風の冷たさ 腕の温み  
〜 四月拾六日 堤吾郎とミコト 自宅庭先にて 〜



堤吾郎 「ふぅ……」濡縁に腰掛け、月を眺めつつ手にした猪口に口をつける
ミコト 「……綺麗な月……静かで、とても穏やか……」庭で一人、月を見上げながら
堤吾郎 「おぅ……」声のする方に顔を向け、ふっと笑んで
ミコト 「月は生のない世界……そこから放たれた光は、命のない輝き……」
堤吾郎 「…………ミコト?」笑みを訝しげな表情に変え
ミコト 「(堤吾郎さんの方へ振り返り)……それでも……この世界は生きている……」
ミコト 「私たちは死の光を浴びて……生きている……不思議」
堤吾郎 「なぁ、ミコトよ。死は全ての終わりたぁ限らねぇんだ」
ミコト 「……?」
ミコト 「……終わりだよ、堤吾郎。死ねば、みんな終わり……」
堤吾郎 「確かに、この世に生きるモンは最後にゃ死ぬモンだ。……人も獣も鳥も虫も草木も、すべて、な」
堤吾郎 「けどな。死は終わりじゃねぇのさ」穏やかに笑みを浮かべ、頭を振り
堤吾郎 「――歳経て朽ちて倒れた木は、幾つもの若木や草木を養う」
堤吾郎 「朽ちた木に養われた若木は長い時間を経て天へと至り……また朽ちて倒れて土に返って、次の若木を養う……その繰り返しさ。終わりなんてモンは無ぇんだよ
ミコト 「……でも、ヒトのココロは消えるよ、堤吾郎」
ミコト 「大切な気持ちも、思い出も……みんな、死の風にさらわれてしまう……」
堤吾郎 「消えたりはしねぇさ。……ずっとずっと在り続ける。別の人の心の中で、な」
ミコト 「……別のヒト……?」
堤吾郎 「ああ。抱いた想いは、別の誰かの心の中に生き続けるモノさ。親から子へ、孫へ、或いは友から友へと……」
堤吾郎 「そうやって伝えられ続ける限り、気持ちも思い出も誰かや何かに攫われる事ぁ無ぇんだよ。……喩え死の風の手ですらも、な」
ミコト 「……(視線を伏せて)……私には……」
ミコト 「……私には、いるのかな……伝えられるヒト……」
堤吾郎 「ミコト……(歩み寄り背を屈め、そっと抱き寄せ)」
堤吾郎 「居るだろ?此処に……」
ミコト 「……」無表情のまま、抱きしめられる
ミコト 「…………本当に?」
堤吾郎 「俺だけじゃ無ぇさ。寧子さんや溝呂木のジィ様、神凪に、大輔に……沢山居るんだぜ?」
ミコト 「……遍窟寺の、みんな……」
堤吾郎 「それになぁ、まだまだ、これから先も逢うだろうよ」
堤吾郎 「ああ……だから、そんな悲観的に……考えないでくれ、な(更にきつく抱きしめつつ、僅かにくぐもった声で)」
堤吾郎 「もう……お前ぇは、独りぼっちじゃ、……ねぇんだ、よ……」
ミコト 「……」見上げた瞳に宿る月光は、冴え冴えとした輝きを放ち──。
堤吾郎 「(吊られて天を仰ぎ)あの光もなぁ、死の光じゃ無ぇのさ」
ミコト 「…………うん」そっと閉じた瞳から一筋だけ零れ落ちた涙は、堤吾郎の頬に伝わっていく……。
堤吾郎 「昼間の太陽の光ほど強か無ぇけどよぅ、アレもまた、沢山の命に光を与えてるのさ……」
堤吾郎 「…………」指でそっと涙を拭ってやる。
堤吾郎 「俺が、居る。だから…………」
ミコト 「……静かで、優しい光……まるで、堤吾郎みたいな……命の光……」
堤吾郎 「俺かぁ?……俺ぁ、そんな…………」
堤吾郎 「…………」恥ずかしげに笑んで、更に強く抱きしめて
ミコト 「……陣も、言ってた。堤吾郎は優しくて強い輝きで、みんなを守ってくれるって」
ミコト 「太陽の激しさと、月の穏やかさをもっているって……」
堤吾郎 「アイツ……ンな事言ってやがったか……ったく……似合わねぇなぁ」等と言いつつも、嬉しそうな表情と声音で答え
ミコト 「(恐る恐る堤吾郎さんに触れながら)……私も、そう思う……」
堤吾郎 「そうか……」
堤吾郎 「……(差し出された手を、分厚い掌でそっと包み込んでミコトを見)」
ミコト 「……」ほんの少しだけ微笑む
堤吾郎 「お前ぇに近づく死の影は……俺が追い払ってやる。だから……辛く考えたりするんじゃねぇぞ」
ミコト 「……うん。……がんばる」
堤吾郎 「(安心したようにふっと笑んで)……なら、大丈夫だな」
(風が梢を揺らして通り過ぎる)
堤吾郎 「なぁ、寒かぁ無ぇか?」
ミコト 「……(死よ死よ、安寧をもたらす風よ。今しばらく我等の前より去れ。遠く遠く、砂塵の彼方より続く風よ。今しばらく我等の息吹を守れ)」
ミコト 「……うん。……でも、あったかいから……」
堤吾郎 「そうかぁ……」静かに目を瞑り
堤吾郎 「おぅ……?」物音がしたような気がして、閉じていた目を開けて

永遠はない──ミコトは誰よりもそのことを知っている。
“死”はいつか彼女を覆い、この地に滅びの息吹を撒くことだろう。
多くの者たち、人間も妖怪も関係なく死ぬだろう。
その未来を想像するだけでミコトの心は冷たく凍てつき、絶望に染まる。
だから、早く別れを告げないといけない。自分に暖かさを……“命”を教えてくれた、大切な人を守るためにも。
それが、それこそが、ミコトにできるたった一つのことだから……。