| 氷河は憮然とした面持ちのままシャワーを浴びていた。今朝、城戸沙織から電話があった。
氷河は聖闘士だ。地上の平和と女神を護るためなら如何なる労苦も惜しまない。だが城戸沙織による財団がらみの命とあれば話は別だ。 城戸沙織が総帥を務めるグラード財団を創設した城戸光政は氷河の…いや。日本にいる青銅聖闘士たちの実父であった。 光政はギリシャで一人の重傷を負った青年に出会った。その青年は女の嬰児を抱いていた。神々しいまでの眩い光を放つ嬰児であった。 その青年の名はアイオロスと云った。 瀕死の青年は城戸光政に訴えた。 この腕の中にある御子は地上の正義と平和を司る女神が近い将来地上で巻き起こる聖戦に先駆け聖域に降臨されたのだと。だが女神を奉じ崇めねばならない聖域で謀反が起きた。 女神を護る立場であるはずの聖闘士が教皇を亡き者とし、教皇に成り代わった。そしてコトもあろうに降臨して間もない女神の暗殺を企てた。 アイオロスは間一髪、女神を狂剣から護り救い出した。が、それまでであった。 偽教皇に裏切り者の濡れ衣を着せられたアイオロスは追っ手に深手を負わされた。もはや命尽きる寸前、城戸光政と出合った。 城戸光政は嬰児を引き取り孫として己が籍に入れた。 青年の腕に抱かれた嬰児を眸にした時、光政は神の啓示を見た。 光政と光政の生まれて間もない実子たちは近い将来地上におとずれるであろう聖戦に備えるために神が地上に遣わしたのだ。と、光政は瞬時に悟った。 城戸光政は帰国するなり行動を起こした。複数のの愛人との間に生まれた100人の子供たちを母親から引き離し孤児院に入れた。そして孤児として屋敷に引き取り孤児として各地へ修行の為に送り出した。 光政は近い将来訪れる聖戦の為に自ら鬼と化したのだ。 であったにしても氷河は城戸光政を許さない。 日本に渡る途中で氷河母子が乗船していた客船が事故で沈んだ。助かったのは氷河一人であった。 100人の孤児のうち氷河のみは城戸光政が実父であることを知っていた。だが母を亡くし一人で日本にたどり着いた氷河を見つめる城戸光政の眸は冷たすぎた。 その眸が忘れられない。 出来ることなら氷河は光政の創設した財団などに関わり合いたくはなかった。 あなたが来なければ一輝も来ないでしょう、瞬はさぞガッカリするでしょうね… 困り果てたという沙織の口調に氷河は言場をなくした。 一輝と瞬は同じ母親から生まれた唯一の兄弟だ。瞬は幼い頃から兄を慕っていた。尤も突然、母親から引き離され知らない屋敷に放り込まれたのだから兄しか頼る術はなかった。その時は一輝も唯一人の弟を慈しみ線が細く気弱な弟に仇なす者は片端から叩き伏せていた。 だが、幼い兄弟は聖闘士になるべく引き離された。 瞬は兄との再会を目標に死に勝る修行に耐え見事アンドロメダの聖闘士として聖衣を手に帰国した。 だが、同じく不死鳥の聖闘士として帰国した兄はすっかり捻くれてしまっていた。あろうコトか実の弟に必殺の拳を向けたのだ。 そればかりかグラード財団が開催した銀河聖戦の勝者に与えられる射手座の黄金聖衣を強奪した。 それこそがアイオロスが将来勃発する聖戦の為に女神と共に城戸光政に託した射手座の黄金聖衣であった。 その秘められた力を一輝のみは知っていた。 そして、強奪した。 自分が欲しいワケではなかったが自分も含め紫龍・瞬・星矢が一輝と一輝に従い黄金聖衣を持ち去った暗黒聖闘士を追った。 黄金聖衣を奪い返すべく阿修羅と化した不死鳥の聖闘士と拳を交えた氷河も一輝に重症を負わされた。 以来、一輝は氷河を膝下に敷くようになった。隙を見ては捩じ伏せ犯す。その行為ゆえ氷河は瞬に負い目を感じていた。 瞬は闘いを終えた後、兄と過ごす時間を大切にしたいと考えていた。失われた7年間を取り戻すのだと。それのみを心の糧にあの激闘を闘い抜いた。 だが兄の択んだのは修羅の道であった。 兄は平和な時を弟と過ごすより闘いの道を択んだ。一輝は聖戦の中で敵と闘う弟の中に成長を見ていた。今更兄さんもではあるまいと弟を突き放した。自分と共にあれば弟は戦いの世界に足を踏み込まざるを得ない。兄は弟と袂を別った。 瞬も兄の気持ちを請け留め自らも己の新しい生活を歩み始めた。新たな聖闘士の養成もその一つであった。瞬の師であるケフェウスの白銀聖闘士であるダイタロスは聖域に従わぬ逆賊として偽教皇の命を受けた蠍座の黄金聖闘士と魚座の黄金聖闘士に討伐された。瞬は受け継がれた技を後世に伝える決心を固めた。 時が過ぎ瞬は修行時代から自分を支え愛してくれたジュネとの愛を確かめ合った。 城戸沙織は二人を祝福し都内にマンションを購入し二人に贈った。 瞬たちだけではなく紫龍と春麗とに、これまた将来を誓い合った星矢は星の子学園から共に育った美穂とにマンションを進呈した。闘いの度に聖闘士の無事を祈る女性たちに敬意を表したのであった。 一輝と氷河は別だ。 折からの不況に悩まされていた城戸沙織は経費削減を理由に一輝と氷河に同居を進めた。二軒分の家賃を一本化する為だ。それも唯のマンションではない、すぐ上の階にはヤクザの組長の住む幽霊の出る問題物件を押し付けた。 であるにしても瞬が兄と過ごす時間は更に激減した。 氷河がパーティを辞退すれば一輝も辞退する。ズボラな一輝は氷河が会場に引っ張って行かねばグラード財団の催すパーティになど行きはしない。 氷河は解りましたと告げて受話器を置いてシャワーを浴び始めたのだ。 浴室から出て氷河は眸を見開いた。そこに出してあった筈の着替えが消え失せていた。 氷河は殆ど徹夜で着替えを出し忘れたのかと一瞬は思った。だが今日は部屋に一輝がいる。素肌で部屋を歩くまいと決めた氷河は確実に着替えは置いたのだ。 だが、ない。 「この忙しい時に…」 氷河はバスローブを掴むと羽織った。 浴室を出てリビングに向かった。 目的の人物はリビングにいた。感心なコトにもうタキシードに着替え感心しないコトにウイスキーを瓶ごと煽っていた。 「どうした氷河、着替えもせんで」 一輝が手にしたウイスキーの瓶を掲げて見せた。 「うるさい、オレの着替えは!」 氷河は一輝を睨みつけた。氷河は確かに下着と共に着替えを脱衣室に出したのだ、服が自分の意思で何処かに行くはずがないから一輝が持ち去ったのだ。 「そこにある」 一輝はテーブルの上に置かれた箱を顎で指した。 氷河は一輝に言われて初めてその存在に気づいた。大きすぎて目に入らなかったのだ。 テーブルの上には一抱えもある箱が置かれていた。 「何だ、コレは…」 氷河は無造作に置かれた箱と一輝の顔を見比べた。 「クリスマスプレゼントだ」 一輝は唇を吊り上げた。 「ふざけるな!オレは急いでいるんだぞ!」 開場の2時間前には会場に入るように言われているのだ。このままバカの酔狂に付き合っていたのでは遅刻してしまう。 「先ずは、中身を確認したらどうだ。文句はソレからでも遅くはあるまい」 一輝はウイスキーの瓶で箱を指した。 一つ溜息を付いてから箱を開けた氷河は眸を見張った。箱の中にはフォーマル一式が揃えられていた。洋服だけではない、何故か下着から靴下までが揃えられている。 「何の、真似だ…」 氷河は一輝を見た。氷河は一輝からプレゼントなど貰ったコトがなかった、欲しいと思ったコトもない。それがフォーマル一式と来た…何かなかろう筈がない。 「悩んでいる時間があるのか」 一輝は氷河とリビングの置き時計をこれ見よがしに見比べた。 「オレの着替えは…」 そんな気色の悪いモノに袖を通すわけにはいかない。 「ソレを着ろ」 一輝は脚で箱を押しやった。 氷河は憮然とした面持ちで一輝を見つめた。が、やがて箱を手に取った。ここでの議論は確かに時間の無駄であった。 一輝と氷河は車に乗り込んだ。氷河の車だ。
「コレをフロントガラスに貼っておけ」 一輝は免許証大のステッカーを氷河の膝に放り投げた。 「何だ、コレは…」 そのステッカーには財団のロゴと今日の日付、数字とアルファベット文字とが記されていた。 「関係車両の通知ステッカーだ、コレがあれば会場に直接車が乗り入れ出来る。駐車場を探す必要はあるまい」 「どうしてこんな物をお前が持っているんだ」 パーティが催されるのを氷河が知ったのは今日の午前中だ。その時一輝は近くにいなかった。 「城戸沙織からの知らせと一緒に入っていた」 一輝がタバコを咥えた。 「車内で吸うな、新車なんだぞ」 氷河は前方を見据えたまま口を開く。だがそれで氷河が浴室から出た時に一輝がフォーマル姿だったのには頷けた。 「何で、今日のことを黙っていた」 「お前がオレの言うコトになど耳を傾けんからだ」 一輝が咥えたタバコに火をつけた、確かに氷河は一輝が部屋にいても口を聞くことがない。いや、むしろ氷河は一輝を避ける。一輝になど関わっていたらロクなコトにはならないからだ。 「こんなに大事なコトならメモにでも書いて置いておけ」 氷河は会場に指定されているホテルに車を滑り込ませた。駐車場の前にいた警備員はステッカーを見て道を開けた。 「同じ部屋にいてそんな面倒なことが出来るか、バカタレ」 一輝はタバコを咥えたまま停車した車から降りた。 「もう、お前とは口を聞かないことにした」 氷河は車から降り会場に向かい歩き出した。。 華やいだパーティ会場で召集をかけられた聖闘士たちに出る幕はなかった。
城戸沙織が聖闘士たちを呼び寄せたのも各自が己の生活を歩み全員が顔を合わせる機会が減っている兄弟たちの為に会場を提供しているに過ぎないのだ。 華やかではあるが退屈なパーティが終わりに近づいていた。 氷河はすっかり場の和んだ会場を見回しながら安堵の吐息を付いた。警護というのは緊張を強いられる。それが闘いとは無縁のパーティ会場であってもだ。 「氷河」 名を呼ばれ氷河は肩越しに振り返り露骨に嫌な顔をした。 「城戸沙織が財団の総力を挙げて創らせたツリーは見たか」 一輝はポケットに手を入れたまま声をかけた。 「いや、それよりパーティは何時頃終わる?」 氷河が一輝に問うた。プログラムは届いてはいようが氷河は目にしてはいない。どうりで城戸沙織が強気でパーティの警護を告げたのかが今なら解る。沙織は一輝から了承の返事を受けていたのだ。 「もう終わる頃だ、このままツリーを見ながら帰るか」 一輝が氷河に歩み寄った。 「そうだな、だが沙織さんに無断で帰って大丈夫か」 一応、ボディガードを云い遣っている身であった。 「沙織お嬢様は今、取り巻きに囲まれてオレたちの相手どころではあるまい」 平成不況に喘いでいるとは云っても東洋随一と謳われているグラード財団総帥の催したパーティだ。コレを機会に城戸沙織に取り入ろうとする人間も多い。 「それもそうだな…」 連日睡眠不足の氷河としては一刻も早くベットに潜り込みたかった。 「沙織さんには後日挨拶するとするか…」 氷河は自分に言い聞かせ一輝と肩を並べ会場から抜け出した。 「オレはやらない!絶対にイヤだ!」
「オレだって、イヤだよ!」 暗黒ペガサスも拒絶の意を示した。 「私もゴメン被る」 暗黒ドラゴンは腕を組みソレから視線を逸らせた。 「オレだってイヤだ」 暗黒スワンも首を左右に振ってソレを拒んだ。 「だが、一輝様のご命令だ…」 ドラゴンが幻想的に光り輝くイルミネーションに視線を据えた。 「一輝様のご意思に背けるのか…」 ドラゴンが他の4人を見渡した。 「ス、スワン…お前がヤレ!」 アンドロメダがスワンを指差した。 「な、何でオレが…」 スワンが慌てた。 「お前、以前キグナスと闘っただろう、今更遺恨が一つや二つ増えるぐらい何でもないだろう」 暗黒聖闘士たちは不死鳥の聖闘士に従い青銅聖闘士たちとの闘いで軒並み叩き伏せられている。 「そうだな、お前がヤレ、お前ならキグナスもそう目くじらを立てるコトもあるまい、一輝様の指示でやるコトだからな」 嘗てスワンは白鳥星座の聖闘士と闘い、白鳥星座の聖闘士の繰り出した必殺の拳で瀕死の重傷を負いながらも眼球を主の元にテレポーテーションさせている。スワンの眼球を通して氷河の技を見極めた主に白鳥星座は主にあわや、の処まで追い詰められた。だが白鳥星座の聖闘士は主の為にそこまでの忠誠心を抱き且つ行動を起こしたスワンに畏怖にも似た念を抱いている。 スワンは暗黒聖闘士3人に囲まれ観念した。 確かにコレは主が課した至上の命令であった。 「綺麗だったな…」
発光ダイオードと斬新なデザインを併用したツリーとそれを取り囲むイルミネーションに氷河の心は魅了されていた。 「そうだな…」 駐車場に入り一輝はタバコを取り出し口に咥えた。駐車場にはまるで人気が無かった。まだ閉会には時間がある、これなら渋滞にも巻き込まれずに済むと思いながら氷河は歩を進めていた。 頭の中は帰宅するコトのみに集中していた。 「キグナス!御免!」 喚き声の終わらぬうちに氷河は全身は水浸しになっていた。氷河は何が起きたのか解らぬままに声の主を見つめていた。 目の前にバケツを手にしたスワンが立っていた。 「なっ…」 何が起きたのか解らないまま氷河は声を発していた。 「す、済まないキグナス…し、しかし我らは一輝様に仕える身だ。解ってくれ !」 捲し立てバケツを手にしたまま走り去った。 「なっ、何だったんだ…」 氷河は不思議な生物を見るような眸をスワンの消え去った空間に向けていた。 「一輝…お前、ヤツに何を…」 そこまで口にし氷河はソレに気づいた。水を被った処から衣服が溶け出している。袖が取れて肌が透けてしまっている。 「な…何ヂャ、ーコリャー」 ぬるりとした感触に氷河は今まで使った事の無い日本語で叫んでいた。 「PVA、というのを知っているか…」 一輝がタバコに火を付けた。 「ピー…何だって?」 氷河はめくれ溶け出した服に触れ、その感触の気色悪さに眉を顰めた。 「P・V・Aだ、微生物生分解プラスチックだ」 一輝は触れば触るほど形を無くしジェル状と化す衣服に慌てふためいている氷河を見て満足げに唇を吊り上げた。 「その微生物生分解プラスチックがどうしてこうなる…」 氷河は今では諦めて身体に纏い付くジェル状のモノを手で拭っている。 「文字通り自然界で分解されるプラスチックだ。新素材として注目されてはいるが固形では安定せんから一旦水溶性の糊状に加工した上に極薄に鋤いた和紙を乗せ衣服に加工したのだ。どうだ最高のクリスマスプレゼントだろう」 一輝が声を立てて笑った。 「キ・ッ・サマー…」 氷河は一輝を睨み吸えた。道理でこの服に拘った訳だと悟った。 「プレゼントされたお前も嬉しい、オレも嬉しい、一石二鳥のクリスマスプレゼントだ !」 人気の無い駐車場に一輝の高笑いが響き渡る。女神の禁さえなければこの場で叩き殺したい。 「で、どうする」 自分を睨み付けている氷河に一輝が問いかける。 「何が…」 氷河が忌々しげに髪に付いた服の成れの果てを取り除こうとしていた。触れば触る程ソレは広がり髪に浸透しそうな気がして気色悪いことこの上ない。 「まさかとは思うがそのまま帰るつもりではあるまいな」 一輝が口元を歪めた。 「!」 氷河はソレで自分がほぼ全裸になっている事に気づいた。何故、バカが下着まで用意していたのかが解った、一輝は城戸沙織にパーティのコトを聞きこの悪巧みを思いついたのだ。 「覚えていろよ、一輝…」 氷河はその場に屈み込み車のキーを捜した。今、この状況で新車に乗ればシートがどのような状態になるかなど考える余裕がなかった。 「今お前が必要なのはこのキーではあるまい…」 一輝は目の前に氷河の車のキーをかざした。会場に着き間もなく星矢たちと話し込んでいる氷河から掏り取っておいたのだった。 「…このキーだ」 「寄越せ!」 車のキーをしまい新たに取り出したホテルのキーを眸にし氷河が腕を突き出した。 「只で…というワケにはいかんな、それにその格好で一人で部屋まで辿り着けるとでも思っているのか」 一輝の言葉に氷河はがっくりと肩を落とした。確かにこの姿では車でマンションに帰るにしろホテルの部屋に入るにしろ人目に触れずに辿り着けるとは思い難い。グラード財団の傘下にあるこのホテルで監視カメラになど映り込んだのではコトだ。 完敗であった。一輝のプレゼントに不用意に袖を通した時から勝敗は決していたのだ。 「解った」 氷河は拳を握り締めた。 「よし」 一輝は上着を脱ぎ氷河の身体にかけた。 「バカ!降ろせ!」 いきなり抱き上げられ氷河は慌てた。 「バカはお前だ…このままの格好で男二人が歩いていて見ろ、変だろうが」 氷河の全身は今や原型を留めていない緩い紙粘土状のPVAがこびり付き黒と灰色と白の斑状態だ。一輝の上着ぐらいではこの惨状は覆い難い。だが、抱き上げられての状態なら時季が時季だパーティで酔ったか何かで歩けなくなった仲間の介抱をしているように見えなくもない。 氷河は黙った。 「解れば、良い」 一輝は己の姿を外界から隠すように一輝の腕の中に身体を埋めた氷河にそう言い歩き出していた。 クリスマスイブに城戸沙織が日本にいる青銅聖闘士を呼び出さなかった試しはないのだ。ソレを見越して一輝は早い時点から準備をしていたのだ。 これから部屋に入る。部屋からは氷河の心を魅了していたツリーとイルミネーションを見下ろすことが出来る。 これから過ごすイブの夜を思いながら腕の中の氷河を抱き抱え一輝は歩を進めていた。 |