月見里は山梨の古名


 月見里と書いてヤマナシと読める人は少ないと思いますが、その昔「月見里」と書いて「ヤマナシ」と呼ばれておりました。
 山梨には、山がない。山がないからヤマナシというのであり、お月見が最高の景観でできることから月見の里となったと考えられます。山梨周辺の山々は、古代では岡と言い、この程度の高さの山では、和田岡(掛川市)というように山といいませんでした。
 袋井市国本の富士浅間神社にある鰐口(ワニグチ)には、天正十七年(1589年)五月 本願 本間源三郎、月見里 大工助九郎の銘があります。浅間宮へこの二人で鰐口を寄進したものであり、大工の助九郎は山梨の在住者であったと推定できます。
 用福寺の過去帳には、橘逸勢の辞世の句として伝えられる「都をば 今は遥かに遠江 月の隈なき月見里郷(ヤマナシノサト)」の句と逸勢の名前の記載があります。
 藤枝市には、月見里神社があり、清水市には、月見里(ヤマナシ)さんという姓をもつ人がおります。
 地名では、甲斐の国に山梨郷、上野の国に山字郷(ヤマナノサトと読む)、下総の国にも山梨郷という地名があります。室町幕府の有名な武将「山名宗全」は上野国山名郷の出身です。ヤマナシ・ヤマナという地名は、全国にいくつもありそうです。
 これらの地名は、1500年以上も前に勢力を奮った物部氏の支配地であり、物部氏のなかで物分山無媛(ヤマナシヒメ)の名前が出ており、応神天皇のお妃になっております。物部氏一族が大和国奈良から、東国へ勢力を広げていくなかでヤマナシという地名をつけたと考えられます。日本の建国とともに地名が広がり、遠江国ヤマナシは、由緒ある地名であり、全国のヤマナシのルーツであります。
 月見里「ヤマナシ」は、清らかな川の流れと、豊かな作物に恵まれて、当時の文化人が集まって集落ができており、この地域は、大和文化が広められた時代の先進地でありました。

旧山梨町の町章

「満月に向かって躍動する月見里(ヤマナシ)の景観をイメージしている」