VOL. 68
● 高速千円祭り終了を見据えてGWは遠方へ
2011年5月1日(日)~5月3日(火)
2011年のGW期間中となる5月1日(日)~5月3日(火)の日程で山口県へソロツーリングに行ってきました。同年3月11日(金)に発生した東日本大震災の影響で復興財源確保の為に高速道路休日上限千円の適用が6月中に廃止される公算が高まり、ETCの恩恵を最大限に享受できる最後の長期連休がこのGW期間中となります。
震災が発生する前までは今年のGWには宮城県の仙台・松島へ行く予定でしたが、震災の影響でとても観光で訪れられる状況では無くなってしまったので西へ行く事にしました。九州か四国も考えましたが、2泊3日の日程で行きたかったので本州で最も西側となる山口県へ行く事にしました。この山口県は高校の修学旅行で訪れた事があり、今回はその修学旅行の思い出の地を再訪するツーリングとしました。
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朝の4:30に自宅を出発 | 途中での買い食いも楽しみのひとつ | 大和ミュージアムに到着 |
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大和の前で | 1/10スケール 大和 | 館内には色々な資料展示が |
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呉名物・海軍カレー | 本物の退役潜水艦 | 潜水艦内を見学できます |
5月2日(月)
2日目はいよいよ山口県内の観光ツーリングです。当初の予定では2日目に秋芳洞・秋吉台・萩の観光を、3日目には津和野か天気が良ければ角島へ回って帰るつもりでしたが、天気予報では2日目は好天となるものの、3日目は再び天候が崩れるとの事だったのでこの日は角島と萩へ行く事にしました。6:00に起床し、6:30からサービスが始まるホテルの無料朝食でまずは腹ごなし。東横インはリーズナブルな料金で部屋が綺麗な事と、この無料朝食があるので貧乏ライダーにとっては嬉しいですね。連泊なので着替えなどの荷物は部屋に置いたまま、その日に必要なものだけをトートバックに入れて出発準備をします。
まずはホテルの正面にあるJR新山口駅へ。ここでVFR1200F DCTの総走行距離が9000Kmに達しました。2011年に入ってハイペースで走行距離が延びています。ここでこの日の夕食用として駅弁を予約する事にしました。前日、夕食を食べる場所を探して駅構内をウロウロしていたところ、山口県内の駅弁を一手に請け負っている【小郡駅弁当】さんで駅弁が予約できる広告看板があったので利用する事にしました。ツーリング先で駅弁?と思いになるかもしれませんが、数年前の新潟・山形ツーリングの時にも米沢で駅弁製造元で直接、駅弁を購入した事がありますし、宿泊先や駅周辺に飲食店が無いとなると駅弁という選択肢もアリかと。
夕食の調達も完了し、いよいよ山口観光ツーリングの開始です。冒頭にある様に、今回のテーマは高校の修学旅行で訪れた地を再訪する事です。角島には修学旅行では行きませんでしたが、萩は思い出の地です。JR新山口駅からは国道9号線で中国自動車道・小郡IC方面を目指します。まずは小郡ICを通り過ぎた先にあるエクスプレスで給油します。ここも事前に所在を調べておきました。現金が不要なので当座の手持ちの現金を使わずに済みます。
国道9号から国道435号線に入り、ひたすら道なりに下関市の特牛地区の海岸線に出るまで走行します。途中に秋吉台がある美祢市を通り過ぎましたが、ここ美祢市はかつての国際サーキットであった美祢サーキットがある場所です。今はマツダのテストコースになっており、せっかくだから入り口付近だけでも見学して行こうかと思いましたが、ツーリングマップルで確認すると国道から少し離れた場所にあったので断念しました。信号の少ない快走路である国道を走行し、JR新山口駅から約1時間半ほど走行して海岸線となる国道191号線に出ました。ここはもう下関市になります。
道路標識に従い県道275号線を走行して行くと、そこには海の上に架かる橋である角島大橋が見えてきました。この角島大橋は、某大手引っ越しセンターのテレビCMでもロケ地として使われたり映画のロケ地にもなったそうで、見た事がある方もいらっしゃるかもしれませんね。撮影ポイントとして人気の海士ヶ瀬公園へ入り、エメラルドグリーンの海とそこに架かる角島大橋を撮影しようと意気込んでいましたが、何やら景色が霞んでいます。雨上がりの翌日だったのと海辺なので潮気を含んだ吹きつける風で時間帯によって霞んでしまう事があるのかな?と思いましたが、この原因を知るのはホテルに戻ってニュースを見てからでした。
20分くらい撮影待ちをしていましたが、時間が経過するに従い上空も曇り出し霞も酷くなって先の橋が見えなくなっていきました。9:30過ぎに到着したその時が一番鮮明に見えました。結局諦めて、三脚と公園内にある高い場所を利用して橋とバイクと自分の含めた記念撮影。色合いは後から補正して誤魔化す事にしましょう。
橋は通行無料なのでバイクで島の先にある角島灯台に向かいます。この灯台は明治初期に完成した御影石作りの洋式灯台だそうです。1つ1つの石の模様が他の灯台には見られない風情を漂わせています。
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JR新山口駅で9000Km到達 | 黄砂の影響で霞んでします | 角島灯台 |
ますます霞が酷くなってきて、これ以上待っても状況が好転しそうになかったので午後の観光目的地である萩へ向けて移動する事にしました。県道275号線→国道191号線でひたすら海岸線を走行し、11:30過ぎに萩市へ到着。途中、青海島という景勝地がある事は知っていましたが、ここに立ち寄るとお昼までに萩市内に到着できそうになかったので通り過ぎる事にしました。
まず最初に向かった先は、国道191号線沿いにある【道の駅・萩しーまーと】です。ここで萩近隣で獲れる剣先イカを1パイまるごと使用した活造りを昼食として食べるのが目的です。道の駅内に3軒ある食堂のうち、【浜料理がんがん】で食べられる事を調べてきていたので、お店に直行します。さすがは人気店らしく入店待ちの行列ができていました。予約リストに名前を書いて待ちますが、メニュー看板を見たところ、無情にも『本日、剣先イカ入荷なし』の張り紙が出ていました。道の駅内の他の飲食店にも取り扱いがないか偵察に行きましたが扱っていません。仕方がないので剣先イカの活造りは諦めて普通の海鮮料理を食べる事にします。
ランチメニューが値段も安く品数も多くてお得だったのですが、何かガツン!と訴えかけるものが欲しかったので、『炙りサーモンといくらの親子丼』を注文する事にしました。サーモンとイクラの親子丼は良く見ますが、炙りサーモンとは珍しいです。日陰となるテラス席に通され、ちょっと肌寒い中、食べましたが、メニューの写真とはだいぶご飯の上に乗っている具の量が違うなぁ・・・。
食後は病気で寝込んでいる相方のためにお土産を購入しました。萩名物の夏ミカンを加工した濃縮ジュースとマーマレードです。これなら日持ちするので次に会うまでに時間が空いても大丈夫。
食後はいよいよ25年ぶりの萩市内観光です。ここ萩は幕末の倒幕と明治維新の中枢で多くの偉人を輩出している土地です。高校の修学旅行で訪れた時にはそれほど幕末の偉人には興味がありませんでしたが、昨今の幕末ブームのおかげで賑わっていました。ボクは修学旅行で巡ったエリアを再訪したいと思います。そこで市内観光用にと持ってきた、『まっぷる山口・萩・下関』で散策ルートを決めようとトートバックを覗いたところ何も入っていません。ホテルを出発する時にエントランス先で荷物を整理しましたが、その時にどこかに置き忘れたか、ホテルの部屋に置き忘れたか? これではドコに何があるのか分かりません。何度も『まっぷる山口・萩・下関』で事前に行きたい場所を調べて、おおよその見当は付いていたのでとりあえず中央公園に行ってそこで市内観光案内板を活用して散策する事にしました。バイク用駐輪場はなかったので公園の隅の歩道上にバイクをゴメンナサイ駐輪して、徒歩で散策する事にします。
ちなみに『まっぷる山口・萩・下関』はホテルに戻ったところ部屋の中の、とある場所に置きっぱなしになっていました。どうやら朝、リラッスできる空間で座っていた時に情報収集でトートバックから出して読んでいましたが、トートバックに戻すのを忘れた模様です。
松下村塾出身で奇兵隊を結成した高杉晋作,薩長同盟を結び明治維新の三傑に数えられる木戸孝允(桂小五郎)の生家,萩藩の呉服商で明治時代には名士の宿所とされた旧久保田家住宅,萩藩の豪商だった菊屋家住宅などを見て回ります。
ライダースルックで歩き回ったので汗だくになり疲れてきました。休憩がてら何か冷たい物でも食べたくなったので萩博物館に向かいます。事前に『まっぷる山口・萩・下関』で調べておいた、博物館内のレストランで販売されているご当地ソフトクリームで2日目初の儀式です。萩特産の夏ミカンのジャムソースがかかった夏みかんソフトクリームです。浜名湖近くの【道の駅・潮見坂】で販売している三ケ日みかんソフトクリームという同じ様なジャムソースがかかったソフトクリームを食べた事がありますが、しっかりとみかんの種類の違いが分かり、ウマウマです。
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写真と何か違う気が… | 高杉晋作の像 | 高杉晋作生家 |
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旧久保田家住宅 | 木戸孝允生家 | 夏ミカンソフトで儀式 |
甘味で体力も回復したので再びバイクを駐輪してある中央公園に向けて歩いていきます。戻りながら萩焼のお店も見て回ります。実は萩に来た目的のひとつに高校の修学旅行の時にお土産で購入した萩焼の湯呑みを再び購入したかったのです。
萩博物館近くのお店で気に入った物があったので徒歩で戻って購入していこうかと思いましたが、荷物を持って歩きたくなかったので駐輪した中央公園まで戻り、、バイクで再びお店に立ち寄って購入しました。萩焼は基本、手作りなので同じ形状・色合いの物は2つとありません。その中で同じ様な形状・色合いの夫婦湯呑セットを2組、見つけたので購入しました。著名な作家の作品は高額ですが、最近では新進作家の作品も多く、新しい感性を取り入れて製作しているので若者にも受け入れられる作品も数多くありましたよ。
お土産も購入したので次はバイクに乗って萩城跡に向かいます。路上駐車をしようと思いましたが至る所で駐車場誘導員の目が光っていたので、駐車料金を払って駐輪しました。入場料を支払い城内公園へ。ここ萩城は毛利輝元が築城した城です。現在は天守閣があった石垣とお堀が残されているだけです。
手元にはない『まっぷる山口・萩・下関』の記憶と市内の至る所に設置されている観光案内マップで調べて、修学旅行の時には訪れていない堀内地区にある【鍵曲】という城下町特有の狭く曲がりくねった土塀で囲まれた道路を見に行きました。車ではすれ違いう事が困難でバイクでも対向車に気を付けた運転が要求されました。結構、時代劇や映画のロケ、観光ポスターなどで使用されている場所らしいですよ。ホント、低い土塀の上から忍者が出てきそうな雰囲気でした。
重要な観光情報源がなかった割には結構、歩いてみて回れました。有料見学の観光場所や松陰神社・松下村塾などにも立ち寄って、もっとゆっくり観光したいところですが、19:00までにはホテルに戻らなければなりません。萩からホテルまで戻る所要時間が読めなかったので16:30をまわったところで萩を後にする事にしました。
国道262号線→県道33号線で途中にあった、【道の駅・萩往還公園】で休憩。ここは山口方面から萩を目指すと萩への入り口となる場所にあります。道の駅内には萩に所縁のある幕末志士や偉人の立像が十数体ありました。かの坂本竜馬もここ萩に来た事があるそうですよ。また道の駅内には吉田松陰の記念資料館がありました。松陰神社周辺にある吉田松陰所縁の地の観光はできませんでしたが、この道の駅内の記念資料館でそれっぽい雰囲気は味わえました。人形による松下村塾の模様を再現したジオラマも見る事が出来ましたしね。
また道の駅でなんとなく、この日2回目の儀式を執り行いました。今度は萩市内の至る所で販売されていた夏ミカンソフトクリームです。萩博物館で食べた夏みかんソフトクリームよりもインパクトに欠けますが、こちらもしっかりと夏ミカンの味がしました。
道の駅を出発し、県道33号線→国道262号線→国道9号線でホテルには18:30に到着。信号が少なく萩からは60km程の距離でしたが、見知らぬ土地でトラブルは避けたいので最短距離となる県道には入らず、快走路となる国道を安全に走行しました。
ホテルに戻り部屋に荷物を置いてすぐにJR新山口駅の『小郡駅弁当』さんへ向かいます。朝、出発する時に注文しておいた駅弁を受け取るためです。コンビニでカップ味噌汁とペットボトルのお茶を購入してホテルに戻ります。購入したお弁当は、『長州さくら弁当』です。薩長同盟にあやかって鹿児島県と山口県の特産品を使用した人気駅弁だそうです。山口グルメを満喫するつもりでいましたが、駅弁も立派なご当地グルメなので利用するのもツーリングの楽しみかもしれませんよ。おちろん味も十分満足できるものでした。
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萩城跡 | 鍵曲 | 予約購入した、さくら弁当 |
2日目の走行距離:230Km
5月3日(火)
前夜は携帯電話を握りしめたままベットで眠り込んでしまいましたが、駅弁の夕食を食べながらニュースを見ていたら、2日の山口県内には黄砂の注意報が発令されていて、3日にはもっと酷い黄砂に見舞われるとの事でした。これで角島で景色が霞んでいた理由が分かりました。原因は黄砂だったのです。またバイクやヘルメット,ライディングウェアに堆積する程の汚れがありましたが、海岸線を走行した事で塩分が付着したのかと思っていましたが、これも黄砂によるものと分かりました。ウェアはウェスで拭き取りましたが、バイクはフクピカで拭いても傷になってしまうと思い、帰宅してから洗車する事にしました。
この日もホテルの無料サービスで朝食を食べます。2日目と微妙に内容が違うのが分かりますかね? チェックアウトしてエントランスで出発準備をしていると隣にはどこかで見覚えのあるヤマハ車とカップルがいました。そう、初日に呉の大和ミュージアムで隣に駐輪していたカップルでした。先方も見覚えのあるVFR1200F
DCTがあり、二日目も角島でボクを見かけたそうです。みなさん、行先は同じだったんですね。この日は萩・津和野方面に立ち寄って出雲大社向かうとの事。この先のお互いのツーリング中の安全を祈ってお別れです。
するともう1台、名古屋ナンバーのハーレーが1台駐輪してあり、素敵女子なライダーが同じくチェックアウトしてきました。前日にソロで名古屋から山口まで走行してきたそうです。この日は角島や青海島方面に行く予定との事で角島までのルートを教えてあげてお別れしました。笑顔がチャーミングなコだったなぁ。ボクにもう少し、ずうずうしさがあれば連絡先でも教えてもらえば良かったヨ。(十中八九、玉砕だったと思いますケド・・・)
さて、出発準備も完了して最終日の観光に出発です。最終日は秋芳洞と秋吉台がメインでそこに向かう途中で山口市内で瑠璃光寺の五重塔を見ていく事にします。前日も利用した小郡IC近くのエクスプレスでまずは給油します。ここのガソリン価格は浜松よりも5円近く安かったです。
そして国道9号線で山口県庁を通り過ぎた場所にある瑠璃光寺へ到着。ホテルで一緒だったヤマハ車カップルの姿もありました。ここの五重塔は奈良の法隆寺・京都の醍五醐寺と共に日本三名塔の1つに数えられる総檜造りの国宝の塔です。またこの寺社内には毛利家の墓所もありました。
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東横インを出発 | 瑠璃光寺・五重塔 | 秋芳洞入口 |
30分ほどで見学して、ここからは2日目も走行した国道435号線で美祢市にある秋芳洞へ向かいます。秋芳洞は日本三大カルストにひとつに数えられる秋吉台の地下に広がる東洋屈指の規模を誇る鍾乳洞です。秋吉台を構成する石灰岩が数億年の長い時を経て地殻変動などで押し上げられたり、雨水などで浸食されて地下内に空間が広がった事で作られた空間が秋芳洞です。
バイクは無料となる町営駐車場に駐輪し、10分ほど歩いて秋芳洞入口へ向かいます。入口に続く途中にはお土産やさんや飲食店が並んでいました。またこの地には河童伝説があるらしく河童像などがありました。入場料を払い、いよいよ秋芳洞の洞窟内に入って行きます。洞窟入口の橋に来た時に修学旅行の時の記憶が甦ってきました。そういえば洞窟内から流れ出る川の横にある大きな穴から入って行ったなぁ…と。浜松市にも竜ヶ岩洞という鍾乳洞がありますが、天井の高さが全然違います。こういう場所に興味を持つようになったなんて歳をとったんだなぁと思います。
秋芳洞は総延長10Kmの巨大鍾乳洞で場所によっては120m×40mの空間が広がる場所もあります。見学路は約1Km程で整備され、秋芳洞入口から一番奥となる黒谷口までの所用時間は約40分かかります。整備された見学路を順路に従って見て回ります。黒谷口で外に出て市営バスで秋芳洞入口に戻る事も出来ますが、バス代をケチる為に徒歩で入口まで引き返す事にしました。戻りながら高感度モードで写真を取り直します。どうしても手ブレしてしまうので撮影が難しいです。
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秋芳洞記念碑 | 洞窟への入り口となる橋 | 長淵(水面に写る断層) |
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百枚皿 | 岩窟王 | 黄金柱 |
1時間半ほど湿気の高い洞窟内をレザーのライディングウェア姿で歩いた事で汗だくになってきました。お昼も近づいてきたのでそろそろ秋芳洞を出て昼食にする事にします。外へ出たところで無情にも小雨が降り出してきました。ツーリングマップルによると秋芳洞近くで『かっぱそば』なる物が食べられるお店があったので、そこで食べるつもりでしたがツーリングマップルで紹介されたお店以外でもお土産やさんが並ぶ道沿いには『かっぱそば』を看板メニューにしている飲食店がたくさんありました。
この『かっぱそば』は茶そばを牛肉や錦糸玉子、そして胡瓜の細切りと共にステーキプレートの上で焼いて食べるというものです。山口の郷土料理である『瓦そば』のアレンジ版の様でした。ここで何故に河童なのか?と思ったら、途中で見かけた河童伝説の像を思い出し、これにちなんで作ったメニューで河童だけに胡瓜を具材に使用しているのだろうと思われます。折角なので地元グルメである『かっぱそば』を食べようと思ってお店を見て回っているところに雨あしが強くなり、雨具を持っていなかったので秋芳洞を出てすぐの場所にあった【彩の やまとや】さんに雨宿りを兼ねて入ります。
このお店はお土産や&食堂を兼ねたお店で、山口の郷土料理で『かっぱそば』のオリジナルである『瓦そば』の定食がタイムサービスで通常よりも200円安い、1000円で提供されていたのでこちらで昼食を頂く事にしました。この『瓦そば』は、茶そばを瓦の形をした鉄板で焼いて、出し汁につけて食べる山口の郷土料理です。冷やし中華みたいな具材が彩りを添えます。ご飯や吸い物、漬物までがついてお得な料理でした。絵的にもステーキプレートよりも瓦プレートの方がインパクトがあるので、食べる事が出来て良かったです。茶そばを焼いて汁につけて食べるという発想が無かったので目にも舌にも新鮮でした。
相変わらず小雨が降り続いていましたが、雲の流れを見ると本降りになる様子はありません。このあとは秋吉台を走行して中国自動車道・小郡ICから浜松に戻る予定なのでレインスーツは着用せずに走行する事にしました。秋芳洞を出て県道32号線で秋吉台カルストロードへ。天候が良ければもっと景色が良いと思われますが残念ながら曇天です。修学旅行の時には観光バスで通行し車窓側しか見ることができませんでしたが、やはりバイクで走行すると視界にはパノラマが広がるので気分が違います。途中で展望台がありましたが曇だったこともありそのままスルーして小郡ICを目指す事にしました。これにて予定していた山口県内の観光は全て終了です。
県道32号線→県道28号線→国道490号線→国道435号線で国道9号線へ。朝、給油したばかりですが、スピードパスが利用できるエクスプレスで満タンにしておきたかったので再び小郡IC近くのエクスプレスで給油して、いいいよ中国道に入ります。ここからは何時間耐久になるのかさっぱり読めない高速道路(渋滞)耐久レースのスタートです。
小郡ICから160km走行した阿佐SAで最初の休憩。ここまで本線から確認した限りでは給油所のあるSA・PAはありませんでした。中国自動車道に入る前に給油しておいて良かったです。小郡IC手前の美東SAからは広島方面へのJCTの先にある阿佐SAまでの距離は約200Km。九州方面からから中国自動車道を走行して大阪方面を走行する場合、満タンでの航続距離が短いバイクは山口県内の美東SAで給油しておかないとガス欠に至る恐れがありますのでお気を付け下さい。
このあとは150km走行毎に休憩しながらひたすら中国道を走行します。アップダウンや曲率の小さいカーブが連なる結構、神経を使う道路を走行して行きますが、山間地を通るので景色がまったく変わりません。よっていくら走行しても浜松に近付いている気がしません。また兵庫県内の加西SAで確認した渋滞情報によると宝塚付近で30Kmの渋滞が発生していました。まともに行くと夕食を食べる機会がなくなりそうなので、このSA内の屋台売りのジャンボタコ焼きで早めの1回目の夕食をとります。ここで少し小腹を満たしておけば東海地区に入った場所で遅めの2回目となる夕食を食べたとしても何とか空腹は免れるでしょう。
ここまで2回、SAで休憩をとりましたが多くのツアラー(多くの方は九州遠征帰りでした)は140~150km/hのペースでかっ飛んで行きました。僕のVFR1200F DCTもその速度域で巡航可能ですが、風圧がキツいのと燃費重視走行だったのできっちり110km/hキープで走行しました。「みんな、あんなに速く走って疲れないのかなぁ?」と思いつつ、多くはBMWだったので「当然と言えば当然か・・・」と妙に納得してしまうのでした。
そして宝塚の大渋滞に突入。申し訳ないそぶりを見せながらミラーについたハザードを点滅させてすり抜けを開始すると、見事に車列が割れて行きます。どうやら白いカウル付きのバイクが後方から赤っぽいランプを点滅させて近づいてくるのを見ると、ピーポ君に見えるみたいです。でも関西ナンバーの車は頑としてブロックしてくるのでスイスイスラロームで前に出ます。乗用車よりは早く渋滞を抜けられたものの、やはり低速で長い距離をすり抜けをした事で疲労がピークに達しました。名神高速道に入って京都の桂川PAで休憩を取りながらしっかりと夕食を食べようと思いPA内に入りましたが、駐車場は満車でスナックコーナーも21:00の終了時間間際になっても食べ物を求めて列をなしている人の姿がありました。とても並んでまで食べる気になれなかったので先を急ぐ事にしましたが、渋滞情報によると名神高速道路は草津JCTから小牧JCTまで全線で渋滞が発生しています。新名神高速道の方が渋滞個所が少ないのでこちらのルートを選択する事にしました。草津PAで給油だけしてすぐにピットアウト。新名神高速道に入ります。
しばらくは渋滞区間も少なく快走できましたが、伊勢関JCTから東名阪自動車道の四日市JCTまで再び長い渋滞が発生していました。ここでもハザードランプを点滅させながらすり抜けを敢行し渋滞が緩和された四日市IC付近まで走り進みます。22:30過ぎに御在所SAで再び休憩。今度こそ夕食を・・・と思いましたが、ここでも渋滞を抜けたファミリーが大挙して休憩していてフードコートは満員御礼。とても席が空くのを待ってまで食べる気がしなくなってきました。山口を出発してもうかれこれ、10時間近く高速道路上でバイクにまたがっています。アクセルを握る右手は痺れてきて、クラッチ操作の無い左手もバイクを支えるのにしがみついていたので握力が無くなってきました。(渋滞区間でのする抜けで無駄な力が入り過ぎですね) もう23:00近くになってくると空腹感もどこへやら、早く帰宅してゆっくりしたい気分の方が勝ってきました。眠気防止のためにコーヒーで一息ついて浜松まで一気に走り抜ける事に決めました。深夜の伊勢湾岸自動車道を走行し豊田JCTから東名高速道路に入り、それ程渋滞もなく良いペースで走行していきます。しかし、浜松まであと一息という豊川IC手前の交通情報で、豊川IC→三ケ日IC間で10Kmの渋滞の案内が出ていたのを見て「なんで、あんな区間で渋滞何だ? もう、ダメだ…」と完全に集中力が途切れてしまいました。もう渋滞の中を走行する気力が無かったのと、さすがに7時間前に加西SAでタコ焼きを食べただけなので空腹感が戻ってきました。
こんな深夜に営業している飲食店と言えば、マックか牛丼チェーンかラーメン店位しかありません。豊橋からの帰りが深夜に及んだ時には結構、利用しているラーメン横綱が国道1号線沿いにあるので寄っていく事にしました。深夜1時に食べるトンコツ醤油味の屋台風チャーシュー麺+中ライス。おデブまっしぐらです。ここだけの話、疲労困憊の状態で塩っ気の強いスープのラーメンは体力回復に効くと共に今回のツーリングで食べた、どの食事よりも美味しく感じました。
食後は国道1号BP→県道65号線となる浜松環状線を走行して、5月4日の深夜2時過ぎに浜松の自宅へ到着しました。
東日本大震災の復興財源の確保の為に税金投入で施行されていた高速道路休日上限千円は廃止される見込みであるという事で、その恩恵に預かれる最後の長期連休として訪れた山口ツーリングの感想は、「山口って遠いなぁ・・・」でした。
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山口グルメの瓦そば | 秋吉台は曇り空 | 深夜のこってりラーメン |
3日目の走行距離:857Km
3日間の総走行距離:1857Km