VOL. 76
● 2011 夏季休暇は広島へ
2011年8月18日(木)~8月20日(土)
2011年の夏季休暇は自動車工業会の申し合わせによる輪番操業の影響で少し変則な日程となって、8/11(木)~8/20(土)の10連休となりました。夏季休暇中には大阪の従兄弟の子供達や姪っ子、甥っ子が泊まりで遊びに来る事になっていたので連休の前半~中盤は家族・親族サービスをしていました。自分の自由な時間は8/18(木)~8/20(土)の連休後半の3日間だけとなったので、この日程で2泊ツーリングに行く事にしました。
今年の夏は年始の段階では東北へ行こうと思っていましたが、いまだ東日本大震災の爪跡が凄まじい中、復興作業の最中に観光で訪れるのは申し訳ないと思い、交通事情もまだ不十分という事で、震災復興の為に観光で訪れたい気持ちもありましたが、自粛する事にしました。代替候補として日光か広島あたりに絞って検討していたところ、なんとなくお好み焼きを本場で食べたくなったので広島行きに決定。週間天気予報でもまずまずの天気となっていたので16日にいつもツーリング時に利用しているビジネスホテルチェーン・東横インに予約を入れて準備完了です。
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初日の1発目の儀式 | デミソースの特性かつ丼 | ヤマトギャラリー零 |
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GWに続き2回目の訪問 | 1/10スケールの戦艦大和 | 夕食はみっちゃんで広島焼き |
8月19日(金)
2日目の朝は6:00にモーニングコールをしておき、出発準備をしながら7:00からの無料朝食に備えます。しかし、その前にホテル向かいの市営駐輪場に行ってバイクを出庫させなければなりません。と、いうのも前日に市営駐輪場に入庫する際に「翌日の7:00過ぎになると翌日分の駐輪料金が加算されるから出した方がいいよ」と管理人さんから言われていたからです。ホテルのフロント係に事情を説明して1時間ほど、ホテルの送迎タクシーの待合場所前にバイクを置かせてもらう事にしました。送迎タクシーの運転手さんも随時、常駐していたので見張り役もいますし。
バイクを移動したその足でホテルの無料朝食を食べます。前日の夕食で腕上がりが原因と思われる右手の握力不足は朝になっても解消していませんでした。仕方が無いのでおにぎりは手でつまみ、惣菜類は必死になって突きさして口に運びました。傍から見れば、いい大人がロクにお箸も使えないんなんて・・・と思った事でしょう。
8:00過ぎにホテルを出発し2日目の観光地へ向かいます。この日のメインは宮島観光で今回で人生3回目の観光です。天気予報によると西から天気は崩れてきていますが日中はなんとか持ちそうです。高速道路みたいな国道2号BPを西へ向かい、JR宮島口の駅が見えてきたらそこが宮島への連絡となるフェリー乗り場となります。波止場沿いにバイクが違法駐車している姿も見えましたが、取り締まられると嫌なので有料駐車場に入りました。
宮島へのフェリーは3社が運航していましたが、何も考えずに駐車場から一番近かった宮島松汽船で往復する事にしました。後から友人に教わりましたが、JR汽船と宮島松汽船とは航路が違い、JR汽船では宮島の象徴となっている鳥居近くに回ってくれるとの事。そんな事は知らなかったので後の祭りです。
出港15分前でしたが、宮島もみじ本陣内のスイーツ販売店【パードレ・マードレ】で衝撃のソフトクリームを発見しました。ご当地ソフトクリームとして、もしかしたら、あるかな~?と思っていましたが、ありました。その名も衝撃の『もみまんソフト』! まだ10:00前ですが早速、本日1発目の儀式をば! その名の通り、もみじ饅頭がソフトクリームに練り込まれて宮島名物の杓子を模した煎餅がトッピングされています。餡まで練りこまれているのかは分かりませんでしたが、饅頭の生地が練り込まれたソフトクリームはホットケーキみたいな味がしてウマウマでした。船内で食べたのでチビッコの視線が痛かったですけど。
15分くらいのクルージングで宮島に到着しました。下船してまずは厳島神社に向かいます。フェリー乗り場横では早速、鹿にお出迎えされます。そして世界遺産登録の記念碑の穴からは遠方に赤い鳥居が望みます。多くの観光客は海岸線沿いにショートカットして厳島神社に向かいますが、ボクはどこか美味しそうな昼食が無いか探しながら表参道商店街を歩き、遠回りして神社に向かいます。
宮島と言えば『もみじ饅頭』が有名ですが、駅やSAで販売されている有名どころだけでなく個人経営のお店もたくさんあるんですね。表参道商店街にはそんなもみじ饅頭の実演製造販売をするお店がたくさんありました。そういえば20年くらい前にもこの表参道商店街を歩いた覚えがあります。また途中には7m超で世界最大の大杓子がありました。1枚板から削り出した工芸品ですよ。
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朝から早速、儀式 | 世界遺産登録記念碑 | 7mの巨大杓子 |
表参道を通り過ぎて厳島神社に到着し拝観料を払って社殿内に進みます。訪れた時間帯が少し早く満潮ではなかったので社殿下に海水はまだ満ちていませんでした。この大鳥居は海中に埋め込まれているのではなく、ただ海底に据え置かれているだけなのだとか。また社殿の床板の間隔は大きめに張られ、社殿下に迫る海水の圧力をこの隙間から逃がす様に工夫されていたり、至る所に太古の人が縁起が良いとした数字の【8】にあやかって建築されているとか、当時の宮大工が海岸線に建築する上で施した様々な工夫がが施されている事を今回、初めて知る事が出来ました。最近、歳を取ったからなのか、こういう事に興味が持てるようになりました。
ちなみにこの厳島神社は、平清盛が造営したもので、平清盛は2012年のNHK大河ドラマの主人公となっています。世界遺産でもある厳島神社は来年あたりはさらにブームになって観光客でにぎわう事になると思いますよ。
厳島神社内ではおみくじも引き、【吉】でした。関心のある項目もまずまずの内容でした。1時間ほど、社殿内にいましたが他にも見て回りたいところがあるので、出口へ向かって次の観光地へ向かう事にします。
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大鳥居前で | 満潮前の本殿 |
神社を出るとそこには大願寺がありました。ちょっと周囲を壁などで囲まれておらず建物の間を人が自由に行き来していたので違和感があります。チラ見だけしてここは通り過ぎる事にします。宝物館の横に大きな観光案内マップがあったので、それを眺めていると地元の女性(おばちゃん)が「どこへ行きたいのかね?」と声をかけてきました。「大なんちゃらっていう読み方も分からないお寺に行きたいんですけど」とボク。すると「そこの路地を入って行って目の前ですよ」と教えてくれました。どうも行先が同じ方向だったらしくしばらく世間話をしながら一緒に歩きます。
「地元の方ですか? 宮島内であなご丼のお勧めのお店ってありませんか?」とボク。実はフェリー乗り場から表参道商店街を通って厳島神社に向かう間に何店かあなご丼を扱っているお店をみかけましたが、他にエビフライとか扱っていたりして変に観光地化され過ぎていたので、あなご丼の美味しいお店を教えてもらおうという魂胆です。
それならばと「このお店なんかはちょっと高いけど、あなご丼しか扱っていないからお勧めですよ。お昼時には行列が出来て2時間くらい並ばないといけなくなるから」と、歩いている途中にあった老舗店を紹介してくれました。ちょっと値段が高いという言葉に躊躇しますが、参考にさせて頂く事にしましょう。
さておばちゃんとは途中でお別れして目的の『大なんちゃら』ではなく『大本山大聖院』にやってきました。ここは806年に創建された由緒あるお寺で、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に軍船に安置した不動明王が勅願堂に安置されています。また観音堂はチベット密教と交流があるという事で砂マンダラなどが安置されていました。またこの大聖院内にはいろいろなお堂や社殿があって、人の様々な悩みや煩悩に対して対応できるような信仰の総合デパートみたいな趣がありました。そんな中で、一願大師というお願いをひとつだけ念じる事により叶えられるという尊い大師さまがあったので、お願いをしてきました。最近、お願い事はこればっか。
さて『大本山大聖院』を一通り見て回ったところ時間は11:00を指しています。先ほど地元のおばちゃんから紹介された、あなご丼のお店に行くか普通の観光客と同じく普通に他のメニューと一緒にあなご丼も扱っているお店に行くか迷いましたが、せっかく宮島まで来て美味しい料理を食べずに帰るのはきっと悔いが残ると思ったので、奮発して紹介されたお店に行く事にしました。ちなみに事前にリサーチした中にこのお店もありましたが、料金が高かったので候補から外していました。
向かった先は明治時代から続く老舗の【ふじたや】さんです。宝物館から大聖院に向かう路地の住宅街の中にあります。そしてメニューは『あなごめし(¥2300)』と『あなごの肝』の2種類のみという硬派ぶり。
あなごは身がふっくらとしていて(しかも身厚!)、炙ってあるので香ばしさも加わり、味付けが濃過ぎないのであなごの味がよくわかります。ハッキリ言っておきましょう。¥500ほどをケチって他のお店で食べるなかれ!
お腹も大満足になったので、厳島神社の出口側から撮影した時にその存在に気付いた赤い五重塔が気になったので見に行く事にしました。厳島神社の裏手となる道を食後の散歩を兼ねて歩いていきます。
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豊臣秀吉所縁の勅願堂 | 一願大師で願掛け | 昼食は奮発して、あなごめし |
すると五重塔と共に社殿が見えてきました。この社殿は千畳閣と呼ばれる豊国神社で、豊臣秀吉が造営したものだそうです。しかし秀吉が途中で没してしまった為に未完成のまま現在に至るそうです。そう言われると確かに未完成っぽい作りです。中は857畳の広さがある事から千畳閣と呼ばれるそうですが、内部には江戸時代からの物を含めて色々な奉納物が掲げられていました。
またこの千畳閣の社殿は四方に壁がなく小高い場所に立っているので風が良く通って涼しかったです。そんな中、ボクと同じタイミングで入館した西洋美人が回廊に座り込んでいて、そのミスマッチが絵になっていたので(勝手に)撮影させてもらいました。題して『安岐に吹く南風』。 下の写真はサイズを縮小してあるので少しイメージが伝わりにくいのですが大きいサイズで見ると自分でも会心の1ショットです。願わくば奥にいる観光客が映っていないともっと良かったのですけれどネ!
そして千畳閣の真横には厳島神社の出口から見えた五重塔がありました。1407年に建立されたとの事ですので、時代としては千畳閣よりも古いんですね。
まだまだ宮島内で観光したい場所もありましたが、2日目の午後は広島市内でも少し観光したかったのでフェリー乗り場に戻ります。途中で焼き岩牡蠣の直売があったり、気になるソフトクリームもあったりでかなり心が揺れましたが、昼食が思いの他、量が多くてお腹がいっぱいだったので珍しくパスしました。また牡蠣は冬の食べ物で夏場は食あたりすると思い込んでいたというのもありますが、宮島近辺での岩牡蠣のシーズンはこの夏場だと知ったのは帰宅してからの事です。どうりであちらこちらで直売店があったハズです。
千畳閣から海を挟んで宮島口方向を見ると雨雲が迫ってきているのが見えます。天気予報では雨の心配はなかったハズですが、これは降りだすのは時間の問題の様です。宮島内でとりあえず観光したかった場所は見てまわる事が出来て撮影の練習もできたのでフェリーで宮島口に戻り、雨が降り出す前に広島市内に戻る事にします。
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千畳閣と五重の塔 | 題して『安岐に吹く南風』 |
予めフェリーは往復乗船券を購入しておいたので、フェリー乗り場に到着した時にタイミング良く出港する便があったので、それに飛び乗ります。歩いて汗だくだったので3階のデッキには出ずに2階客室でクーラーにあたりながら涼みます。宮島口に戻って、自宅や親族、相方にもみじ饅頭のお土産を買おうと思いましたが、20年近く前や高校の修学旅行で来た時の記憶では【にしき堂】というお店で購入した覚えですが、すっかり景観が変わってしまって、もみじ饅頭のお店が乱立していました。そしてお目当ての【にしき堂】は見当たらず・・・。どこの店がいいのか分からなかったので、多くのお客さんで賑わっていた【おきな堂】で購入する事にしました。こしあんのもみじ饅頭を4箱購入したところ、サービスで1つおまけしてくれました。後ほど、おやつで頂きたいと思います。
駐輪場に戻ると非情にも雨粒が落ちてきました。上空を見ると広島方面まで雨雲が連なっていてレインウェアを着て行かないとズブ濡れ確実なので諦めてレインウェアを着て出発します。往路と同じ国道2号BPで広島に向かいますが、ボクのVFR1200FDはインチキタイヤ(MV
AGUSTA F4から外した中古のダンロップ製ハイグリップタイヤ)を装着しています。タイヤプロファイルが尖っていて接地面積が少なく、溝も少なくて冷えているのであまりグリップせずに怖いです。雨天走行のセオリー通りに急な操作は行わず、バイクをあまり寝かさない様にして広島に向かいます。
広島市内に入っても雨足は弱まる事なく、雨男のバイク仲間達が広島入りしているのかと疑ってみたりもしましたが、ボクも筋金入りの雨男なので他人のせいにはできません。宮島観光の後はその足で広島城を見に行くつもりでしたが、レインウェア着用のまま観光したくなかった事と、撮影できる状況でもなかったので翌日に行く事にして諦めてホテルへ直行しました。
ホテルには前日と同じく向かいにある市営駐輪場にバイクを停め、パニアケースから荷物を取り出すのが面倒だったのでパニアケースを取り外してフロントへ向かいます。ボクのVFR1200FDに装着しているパニアケースはホンダ純正品で、取り外した時の持ち運びが楽なように取っ手が引き出せる構造になっているので持ち運びが楽です。レインウェアを着たままフロントに到着すると、アーリーチェックインの時間帯前で、しかも室内清掃中だったので、ロビーで少し待って部屋に入れてもらいました。
この雨ではもうどこへも行けないと思って夕食まで部屋で寛いでいましたが、16:00過ぎに雨足は弱まって止みました。再びバイクを出して広島城に向かうのは面倒だったので徒歩と市電(路面電車)を利用して夕食を兼ねて広島城まで向かう事にしました。途中で雨が降ってもいい様にコンビニでビニール傘を購入し、八丁堀まで歩いて八丁堀から縮景園前までは市電に乗ります。官庁街を再び歩いて広島城に到着しました。
この広島城は原爆で焼け野原となった広島の復興のシンボルとして昭和33年に鉄筋コンクリートで再建されたものです。ちなみに広島城は関ヶ原の戦いで西軍の総大将となった毛利輝元(3本の矢で有名な毛利元就の孫にあたる)の居城です。館内は資料館となっていて広島城や戦前戦後の広島市内の様子、江戸時代の庶民の暮らしなどをパネルや模型、古美術品などで紹介しています。
館内の売店で前々からずっと手に入れたかった『城のしおり』というハンドブックを購入します。これは全国城郭管理者協議会という団体に加盟している全国48城を紹介しているガイドブックです。ボクは城郭好き(最近は天守閣のない時代の山城にも興味あり)で全国の城を見て回るのを趣味としていますが、ボクの運営するホームページの新たなコンテンツとしてこの資料がどうしても欲しかったのです。既に行った事のあるお城もありますが、沖縄の首里城以外は何年かかけてバイクで巡ってみたいと思っています。
さて官庁街側から広島城の敷地内に入りましたが、県庁方面に歩いていくと二の丸表御門がありました。どうやら正面からではなく横から城内に入ってしまった模様です。表御門を出て、再び市電に乗る為に徒歩で紙屋町を目指します。紙屋町から八丁堀まで市電に乗るつもりでしたが、なんとなくカロリーを消費したかったので3駅分を歩いて、結局広島城から30分以上も歩いて、この日の夕食のお目当てのお店にやってきました。
今回の広島ツーリングの目的は『お好み焼きを食べる』なので、前日に無情にも臨時休業だったお店にリベンジです。そのお店は【へんくつや】さんです。隣にお好み村という商業ビルが2つもあるのに、堂々と1軒屋で営業しているので人気店と見ました。注文したのは広島でのお好み焼きの定番である『そば肉玉入り(¥750)』で前日に生の海老とイカ入りを食べたので、今回は『イカ天(¥150)』をトッピングする事にします。
鉄板の前のカウンター席に座ったので、ヘラで食べるのが本場の流儀らしいのですが舌を火傷したくなかったので、お箸で頂きました。しかしこの時間帯になってもやはり右手の指先の自由が利かずにちょっと苦戦しました。そして、トッピングしたイカ天ですが、生イカを天麩羅にしたものが細かく入っているのかと思ったら、駄菓子屋で売っているイカ天が砕かれて入っていました。浜松で食べる広島焼きやミックス焼きではその様な駄菓子のイカ天が入っているのを見た事が無かったので軽い衝撃を受けましたが味にコクが出て美味しかったです。
帰りも途中で夜食用のコンビニスイーツとサントリー黒烏龍茶を購入してホテルまで徒歩で戻ります。この日は宮島での観光と合わせて結構な距離を歩きました。これで少しはカロリーを消費できたかな? 天気予報によると3日目もお昼前から雨模様となりそうで、日曜日からは出勤となる事から早めに広島を後に帰路に就く予定です。
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広島城天守閣 | 広島城大手門 | 二日目の夕食も広島焼き |
2日目の走行距離:80Km
8月20日(土)
広島ツーリングの3日目です。翌日の日曜日から夏休み明けの出勤となるのでなんとしても、この日のうちに浜松へ戻らなければなりません。天気予報によると昼頃から広島地方は雨となり、帰りの道中も所々で雨に降られそうなので、観光は早めに切り上げて途中はどこにも立ち寄らずに帰宅の途に就く事にしました。3日目に観光するつもりでいた広島城での観光を当初の予定通りに2日目に済ませる事が出来たので、この日は平和記念公園と原爆ドーム周辺の観光がメインです。
前日と同じく、追加料金のかかる7:00前に市営駐輪場からバイクを出してきてホテルの送迎タクシーの待機場前に置かせてもらいます。7:00からは無料の朝食です。前日と微妙に、メニューが変わっていました。この日は、ちらし寿司があったので頂きます。ようやく右手の握力も回復してきて人並みにお箸が使えるようになりました。炭水化物(おにぎり)をおかずに炭水化物(ちらし寿司)を食べ空腹を満たします。
チェックアウトをして荷物をバイクに積み込みます。この日は雨中走行が確実なので荷物をビニール袋で防水処理しますが、前日、コンビニで購入したビニール傘が邪魔で置いて行こうかとも思いましたが、帰りの道中でどこかで使う事もあるだろうとシートカウルに沿ってガムテープで固定しました。
ホテルを出発して向かった先はホテルから5分もかからない、平和記念公園です。守衛さんにバイクを停める場所がないか尋ねたところ、広島国際会議場前に駐輪場があるのでバイクはそこに駐輪して下さいとの事でした。
まずは平和記念公園内を散歩しながら『原爆ドーム』を目指します。『原爆死没者慰霊碑』のアーチの先には『平和の灯』ならびに『原爆ドーム』が見えます。これは平和への祈りが一直線に原爆ドームへ届く様に建てらたものだそうです。公園内を『原爆の子の像』や『平和の鐘』、『平和の時計塔』を見て回りながら元安川を挟んで『原爆ドーム』を望むポイントに到着します。厳島神社とならび広島県内で登録されているもう1つの世界遺産です。
原爆ドームというのは戦後の人が名付けた俗称で、本当は『広島県物産陳列館』という今でいう産業展示館みたいな欧州様式の建築物でした。ちなみに投下された原爆【リトルボーイ】は原爆ドーム横に流れる太田川にかかる相生橋を目標に投下されたそうです。今もそうですが、この橋は中州に架かるT字状の橋なので上空から目標にしやすく、1945年8月6日の8:15に世界初の原爆が広島市上空で炸裂したのです。
平和記念公園や原爆ドーム周辺には修学旅行生も大勢いました。いつの時代にも出来の悪い不良学生はいるものですが、戦争というものが映画やゲームの世界でしか知らない世代にとって、どう映ったのか聞いてみたいものです。かくいうボクもリアルタイムで太平洋戦争は知りませんけど。はっきりと記憶にあるのはTVの映像で見たフォークランド紛争や湾岸戦争くらいなものです。もうこの時代になるとボタン1つでミサイルが飛んでいくハイテク戦争になっていて、血で血を洗う人間の理性までもを奪ってしまう戦争は現代人は誰も知らないし、想像もできないんでしょうね。
そして平和記念資料館です。入館料はたったの¥50でした。利益を追及するものではなく、世界初の原爆投下地として戦争根絶と世界平和を願う為の施設なので必要以上の入館料は不要と言うスタンスなのでしょう。高校の修学旅行で来た時には正面の建物しか無かった記憶ですが、向かって右手に新館ができていていました。大人になった今でも館内にある原爆の爪後の展示物や、人形の凄惨さに背中が凍りつきそうになります。高校の修学旅行の後は怖くて夢に出てきましたもん。
資料館を出る頃になると外を歩く人が傘をさしていたのでいよいよ雨が降り出してきました。昼食として最近、ご当地グルメとして脚光を浴びている『冷やし坦々麺』を食べて行こうと思っていましたが、早めに出発した方が良さそうです。渋々、レインウェアを着て帰宅の途に就きます。
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無料朝食で腹ごしらえ | 原爆ドーム | 平和記念資料館 |
平和記念公園を出発して国道54号線を走行し、事前に調べておいたエクスプレスで給油して山陽自動車道の広島ICを目指します。山陽道自走車道に入り、小雨の降る中を往路とは違って110Km/h位の速度で巡航していきます。土曜日でETC土日割引の適用が受けられる日だったのですが思ったほど交通量は多くなく、流れはスムーズです。しかし雨雲は断続的に広がっていて、雨は降ったり止んだりの繰り返しでRSタイチ製のドライマスターレインウェアでもさすがに中は蒸れてしまいました。
福山SAに入り昼食を食べながら休憩と取ります。天気が悪くならなければ、この日は尾道観光をしながら浜松に帰るつもりでした。右手に瀬戸内しまなみ海道を望みながら尾道ラーメンを食べて帰りたかったのですが、またの機会にお預けです。しかし、せめて尾道ラーメンだけでも食べたかったのでSA内のスナックコーナーでその雰囲気でも味わう事にしました。あっさり魚介系醤油味のラーメンでしたが、やっぱりSAでなくて地元のお店で食べたかったな・・・。
尾道ラーメンを注文したスナックコーナーで気になる看板を発見。そこには福山SA限定、ご当地ソフトクリーム「大長レモンソフト」なる文字が・・・。瀬戸内は国内屈指のレモンの栽培地でこのソフトクリームはその大長レモンの皮がトッピングされています。3日目の儀式としてこれは食べなければ! 一般的なコーンではなく透明カップのみでの販売ですが、ミルクソフトの甘さとレモンの酸味が絶妙にマッチしてウマウマでした。ただ、このソフトクリームを購入する為に他のラーメンや丼と同じ様に食券を購入してラーメンや丼を注文したお客さんと同じく整理番号順に供されるのは如何なものかと。このソフトクリームを食べるのに10分も待たされました。こういうファーストフード等は専用の販売方式を採用して欲しいですねぇ。
昼食後は再び高速道路の本線に繰り出します。GWツーリングとして山口に行った時の復路では中国自動車道を利用しましたが、山間部を走行する事でアップダウンや大小さまざまなカーブが連続して運転に疲れてしまったので今回は往路と同じ山陽自動車道を引き返す事にしました。福山SAを出発してから2時間ほど走行し、兵庫県内の三木SAで再び休憩をとります。給油のタイミングとして西宮名塩SAまで休憩を引っ張りたかったのですが、狭いSAという事で混雑の案内表示が出ていたのと、西宮名塩SAの次の給油ポイントとなる名神高速道の草津PAまでは燃費的に厳しくガス欠が確実だったので、三木SAで休憩しながら給油もする事にしました。SA内では、白プリンソフトクリームなる魅惑の一品が・・・。2時間前に儀式をしたばかりですが、その魅力に抗えずに本日2回目の儀式をば! 本当にプリンの味でした。高カロリー摂取過多である事は言うまでもありません。
儀式を済ませた後はバイクへの給油も済ませ本線へ。ここから中国自動車道の区間(神戸~豊中)は慢性的な渋滞区間です。ペースの遅いBMWが進路を譲ってくれずひたすらブロックし続けていたのでイライラしながらピッタリと追走してプレッシャーをかけ続けます。結局、松原ICでBMWが降りるまでこの神経戦は続きました。名神高速道路→新名神高速道路→東名阪自動車道→伊勢湾岸自動車道を順調に走行し、刈谷PAで休憩。ここで給油しなくてもなんとか浜松までガス欠せずに持ちこたえそうです。夕食は浜松の自宅に戻って食べるつもりだったのですが、流石に小腹が空いてきました。ここ刈谷PAではボクのお気に入りの甘味、【藤田屋】さんの『あんまき』が出張販売されています。色々な種類のあんまきが販売されていますが、ボクの好きな『栗入りあんこ』が1つだけ残っていたので最後の1つを買い求め、前日に宮島でおまけでもらったもみじ饅頭とともに遅いおやつタイムとします。粒餡の『あんまき』と濾し餡の『もみじ饅頭』のタブル餡で口の中は甘くなってしまいましたが、ブラックコーヒーの苦味で味を調整します。また意外と腹もちが良く、浜松に戻るまで空腹は免れそうです。
PA内の交通案内情報によると、豊田JCT付近の本線上とJCTの車線上の2ヶ所で追突事故が発生している模様で渋滞となっていました。しかしバイクの機動力を発揮し、スリ抜けしていけば渋滞の影響を少なくできると判断して走行していきます。事故現場に差し掛かると大型トラックや乗用車同士が追突していました。お盆休み後半で渋滞を覚悟で乗用車で移動しているのだから、諦めて安全運転に徹すればいい物を我先に前へ出たいのか、車間距離を詰めているのが原因です。ETC千円祭りが終了して少しは事故渋滞が減るかと思いましたが、土日はETC割引が適用され続けるので事故は相変わらず発生してしまうようですね。こちらが気をつけていても事故に巻き込まれる事もあるので、自分に言い聞かせながら路肩を失敬し渋滞の前へ出ます。
その後は東名高速道路を順調に走行し、浜松の自宅へは20:00過ぎに到着。荷物の整理はソコソコにし自宅前のショッピングモール内のフードコートに夕食を食に行き、3日間の夏休みツーリングは終了しました。
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SA内で尾道ラーメン | 3日目の儀式その1 | 3日目の儀式その2 |
3日目の走行距離:560Km
3日間の総走行距離:1240Km