森島秀也

1956年7月5日静岡県に生まれる
1981年長野県上田市のアライ工芸に弟子入り。主に仕上げの技術を学ぶ。
1982年同市丸山工房に弟子入り。北海道で木彫を修めた師のもと、北海道流の
アクセサリー作りの技を学ぶ。
1983年同市、吾妻民芸の下請けを1年間、勤める。ひたすら、手のスピードを高める。
1984年真田町に移り、工房を開く。以後10年間、木彫りを生業として過ごす。

その後、故郷の伊豆の生家に戻り、ひでや工房を開き今日に至る。
静岡県伊豆の国市原木1341−11

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黒縁めがねのプロフィール
第1章
隣の車両

夜、電車に乗っていた。わたしは、学生だった。車両の隅に座っていた。
ふと、顔を横に向けると、人の顔と向かい合った。
隅の席だから隣の車両の窓が見えている。隣の車両の隅の席に座った男は、
じっとこちらを見ている。痩せて、黒縁めがねを掛けた若い男だった。
しばらく見詰め合って、これは、あれだ。鏡だ。
夜で、窓ガラス2枚の反射が作用して、
向こうの車両に自分が座っているように見えているのだ。
私は、その男を見続けた。その男も私を見続けた。
そして見続けた。やがて、鏡が他人になっていった。

黒縁めがねを掛けた、痩せて若い、私ではない男が
隣の車両に座っていた。



第2章
山ちゃん

競輪場の中を歩いていた。私は、学生だった。
ルポライターになりたいと思っていた。それで、場外馬券売り場や
競艇場、競馬場などを歩いていた。

ルポルタージュとは、そういう所を書くものと思っていた。
屋根を支える鉄骨によじ登り、レースを観戦するおじさんを眺め、
居並ぶ予想屋の口上を端から聞いた。
「たいへんだよ、帰りはボストンバッグだよ。
朝から会社なんか行ってる場合じゃないよ。」
「競輪で負けないためには、どうすればいいか。おとうさん、わかる?
競輪で負けないためには、競輪やらないことだ。ね?
だけど、おとうさん、競輪やめられる?どう、やめられる?
やめられるか、やめられないか、ふたつにひとつしかないんだ。
やめられる?やめられる?や・め・ら・れ・ないっ・エライッ!とことんおやんなさい。
やめられない人たちのために、私が開発した、この予想システムを・・」

口上を聞いている、サラリーマンにしか見えようのない中年の男が
少し身動きした時、そのグレーのコートの背中に煎餅みたいな穴を見た。
わたしは、新鮮に驚いていた。

[山ちゃん!」
声を掛けられた。30歳台のふっくらした顔が私を見て、にこにこしている。
俺に声を掛けているんだ。
私は、過去に山ちゃんと呼ばれたことは、ない。そもそも、山田でも山本でもない。

「山ちゃん!山ちゃんも競輪、やるの。」
「僕、山ちゃんじゃありません。」
「いいから!いいから!」
いいから、というのは、自分も競輪好きだから、仲間もみんな
競輪が好きだから、何も隠すことないんだよ山ちゃん
という意味だろう。

「いえ、僕、山ちゃんじゃないんです。」
「いいから!いいから!」
これは、何か新手の商売かな、と疑う場合だろうか。その時の私は、
疑わなかった。男の顔は、遊び場で友達を見つけた少年の純真な喜びに満ちていた。
「ぼく、山ちゃんじゃないんです。」私は、もう一度言って、男から歩き去った。
男は、ふっくらした顔に戸惑いの表情を浮かべたまま私を見送っていた。

最終レースが終わる頃には、新聞とはずれ車券が秋の落ち葉のように
通路に溜まり、そこを歩くと、やはり落ち葉を踏んで歩く音がした。
山ちゃんは、黒縁めがねを掛けているんだな、と思った。

第3章

俺の町

深い山の中をまっすぐ南へ下っていた。幅は狭いが深そうな川に沿って、
小さな町が途切れ途切れに続いていた。過ぎ去る町は、それぞれ
ひとつづつ橋を架けて、川の両側に別れていた。
毎年、暮れに車でこの道を通って帰省するのだ。
でも、何べんこの道を通ったろう。
何百回も往復した気がしていた。
「毎年、変わり映えしないなあ」
夢、希望、野心を持って信州へ行った。
そういうものに突き動かされて生きた何年かがあった。
野心や夢は、簡単には、消えないものだと思う。
でも,見つかるはずのものは、いつまで経っても見つからなかった。
見知らぬ深い山を来る年も来る年も彷徨っている自分を時々、感じた。

その町を通り過ぎた時、
ガソリンスタンドのおやじが、給油しながら、私の顔をみてニコッと笑った。
頬に深いしわを走らせた、ダンディな笑顔だった。
次に自転車に乗った、野球部の練習帰りの三人がうれしそうに
手を振った。私に向けてだ。
すれ違った車のハンドルを握った娘が笑顔を投げた。
影の欠けらもなく喜びを伝える笑顔だった。子供の手を引き、紫の日傘をさした母親が
ほっぺたをコロコロッとさせて笑った。

その男は、黒縁めがねを掛けている。
それは、間違いない。
黒縁めがねを掛けて、軽トラを運転して自分の町を走ると、目的地まで
挨拶しっぱなしなのだろう。幸せなやつなんだな、と思った。
誰だって、自分の町がそんな町であったらと思うだろう。
そんな町の中の自分だったら、と思うだろう。
旅をしている人は、そんな町を探しているんだ。
わたしは、そういう町を探していたのだと思う。

翌年の帰省で、その町を通るとき、わたしは、またそれを期待していた。
でも、その時は、誰も私を見なかった。他人の町だった。

おわり


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