネットワークを築いたことで集まりました。 田宮、今井、長谷川などの模型会社が誕生した土地にふさわしく、今も全世界から同好者が集う博物館です。 |
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(NO16:別図上の番号) 昔のおかね博物館 (館長名:岩田顕彦 商店名:大和文庫) 貨幣は、日本だけでなく東洋ではほとんど、中国を起源としています。 当館では、中国の古代貨幣数百点を、時代と種類に分類して展示しています。 古代貨幣約2,500年間の歴史は、殷代(BC2000〜BC1100)の「原貝貨」(宝貝などを加工)に始まるとされ、続いて周代から春秋戦国時代(BC1100〜BC770〜BC221)の刀や布の形を模した「変形貨幣」、秦代(BC221〜BC206)の始皇帝の「半両銭」、漢代(BC202〜AC220)の「五銖銭」を経て、唐代(AC618〜907)の玄宗皇帝の「開元通宝」に至るものです。 開元通宝は我国の「和同開珎」のお手本となりました。 駿府には江戸時代に金座、銀座、銭座が置かれ、志みず道と巴川が湊に通じ、江戸、大坂を千石船が往来しました。ここは商売の盛んな土地柄です。 |
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(NO17:別図上の番号) 大正時代からのカメラ博物館 (館長名:吉井 実 商店名:ヨシイカメラ店) 「その瞬間を写し撮る」美しい道具−カメラ。 当館では、大正時代以降のカメラを展示しています。 機能や操作性、形へのこだわりなどにより、時代を鮮やかに映し出す名機たちと技術の系譜からは、カメラの魅力や個性に触れることができ、そこからひとつの物語が伝わってきます。 カメラの機能やデザインは、日々進化していますが、道具としての歴史を記録に留めたいという館長の思いがそこにあります。 コミュニケーションツールとして愛されてきたカメラ。その美しい道具が織り成す、大正時代からのなつかしのカメラワールドをお楽しみ下さい。 |
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(NO18:別図上の番号) 次郎長生家博物館 (館長名:服部千恵子 商店名:次郎長生家) 山本長五郎は、1820年(文政三年正月元旦)この家に生まれました。 江戸時代の清水湊は、この付近の巴川河岸であり、ここ美濃輪町一帯には廻船宿30戸が軒を連ね、上流の上町、本町には廻船問屋が集まっていました。 実父の高木三右衛門は、自前の船で業を営む船持ち船頭でした。 長五郎は8歳で山本次郎八(米屋「甲田屋」を営む叔父)の養子となり、次郎八さんちの長五郎、つまり次郎長とあだ名されました。 安政地震(1859年)の後に修繕したと伝えられるこの家は、表通りに面した帳場と住まい、中庭、船道具を置いた裏(屋敷)をぬけて中通りへ、さらに浜通りへと通じ、巴川を隔てた向岸には、咸臨丸壮士之墓があります。 館内の、次郎長半生の偉業を記す資料など、清水湊の歴史の証人です。 |
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