日記

20120911

私の年代は可成り左寄りの教育を受けて來た筈なのに、どうしてこんなに若者の中で右寄りの思想を抱く人が増えてゐるのかな。ネット上で一部の右翼的な人達が目立ってゐるだけであって、「増えてゐる」と云ふのは單なる印象なのかな。若し實際に右寄りの人が主に若者の間で増えてゐるとしたら、小學校中學校の左寄りの教育の意味って何だったんだろ。政治的な教育の成果について云々……。

月日の流れが早過ぎてつらい。

20120717

文章を書いてゐると氣が紛れて良いなー。

本を讀むと云ふのは著者の思ひや考へ、彼や彼女の人生、過去や未來のビジョンを自分の中に取り入れる事でもある。共感を覺えると、幸福な人生であれ不幸な人生であれ、自分が歩まなかったもう一つの人生でもあるんぢゃないか、と思はれる時がある。若し、今ではなくて當時に生まれてゐたら。若し、日本でない國の斯う云ふ身分だったら。女性でなく男性だったら、何らかの病ひや障害を持ってゐたら、等。樣々な人生や價値觀が入って來て混亂したり、統一させようと試みたり。詰まり、自分の中の活動だけでも忙しくなって仕舞ふのですね。これで外の世界でも忙しかったとしたら、餘程の身體的精神的活動量のある人でなければ生活が解體するのでは。私の場合自分の中に異質なものを取り込まうとする時は實生活が平板なら平板な程良いと思ふに至る。統一しようとする試みを捨てて矛盾や對立を許したらどうだらう。取り込むだけ取り込んで、その殆どを整理しない。とすると……どうなんだらう、さう云ふ人はゐるのか。散らかった部屋で特定のものを探さうとする時、いざ探さうと思っても見つからないとか、取り込んだ事を忘れた儘で同じ樣なものを幾いつの間にか所有してゐて、思ひも寄らない機會に二つ三つ夫々が別々の場所から出て來たりする──と云ふ樣な事が起こるのではないか。極無意識に集めてゐるものが、實は關聯してゐる事に或る日氣が附く──とか?それはそれで面白いかも。ただ、スペースが無限にあれば良いけれど、それを實際の空間で、詰まり本を買って來て部屋に置くと云ふ風に實行すると、リスクが高いですね。

20120706

ハローハロー。お元氣ですか。此方、社會的な意味で底を經驗し危機に見舞はれ沈んでをりました。運を天に任せ、神に縋る以外に方法のない時期でありました。

この十年はとても言葉で表す事は出來ません。首を括るところでした。暗い青春でした。夜明け前は最も暗いと言ひますね。今、暗い青春を味はってゐる人にとってこの言葉は希望になるでせうか。

20120621

夏至。曇り空から時々雨。

小説って書くの大變だなあ。作家さん尊敬するよ。讀めるものが出來る迄がんばるよ。

邦畫×2本。「刑務所の中」山崎努が良い味出してる。男臭い映畫。「寢ずの番」最初から下ネタばかりで詰らなくて途中で見るの止めようと思ったが"ながら見"でだらだら見續けた。ストーリーにもネタにも全く笑へなかったし面白いとは思はなかったけれど、志津子さんが墓参りする邊りから妙に畫面に注目したくなるところがあり不思議で最後まで見た。

20120615

書き手の個人的な傷口を通してそれまで意識されてゐなかった集團の傷口が可視化される事がある。共感や同情や問題意識を刺激する通路としての讀書がある。讀者に體驗され共有されるものは、ネガティブなものばかりではなく、ポジティブなものもある。普段全く關係ないとされてゐる物事から關聯を見出したり、時間的或いは場所的に斷絶されてゐる個々人を結び附けたりする。

20120612

貞子はみんなにとっても期待外れだった模様。「期待外れ」な程に恐怖感の少ない映畫だから見る事が出來るところもある。貞子が本來體現してゐた恐怖の源みたいなのはどっかに行って仕舞って、キャラクタ化されてる。ホラー映畫を好んで見ない爲、ホラー映畫の文脈ではどうなのかよく判らないけれど、四つ足貞子のデフォルメはテケテケだよなあと思ひました。貞子もテケテケも現代の妖怪って感じ。

20120608

昨日の夜何を血迷ったか小説を書き始め氣が附けば朝の四時だった。纏まったら掲載しますが纏まる迄時間が掛かりさう。今日は疲れてゐるのでこの儘ダウンします。

20120607

最近讀みたい文章が見當たらない。と云ふ訣で、正假名遣ひを用ゐ、せっせと綴る事にしました。文字だらけにする事で殆どの人が讀む氣を無くす事でせう。私は斯う云ふ文字だらけのページが案外好きでしたが。もっと長文に、纏まった文章にしたいのですが未だ氣分が乘って來ない。暫く長文を書いてゐなかったので、練習しないと。然れども或る日突然更新が止まる可能性もなきにしもあらず。

耽美≒古典?少なくともそんなイメージはある。傳統的でない(傳統的な要素を利用しない)耽美は有り得るだらうか。逆に、現代的な題材は耽美には向かないのだらうか。この質問は質問自體が上手くない氣がしてる。

自分の性質に就いて、數年前に衝撃的な事を言はれた。その言葉が頭から離れない。常識的な價値觀では割り切れないのだが嘘だとも思へない。あんたは宇宙からやって來たんだよ、と言はれたくらゐの衝撃である。いっそ宇宙からやって來ましたと思ってゐた方が良いのかな。ミナサン、コンニチハ、ワタシハ宇宙カラヤッテキマシタ、ヨロシク。みたいな。

20120606

早く起きようと云ふ意志が深層心理に影響したのか、今朝は早めに起きる事が出來た。早速金星の日面通過を觀察するべく外に出て日蝕グラスを太陽に向けるも、日蝕グラスより見える太陽は小さく、そこを横切らんとする金星は更に小さい筈で、詰まり、見えない。折角晴れたのに何と言ふ事だ。視力の良い人なら見えるだらうか。

偶に青空文庫の文章を氣儘に見繕って讀む。太宰治の「「晩年」と「女生徒」」と云ふ短い文章を讀んで。『晩年』は五年間で千五百冊賣れたと云ふ事である。意外に少ないなと思った。今時同人誌でももっと出すのでは。小説家の世界はそれ程狭かったのか。我ながら高尚でない話題だな。

精神は肉體器官によって繋ぎ止められてゐる。その感覺があるから私達は夜安心して眠る事が出來る。若しその感覺が無くなったとしたら、眠りは恰も底なしの暗闇に落ちる樣、意識は何處とも知れず抗ひ難い力で吸ひ込まれ空中落下するだらう。死の瞬間はその樣なものに違ひない。私達は毎晩假初めの死を迎へる。眠りは死の暗喩、或いは暗示。

一つのスタイルを作る爲にだけ丹精するのは馬鹿げた事の樣に思はれる。スタイルの惡夢。どの分野にもある。近代の「作家」は屡々迷走して、一部は迷走した儘歸って來ない。藝術に於て重要なのは形式を乘り越えた共通項だ。藝術は或る共通した質の價値觀によって成り立つ世界である。不幸な事に「目に見えない」が爲に幾らでも出鱈目が罷り通る世界でもあるのだが。この樣に述べてゐる私自身が出鱈目を言ってゐないと云ふ保証はない。

多樣性の名の下に君の意見は守られるだらうが、攻撃される事もあるだらう。闘ふ事の出來る相手がゐる幸福もあるだらう。君が「馬鹿げた事」だと見做す物事によって、君自身の内にある「馬鹿げた事」が許されてゐる。

或る分野が俄に流行し、裾野が廣がり、作られたものの質が落ちたと嘆かれる。よくある事だ。良作ばかりではない事、作品を巡って時に争ひが起こる事、その樣な混亂こそが豊かさの現はれだとも言へる。私は混亂を歡迎する、と言ふ時、その人はその分野で破壊したいと思ふ典型を睨んでゐる。常識を揺るがす價値觀を持ち込みたいと云ふ事だ。屡々、安定は停滯に繋がるし、混亂によって活性化する。安定にしても混亂にしても餘りに長く續けば疲弊する。

二律背反なのか、ダブル・スタンダードなのか。ダブル・スタンダードだと他人から指摘されるのは癪に障るものだ。

同樣の語句を使用するからと言って、同樣の意味で使用されるとは限らない。

文章から想像する人物像と、實際に對面した時の人物の印象が異なるのは珍しい事ではありません。一致する事もあれば、著しく乖離する事があります。

20120605

「テルマエ・ロマエ」映畫觀ました。最初から最後までコメディに徹した方が良かったんぢゃないかなと思ひます。漫畫の方が面白いです。

朝型生活にしたくなり昨晩いつもより一時間早く寢ようとしましたが中々寢られませんでした。辛抱強く徐々にずらして行かないといけないかも。

20120604

氣附けば、五年位前によく讀んでゐたサイトはもう殆ど更新が止まったり消滅してゐる。あゝなんて殘念な事だらう。