『鎌之介?帰っておらんぞ?』という幸村の言に、伊佐那海を送り届けた才蔵は再び神社へと戻った。しかし、日の落ちた今も続く混雑に、おとなしく揉まれるつもりはない。正面が無理なら横手から……とばかりに、人目につかぬよう木の上を伝っていく。清海辺りには罰当たりだと言われそうだが、もう既に一度参拝は済ませたのだから、勘弁して欲しいと思う。 「……くそっ。あのバカ!」 社殿のすぐ横で木から下りた才蔵は、そのまま裏手へと回る。表側と違い人気のない社殿裏は、松明も置かれていない。背後の山へと続く森への入り口、小さな小屋の前に座り込んでいる淡い着物姿の人物がぼんやりと薄闇に浮かび上がっていた。 「鎌之介!」 足音にか、思わず漏れた声にか――。どちらにしろ反応した鎌之介がゆっくり頭をもたげる。まさかとは思うが、この寒空の下で昼寝でもしていたのか。 「お前、ずっとここにいたのかよ」 呆れつつ近付けば、どことなく鎌之介の様子がおかしいことに眉を顰める。 「おせーよ、才蔵……っくしょ!」 寝起き独特の乾いた声は小さく、才蔵が問う前にくしゃみを放つ。 「アホか。何やってんだ」 「才蔵が、ここにいろって……」 「言ってねーし」 お前が勝手に勘違いしただけだろうと言えば、珍しく文句のひとつも返ってこない――どころか、身動きひとつしない。傍まで行ってしゃがみ込めば、ようやく鎌之介の着物が濡れていることに才蔵は気が付いた。着物だけでなく、その頭も。 「お前?何やってんだ!?」 先程と同じ問いを発しつつ、慌てて懐を探り手拭いを出すが、そんなもの一枚で水分を充分拭えるわけもない。 「ったく!真冬だぞ!もう夜だし!」 とりあえず手ぬぐいは鎌之介の首筋にかけておき――何もないよりはマシだろう――、何かないかと才蔵は辺りを見渡す。暗い影を落とす浅い池に、二つの黒々とした塊が見え、違和感を覚える。目を凝らせば、男二人の死体だとすぐに分かった。 「おい。なんだよ、あいつらは……」 才蔵の視線を見て察したのか、気だるげに鎌之介は言う。 「ん……俺とやりたいって。でも、俺は才蔵だけだから……」 「……」 それは意味が違うのでは、と思いつつも何があったのかおおよそ把握した才蔵は溜め息をひとつついた。鎌之介がずぶ濡れになった理由もこれか。人気のない裏手とは言え、よくもまぁ見つからなかったものである。死体の処理は後回しにして、ともかく今は鎌之介を回収して一刻も早くこの場を離れるべきかと判断する。 帰るぞ、と才蔵が言う前に、 「やるぞ……」 ふらふらと立ち上がった鎌之介が才蔵に掴みかかってきた。もつれるように二人は道へ倒れこむ。鎌之介から落ちる雫の冷たさとは正反対の――触れた手の平、吐息……それらの異常な熱さに才蔵は驚いた。 「!お前、熱出て……」 「うるせー」 勢いのない拳が繰り出され、潤んだ瞳は焦点が定まらない。闇雲に振り回されるその細い手首をつかめば、抜け出そうと身体をよじる。圧し掛かってくる重みはいつもと変わらぬものの、いつもと同じように乱暴に投げ飛ばすのはどこか憚られた。 攻撃されているというには扇情的なその様に、才蔵は頭をひとつ振る。ただの病人だ、コイツは。 才蔵は腹に力を溜めて起き上がると、鎌之介を背中から地に縫いとめる。しばらくもがいていたが、さすがにだるいのか、ようやく鎌之介は動きを止めた。 「なんだよ……才蔵、ずりぃ。俺、負けてねーし。才蔵が卑怯だし……」 「何が卑怯だよ。……あーもう、俺の負けだ!俺の負けでいいだろ!」 意識が朦朧としているのか意味不明なことをごねる鎌之介を怒鳴りつけ、帰るぞと今度こそ言い放つ。 「ヤダ。まだ、何もやってねー……」 「うるせー。黙って寝てろ、バカ」 才蔵は着ていた羽織を脱いで鎌之介に着せると、すっかり動く気力もなくなったらしいその身体を背負う。鎌之介の着物は氷のように冷え切っていて、背筋に伝わる冷たさに才蔵は眉を顰めた。体温との激しい温度差が、落ち着かない。だが、文句は言わず黙って歩き出す。首筋にかかる吐息だけがやけに熱かった。 「じゃあ……帰ったら……やろう……」 こちらの言ってることを理解しているのかいないのか。もともとそう働いていない頭だが、今は輪をかけてまともに働いていないのだろう。寝言のように呟いた鎌之介は、もぞ、と暖を求めて才蔵の首筋に鼻先を擦り付けてきた。犬か。 「才蔵、やろう……」 繰り返される懇願ともつかぬ呟きに、応と答えてやれば満足するだろう。どうせ覚えてもいまい。けれど―― 「やらねーよ」 「え?」 「……やらねーっつってんの」 「……なんで?」 耳元で囁くような小さく細い声。いつものような覇気を失った声に、何故か心がざわめいた。 自分を落ち着かせるように、冷静さを取り戻すように、しばらく才蔵は無言のまま歩を進める。人混みを避けて選んだ横道は歩きづらく、才蔵の頭を研ぎ澄ませてくれた。 「なんでって……」 顔を合わせれば一言目には同じ台詞を吐いて、武器を振り回して。屋敷の中でも外でもそれは変わらず。ほとほとうんざりして、いい加減決着つけてやろうかと何度思ったことか。それでも、それが日常になってしまった今は―― 「やったら……終わっちまうからだろうが」 背中から寝息が聞こえるようになった頃、ようやく才蔵は応えを返した。 「やりあって、満足したら、お前……追いかけてこなくなるんだろ?」 目的を果たしたなら、鎌之介が才蔵を追いかける理由はなくなる。 少なくとも、今の日常が壊れるのは明白だ。 どちらかが命を失うかもしれないし、そうでなくとも鎌之介は才蔵に飽きてしまうかもしれない。 そうなったら、こいつは……他の誰かを追いかけるのか? 「そんなん……ゆるさねぇっつの」 低く唸った独白に返る返事はない。けれど、答えはもう先に貰っていたかもしれない。 『俺は才蔵だけだから』 「……くそっ」 執着しているのはいったいどちらか。 鎌之介の熱が移ったように、頬が熱く火照ったのが分かる。才蔵は顔を冷ますように、大きく息を吐きながら空を見上げた。 吐息で白く濁った初春の夜空には、昔から変わらぬ光を放つ星が瞬いていた。 了。 ※戦国時代には初詣の風習はなかったらしいですけど大目に見てください。 |
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