20101103

眼鏡というものは視力の補助をするものです。
その前提があることを忘れてはいけません。

眼鏡っ娘と言いながらも、
眼鏡越しにこちらを見ていない偽眼鏡女というのが残念なことにいます。
現実の生活ではなかなかお目にかかれませんが、
写真やイラスト、動画ではそのような異端が二次元三次元問わずたくさんいるのが現状です。

本来、眼鏡越しに見るとしっかり見えるからこその眼鏡なのです。
眼鏡越しに見ていないのであれば。
至近距離でない限りぼやけてはっきりと見えていないはずなのです。
その事実を忘れて眼鏡という萌え記号だけをいただこうとする連中には神罰が必要です。

そもそも、目を異様に大きくする萌え絵に眼鏡は非常に似合いにくいのです。
なぜなら眼鏡は現実の人間のような目に合わせて作られているからです。
縦に大きい目をしているあの目に似合う眼鏡もまた縦に大きくなくてはなりません。
だからこそ二次元では丸眼鏡が安定するのでしょう。
それ以外の眼鏡では目の全体をカバーすることができません。
結果、視界の一部はしっかりしてて一部は完璧にぼやけているであろうとんちんかんな人間が完成します。
ですから人々は自分の描くキャラクターが本当に眼鏡の似合う造型か考えるべきなのです。

本当に眼鏡っ娘への愛情があるならば。
本当に眼鏡への愛情があるならば。
眼鏡に似合うようにキャラクターを描くはずです。
キャラクターに似合う眼鏡をデザインするはずです。
キャラクターの気持ちになって、どんな眼鏡をチョイスするか考えるはずです。
眼鏡にこだわりのあるキャラクターならばそれだけお洒落に眼鏡をかけるでしょう。
そこまでこだわりがなければ、適当によさそうに見える眼鏡をかけているでしょう。
時にはこだわらないあまりに、センスがないあまりに、微妙な眼鏡チョイスをしているかもしれません。

眼鏡が駄目なのではありません。
眼鏡っ娘が可愛くないのではありません。
眼鏡を、眼鏡っ娘を不人気の地へ追いやり殺したのは眼鏡への愛がない連中です。
作者の愛がない眼鏡っ娘は眼鏡っ娘を愛する読者を生みません。
生まれたとしても彼らは間違った眼鏡っ娘を植え付けられてしまっています。
眼鏡がどうあるべきか、を置き去りにしてしまいます。
そうして育った彼らもまた愛のない眼鏡っ娘を生み出すに終始してしまいます。

では。
どうすれば正しい眼鏡っ娘の溢れる世界になるのか。
まやかしの眼鏡っ娘が消えるのか。
一度、彼らの作ったルールから外れる必要があるのです。
二次元の美少女の目はここまで大きくなくてもいい。
そうすれば眼鏡の似合う美少女ができる、と。
そのことに気付くために。
今の常識から外れなくてはなりません。
眼鏡のためにそうするには勇気が必要でしょう。
眼鏡のためにそうするくらいなら、今のままでいいと思うことでしょう。

ゆえに。
眼鏡を信仰するべきなのです。
眼鏡を崇め、眼鏡っ娘を崇拝して生きていくべきなのです。


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