VOL. 68
● 高速千円祭り終了を見据えてGWは遠方へ

2011年5月1日(日)~5月3日(火)

 2011年のGW期間中となる5月1日(日)~5月3日(火)の日程で山口県へソロツーリングに行ってきました。同年3月11日(金)に発生した東日本大震災の影響で復興財源確保の為に高速道路休日上限千円の適用が6月中に廃止される公算が高まり、ETCの恩恵を最大限に享受できる最後の長期連休がこのGW期間中となります。
 震災が発生する前までは今年のGWには宮城県の仙台・松島へ行く予定でしたが、震災の影響でとても観光で訪れられる状況では無くなってしまったので西へ行く事にしました。九州か四国も考えましたが、2泊3日の日程で行きたかったので本州で最も西側となる山口県へ行く事にしました。この山口県は高校の修学旅行で訪れた事があり、今回はその修学旅行の思い出の地を再訪するツーリングとしました。





 
5月1日(日)

 出発日となる5月1日(日)は天気予報によると太平洋側は雨模様で山口までの移動中、広島県あたりで雨雲を抜けられそうでした。当日は3:30起床予定でしたが、2:00頃から浜松では雨が降り出してきて眼が覚めてしまいました。ウトウトしたまま起床時間になり出発準備をします。もう自宅からレインスーツを着用して行かなければならない天候となってしまったので玄関先で急遽、レインスーツを着用します。今回は出発直前までライディングウェア選びに悩まされましたが、行き先での気軽さよりも移動中の安全性を重視して、HYODのレザージャケット+HYODのレザーパンツ+XPD製ブーツの安全装備ルックで出撃する事にしました。

 4:30にガレージ内で荷物を雨対策としてビニール袋に詰め直して出発します。恒例の自宅前での出発時の記念撮影は雨の為、今回は中止です。小雨の降る中を東名浜松西ICに向かい、東名高速道路には予定していた5:00に入ります。GW期間中の中日でしたが、早朝だったせいか思った程は渋滞は発生していませんでした。音羽蒲郡IC~岡崎IC間でドシャ降りに見舞われましたが、他の区間では小雨続きでした。豊田JCTから伊勢湾岸自動車道→東名阪自動車道に入り、御在所SAで最初の休憩と給油です。御在所SAは久し振りに立ち寄りましたが、複合商業施設となるEXPASAとしてリニューアルされていました。スナックコーナーで朝食を食べようかと思っていましたが、リニューアルされたSA内にはスナックコーナーはなく、フードコートとなっていて早朝から営業している飲食店はラーメン店と四日市名物のトンテキ店だけが営業していました。トンテキにかなり心を惹かれましたが、朝から食べるには少し重い食べ物ばかりなので、SA内のコンビニでおにぎりを購入してそれで済ませました。またこの先、山口までの給油は可能な限り、エクソンモービル系のクレジットカードやスピードパスを有効利用したかったので、このSAで最初の給油を行います。

 朝食と給油を済ませ、東名阪自動車道→新名神高速自動車道→名神高速自動車道→中国自動車道と順調に走行して行きます。途中、京都南ICあたりから『名古屋*** *22』のトヨタアルファードがしつこく追尾してきました。おそらくこちらがペース良く遅い車をパスしていっていたのでついて来たと思われますが、車間距離を詰めすぎで煽られている気がしたので、ちょっと威嚇してやろうかと思いましたが巻き添えは食らいたくなかったのでピーポ君が前を走行しているところで思いっきりフェイントをかけてやりました。アルファードの若造共はどうなった事やら。
 中国自動車道の神戸JCTから山陽自動車道へ入りますが、凄い横風が吹きつけていました。バイクにしがみついていないと吹き飛ばされそうです。一時的に追い越し車線まで流された時もありました。この強風の影響で四国へ繋がる連絡橋は全て2輪車通行止めとなっていました。この日から四国入りを目指して走行していたライダーは予定の大幅変更を余儀なくされた事と思われます。
 龍野西SAで2回目の休憩です。昼食は広島あたりで食べたいと思っていましたが小腹がすいたので屋台売りされていた黒毛和牛メンチカツを購入します。これ、この地方のブランド牛である神戸牛を使用しているとばかり思っていましたが、帰宅後の写真整理で九州産和牛と書かれていた包装に気付きました。まぁ、美味しかったので良しとしますか。またこのSAは高速道路では少数派のモービル石油なのでカード払いで給油します。今回もケチケチツーリングなのでなるべく現金払いは控えたかったのです。(翌月に請求書がやってきますが・・・)

 休憩を済ませて再び山陽自動車道へ繰り出します。次の赤穂ICまでは昔、仕事で良く来ていたので距離感や時間の感覚が掴めますが、この先は未踏の地となります。山間部とトンネルだらけで景色が変わり映えしない岡山県内を淡々と走行し、ようやく広島県内へ入り12:00少し前に福山SAに到着。ここでこの日初めての儀式を行います。購入品はチョコバナナソフトですが、ご当地ソフトではなく、どこにでも売っている国内シェア№1メーカー製でした。しかもメニューを見た時にはソフトクリームかと思ったらどうみてもアイスクリームです。作る時もカップアイスみたいなものをプレス機で絞り出していたし・・・。ヤラレたー!
 ここでトイレで顔を洗う為にトップケースに入れてあったハンドタオルを使用しました。後から気付きましたがこれはバイク用のウエスにしたハンドタオルでした。「顔を拭いちゃったよー!」と思いましたが、幸いにして洗濯をしてからバイク用にと下ろした直後のタオルでした。でもこのハンドタオル(実はウエス!)はどこかに置き忘れたのか、落としたのか次の休憩時には見当たりませんでした。
 竜野西SAから福山SAに辿り着くまでの3ヶ所のトンネル内で追突事故があり渋滞に巻きこまれました。渋滞するのが分かっていて車で出かけているのですから覚悟すればいいものを先を急いで車間距離をとらなかったり、トンネル内にも関わらず無灯火で走行している車が多い事。名古屋を筆頭に東海地方のドライバーの運転が荒い事は有名ですが、中国地方のドライバーも引けを取らない位、危険運転が見られました。これも高速休日上限千円制度の導入により高速道路での運転経験が少ないドライバーが増加した事でマナーの低下が招いた結果でしょうか?。

 そして初日唯一の観光目的地である広島県呉市を目指して山陽自動車道を進みます。事前に調べたルートによると呉市へは広島東ICから広島高速へ入り、広島呉道路経由で向かうつもりでしたが、早朝出発と強風の中や予期せぬ渋滞の中を走行してきた疲労からなのか、注意力が散漫になっていたらしく小谷SA過ぎに出ていた『東広島・呉道路』の道路標識を見て、『おぉ!もう広島東IC?』と読み間違えて、あろうことか次のICである高屋ICで高速を降りてしまいました。ボクの所有しているツーリングマップル中国・四国2008年度版にはこのICは存在しておらず当然、走行したい広島高速とは接続していないのでIC出口の路肩に停車してツーリングマップルでルートを調べると呉までは国道375号線を走行する必要があり、かなり距離がありそうだったので移動時間を短縮するために料金はかかってしまいますが、再び高屋ICから高速に乗りなおす事にしました。今度は間違える事無く広島東ICから広島高速へ。そしてこれまたツーリングマップル中国・四国2008年度版には掲載されていないものの、事前に調べておいた無料社会実験中である広島呉道路を快走し、いよいよ初日唯一の観光地へとやってきました。

朝の4:30に自宅を出発 途中での買い食いも楽しみのひとつ 大和ミュージアムに到着

 呉市街地を通り抜けて向かった先は、【大和ミュージアム】です。ここ呉は太平洋戦争で活躍した戦艦大和を筆頭にした大日本帝国艦隊の生まれ故郷なのです。大和ミュージアム内には1/10スケールの戦艦大和の模型の他、現存し復元された戦闘機や特攻ミサイルなどの展示の他、多くの戦艦を建造した呉の戦時中からの産業や社会情勢などを写真資料や遺品などを通して後世に伝えています。
 戦争を肯定する気はありませんが、戦艦大和は日本人が作った超一流の戦艦であると同時に最高傑作の工芸品ではないかと思います。この大和の建造にあたって用いられた技術は当時の世界最先端で今でも採用されたり流用されたりしている技術が少なくないそうです。

 大和ミュージアム内で昼食をと思っていましたが、館内に飲食店はありませんでした。この大和ミュージアム周辺に海軍カレーといって当時の海軍のレシピに従って作ったカレーライスが食べられるレストランがあると聞いていたので、てっきり館内にあるのかと思っていましたが一旦外に出てからでないと行く事が出来ない隣の建物でした。
 大和ミュージアムへは開館時間内であれば再入場可能だったので館内の見学をいったん打ち切り、外から回ってレストランへ向かいます。向かった先は【シーサイドカフェ・ベーコン】です。人気店らしく14:00過ぎにも関わらず行列が出来ていました。もちろん、ここでは並んで待ちました。30分近く待って席に案内され、注文したのはもちろん、海軍カレーで、トッピングとしてクジラのカツも注文しました。大盛り注文も可能だったみたいですが、もう少し量が食べたかったなぁ・・・。でもスパイシーで美味しいカレーでした。

 食後は大和ミュージアムには戻らず道路を挟んで向かい側にある入館無料の【てつのくじら館】に行きます。これは退役した本物の潜水艦を展示用として陸に揚げたものです。海上自衛隊などの活動を紹介した資料館を併設し、潜水艦内の見学をする事も出来ます。国防の観点から最高機密である潜水艦の内部を退役した艦とは言え公開してしまうなんて大丈夫なのでしょうか? 元内閣総理大臣は、自慢げに国家機密である保有潜水艦数を世界に向けて軽口発信してしまいましたが…。『沈黙の艦隊』という原子力潜水艦を題材にした週間誌連載の漫画がありましたが、これに描かれていた艦内の様子とはだいぶ違うんだなぁと思いました。艦内はとても狭く、とてもこの中で集団で数ヶ月を過ごすなんてボクには出来ないと思いました。ちなみに海上に出る機会が少ない船員が時間が判断できる様に艦内の照明の色を時間で切り替えたり、毎週決まった曜日にカレーライスを食べる習慣があるというのは有名なエピソードですが、これについても紹介されていました。自衛隊の陸・海・空の3部隊のうち、海上自衛隊の食事が一番、豪華で美味しいそうです。各部隊のシェフも腕を競っているそうですが、過酷な環境下で任務にあたって隊員のために食事だけでも美味しい物を提供したいという配慮もあるそうです。

 【てつのくじら館】での見学のあとは再び大和ミュージアムへ戻ります。昼食も済んで今度はゆっくりと見学できます。大和ミュージアムで興味があったのは、
1) 1/10スケールの戦艦大和
2) 人間魚雷・天回パイロットの出陣前の肉声テープ
3) 戦艦大和の現在の状況探査ビデオ
です。

 十数年前にテレビ朝日系列で太平洋に沈む戦艦大和の探査の特番が放送されたのを覚えています。戦艦大和がどのようにして沈没し、今どうなっているのかという事に興味がありました。きっと大和ミュージアムなら何らかの情報があると思っていましたが、十数年前にテレビ放映された探査は、ここ【大和ミュージアム】の開設に携わった関係者や研究者の方々も関わっていた模様です。十数年前に見た映像がそのまま館内でビデオ放映されていました。
 人間魚雷パイロットの肉声テープはつたないボクの文章力では説明が難しいです。是非、現地へ行って直接聞いてみて下さい。人間が死地に赴く時、何を思うのか泰平の時代にあって生死という事を考えさせられる内容です。

 館内の展示全部をじっくり見ているととても2~3時間では見て回れないので駆け足で見学しましたが、それでも16:00を回ろうとしています。企画展も開催されていましたが別料金となり時間もないのでこちらは割愛。お土産店で戦艦ヤマトのイラストが入ったクリアシートセットを購入して、呉を後にする事にしました。ちなみに大和ミュージアムのバイク駐車場は建物入口横の陸橋下のスペースとなります。向かいの乗用車立体駐車場の駐車場待ちの車列に並んでいても無駄ですので、一気に正面玄関に向かうと良いでしょう。出発準備をしながら周囲を見渡すと大和ミュージアムに到着した時には少なかったバイクの姿も多くありました。隣には神奈川県から2台のヤマハ車で来ていたアベックライダーさんもいました。

 
大和の前で 1/10スケール 大和 館内には色々な資料展示が
呉名物・海軍カレー 本物の退役潜水艦 潜水艦内を見学できます

 大和ミュージアムからは山陽自動車道に入る前に給油しておきたかったので事前に調べておいた呉市内の県道31号線沿いのエクスプレスへ。スピードパスで簡単給油をしてから広島呉道路へ入るつもりでしたが、県道31号線からICへの道路標識がなく、どこから広島呉道路に入れるのか分からなかったので、道なりに県道31号線を広島方面に走行していきました。かなり走行した仁保JCT近くのICから広島呉道路に入り、広島高速を経て広島東ICから再び山陽自動車道に入ります。

 高速に入って最初にある宮島SAで休憩し、予約してあるビジネスホテルへ予定よりも1時間ほど遅れて到着する旨を連絡します。休憩も済ませ、降り口となる山口南ICを目指してひたすら走行します。宮島SAで北九州を目指して走行していた隼オーナーの方と少し話をしましたが、山陽自動車道は200Km/1県が目安という情報を聞いて、なる程と思いました。厳島神社で有名な宮島から山口県まではすぐですが、今回の宿泊場所となる新山口は県内の中央付近に位置するのでまだ100Km程先になります。
 呉での観光以外は、朝の5:00からずっと高速道路を走行してきているので、かなりバイクに乗る事に飽きてきました。クラッチ操作のいらないVFR1200F DCTですが、高速道路走行ではあまりその恩恵は享受できないので関係ありません。それに基本的に巡行時は120Km/h以上は出さない主義(制限速度超過なので当たり前ですが…)で燃費走行を心がけていたので我慢の走りです。

 18:30過ぎに山口南ICを出て、国道2号線→国道9号線でJR新山口駅を目指すつもりでしたが、山口南ICを出てから国道2号線と高規格道路とへと別れる道路標識があり持っていたツーリングマップルにはその様な高規格道路は記載されていなかったので一般道となる国道2号方面に向かいました。しかしどうやら高規格道路と思われたのは国道2号線のバイパス道路でこちらに行くのが正解だった模様です。高架下の道路を走行し、途中からJR新山口駅への道路標識が出たので右折して県道を走行しますが、どこの道路を走行しているか分からずにウロウロしていたら偶然にもJR新山口駅前に出る事が出来ました。
 予定より1時間遅れでこの日から2連泊するビジネスホテル【東横イン新山口駅新幹線口】に到着しました。JR新山口駅の新幹線側口の目の前に立地しています。東横インは全国チェーンなのでソロツーリングで全国を駆け巡る時に頻繁に利用しています。

 チェックインを済ませ夕食を食べに駅周辺を散策しますが、事前に調べた情報の通り全くと言っていいほど飲食店が見当たりません。駅舎内にうどん・丼ものの飲食店と居酒屋が1軒ずつ、他のビジネスホテルの1階に回転ずし店が1軒,10分ほど歩いたロックタウン小郡内に全国チェーンの飲食店が数店ありましたが、せっかく山口まで来たのですからチェーン店での食事ではなく地元グルメを食べたいのが人情というもの。おそらくSLの始発駅となる新幹線口とは反対側のエリアには飲食店も何軒かあったと思われますが、今回は荷物を減らす為に街歩き用の着替えは持ってきておらず、レザー製のライダーズルックだったので歩いて行く気にはなれず、また低予算ツーリングに徹していたので、東横インで宿泊者限定で提供されていた無料カレーライスで済ませる事にしました。もちろん、大盛りで♪(←地元グルメを食べるんじゃなかったのか?) この日は昼夜共にカレーを満喫する事になってしまいました。翌日、加齢臭ならぬカレー臭が漂わなければいいのですが・・・。コンビニスイーツを買ってホテルに戻り、翌日のプランを練りながら眠りに就いたのでした。もちろん、この日は爆睡でした。


1日目の走行距離:780km



5月2日(月)

 2日目はいよいよ山口県内の観光ツーリングです。当初の予定では2日目に秋芳洞・秋吉台・萩の観光を、3日目には津和野か天気が良ければ角島へ回って帰るつもりでしたが、天気予報では2日目は好天となるものの、3日目は再び天候が崩れるとの事だったのでこの日は角島と萩へ行く事にしました。6:00に起床し、6:30からサービスが始まるホテルの無料朝食でまずは腹ごなし。東横インはリーズナブルな料金で部屋が綺麗な事と、この無料朝食があるので貧乏ライダーにとっては嬉しいですね。連泊なので着替えなどの荷物は部屋に置いたまま、その日に必要なものだけをトートバックに入れて出発準備をします。

 まずはホテルの正面にあるJR新山口駅へ。ここでVFR1200F DCTの総走行距離が9000Kmに達しました。2011年に入ってハイペースで走行距離が延びています。ここでこの日の夕食用として駅弁を予約する事にしました。前日、夕食を食べる場所を探して駅構内をウロウロしていたところ、山口県内の駅弁を一手に請け負っている【小郡駅弁当】さんで駅弁が予約できる広告看板があったので利用する事にしました。ツーリング先で駅弁?と思いになるかもしれませんが、数年前の新潟・山形ツーリングの時にも米沢で駅弁製造元で直接、駅弁を購入した事がありますし、宿泊先や駅周辺に飲食店が無いとなると駅弁という選択肢もアリかと。

 夕食の調達も完了し、いよいよ山口観光ツーリングの開始です。冒頭にある様に、今回のテーマは高校の修学旅行で訪れた地を再訪する事です。角島には修学旅行では行きませんでしたが、萩は思い出の地です。JR新山口駅からは国道9号線で中国自動車道・小郡IC方面を目指します。まずは小郡ICを通り過ぎた先にあるエクスプレスで給油します。ここも事前に所在を調べておきました。現金が不要なので当座の手持ちの現金を使わずに済みます。
 国道9号から国道435号線に入り、ひたすら道なりに下関市の特牛地区の海岸線に出るまで走行します。途中に秋吉台がある美祢市を通り過ぎましたが、ここ美祢市はかつての国際サーキットであった美祢サーキットがある場所です。今はマツダのテストコースになっており、せっかくだから入り口付近だけでも見学して行こうかと思いましたが、ツーリングマップルで確認すると国道から少し離れた場所にあったので断念しました。信号の少ない快走路である国道を走行し、JR新山口駅から約1時間半ほど走行して海岸線となる国道191号線に出ました。ここはもう下関市になります。

 道路標識に従い県道275号線を走行して行くと、そこには海の上に架かる橋である角島大橋が見えてきました。この角島大橋は、某大手引っ越しセンターのテレビCMでもロケ地として使われたり映画のロケ地にもなったそうで、見た事がある方もいらっしゃるかもしれませんね。撮影ポイントとして人気の海士ヶ瀬公園へ入り、エメラルドグリーンの海とそこに架かる角島大橋を撮影しようと意気込んでいましたが、何やら景色が霞んでいます。雨上がりの翌日だったのと海辺なので潮気を含んだ吹きつける風で時間帯によって霞んでしまう事があるのかな?と思いましたが、この原因を知るのはホテルに戻ってニュースを見てからでした。
 20分くらい撮影待ちをしていましたが、時間が経過するに従い上空も曇り出し霞も酷くなって先の橋が見えなくなっていきました。9:30過ぎに到着したその時が一番鮮明に見えました。結局諦めて、三脚と公園内にある高い場所を利用して橋とバイクと自分の含めた記念撮影。色合いは後から補正して誤魔化す事にしましょう。
 橋は通行無料なのでバイクで島の先にある角島灯台に向かいます。この灯台は明治初期に完成した御影石作りの洋式灯台だそうです。1つ1つの石の模様が他の灯台には見られない風情を漂わせています。

JR新山口駅で9000Km到達 黄砂の影響で霞んでします 角島灯台

 ますます霞が酷くなってきて、これ以上待っても状況が好転しそうになかったので午後の観光目的地である萩へ向けて移動する事にしました。県道275号線→国道191号線でひたすら海岸線を走行し、11:30過ぎに萩市へ到着。途中、青海島という景勝地がある事は知っていましたが、ここに立ち寄るとお昼までに萩市内に到着できそうになかったので通り過ぎる事にしました。

 まず最初に向かった先は、国道191号線沿いにある【道の駅・萩しーまーと】です。ここで萩近隣で獲れる剣先イカを1パイまるごと使用した活造りを昼食として食べるのが目的です。道の駅内に3軒ある食堂のうち、【浜料理がんがん】で食べられる事を調べてきていたので、お店に直行します。さすがは人気店らしく入店待ちの行列ができていました。予約リストに名前を書いて待ちますが、メニュー看板を見たところ、無情にも『本日、剣先イカ入荷なし』の張り紙が出ていました。道の駅内の他の飲食店にも取り扱いがないか偵察に行きましたが扱っていません。仕方がないので剣先イカの活造りは諦めて普通の海鮮料理を食べる事にします。
 ランチメニューが値段も安く品数も多くてお得だったのですが、何かガツン!と訴えかけるものが欲しかったので、『炙りサーモンといくらの親子丼』を注文する事にしました。サーモンとイクラの親子丼は良く見ますが、炙りサーモンとは珍しいです。日陰となるテラス席に通され、ちょっと肌寒い中、食べましたが、メニューの写真とはだいぶご飯の上に乗っている具の量が違うなぁ・・・。
 食後は病気で寝込んでいる相方のためにお土産を購入しました。萩名物の夏ミカンを加工した濃縮ジュースとマーマレードです。これなら日持ちするので次に会うまでに時間が空いても大丈夫。

 食後はいよいよ25年ぶりの萩市内観光です。ここ萩は幕末の倒幕と明治維新の中枢で多くの偉人を輩出している土地です。高校の修学旅行で訪れた時にはそれほど幕末の偉人には興味がありませんでしたが、昨今の幕末ブームのおかげで賑わっていました。ボクは修学旅行で巡ったエリアを再訪したいと思います。そこで市内観光用にと持ってきた、『まっぷる山口・萩・下関』で散策ルートを決めようとトートバックを覗いたところ何も入っていません。ホテルを出発する時にエントランス先で荷物を整理しましたが、その時にどこかに置き忘れたか、ホテルの部屋に置き忘れたか? これではドコに何があるのか分かりません。何度も『まっぷる山口・萩・下関』で事前に行きたい場所を調べて、おおよその見当は付いていたのでとりあえず中央公園に行ってそこで市内観光案内板を活用して散策する事にしました。バイク用駐輪場はなかったので公園の隅の歩道上にバイクをゴメンナサイ駐輪して、徒歩で散策する事にします。
 ちなみに『まっぷる山口・萩・下関』はホテルに戻ったところ部屋の中の、とある場所に置きっぱなしになっていました。どうやら朝、リラッスできる空間で座っていた時に情報収集でトートバックから出して読んでいましたが、トートバックに戻すのを忘れた模様です。

 松下村塾出身で奇兵隊を結成した高杉晋作,薩長同盟を結び明治維新の三傑に数えられる木戸孝允(桂小五郎)の生家,萩藩の呉服商で明治時代には名士の宿所とされた旧久保田家住宅,萩藩の豪商だった菊屋家住宅などを見て回ります。
 ライダースルックで歩き回ったので汗だくになり疲れてきました。休憩がてら何か冷たい物でも食べたくなったので萩博物館に向かいます。事前に『まっぷる山口・萩・下関』で調べておいた、博物館内のレストランで販売されているご当地ソフトクリームで2日目初の儀式です。萩特産の夏ミカンのジャムソースがかかった夏みかんソフトクリームです。浜名湖近くの【道の駅・潮見坂】で販売している三ケ日みかんソフトクリームという同じ様なジャムソースがかかったソフトクリームを食べた事がありますが、しっかりとみかんの種類の違いが分かり、ウマウマです。
 

写真と何か違う気が… 高杉晋作の像 高杉晋作生家
 
旧久保田家住宅 木戸孝允生家 夏ミカンソフトで儀式

 甘味で体力も回復したので再びバイクを駐輪してある中央公園に向けて歩いていきます。戻りながら萩焼のお店も見て回ります。実は萩に来た目的のひとつに高校の修学旅行の時にお土産で購入した萩焼の湯呑みを再び購入したかったのです。
 萩博物館近くのお店で気に入った物があったので徒歩で戻って購入していこうかと思いましたが、荷物を持って歩きたくなかったので駐輪した中央公園まで戻り、、バイクで再びお店に立ち寄って購入しました。萩焼は基本、手作りなので同じ形状・色合いの物は2つとありません。その中で同じ様な形状・色合いの夫婦湯呑セットを2組、見つけたので購入しました。著名な作家の作品は高額ですが、最近では新進作家の作品も多く、新しい感性を取り入れて製作しているので若者にも受け入れられる作品も数多くありましたよ。

 お土産も購入したので次はバイクに乗って萩城跡に向かいます。路上駐車をしようと思いましたが至る所で駐車場誘導員の目が光っていたので、駐車料金を払って駐輪しました。入場料を支払い城内公園へ。ここ萩城は毛利輝元が築城した城です。現在は天守閣があった石垣とお堀が残されているだけです。
 手元にはない『まっぷる山口・萩・下関』の記憶と市内の至る所に設置されている観光案内マップで調べて、修学旅行の時には訪れていない堀内地区にある【鍵曲】という城下町特有の狭く曲がりくねった土塀で囲まれた道路を見に行きました。車ではすれ違いう事が困難でバイクでも対向車に気を付けた運転が要求されました。結構、時代劇や映画のロケ、観光ポスターなどで使用されている場所らしいですよ。ホント、低い土塀の上から忍者が出てきそうな雰囲気でした。

 重要な観光情報源がなかった割には結構、歩いてみて回れました。有料見学の観光場所や松陰神社・松下村塾などにも立ち寄って、もっとゆっくり観光したいところですが、19:00までにはホテルに戻らなければなりません。萩からホテルまで戻る所要時間が読めなかったので16:30をまわったところで萩を後にする事にしました。
 国道262号線→県道33号線で途中にあった、【道の駅・萩往還公園】で休憩。ここは山口方面から萩を目指すと萩への入り口となる場所にあります。道の駅内には萩に所縁のある幕末志士や偉人の立像が十数体ありました。かの坂本竜馬もここ萩に来た事があるそうですよ。また道の駅内には吉田松陰の記念資料館がありました。松陰神社周辺にある吉田松陰所縁の地の観光はできませんでしたが、この道の駅内の記念資料館でそれっぽい雰囲気は味わえました。人形による松下村塾の模様を再現したジオラマも見る事が出来ましたしね。
 また道の駅でなんとなく、この日2回目の儀式を執り行いました。今度は萩市内の至る所で販売されていた夏ミカンソフトクリームです。萩博物館で食べた夏みかんソフトクリームよりもインパクトに欠けますが、こちらもしっかりと夏ミカンの味がしました。

 道の駅を出発し、県道33号線→国道262号線→国道9号線でホテルには18:30に到着。信号が少なく萩からは60km程の距離でしたが、見知らぬ土地でトラブルは避けたいので最短距離となる県道には入らず、快走路となる国道を安全に走行しました。
 ホテルに戻り部屋に荷物を置いてすぐにJR新山口駅の『小郡駅弁当』さんへ向かいます。朝、出発する時に注文しておいた駅弁を受け取るためです。コンビニでカップ味噌汁とペットボトルのお茶を購入してホテルに戻ります。購入したお弁当は、『長州さくら弁当』です。薩長同盟にあやかって鹿児島県と山口県の特産品を使用した人気駅弁だそうです。山口グルメを満喫するつもりでいましたが、駅弁も立派なご当地グルメなので利用するのもツーリングの楽しみかもしれませんよ。おちろん味も十分満足できるものでした。

萩城跡 鍵曲 予約購入した、さくら弁当


2日目の走行距離:230Km



5月3日(火)

 前夜は携帯電話を握りしめたままベットで眠り込んでしまいましたが、駅弁の夕食を食べながらニュースを見ていたら、2日の山口県内には黄砂の注意報が発令されていて、3日にはもっと酷い黄砂に見舞われるとの事でした。これで角島で景色が霞んでいた理由が分かりました。原因は黄砂だったのです。またバイクやヘルメット,ライディングウェアに堆積する程の汚れがありましたが、海岸線を走行した事で塩分が付着したのかと思っていましたが、これも黄砂によるものと分かりました。ウェアはウェスで拭き取りましたが、バイクはフクピカで拭いても傷になってしまうと思い、帰宅してから洗車する事にしました。

 この日もホテルの無料サービスで朝食を食べます。2日目と微妙に内容が違うのが分かりますかね? チェックアウトしてエントランスで出発準備をしていると隣にはどこかで見覚えのあるヤマハ車とカップルがいました。そう、初日に呉の大和ミュージアムで隣に駐輪していたカップルでした。先方も見覚えのあるVFR1200F DCTがあり、二日目も角島でボクを見かけたそうです。みなさん、行先は同じだったんですね。この日は萩・津和野方面に立ち寄って出雲大社向かうとの事。この先のお互いのツーリング中の安全を祈ってお別れです。
 するともう1台、名古屋ナンバーのハーレーが1台駐輪してあり、素敵女子なライダーが同じくチェックアウトしてきました。前日にソロで名古屋から山口まで走行してきたそうです。この日は角島や青海島方面に行く予定との事で角島までのルートを教えてあげてお別れしました。笑顔がチャーミングなコだったなぁ。ボクにもう少し、ずうずうしさがあれば連絡先でも教えてもらえば良かったヨ。(十中八九、玉砕だったと思いますケド・・・)

 さて、出発準備も完了して最終日の観光に出発です。最終日は秋芳洞と秋吉台がメインでそこに向かう途中で山口市内で瑠璃光寺の五重塔を見ていく事にします。前日も利用した小郡IC近くのエクスプレスでまずは給油します。ここのガソリン価格は浜松よりも5円近く安かったです。
 そして国道9号線で山口県庁を通り過ぎた場所にある瑠璃光寺へ到着。ホテルで一緒だったヤマハ車カップルの姿もありました。ここの五重塔は奈良の法隆寺・京都の醍五醐寺と共に日本三名塔の1つに数えられる総檜造りの国宝の塔です。またこの寺社内には毛利家の墓所もありました。

 
東横インを出発 瑠璃光寺・五重塔 秋芳洞入口


 30分ほどで見学して、ここからは2日目も走行した国道435号線で美祢市にある秋芳洞へ向かいます。秋芳洞は日本三大カルストにひとつに数えられる秋吉台の地下に広がる東洋屈指の規模を誇る鍾乳洞です。秋吉台を構成する石灰岩が数億年の長い時を経て地殻変動などで押し上げられたり、雨水などで浸食されて地下内に空間が広がった事で作られた空間が秋芳洞です。
 バイクは無料となる町営駐車場に駐輪し、10分ほど歩いて秋芳洞入口へ向かいます。入口に続く途中にはお土産やさんや飲食店が並んでいました。またこの地には河童伝説があるらしく河童像などがありました。入場料を払い、いよいよ秋芳洞の洞窟内に入って行きます。洞窟入口の橋に来た時に修学旅行の時の記憶が甦ってきました。そういえば洞窟内から流れ出る川の横にある大きな穴から入って行ったなぁ…と。浜松市にも竜ヶ岩洞という鍾乳洞がありますが、天井の高さが全然違います。こういう場所に興味を持つようになったなんて歳をとったんだなぁと思います。
 秋芳洞は総延長10Kmの巨大鍾乳洞で場所によっては120m×40mの空間が広がる場所もあります。見学路は約1Km程で整備され、秋芳洞入口から一番奥となる黒谷口までの所用時間は約40分かかります。整備された見学路を順路に従って見て回ります。黒谷口で外に出て市営バスで秋芳洞入口に戻る事も出来ますが、バス代をケチる為に徒歩で入口まで引き返す事にしました。戻りながら高感度モードで写真を取り直します。どうしても手ブレしてしまうので撮影が難しいです。

秋芳洞記念碑 洞窟への入り口となる橋 長淵(水面に写る断層)
百枚皿 岩窟王 黄金柱


 1時間半ほど湿気の高い洞窟内をレザーのライディングウェア姿で歩いた事で汗だくになってきました。お昼も近づいてきたのでそろそろ秋芳洞を出て昼食にする事にします。外へ出たところで無情にも小雨が降り出してきました。ツーリングマップルによると秋芳洞近くで『かっぱそば』なる物が食べられるお店があったので、そこで食べるつもりでしたがツーリングマップルで紹介されたお店以外でもお土産やさんが並ぶ道沿いには『かっぱそば』を看板メニューにしている飲食店がたくさんありました。
 この『かっぱそば』は茶そばを牛肉や錦糸玉子、そして胡瓜の細切りと共にステーキプレートの上で焼いて食べるというものです。山口の郷土料理である『瓦そば』のアレンジ版の様でした。ここで何故に河童なのか?と思ったら、途中で見かけた河童伝説の像を思い出し、これにちなんで作ったメニューで河童だけに胡瓜を具材に使用しているのだろうと思われます。折角なので地元グルメである『かっぱそば』を食べようと思ってお店を見て回っているところに雨あしが強くなり、雨具を持っていなかったので秋芳洞を出てすぐの場所にあった【彩の やまとや】さんに雨宿りを兼ねて入ります。
 このお店はお土産や&食堂を兼ねたお店で、山口の郷土料理で『かっぱそば』のオリジナルである『瓦そば』の定食がタイムサービスで通常よりも200円安い、1000円で提供されていたのでこちらで昼食を頂く事にしました。この『瓦そば』は、茶そばを瓦の形をした鉄板で焼いて、出し汁につけて食べる山口の郷土料理です。冷やし中華みたいな具材が彩りを添えます。ご飯や吸い物、漬物までがついてお得な料理でした。絵的にもステーキプレートよりも瓦プレートの方がインパクトがあるので、食べる事が出来て良かったです。茶そばを焼いて汁につけて食べるという発想が無かったので目にも舌にも新鮮でした。

 相変わらず小雨が降り続いていましたが、雲の流れを見ると本降りになる様子はありません。このあとは秋吉台を走行して中国自動車道・小郡ICから浜松に戻る予定なのでレインスーツは着用せずに走行する事にしました。秋芳洞を出て県道32号線で秋吉台カルストロードへ。天候が良ければもっと景色が良いと思われますが残念ながら曇天です。修学旅行の時には観光バスで通行し車窓側しか見ることができませんでしたが、やはりバイクで走行すると視界にはパノラマが広がるので気分が違います。途中で展望台がありましたが曇だったこともありそのままスルーして小郡ICを目指す事にしました。これにて予定していた山口県内の観光は全て終了です。

 県道32号線→県道28号線→国道490号線→国道435号線で国道9号線へ。朝、給油したばかりですが、スピードパスが利用できるエクスプレスで満タンにしておきたかったので再び小郡IC近くのエクスプレスで給油して、いいいよ中国道に入ります。ここからは何時間耐久になるのかさっぱり読めない高速道路(渋滞)耐久レースのスタートです。

 小郡ICから160km走行した阿佐SAで最初の休憩。ここまで本線から確認した限りでは給油所のあるSA・PAはありませんでした。中国自動車道に入る前に給油しておいて良かったです。小郡IC手前の美東SAからは広島方面へのJCTの先にある阿佐SAまでの距離は約200Km。九州方面からから中国自動車道を走行して大阪方面を走行する場合、満タンでの航続距離が短いバイクは山口県内の美東SAで給油しておかないとガス欠に至る恐れがありますのでお気を付け下さい。
 このあとは150km走行毎に休憩しながらひたすら中国道を走行します。アップダウンや曲率の小さいカーブが連なる結構、神経を使う道路を走行して行きますが、山間地を通るので景色がまったく変わりません。よっていくら走行しても浜松に近付いている気がしません。また兵庫県内の加西SAで確認した渋滞情報によると宝塚付近で30Kmの渋滞が発生していました。まともに行くと夕食を食べる機会がなくなりそうなので、このSA内の屋台売りのジャンボタコ焼きで早めの1回目の夕食をとります。ここで少し小腹を満たしておけば東海地区に入った場所で遅めの2回目となる夕食を食べたとしても何とか空腹は免れるでしょう。

 ここまで2回、SAで休憩をとりましたが多くのツアラー(多くの方は九州遠征帰りでした)は140~150km/hのペースでかっ飛んで行きました。僕のVFR1200F DCTもその速度域で巡航可能ですが、風圧がキツいのと燃費重視走行だったのできっちり110km/hキープで走行しました。「みんな、あんなに速く走って疲れないのかなぁ?」と思いつつ、多くはBMWだったので「当然と言えば当然か・・・」と妙に納得してしまうのでした。
 そして宝塚の大渋滞に突入。申し訳ないそぶりを見せながらミラーについたハザードを点滅させてすり抜けを開始すると、見事に車列が割れて行きます。どうやら白いカウル付きのバイクが後方から赤っぽいランプを点滅させて近づいてくるのを見ると、ピーポ君に見えるみたいです。でも関西ナンバーの車は頑としてブロックしてくるのでスイスイスラロームで前に出ます。乗用車よりは早く渋滞を抜けられたものの、やはり低速で長い距離をすり抜けをした事で疲労がピークに達しました。名神高速道に入って京都の桂川PAで休憩を取りながらしっかりと夕食を食べようと思いPA内に入りましたが、駐車場は満車でスナックコーナーも21:00の終了時間間際になっても食べ物を求めて列をなしている人の姿がありました。とても並んでまで食べる気になれなかったので先を急ぐ事にしましたが、渋滞情報によると名神高速道路は草津JCTから小牧JCTまで全線で渋滞が発生しています。新名神高速道の方が渋滞個所が少ないのでこちらのルートを選択する事にしました。草津PAで給油だけしてすぐにピットアウト。新名神高速道に入ります。

 しばらくは渋滞区間も少なく快走できましたが、伊勢関JCTから東名阪自動車道の四日市JCTまで再び長い渋滞が発生していました。ここでもハザードランプを点滅させながらすり抜けを敢行し渋滞が緩和された四日市IC付近まで走り進みます。22:30過ぎに御在所SAで再び休憩。今度こそ夕食を・・・と思いましたが、ここでも渋滞を抜けたファミリーが大挙して休憩していてフードコートは満員御礼。とても席が空くのを待ってまで食べる気がしなくなってきました。山口を出発してもうかれこれ、10時間近く高速道路上でバイクにまたがっています。アクセルを握る右手は痺れてきて、クラッチ操作の無い左手もバイクを支えるのにしがみついていたので握力が無くなってきました。(渋滞区間でのする抜けで無駄な力が入り過ぎですね) もう23:00近くになってくると空腹感もどこへやら、早く帰宅してゆっくりしたい気分の方が勝ってきました。眠気防止のためにコーヒーで一息ついて浜松まで一気に走り抜ける事に決めました。深夜の伊勢湾岸自動車道を走行し豊田JCTから東名高速道路に入り、それ程渋滞もなく良いペースで走行していきます。しかし、浜松まであと一息という豊川IC手前の交通情報で、豊川IC→三ケ日IC間で10Kmの渋滞の案内が出ていたのを見て「なんで、あんな区間で渋滞何だ? もう、ダメだ…」と完全に集中力が途切れてしまいました。もう渋滞の中を走行する気力が無かったのと、さすがに7時間前に加西SAでタコ焼きを食べただけなので空腹感が戻ってきました。
 こんな深夜に営業している飲食店と言えば、マックか牛丼チェーンかラーメン店位しかありません。豊橋からの帰りが深夜に及んだ時には結構、利用しているラーメン横綱が国道1号線沿いにあるので寄っていく事にしました。深夜1時に食べるトンコツ醤油味の屋台風チャーシュー麺+中ライス。おデブまっしぐらです。ここだけの話、疲労困憊の状態で塩っ気の強いスープのラーメンは体力回復に効くと共に今回のツーリングで食べた、どの食事よりも美味しく感じました。
 食後は国道1号BP→県道65号線となる浜松環状線を走行して、5月4日の深夜2時過ぎに浜松の自宅へ到着しました。

 東日本大震災の復興財源の確保の為に税金投入で施行されていた高速道路休日上限千円は廃止される見込みであるという事で、その恩恵に預かれる最後の長期連休として訪れた山口ツーリングの感想は、「山口って遠いなぁ・・・」でした。

山口グルメの瓦そば 秋吉台は曇り空 深夜のこってりラーメン


3日目の走行距離:857Km
3日間の総走行距離:1857Km


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