路上パフォーマンス、または大道芸という言葉で、どんなイメージがわきますか?

私のLondonでの楽しみの一つにマーケットめぐりがあるのですが、大きいマーケットでは、必ず路上パフォーマンスをする人たちに出会います。マーケットだけではなく、地下鉄の通路でも。人が集まるちょっとした広場でも。
日本では、なんとなく若者が大声で歌をがなっているのがパフォーマンスの中心ようになっていますが、Londonでは、実にさまざまな人たちがいます。自己表現の場でもあることは確かですが、それだけではない人たちが多くいるのです。

ポートベロー・マーケットでパフォーマンスをしていた若い女性は、下着姿で、バレリーナのようなポーズをして、人ごみの中、木箱の上で一人立っていました。たまにポーズを変えたりはするのですが、無言で、表情はかたいままです。
彼女の足元を見ると、「お金がなく、家賃が払えません」とマジックで段ボール紙に書かれていました。
そのダンボール紙の脇に置かれたちいさなかごの中には、いくかの小銭が投げ込まれてはいましたが、下着姿の彼女を、足を止めて好奇の目で眺めていく人は殆どいませんでした。痛々しくて、正視に耐えないといった感じだったからではないでしょうか。

同じく、ポートベロー・マーケットの入り口付近には、いつ行っても車椅子でスティール・ドラムを叩く黒人男性がいました。陽気なスティール・ドラムの音ではありましたが、演奏している彼には近づきがたい雰囲気がありました。

「路上タップ」らしきものをするおじいさんもいました。
もう、本当に高齢のおじいさんで、靴の裏にカタカタとなるものをつけているので、かろうじてタップダンスなんだろうなとは想像できるのですが、それがなければ足元がよろけているようにしか見えないのです。でも、彼はとてもニコニコと、実に楽しそうにステップを踏んでいたことに、すくわれました。

コベント・ガーデンでも、毎日さまざまなパフォーマンスを見る事が出来ます。
ここ数年、よく見かけたのが「波平カットの両脇の髪を真っ赤に染めて立ち上げた」コックニーが激しい芸人さん。
体中刺青で真っ黒なのですが、真っ赤な短いキルトスカートをはいていて、腰の周りにはチェーンがまきつけてあり、黒いブーツにもなにやらトゲトゲがみられます。大声で観客に話しかけるので、声もガサガサで、言葉遣いも乱暴。一見いかにもなパンキッシュな服装ですが、トークの面白さと、観客の使い方が上手だったので、いつも彼の周りには人だかりが出来ていました。

ある日も、いつものように人が集まっていたのですが、セリ中の魚屋さんのような、彼の威勢のいい声が聞こえない。不思議に思って少しそばによってみると、パフォーマンスの途中にもかかわらず、彼は、彼の真後ろの円柱にもたれかかっている男性と、小声で何かを言い合っていました。
しばらく見ていると、一言二言言葉を交わすと、パフォーマンスに戻ろうとするのですが、そのたび円柱の後ろの男性が何か話しかける。それを聞いたパンク芸人が振り返り、また何かを言い返す、ということの繰り返しのようです。
あまりにしつこいので、だんだん彼の声が高まってきて、私にも何を話しているのかが聞こえてきました。
「頼むから、止めてくれ。ここにいる沢山の子供たちも、オレを見に来てるんだ。邪魔はしないでくれ」
察するに円柱の男性は、彼ががジャグリングかなにか、集中する瞬間を狙って野次を飛ばし続けていたようなのです。その後も、しつこい野次を止めなかったようで、しまいには彼は大声で叫びました。
「オレはこんな格好をしていても、真剣にこの仕事をやってるんだ。頼むから、本当に頼むから、ここから立ち去ってくれ!」
しばらく間をおいてから、円柱の男性は、バツが悪そうにその場を去っていきました。
彼は、その事には一切触れずすぐに口の悪い芸人の顔に戻り、「オイ、そこのハゲたオヤジ、この紐を持ってくれ」と、観客を巻き込み始めていました。

私はそんな彼の姿に惚れ惚れと見とれてしまいました。真面目に取り組む姿には、たとえどんな服装をしていようとも、貴賤はないと彼は毅然とした態度で見せてくれたのです。

私がLondonでのパフォーマーたちのことを思い出す時、単純に楽しい思い出だけではなく複雑な感想が入り混じり、印象がまとまりません。
パフォーマーという言葉に木箱の上の彼女の顔が浮かび、スティール・ドラムの明るい音色の中にうつむいて演奏する人の姿がうつり、真剣にパフォーマンスに取り組む、あの赤毛の芸人さんのことを思い出す時、「私ももっと、いろんな事を大切に、丁寧に生きなきゃなあ」なんて、少しんみりとした気持ちになってしまうのです。

Something About England

Performers