(財)静岡県サッカー協会 中西部支部           ヤングサッカーニュース               
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中西部ヤングサッカーニュース
  
取材、編集活動を基に構成
  されています。
 

中西部ヤングサッカーニュース30年  2018年  3月号
                         編集責任者 滝本 義三郎
中西部支部サッカーの新たな挑戦
 昭和63年4月20日、第1号が創刊し、この3月号で358号が発行された。ひとえに
中西部支部サッカー協会に所属する関係各位のご理解ご支援の賜物と厚く御礼申し上げ
ます。 
 創刊号の1面は藤枝市役所サッカー部日本リーグ2部昇格という記事であった。
4面には「ヤングサッカーニュース創刊を祝す」と故・山口森三氏(静岡県サッカー
協会名誉会長)が「指導者の皆さんに幼・小・中・高とそれぞれの成長過程で最も適
応した心身の指導をお願いしたい。そして、やがて日本を代表し世界に通用するサッ
カーマンを養成していただきたい。」故・岡村新太郎氏(日本代表コーチ)は「良い選
手とは、状況判断が正しい。スピードがある。プレイが正確にできる。プレイの得意な
武器を持っている。」山口芳忠氏(日本代表コーチ)は「かつて日本サッカーのリーダー
的存在だったこの地のサッカーの復活は過去の伝統・栄光をかなぐり捨て、指導者・
選手が死に物狂いで人一倍の激しく厳しい練習を行わない限り得ないことです。その場
限りの勝負に捉われる事無く伸び伸びとサッカーが出来る環境を作ってやることです。」
と貴重な言葉が語られていた。
 30年を経過した現在、当地域から日本代表として世界に羽ばたく長谷部誠選手は先人
たちにとっても喜ばしいことではないだろうか。
 Jリーグが平成5年5月15日に開幕して本年で25周年を迎える。平成21年、小山淳氏
(藤枝東高卒)が藤枝MYFCを立ち上げ、齊藤俊秀監督(現U―16日本代表コーチ)と共
に県社会人リーグ、東海リーグ、JFLを突破しJ3参入を果たした。そして本年度、
運営会社の株式会社藤枝MYFCの筆頭株主が変わり、代表に鎌田昌治氏(中西部支部
副会長・元藤枝東高監督)が就任し、大石篤人監督のもと「一体感」をスローガンに
掲げて新たなスタートを切った。Jリーグの理念である地域に根差したチーム作りで、
本拠地の藤枝総合サッカー場が満員になることを目指したい。また、ヤングサッカー
ニュースが中西部地域を活性化する情報を皆さんに届けられるよう尽力したいと思う。


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中西部ヤングサッカーニュース30年  2018年  2月号
                        編集責任者 滝本 義三郎
      松永臻杯誕生秘話と中西部支部協会改組50年!
 2018年(平成30年)「中西部ヤングサッカーニュース」1月号に、第26回全日
本高校女子選手権大会で藤枝順心高校サッカー部の3度目の全国制覇、本年6月に開
催されるW杯ロシア大会に3大会連続出場を目指す日本代表長谷部誠選手(藤枝市出身)
の勇姿を掲載できたことは喜ばしいことであった。 
 さて、本年は県サッカー協会中西部支部が藤枝支部協会から改組して50年の節目に
当たる。1968年(昭和43年)日本代表がメキシコ五輪で銅メタルを獲得し日本中
にサッカー旋風が起こった。その翌年の昭和44年静岡県サッカー協会は会長山口森三
氏(初代藤枝市長・平成14年没、享年95歳)のもと県全域にサッカーを普及させる
ため、県内を5支部体制にした。
 当中西部支部のサッカーの起源は1924年(大正13年)志太中(現藤枝東高)が開
校し、翌年に蹴球部(現サッカー部)が発足したことに始まり、95年の歴史を刻む。 
 初代中西部支部会長の故・松永臻氏(志太中卒・医師・平成6年没、享年82歳)は中
西部支部を統括し各種別大会に松永臻杯の冠を付けてチーム力の向上を図った。同氏は
大学時代はGKとして活躍し卒業後は藤枝東高、志太クラブの選手の育成にご尽力した。
開業医を営みながら藤枝フットボールクラブの一員として平成5年に西日本OBサッカ
ー連盟から80歳以上に贈られるゴールドパンツを授与されるなど、生涯サッカーを楽し
まれた。
「中西部ヤングサッカーニュース」は、創刊31年目、新たな時代を担う子供たちの活躍
の雄姿を伝えられる新聞づくりに編集委員一同精進したいと思います。


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中西部ヤングサッカーニュース30年  2017年  11月号
                       編集責任者 滝本 義三郎
         中西部女子サッカーの変遷と飛躍
 昭和53年、藤枝市婦人体操教室でサッカーを取り入れたことがきっかけで、藤
枝姉妹FCを立ち上げた。昭和59年、山本直平監督2年目に全日本女子選手権大
会へ初出場した。平成59年、焼津クイーンズ設立、翌年に故・深津敏夫氏(元中
西部支部理事長)が監督で第1回県女子リーグに参加した。平成に入り、故・半
田一雄氏(初代榛原協会会長)が榛南ドルフィンキッカーズを立ち上げ、故・鈴
木基廣氏(元島田協会理事長)がオール島田女子(現島田プリンセス)の活動を
開始した。そして、平成6年7月に12チームで中西部女子リーグが開幕した。
 平成10年度全日本高校女子選手権東海地区予選決勝戦では、藤枝西高対榛原高
の中西部ダービーで藤枝西高が初優勝。藤枝西高は翌11年度に全国大会で3位入
賞を果した。当時2年生で卒業後に日本女子リーグに所属していた田崎ペルーレ
FCに入団した佐野弘子選手(島田プリンセス)が、平成15年に日本代表に選出
された。
 平成15年度から藤枝順心高(旧藤枝南女子高)が育成強化に乗り出した。同年
にU―15静岡県選抜メンバーだった10人が入部。平成16年度にはU―16日本女子
代表監督などの経験のある渡辺博尚氏が同校コーチに就き、多々良和之監督との
2人体制で指導。平成18年度全日本高校女子選手権大会で念願の初優勝を飾った。
この大会で活躍した藤枝市出身の北原佳奈選手(ベガルタ仙台レディース)がF
IFA女子W杯2015カナダ大会日本代表として出場した。
 平成27年度第24回大会で藤枝順心高は9大会ぶり2度目の全国制覇。平成28年
度の全国高校総体でも初優勝し冬夏連覇を飾った。平成26年、当時主将だった杉
田妃和選手(INAC神戸レオネッサ)がFIFAU―17女子W杯で大会MVP
となり、アジアサッカー連盟の年間最優秀ユースプレーヤー(女子)を受賞。平
成28年のFIFAU―20女子W杯でも大会MVPを受賞した。
 平成16年、渡辺亜紀代表が中心となり藤枝順心サッカースクールを創設。その
後にクラブ登録してジュニア、ジュニアユース等、底辺の育成に尽力している。
 日本女子のトップリーグ、なでしこリーグに挑戦するルクレMYFC、ASR
EGINA(アスレジーナ)が切磋琢磨して、中西部女子サッカーの発展に大き


中西部ヤングサッカーニュース30年  2017年  10月号
                                  編集責任者 滝本 義三郎
     W杯ロシア大会出場に長谷部誠選手の奮闘を願う!
 2018W杯ロシア大会のアジア最終予選で日本代表が難敵オースト
ラリアを2対0で破り6大会連続出場を決めた。当日の埼玉スタジアム
2002は6万人の大観衆で埋まり、テレビは24%の高視聴率をマーク。
地元藤枝市内でもパブリックビューイングで応援し歓喜した。
 過去のW杯出場の足跡を振り返れば、1993年W杯アメリカ大会ア
ジア最終予選対イラク戦でロスタイムに追いつかれ「ドーハの悲劇」を味
わった。その4年後1997年W杯フランス大会アジア最終予選第3代
表決定戦対イラン戦は延長で勝利し「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれ初
出場を果した。W杯本大会で当時ジュビロ磐田の中山雅史選手(元日本
代表・アスルクラロ沼津)が日本の初ゴールを記録した。以後6大会連
続出場の快挙である。2002年日韓大会は決勝トーナメント進出を果
たしたものの、2006年ドイツ大会は予選リーグで敗退となった。
 2006年長谷部誠選手はジーコ監督に代表初選出されたものの、2
008年1月レベルアップを求めてヴォルフスブルク(ドイツ・ブンデ
スリーガ)入団を決意した。昨季でブンデスリーガ在籍10年、ストイッ
クに精進を重ねて、同リーグで234試合出場の元日本代表奥寺康彦氏
の記録を破り、240試合出場を達成するなど進化を遂げた。ドイツで
の経験は日本代表定着の礎となり、2010年W杯南アフリカ大会直前
のイギリス遠征中に主将を任され、本大会決勝トーナメント進出の原動
力となった。前回のブラジル大会はコンデションが万全でなくリーグ戦
で敗退した。
 今大会のW杯ロシア大会最終予選では、初戦のUAE戦で代表Aマッ
チ100試合出場の節目の試合に逆転負けの屈辱を味わうも、見事本大
会出場を決めた。日本代表主将在任74試合出場(9月5日現在)の記録は、
2006年W杯ドイツ大会主将宮本恒靖氏(56試合)の記録を大幅に上回
るなど、W杯ロシア大会において長谷部選手は日本代表を統率するため
に必要である。地元中西部、藤枝の誇りと王国静岡の発展に更なる奮闘
を願う。
           


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中西部ヤングサッカーニュース30年  2017年  9月号
                      編集責任者 滝本 義三郎
     藤枝サッカー少年団発祥の秘話とトレセンへの期待
 静岡県内で最も早くスポーツ少年団活動を開始したのは藤枝サッカー少年団る
である。
60年前の昭和32年第12回静岡県国体サッカー競技、決勝戦の藤枝東高会場は1万
5千人の大観衆(静岡新聞発表)で埋まり、地元藤枝東高校が山陽高校(広島県)を
破り初優勝を飾った。国体終了後の藤枝東高グラウンド直ぐ隣にある藤枝小学校
グラウンドでは、放課後になると子供たちがサッカーボールを蹴って遊ぶように
なった。その様子を見た山本直平氏(ヤングサッカーニュース第4号掲載)ら地
元の人たちが、学校の許可を得て子供たちを集めて指導を始めた。昭和38年、藤
枝サッカースポーツ少年団は正式に県少年団本部に登録し、故・岩田規会長(初
代藤枝市サッカー協会会長)を中心に本格的な活動を始めた。藤枝小学校校門横に
「藤枝サッカー少年団発祥の地」の像がある。
 昭和44年第1回静岡県サッカースポーツ少年団大会(現NTT西日本グループ
カップ)が開催され、記念すべき大会に藤枝サッカー少年団が優勝した。藤枝市
内の少年団チームは第10回大会まで9回の優勝を飾るなど県内少年サッカーをリー
ドした。碓井博行、松永章氏ら元日本代表選手は藤枝サッカー少年団の出身である。
 近年はJリーグの影響により少年サッカーのレベルが向上してきた。8月中旬、
全国の強豪を招待した第43回藤枝JC杯争奪少年サッカー大会で、藤枝トレセン
が12年ぶりに優勝を飾った。個の育成を目指したトレセン制度での成果である。
 さらに上にはナショナルトレセンの登竜門として県トレセンがある。ひとりで
も多く才能を発揮するために切磋琢磨してほしい。指導者には指導技術の錬磨を
図り、チームの勝利だけでなく個々の育成に焦点をあてることが重要である。
日本代表の長谷部誠選手も藤枝、中西部トレセンから育った一人である。


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中西部ヤングサッカーニュース30年  2017年  8月号
                  編集責任者 滝本 義三郎
      静岡県中学サッカーの起こりと変遷
 静岡県中学校サッカー大会は7月末に終了し、地元中西部地区の出場
5校が今年も結果を出せず、残念ながら2回戦ですべて敗退した。
 昭和25年、西益津中学校教員だった増田晴雄先生が中心となって第
1回志太地区中学校サッカー大会を、28年に静岡県中学校サッカー大会
を開催した。当時は希少のサッカー指導者の一人であった先生は、「心
からサッカーを愛する生徒を育てたい。県下で中心となる指導者を育て
たい」と語り(ヤングサッカーニュース第5号に掲載)、特に出身地
藤枝の中学サッカーの発展に尽力した。
 昭和39年、東京オリンピックの影響で、サッカーは急速に全国へ普及
するとともに、日本サッカー協会は、昭和45年、全国中学校サッカー大
会を開催した。その記念すべき第1回大会は西益津中学校が見事優勝を
飾った。藤枝市内のライバル校の藤枝中学校は第10回、11回大会を連覇。
平成2年には、藤枝中学校がクラブと部活動の日本一を決める第2回高
円宮杯全日本ジュニアユース選手権大会に出場し、決勝の舞台国立競技
場で初代優勝チームの読売クラブを破って優勝した。公立中学校の優勝
は歴史に残る唯一の快挙であろう。
 平成5年(1993年)、Jリーグが開幕するとともに下部組織の義務
化により、以前のように少年団チームから公立中学校区の部活への入部
ではなく、学区内外のクラブ等を選択するなど子供たちの意識が大きく
変化してきた。
 近年は少子化の波がサッカー界にも影響を及ぼしている。本年度の静
岡県3種中学生の協会登録人数は9,385人で昨年度より1,373 人、
中西部支部では132人の減少となっている。また、中西部地区の部活
動登録数は1,022人に対してクラブ登録数は524人(今年度6月
末現在)である。
 これからのサッカー界を背負う育成年代の普及面においても協会、
指導者、関係各位が知恵を絞って取り組まなければならない。 


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中西部ヤングサッカーニュース30年  2017年  7月号
                                      編集責任者 滝本 義三郎
生      涯現役を貫く! シニア世代が熱い
 6月3日から5日まで、公益財団法人日本サッカー協会主催の第17回全国シニア(60歳以上)
サッカー大会(16チーム)・シニア(70歳以上)サッカーフェステバル(16チーム)が藤枝総合運動
公園サッカー場などで開催された。60歳以上は、昨年の県シニアリーグ優勝チームの焼津飛
魚クラブ、70歳以上は開催地代表で地元中西部出身主体の県選抜チームが出場した。結果は
60歳以上は予選リーグ敗退、70歳以上はグループ優勝であった。各地域予選を勝ち抜いて出
場する大会だけに、それぞれの年代ともトレーニングを積んでくるだけあって、レベルは高いもの
であった。
 70歳以上の県選抜チームに出場した橋本忠廣氏(藤枝東FCシニア所属)は、西益津中学で
サッカー人生のスタートを切った。昭和25年第1回中体連志太地区中学校サッカー大会で西益
津中学優勝メンバーであり、以後藤枝東高初の愛媛国体出場、大学、社会人でも多くの全国
大会出場を経験するなど、現在までサッカー歴70年近くになる。おそらく日本サッカー界でも他
に例はないほど生涯現役を貫いている。長く続けられるのは、サッカーに対する強い信念や情熱
と弛まぬ精進の持ち主だからである。勝負に厳しく、内容の伴わないプレーには納得しないなど、
身をもって体験している。
 ところで、シニア世代の活動には日本サッカー協会選手登録が必要で、40歳、50歳、60歳、
70歳、75歳以上の県リーグ戦がある。40歳〜70歳の各年代では、優勝チームが東海大会や
全国大会へ出場することもある。年代によっては県リーグ、県内外への招待試合等含め年間
30試合以上を重ねる。
 ちなみに、平成29年度中西部シニア登録数は410人で2年前の289人より大幅に増加した。
また、本年度よりシニアリーグに40歳以上の女性の出場も認められるようになった。シニアサッ
カーは普及面でも貢献している。


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中西部ヤングサッカーニュース30年  2017年  6月号
                         編集責任者 滝本 義三郎
       育成年代(高校年代)から世界へ
 FIFA U―20ワールドカップ2017韓国大会で、U―20日本代表が10年ぶりに
アジア代表として出場した。この大会は2020年東京五輪に出場する年代であり注目
度が高かった。しかも、昨年春、U―17日本代表候補で来藤した当時14歳の中学生だっ
た久保建英選手が出場していた。今大会でも世界の強豪相手に見事なアシストを決める
など、スーパーサブとして実力の片りんを見せベスト16まで進んだ。
 1999年FIFAワールドユース選手権ナイジェリア大会に出場した石川竜也選手
の活躍を思い出した。当時メディアが大きくU―20日本代表を取り上げた。予選を勝ち
抜き、決勝トーナメントでは強豪のポルトガル、メキシコウルグアイに勝ち、決勝戦で
スペイン代表に敗れたが、日本サッカー史上初の準優勝となった。石川竜也選手は小野
伸二、高原直泰、小笠原満男、稲本潤一選手らと共に黄金世代と言われた。左足の精度
の高いキックが特徴で、攻撃の起点としてチームの勝利に貢献した。  
 西益津少年団、西益津中でサッカーを志し、中学時代は中西部トレセンでドイツ・ケ
ルンに遠征し、プロチームのコーチの指導を受けたり、ブンデスリーガの試合を観戦し
経験を積んだ。県中学選抜には選ばれなかったが、トレセン指導者から、練習に常に意
欲的でおごらぬ謙虚な態度が特に印象に残っていると言われた。藤枝東高2年からレギュ
ラーとなり、3年でU―18日本代表に選出され国際大会に出場した。高校時代の監督は
「謙虚さ、人の意見を聞ける素直さ、我慢強さがあったからこそここまで成長した」と
当時語っていた。ただ一人、大学生でU―20日本代表となるなど、歴史に残る快挙を達
成し、藤枝市スポーツ栄誉顕彰を受賞した。


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中西部ヤングサッカーニュース30年  2017年  5月号
                      編集責任者 滝本 義三郎
           原点は中学生年代の育成にある 
 ヤングサッカーニュースの原点は中学生年代の強化育成にある。最近では
日本サッカー界期待の15歳、久保建英選手(FC東京U―18所属)が、本年
5月〜6月、韓国で開催されるW杯U―20大会に出場する日本代表に飛び級
で選出され、注目が集まっている。 
 実は彼と同年代で注目された選手が藤枝市に存在していた。昭和45年日本
サッカー協会が強化育成のために開催した、第1回全国中学校サッカー大会
で優勝した藤枝市立西益津中の中心選手であった中村一義選手である。ドリ
ブル突破で決勝ゴールを決めるなど、ボールキープ、ボールコントロール、
状況を的確に見極める判断力等高校級であった。(『全国中学校サッカー大会
30年の歩み』より)と言われた。まさに、サッカースタイルが久保選手と同じ
である。また、藤枝市陸上競技大会100M走に出場し11秒7を記録する俊足
の持ち主でもあった。
 高校年代は藤枝東高1年時から出場し、3年生で出場した全国高校サッカー
選手権大会決勝戦でのシュートがオフサイドにより幻のゴールと判定され、
無念の敗北となった。しかし、その年の国際試合の三国対抗戦に高校生で唯一
日本代表選手として出場し脚光を浴びた。
 中学生年代はゴールデンエージと言われる重要な育成年代である。夢の実現に
向かって基本技術と個性を伸ばし、向上心旺盛なサッカー選手が再び当地域から
誕生することを期待したい。


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中西部ヤングサッカーニュース30年  2017年  4月号
                     編集責任者 滝本 義三郎
       ヤングサッカーニュース誕生の秘話
 平成29年3月4日、ヤングサッカーニュース創刊30周年記念祝賀会が開
催された。昭和63年4月20日に第1号が発行されて満30年。県サッカー協
会、中西部支部、4地区の各種別役員、元編集委員、現編集委員、協賛者、
葛、立アイコムなど70名が出席された。
ここまで継続できたことはサッカーに愛情を傾ける多くの皆様方のご理
解ご支援のおかげである。
 戦前から浦和、広島と並んでサッカーのまち藤枝と言われ、市民にとっ
てはサッカーは自慢であった。藤枝東高校を中心に多くの日本代表選手を
輩出し全国に名を轟かした。
 昭和50年代中頃を境に全国大会出場が遠のいた。昭和60年11月、中西部支
部種別指導者100名が一堂に会して、日本代表コーチの故・岡村新太郎
氏(藤枝東高出身)を講師に要請し講習会を開催するなど、育成強化の気
風が高まった。
 サッカーに情熱を燃やす中学校教員の有志たちが、中西部地域の子供た
ちの意識の高揚を図る新聞を創ろう。各種別指導者たちが賛同し、「中西
部ヤングサッカーニュース」が誕生した。こうして誕生したことは、当地
域にサッカーの土壌があるからであると思う。
 平成3年5月、中西部支部理事長に就任した故・深津敏夫氏によって、サ
ッカー協会機関紙となって本年3月まで346号が刊行されている。 


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