ぬくもり


 乾いた音は、足元から聞こえてきた。僅かな風にも舞い上がり、踏みしめられた靴の下で壊れていく落ち葉の音。秋色に染まった葉の奏でる微かな音は、どこか寂寥感を掻き立てる。
 まるで、命を終えた枯葉たちの最期の叫びのようで-------。
 一面に広がるその紅い絨毯の上を踏みしめていくことを躊躇い、アーカンジェルは歩みを止めた。
「どうした?アーカンジェル」
 落ち葉の積もる先を行く黒い影が、誓約者の気配に気付いて振り返る。心配そうな黒い瞳がまっすぐアーカンジェルに向けられた。
「……何でも、ない」
「アーカンジェル」
 揺れる心を映してしまうだろう薄水色の瞳を、青年はほんの少しだけ俯かせた。
 しかし、誤魔化すようなささやかな態度も幻獣王ウランボルグには通じない。数歩後ろの恋人の元へ訝しげに戻ると、ドラゴンは誰もが見とれる白皙の美貌を覗き込んだ。
 間近で向けられた黒い瞳に観念したアーカンジェルは、小さく呟く。
「枯葉の、音が-----」
 淋しげに聴こえたから。
 踏まれて、風に舞って、土へと還っていく断末魔。
 その小さな骸の小さな声は、一体誰に届くのか。
「……」
 全てを語らぬ誓約者の憂いを悟り、ウランボルグは無言のまま背に黒い翼を広げた。両手に青年を抱きかかえると、音もなく空へと舞い上がる。
 アーカンジェルにこれ以上、小さな悲鳴を聞かせないように。


 丘の上には、一際大きな樫の木が聳え立っていた。大人が三人がかりでやっと幹を抱えられるくらいだろうか。夏には賑やかに茂り日陰を作った葉は、色を変え、根元に自然のグラデーションを描いている。冬に向け葉を落としつつある木は、それでも堂々と空へと枝を伸ばしていた。
 軽く散策するにはちょうど良い丘-----というほどもない小さな自然の集落。城から少し離れたところに位置するこの場所は、街の喧騒からも遠く、異界からの訪問者たるドラゴンのお気に入りの場所にもなっていた。
「……別に、歩いても良かったんだけど」
 少し不機嫌な様子を取り繕って、アーカンジェルは呟いた。
 大した距離でもないのに、頂までウランボルグに運んでもらったことに気恥ずかしさを覚える。しかもそれが、枯葉の音に気をとられたから、などという他愛のない理由であることも恥ずかしさに拍車をかけた。
 必要以上に憮然とした態度をとってしまう青年に気分を害することもなく、ドラゴンの化身は樫の木に近付いて言った。
「この季節は気温が不安定で、人間は心が乱れやすいと聞いた」
 梅雨の時期や季節の変わり目に、変調をきたすというのはよくある話だが、人間ほど気温に左右されないドラゴンには、影響も少ないのだろう。
 黒衣の少年は、木の根元にどかりと腰を下ろすと、アーカンジェルを見上げた。
「アーカンジェルも、執務中によく溜め息をついていた」
だから、気分転換に外へと連れ出したのだと言外に滲ませる。
「そう……だったかな?」
 自分では意識していなかったことを指摘され、神聖統合軍総帥は逡巡する。
無言で頷く黒竜に肩をすくめ、おとなしくその左隣へ座り込んだ。樫の木に背を預けると、硬く乾いた感触が伝わってくる。どこか居心地の悪いその感覚に落ち着かず、アーカンジェルは赤く染まり始めた空を見上げた。
「……」
 何も言わない隣のぬくもりが、心地よかった。
 日差しが傾き、風が冷たくなってくるこの時刻は、こんな仄かなぬくもりを愛しく思う。
 もう少しだけぬくもりが欲しくて、隣に座る少年の肩に、アーカンジェルは小さくもたれかかる。
 夕焼け色に染まっていく木々は、静かに立ちすくんでいた。

「アーカンジェル」
「ん?」
 差し出されたドラゴンの手に反射的に手を伸ばすと、ぽとりと小さなどんぐりが落ちてきた。
「……あ」
 枯葉の布団に隠れていたどんぐりは、日中の日差しを残してほのかに暖かい。
それよりも。
 僅かに触れたドラゴンの指先を視線で追ってしまう。夕日に染まった赤い指先に、何故か心が跳ね上がる。
「何だ?」
「いや……前に、君の手の中でどんぐりのように扱われたな、と思い出したんだ」
 あの時は、黒竜本体の広く大きい手の平の上で。
 動揺する心を悟られたくなくて、思わず視線を逸らせたアーカンジェルの態度に、ウランボルグは軽く眉を寄せる。
「怒っているのか?」
「まさか!違うよ。……今はこんなに小さな手なのに、不思議なものだね」
 見当違いの心配を見せるドラゴンにアーカンジェルは苦笑しながら、少年の幼さを残す手を取った。自分の手も、彼の手も、同じように夕日に染まっていた。
 ウランボルグの利き手である左手と、自分の右手の平を合わせてみる。まだまだ成長途中のウルの手は、アーカンジェルのものより指半関節ほど小さかった。
「……ドラゴンの方がいいか?」
 どこか憮然とした黒竜の声が響く。
 普段から、子ども扱いされることを嫌うドラゴンのこと。その背伸びした思いさえアーカンジェルには愛おしかったが、笑えばきっと機嫌をそこねてしまう。だから、必死に表情を引き締めて。
「いや?この方が、ぬくもりを感じられるからね。」
 右手にウルの手を。
 左手にどんぐりを。
 二つの手があるのだから、どちらも欲張りに握り込む。
「俺もこの方がいい。アーカンジェルに手をつないでもらえるからな」
 機嫌を直したらしいドラゴンに微笑むと、つないだ手よりも暖かい唇が降りてきた。

 夏を残すあたたかい日差しと。
 冬を知らせるひんやりとした風。
 二つの季節が入り混じる独特の秋は。
 確かに、心揺らめく季節だろう。
 こんな小さなことでも、心がほんのりあたたかくなるのだから。
 短い季節に、君と過ごした思い出を。
 これからやってくる寒い季節を乗り越えられるようなぬくもりを--------。

                               fin.
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