VOL. 56
● 栗きんとんと木曽路ツーリング
2010年11月6日(土)

例年、この時期は岐阜県中津川市へ『栗きんとん』を買いに行くのが恒例となっています。江戸時代から中山道を利用する旅人の滋養強壮剤として(今でいうサプリメントみたいなもの)栗が重宝されたそうで、その時代から中津川周辺では栗きんとんの名店がしのぎを削っているそうです。中津川には有名店が多数ありますが、ボクは【すや】さんがお気に入りなので今回の最大の目的地は【すや】さんに決定! しかも国道19号線沿いにある支店ではなく、市街地に昔からある本店の方です。
夜勤明けで睡眠時間が3時間半程ですが、6:30に起床し出発準備。前日に何も準備をしていなかったのでドタバタと準備しました。最後までライディングウェアに頭を悩ませましたが、もう木曽路方面は寒い事も予想されたので、体温調整ができる様なレイヤードをして7:30に出発します。
浜松市からは国道257号線→県道32号線→国道257号線でひたすら恵那市方面を目指します。【道の駅・アグリステーションなぐら】で1回目の休憩。山影の道路を走行していたのと時おり、バイクに備わった外気温計が8℃を示す中を走行していたので寒くて仕方がありません。暑かったら1枚、脱げばいいやと思っていたウェア類も脱ぐどころか更なる重ね着が必要な程、寒く感じられます。
この日はウインターグローブではなく普段使用しているレーシンググローブを使用していたので指先が特に冷えてきました。ここでVFR1200F DCTの純正オプションで取り付けた最新型の細芯グリップヒーターを初めて使用してみました。3段階ある温度調節は一番低い発熱温度の1番に設定しました。使用した感想は、「グリップヒーターってなんて温かいんだろう。もう手放せないよ♪」 今まで使用してこなかった事が悔まれます。
休憩後は再び国道257号線を走行し恵那市へ。恵那市からは国道19号線で目的地である中津川市街地にある【すや本店】さんには10:30過ぎに到着。お目当ての栗きんとんがあったので、ここは豪華に箱買い(だけど一番安い6個入り)しました。今でも和栗から手作業で作られている栗きんとんは、いつ食べても栗そのものの味がしてとても美味しいです。
本日最大の目的は達成できたのであとは昼食を食べて帰宅する事にします。昼食は元気があったら開田高原の蕎麦屋さんへ行こうと思っていましたが、週末から坐骨神経痛が発症して右脚が殆ど動かない状態なので(←そんな状態だったらバイクに乗るのをやめたら? という突っ込みはナシで!)、南木曽で以前から行ってみたいと思っていたお店に行く事にしました。そこは名勝・寝覚の床の向かいにある【越前屋】さんです。なんでも日本で3番目に古い江戸時代から続く老舗店だそうで、かの文豪、島崎藤村も訪れた事があり作品にも登場しているそうです。「そうです・・・」というのは読んだ事が無いので人伝情報です。注文したのは『もりそば』です。この店の蕎麦はお店の向かいにある寝覚の床にゆかりのある浦島太郎伝説にちなんで、【寿命そば】と言われ、食べれば寿命が延びる言い伝えがあるそうです。
十返舎一九は「そば白く 薬味は青く 入れ物は赤いせいろに 黄なる黒文字」と詠んでいるそうです。写真のせいろの文字は今は黒文字に見えますが昔は金色の文字との重ね書きだったそうです。
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人生初のグリップヒーターを体験 |
すやさんの栗きんとん |
越前屋さんの寿命そば |
食後はそのまま向かいにある『寝覚の床』へ。ここは浦島太郎が乙姫からもらった玉手箱を開けてしまって老人になってしまった場所と言われています。その老人になってしまった岩までは入場料を払って10分程歩かないといけませんが、今回は前述の様に坐骨神経痛によりいつにも増して右脚が不自由なので行くのを諦めました。まだまだ気持ち的には若いと思っているアラフォーですが、あらぬアクシデントで老人になってしまうとも限りませんし(笑)
国道19号線で中津川方面に戻り、【道の駅・大桑】に立ち寄ります。ここはツーリングマップル中部北陸で木曽和牛ステーキが人気があると紹介されていたので、どんなものか偵察する事にしました。道の駅のレストランなので格安で食べられると思いましたが、さすがは和牛です。樋口一葉さんのお札を1枚は握りしめて行かないとお腹と舌を満足させる事はできそうにもありませんでした。
ステーキは無理でも食後のデザートとして何か食べたいと思っていたら、「ジョンレノンが絶賛し、各種ランキングでも堂々の1位を獲得したロイヤルスイートバニラソフト」があるとのポスターを発見。本日最初の儀式として購入しました。味はクリームチーズを混ぜたような濃厚な味でウマウマでした。食べている途中にポスターを見たらマジマジと見ていたらどうやら軽井沢のお店で取り扱っているソフトクリームの様ですが、まぁ、この際、目をつぶりましょう。でもただでさえ寒いのに更に身体が冷えてしまいました。
国道19号線→国道256号線で清内路峠へ。観光バスや道路工事の影響でずっと数珠つなぎになって昼神温泉郷を抜け、国道153号線に出るまでノロノロ運転。紅葉し始めた山々を見ながら気持ちよく走行するつもりだったのでガッカリです。ルート選択を失敗しました。
【道の駅・信州平谷】で休憩したあと、国道153号線を設楽町方面に向かうと右手に【信玄塚】という看板が見えます。いつも国道153号線を走行している時に気になっていたのですが、今日は時間にも余裕があり、ソロツーだったので立ち寄ってみる事にしました。何故に甲斐の国の武田信玄がこの飯田路に?の疑問は案内看板を見て解決しました。武田信玄が東三河の野田城攻略後、甲斐に凱旋する途中、病気により現在の根羽村にて没した事に由来するそうです。没後100年程の後、武田信玄を供養する為に宝篋印塔が建立されたそうです。先のNHK大河ドラマ『風林火山』で人気となった武田信玄ですが、飯田路で没していたなんて知らなかったなぁ。こうなると夏に行った長野ツーリングで山本勘介の墓地を見て来なかったのがあらためて悔まれます。
国道153号線→県道10号線→国道257号線で静岡県と愛知県との県境にある【道の駅・鳳来三河三石】で最後の休憩。ここで小腹がすいたので五平餅と缶コーヒーで空腹を満たします。この道の駅の横にも戦国武将好きには堪らない満光寺という場所があります。満光寺は徳川家康がまだ松平性の時代に武田信玄に敗れて浜松城へ逃げ帰る途中で、疲れ果てたので満光寺で1泊させてもらったお寺です。家康は翌朝、一番鶏が鳴いたら起こしてもらう様に住職に頼んだところ、その日に限って通常よりも早い真夜中に鶏が鳴いたので住職も怪訝に思いながら約束だからと家康を起こしました。家康が出発して間もなく武田軍の追撃隊が押し寄せてきて、家康は間一髪のところで逃れる事が出来たという言い伝えがあるそうです。結構、文献も残っているそうなので史実なのでしょう。
日没となり周辺も暗くなってきたので家路を急ぎます。この日はヘルメットのクリアシールドを持って行くのを忘れたのでスモークシールドのまま走行しますが、走り慣れた道なので迷う心配がありません。いつものエクスプレスで給油して18:30に帰宅。バイクが少し汚れてしまったので水拭きしようと思いましたが、寒かったのと翌日も走行するかもしれないのでそのままガレージへ直行しました。
今回は中津川の老舗店【すや】さんで栗きんとんを購入するのが最大の目的でしたが、行きたかった蕎麦店にも行けたし、思いがけない戦国武将エピソードに出会ったりと気ままなソロツーリングならではで楽しむ事が出来ました。
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名勝・寝覚めの床 |
武田信玄が没した地 |
徳川家康と所縁のある寺 |
本日の走行距離:342Km
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