VOL.9
● YAMAHA YZR
1983年、真紅のレザースーツに身を包み、華麗なライディングフォームでコーナーを駆け抜けるその男は、若き天才アメリカンの挑戦を受けていた。男の名は、キングこと、ケニーロバーツ。私が歴代レーサーの中で最も憧れるライダーである。そして、エディーローソン,ウエインレイニー,平忠彦。今でも憧れのレーシングライダーが駆っていたマシン。それがヤマハYZRである。
YZRが誕生してから、30年。ジャコモアゴスチーニが駆って、破竹の連勝を続けていた4ストのMVアグスタから、同排気量であれば、理論上は倍の出力を得られる2ストのアドバンテージを活かし、最高クラスは2ストでなければ勝てない状況の礎を築いたのである。また80年代初頭に台頭してきたスクエア4レイアウトを持つスズキに対抗する為に、近代500ccマシンの全車に採用された、V4レイアウトは、GP至上最高の激闘が繰り広げられた、この83年にキングに託された。2002年にレギュレーションが変更になり、2スト500ccのYZRから、4スト990ccのYZR−M1にバトンタッチしたが、今後も、勝利の使命を受けて、進化し続けるだろう。
ホンダファンを自認する管理人であるが、こと、ロードレースに関しては、ヤマハも好きなのである。ホンダがGPを撤退した70年代からはGP125からGP500まで、全クラスに車両を供給し、ロードレースの底辺を支えてきた唯一のメーカーである。
レイニーが3年連続チャンピオンを獲得してから10年間、ヤマハはGP最高峰クラスのタイトルから遠ざかっているが、振興メーカーや他の日本メーカーに負けずに頑張って欲しい。やはり全メーカーがその英知を結集して作り出したマシンと、トップライダー同志のガチンコ勝負は、見ていて楽しいのだ。そして、日本人がその頂点に君臨するのを夢見るのである。現在、ヤマハライダーで、その使命を負った唯一のライダーが中野選手であるが、次代のヒーローが世界に進出できる環境を、メーカーとして切り開いて欲しい。頑張れヤマハ!
そんなYZRの30年の歩みを、間近で見られるイベントがヤマハコミュニティープラザで11月22日まで(毎月、第二,第四土曜の開館)開催されています。