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1986年、結婚した年に義母に連れられて初めて骨董屋の暖簾をくぐる。第一印象は「古伊万里って高いんだな」。見る物すべてに興味をそそられる。まずは買ってみなければ分からないと言うことで、初めて買った骨董は室町時代はありそうな常滑の壷(今見ると、決して良い壷ではないが・・)。一度足を突っ込んでしまうと、もう後に引けないのがこの世界だった。当時、何度目かのブームが訪れていた「古伊万里」に熱中し、兎に角、買い漁った。古伊万里と言っても、買えるのは江戸後期の物ばかりで、江戸前期に近い物は、何年たっても買えなかった。目も利かなかったし、それ以前にお金も無かった。 時を同じくして、香港経由で大量に中国陶器が日本にもたらされた。漢の緑釉壷、唐三彩、宋時代の茶道具等が凄まじいばかりに店頭を賑わわせた。和骨董の入り口にようやく立てた骨董初心者の私は、この中国陶器の波に押されて、道草をしてしまった。 しかし、今から思い返すと、これも良い経験だった気がする。以前は、ウン百万もした唐三彩が、その時は初心者でも無理をすれば手が届くところまで来ていたのだから。その後すぐに、知識もないのに欲で買ってはダメだと痛感させられた。 宋時代のお茶道具を骨董屋で見せてもらい、店主が「これはお茶向きですね」と言う表現をよく口にしていた。お茶に向くとは、どういう意味であろう。この時初めて、お茶の世界を知らないとやきものを語れないなと感じ、表千家の門を叩くことになった。現在も表千家でお茶のお稽古に励んで(?)いる。 行きつけの骨董屋も出来、やきものも少しずつ集まりはじめた頃、和箪笥の美しさに惹かれはじめた。やきものと違って、触った感覚が暖かかった。木の物の最大の魅力は、そこにあるような気がする。それに、自分のコレクションを収納出来る。まさに、一石二鳥だと思った。買って楽しめ、使って楽しめる。骨董は、使ってはじめてその良さが分かると知った。この時を境に、使うための骨董を集めるようになっていった。 使える骨董と言えば、和箪笥もそうであるが、花生けに使える器は非常に重宝する。お茶の世界に顔を出すと、お花も勉強が必要だ。お花は勉強と言うよりは、センスの問題かも知れない。野に咲く花の姿をそのまま、骨董の器に生けられるかどうか。つまりこれは、どう咲いているかを知らなければ出来ない。私は、茶花と言われる季節の山野草類を探して、庭に自生させることにした。朝、咲いている花を一輪切って、気に入った花器に生けてみる。野の花の力強さに器が負けてしまうこともある。自然の力は凄い! 用の美を代表する和箪笥は、何竿もコレクションするような類の物ではない。その大きさから言って、買ってすぐに嫌になったからと言って、容易に処分できる物でもない。一生、傍らに置いて楽しめる和箪笥が2〜3竿あれば十分ではなかろうか。住宅事情もあるので、一竿で十分と言われるかも知れない。現在私は、二竿を所蔵している。両方とも、実際に使っている為、木の味も年々良くなっているし、鉄金具も錆びずに黒光りしている。 話をやきものに戻すと、現在は、数年前から古九谷の魅力に圧倒され、家族にも呆れられる中、古九谷を追い続けている。全国の古九谷所蔵美術館へは、ちょくちょく出向き、その美しさを脳裏に焼き付けている。色絵磁器は、絵が命であるから、見込みに描かれた「絵」の素晴らしさを脳裏に叩き込み、購入チャンスを逃さないように目を鍛えている。 骨董との出会いから十数年が経過した今、私一人の趣味の範囲で楽しむのではなく、オープンな気持ちで愛好家の皆様と情報交換が出来ればと考え、ホームページの作成を思いついた次第。私のコレクションも随時ご紹介させていただく予定です。どうかご笑覧いただければ幸いです。 【古美術神田オープン】 何を思ったか、平成15年4月16日に古美術神田をオープンさせてしまった。蒐集する側から売る側へ180度転換してしまったわけだ。最初の1ヶ月は、来て頂けるお客様から「こんな時代に無謀な事を・・」とお叱りを受けることも度々あった。これは、家族の生活を思ってのお言葉だと受け止め、今まで以上に精進努力しなければと痛感する毎日であった。今現在の状況を見ると、まだ軌道に乗ったとは言えないが、自分の眼を信じて、楽しめる優品を提供できるように努力するしか無い。 昨日も東京から数寄者がお見えになり、つまみの付いた蓋付きの漆器を買っていただいた。有りそうで無い物。そして、使えて楽しめる物。探すのは大変だが、全国駆け回って探し出したい。また、そう言った物を喜んで買って下さるお客様の顔を見るのが楽しくなってきた。これからも、ご愛顧の程、よろしくお願い致します。 |