私のイギリス滞在の中で、恐怖の夜というのが二晩ありました。一晩目は、エジプト人オーナーのB&Bでの夜。(詳しくは「B&B」で)そして、もう一つもまた、Londonでの出来事です。

初めてのイギリス滞在が3ヶ月ほど過ぎた頃、日本から送られてきた雑誌の中で、あるロンドン在住の日本人の集まりを見つけたのです。それは、文芸同人誌で、主催は40代の日本料理店に勤める方。
文章を書く事も好きではあったのですが、それまで全く日本人と接点のない田舎でのボランティア生活でしたので、日本語が懐かしいという気持ちもあって、数日後、ロンドンで行われる夕食会に参加することにしました。

実際参加してみたところ、会の進行自体は特にどうということでも…という印象でしたが、久々の日本食、なによりもあのもっちりとした日本米がとにかくおいしくておいしくて、気がつくと、あっという間に8時過ぎ。
その晩は、ロンドンでの宿をまだ決めていなかったので、早々に宿探しに行こうと思って、おいとましようとすると、主催の男性が、「いいよ、うちに泊まりな。イギリス人の嫁と、3才の女の子がいるだけだし、よく日本人の友だちが泊まる家だから大丈夫」と言ってくれたのです。
その場にいた、私より2つ3つ年下の「みのりちゃん」と呼ばれていた女の子も一緒に泊まるということだったので、それではと、お言葉に甘える事にしました。

ところが…実際主催者の方の、他の人に大将と呼ばれていたので以下大将と書きますが、その大将のフラットに着くと、入り口のドアをあけるなり奥さんが現れたのですが、それがこんばんはでもはじめましてでもなく、開口一番「ああー、もう、いやんなっちゃう!私の2番目のオットのとこの台所は、こんなに狭くはなかったのに!」…だったのです。

部屋に入る前、ドアを開けたとたんの暴言でしたが、大将は気にする様子も無く、ニコニコしながら私たちをリビングに連れて行ってくれました。私たちとしても相槌のうちようがなかったので、おとなしくついていったのですが、この時点で、なぜ大将が、奥さんのそんな失礼な言葉を気にしなかったのか、気がつくべきでした。実は、大将はまったく英語がわからず、奥さんはまったく日本語がわからないという、悪い意味での奇跡のような夫婦だったのです。

リビングにつくと、(私とみのりちゃんは、早く休ませてもらいたかったのですが)大将のウンチクが始まってしまいました。それが、最初から最後まで、全部日本に関してのことで、イギリスに4年以上はいるというわりには、全然イギリスの事に触れようとしない。それどころか、奥さんがそばに座っているのに、日本語を理解しない奥さんを完璧に無視して、私たちだけに、日本語のみで話しかけてくるのです。
そばにいる奥さんから、いやぁなオーラが出ているのを察し、私とみのりちゃんはお粗末ながらも極力英語を入れて話を繋ごうとしたのですが、大将の方で、「ナニ日本人同士で英語喋ってんのぉ〜」と、ちっとも判ってくれない。奥さんのピリピリで、窓が割れるんじゃないかと思うほどだったのですが、ほろ酔い気分の大将だけは気持ちよく話を続けています。もちろん、私たちの酔いなんか、あっという間に醒めてましたが。
そして話が、三島由紀夫からアベサダにうつったとき(話題も話題だよ…)ついに奥さんが叫び始めてしまったのです。
「あなたって人は!いつもいつも私のことなんか考えてやしないんだわ!子供の事も考えてない!日本人とばかりつるんで!私の話を聞く事なんかないじゃないの!きいぃぃ〜!!」

あまりの大声に呆然として固まった私たちを、ようやく大将も部屋に避難させてくれたのですが、その部屋からも、一語一語はっきりと、奥さんの叫び声が聞こえます。で、その合間に大将の英語?らしき言葉も聞こえるのですが…え?なに?なに?なんじゃそれ?と、まったくチンプンカンプン。後で判った事ですが、大将ったら、数字もロクに言えないほどの英語力だったのです。そりゃ、私だって人のことは言えませんが、さすがに数字ぐらいはどうにかなります。
そんな状態の二人だったので、お互い真剣勝負で、もう奥さんなんか泣きながら叫んでいるのに、大将のいうことが、もう全然意味不明。非常時に失礼だとは思いましたが、避難部屋で息と同時に、笑い声を潜めるにも必死にならざるをえませんでした。

笑えなくなったのは、奥さんが「なによあんな日本人の女を連れてきて!」と、話が私たちのほうに及んだとき。包丁もって部屋に駆け込まれでもしたらどうしよう、と、布団を頭からかぶって物音を立てないように必死でした。
そんな言い争いが1時間ぐらい続いた頃。奥さんが、3才の子供を連れて、バタンとドアを開けて、家を飛び出していってしまいました。しばらくして、またドアの音。大将も追いかけて出て行った気配。
ようやく声を出せるようになった私たちは、「恐かったね…」「それにしても…」と、こそこそと話していたのですが、それから2時間ほど経って、またバタンとドアの音がして、また二人の大声での口論が再開されたのです。
時計を見ると、朝の5時。口論はその後も長々と続き、結局私たちは眠る事が出来ませんでした。

どんな流れでこの夫婦が結ばれたのかは不明ですが、愛だけでは国籍の違いは超えることは難しいのねえ…と思ってしまった、恐ろしくも、思い出すとちょっと笑える一夜の話でした。

…本当は愛すらも……………いやいや、愛はあったんでしょう。どこかに。

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