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楽毅 (4) 宮城谷昌光 -27-
楽毅を読み終わった。楽毅は、中山、燕、趙と三国を歩くことになる。
中山の遺臣である楽毅にとっては、燕とのつながりは昭王とのつながりであり、
昭王の死後、自分をかってくれた趙に逃れたのは仕方のないことであろう。
楽毅は国にとらわれず、自分の主を見ていた。戦国時代と春秋時代との違いであろう。
ここで、心を捉える話があったので、長いが引用させてもらう。
楽毅が狐祥を諭す。
「昔、晋に程鄭という臣がいた。晋君に愛されて、一軍の佐将に昇進した。が、程鄭はおのれの才徳に比べて位次が高すぎると感じていたので、鄭の国の賢臣である子羽が使いでやってきたとき、どうすればみずからの位を下げることができるか、と問うた。子羽はふさわしい答えを見つけられず、帰国して然明という大夫にそのことを話した」
「はい・・・」
「すると然明は、その人は死ぬ、さもなくば亡命する、といった。貴顕の位に登って恐れを知り、降格を願っているとすれば、じつはその人はふさわしい地位に居るわけで、位をさげるまでもなく、人にへりくだればよい。わかりきったことを人に問う、そこに程鄭の危うさがある、と看破するように言った。なんじが恐れを忘れない限り、わざわいには罹るまい。ここまで登ってしまったわたしとなんじは、あとは人にへりくだるだけだ』
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