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帳場箪笥 加賀

 和箪笥の魅力に引き込まれて何年経過しただろうか。誰でも、ある事柄に熱中すると、寝ても起きてもその事ばかりが頭に残り、仕事どころでは無くなる時期が必ずあるはずだ。私の場合、和箪笥が正にそれで、一竿でいいから、一生楽しめる物に出会えないかと、日々図録を枕元に置いて、憧れの箪笥を夢見たものである。
 当時既に、「和箪笥集成」を持っていたため、ぼろぼろになるまで、それに掲載された和箪笥を一点一点頭に叩き込んだ。結果、船箪笥は小振りで重厚であるが、現代生活に於いては、使いにくいと判断した。それに比べ、帳場箪笥は、作り込みも船箪笥に引けを取らない物があり、それに的を絞ることにした。
 そんなある夜、和箪笥集成を眺めていると、加賀箪笥が掲載されていることに気づいた(268図)。それは、錠が壊れていたが、使われている材料が並大抵のものではなく(10センチ角の欅材をふんだんに使用)、金具の厚さ、そのデザインの素晴らしさに圧倒されたのである。
 次の朝、行きつけの骨董屋で「箪笥の納品があるから手伝って欲しい」との依頼で、出かけた。店の戸を開けると、目の前には昨夜図録で見た加賀箪笥と同じような帳場箪笥が置かれているのに、私は驚いた。これは、本当の話である。
 総欅作りで、全面厚く漆がけが施され、図録掲載の加賀箪笥とは、兄弟だと直感した。こちらは、金沢の商家で江戸時代から使われていたもので、一目見て、「これだ」と感じた。
 帳場箪笥は、大切な書類を保存するだけでなく、お店の看板として、施主がお金に糸目を付けず注文したものである。また、箪笥職人も、自分の技を多くの人の目に触れさせることのできる、唯一のチャンスであるから、採算度外視で製作したことであろう。サイズは、巾120センチ、奥行66.5センチ、高さ101センチ。後ろに立てかけてある蔵戸は、同じ北陸地方の産である。この帳場箪笥が我が家に来てから、他の和箪笥に目が行かなくなったことは、言うまでもない。


衣裳箪笥 佐渡(八幡)

 佐渡箪笥は、作り込みが素晴らしい物が多く、衣裳箪笥にしても船箪笥にしても、施主と箪笥職人の息がピッタリ合った、優品がよく見られる。
 佐渡の衣裳箪笥は、その製作地によって小木と八幡に分かれるが、これは八幡の衣裳箪笥である。八幡は一般的には桐箪笥である為、前板を桐材で仕上げるのだが、この八幡は前板を欅で仕上げてある。それも、通常の欅ではなく、杢目を選び抜いて製作されたことが伺える、素晴らしい欅を使っている。よほど裕福な家のお嬢様の嫁入り道具だった事だろう。
 佐渡では、その家のお嫁さんの衣裳箪笥を蔵に置いて、近所の人たちの寄り合いなどで、お蔵に出入りする度に、「ここのお嫁さんは、良い所からもらったね」とか、「ここの嫁さんの実家は、大したこと無いな」と、その箪笥を見て評価したらしい。であるから、持ってきた嫁入り衣裳箪笥の善し悪しで、お嫁さんの評判が決まり、それが一生付きまとうようである。これは、本当の話なのだろうか。
 八幡は、この大きな鉄金具が魅力だ。お目出度い柄が彫られているが、4〜5パターンあるそうだ。いくら見ても見飽きない箪笥である。



えべっさん図 筒描幟

 商売繁盛の神様と言えば、勿論えべっさん。関西の正月の祭りと言えば十日えびすで大賑わいだそうです。戎、恵比須、蛭子とその土地での漢字使いも様々ですが、本家えべっさんと言えば西宮神社だそうです。私も小さい頃に、親に連れられて出掛けた記憶があります。商売の神様とだけ思っていましたが、どうやら漁業の神様もやられているご様子。
 この筒描絵幟ですが、前掲の鍾馗に赤鬼と同じで、木綿二巾の大型の幟です。ちゃんとした釣り竿ではなく、その辺の竹藪から切ってきた細い竹に、糸を着けただけの即席釣り竿で、見事に鯛を釣り上げています。その姿がなんとも剽軽でなりません。手のひらは顔ほどの大きさがあり、烏帽子に裃をまとった姿で、岸壁から鯛を釣り上げるなんて、本当に危なっかしいですね。
 画面では分かりにくいですが、えべっさんの身体には、小さい宝珠が何十個も描かれていたようです。それが、どんな色で描かれていたかは分かりませんが、ひょっとすると、金箔を糊で貼り付けて宝珠を表現したのかなと、思ってしまいました。その糊の跡だけが、現在確認できるのです。宝珠と言えば大黒さん。大黒像を描かずに、宝珠で表すことにより、恵比須大黒を対で描いたのではないでしょうか。 
 ちょっとマンガっぽい、えべっさんの描き方ですが、これが端午の節句とどう関係するのか勉強不足のため不明です。今から参考書を紐解いてみたいと思います。
 押し寄せる波がえべっさんの背丈程にせり上がり、釣りなんかしていて大丈夫なのでしょうか。えべっさん、そのうち、波に飲み込まれますよ。早く帰った方が良いんじゃありませんか?大黒さんも心配していると思いますよ。


狩野派 金地紙本花鳥屏風 八曲一隻

 狩野派の画家である柳雪匡信(りゅうせつ・まさのぶ)の作で、時代は江戸後期。全体像は、「和箪笥の美」のバナーをクリックしていただき、古美術神田の店内にお入りいただければ、ご確認いただけます。
 この八曲一隻の屏風は、春の花鳥図を描いています。しっかりした縁金具に徳川家、三つ葉葵の紋が入っている事を考えると、お姫様の嫁入り道具であったのではないかと、また、他に「夏」「秋」「冬」の風景の屏風があったのではないかと、考えています。
 絵の中に登場する鳥たちのほとんどが「つがい」で、仲睦まじい夫婦の姿を描き、また、子孫繁栄を願った嫁入り道具ではと思ったのです。
 屏風として折り曲げて鑑賞しても良いと思いますが、壁に取り付けて、横幅4メートルの大画面を楽しむのも良いのではないでしょうか。その迫力ときたら、もの凄いですよ。油絵も良いですが、和絵の具をふんだんに使った日本画が大好きです。


皿立て

 窓を上下に設け、その回りを朱漆で彩った皿立てに目が吸い込まれてしまいました。皿を立てる為の爪は二つ用意され、大皿でも鉢でも、どちらでも飾れるように考えて作られているようです。全体が焦げ茶色であるため、窓枠の朱色がとても効いています。足の部分の裏側には、簡単に十九と彫られています。少なくとも十九以上は同じ物を作ったのでしょう。でも何故、皿立てに番号をふる必要があったのでしょうか。
 ここからは現在調査中ですが、番号をふるからには、どこかの展示室で使われていたのではないかと。しかも、これだけのデザイン、隠れた部分(皿を立てれば、窓の部分は見えない)にまで、しっかりした配慮をして皿立てを作るなんて、余程の人物の考案だったのではないかと。
 前所有者のお話では、北大路◯◯◯の旧蔵との事。詳細が判明し次第、報告させて頂きます。

 


武者小路実篤 扁額

 武者小路実篤の扁額(欅の一枚板)をご紹介します。「不如楽之」の四文字ですが、本来は中国の漢詩から引用した言葉だと思います。漢文の先生によりますと、「これを楽しむに如かず」だそうで、美術・芸術・映画・小説なんでもそうですが、こんな素晴らしい物を楽しまずにいられますか。そんな気持ちを込めた扁額だと思います。
 無者さん(実篤の愛称)に可愛がられた浜松出身の松本長十郎が、私費で建てた武者小路実篤美術館に掛けられていたものです。サイズは、横210センチ、縦60センチです。


和箪笥

 これは、50年蒐集していたおじいさんから譲り受けた杉材を使った和箪笥です。用途で言えば、帳場箪笥でしょうか。小抽斗がたくさんあり、左には大きなけんどん蓋があります。総杉造りと言う、とても珍しい和箪笥です。前面の杉材はすべて柾目板を使い、贅を尽くした趣ではないでしょうか。見た目はいたってシンプルですが、注文箪笥だったでしょうから、類似品は無いかも知れません。漆は一切掛けられていませんので、白木のままですが、時代を感じさせる、とろっとした味わいになっています。
 初荷の良さ楽しさって、こんな和箪笥に出会えた時に一番感じられますね。天板の上には、銅のじょうご、氷屋さんで使った氷を削る鉋、版木、木のお札等々。見ているだけで、飽きませんね。


版木

 ここ数ヶ月続いている初出しは、50年蒐集したおじいさんのコレクションをすべて譲り受けているものなんですが、中でも版木(摺り物全般を含む)に対する情熱は異常なくらいで、江戸の古地図(2メートル四方)を復刻していまう程のものでした。この古地図については、いずれご紹介出来ると思いますので、今しばらくお待ち頂ければと思います。
 さて、今回ご紹介させて頂く版木は、百人一首の版木だったと思いますが、首を鎖でつながれた猿が彫られています。流れるような体毛の表現、長く伸びた爪。これを摺ったらどんな猿が現れるのか、とても楽しみです。江戸前期の版木だと思うのですが、時代経過により、あちこち虫食いの跡が伺えます。でも、お猿さんの部分は、無事に残っているのが嬉しいですね。
 版木で人気のあるのが、馬板や牛王寶印の版木に見られるような護符の版木だと思います。勿論、浮世絵版画の版木等は、美術品としての評価が定まっていますが、この版木のような、地方出来の下手な版木にも、素晴らしい表現がなされた物が多いと言う点、今回の仕入れで確認する事ができました。これ以上、版木の劣化が進まないように、大切に次の方への橋渡しをさせて頂きたいと思いました。


牛玉寶印

 那智の牛玉寶印(ごおうほういん)が久し振りに入荷いたしました。カラスで那智寶印と文字を表していると思うのですが、お分かりになるでしょうか。裏に書かれた文字が邪魔になって分かりにくいでしょうね。そうなんです、この牛玉寶印は、ただの護符ではなく、裏に起請文が書かれています。
 この、所謂牛玉宝印(牛王宝印とも書く)とは、修正会・修二会などの新春の祭りで刷られ、信者に配付される護符の一種で、中世・近世には、しばしば起請文という誓約の文書の料紙にも用いられたものだそうです。
 カラスの群れ、日本第一と書かれた不思議な木版画。この魅力は、本当に奥が深いですよ。


護符

 これをご覧になって何かお分かりの方は、相当の紙もの好きか、相当の田舎住まいの方だと思います。そうです、神棚に貼り溜めた恵比須大黒の護符の束なんです。上部に細長い杉の板があり、壁に掛ける為の麻紐が付いています。毎年、神社で頂くお札を貼り(紙縒で留める)、その上から又貼り、次の年も又貼って、そんな事がずっと続いて、いつしかその家のお守りとなっていきました。ですから、一番上に貼られたお札が一番新しいわけです。昭和20年代の年号が入っていました。約300枚の護符の束。一番下は、いつ頃の物でしょうか。見たことも無い護符(宗教版画)が綴られていました。

石祠

 石祠とは、石で造られた家屋形の石造物を指し、本尊を安置する石製の屋根を伴う形を基本としています。江戸時代中期頃から全国各地に多種多様な石祠が造られるようになりました。古い家の裏庭などには「氏神様」として祀(まつ)られているのも多く、この型式の石祠です。原始的な形態を残すものに、「ワラホウデン」があります。
 祠についてネットで調べたところ、上記のような解説がありました。「江戸中期頃から」とありますが、もっと古くから祠は作られていたみたいです。今回ご紹介させて頂いた石祠は、屋根の形が独特で、正面には桃を象った飾りがぶら下がっています。静岡県西部と愛知県東部の県境には、室町時代から石工の名人がおり、代々、写真のような形式の石祠を作っていたようです。
 この祠には、寛文10年の年号が刻まれていますが、形式は室町時代の姿を継承しています。宝珠、屋根、本体の3つに分かれ、本体の内部には本尊が安置されていたと思われます。宝珠の先に欠けがある以外、状態はとても良く、庭の木陰に置けば、とても落ち着いた佇まいを醸し出す事間違い無し!
 しかし、この正面に見える桃は、どう言った意味があるのでしょうか。桃の両側からは、葉が下がっているのがお分かりになりますか?遠州地方に残された庚申塔や三十三観音塔などにも、これと同じ桃と葉を象った石仏が残されています。


常滑の大甕

 常滑の甕が好きでウブ出し屋さんに頼んで、良い物が出たら買わせて頂いています。でも最近は、景色があって、大きさもあり、キズが少ない常滑の大甕ときたら、なかなか出なくなりました。今回ご紹介させて頂く大甕も、やっと仕入れることが出来ました。高さが約65p。口が広く、釉がどばっと掛かっています。座りも安定しているので、花生けの器として活躍してくれそうな感じがします。
 もともとは水甕だったのでしょうね。上に木の板を置いて蓋にして、水を蓄えたのでしょうね。先日見つけた別の甕などは、内側に和紙が貼られ、お茶か何かを保存した容器として使われていたようでした。そちらは残念ながら、お売り頂くことは出来ず、何回か通って、いつか分けて頂ければと密かに狙っている次第です。
 この大甕が活躍するのは、4月〜5月にかけて深山つつじが咲く季節です。山から切ってきた深山つつじを、この大甕に生けたら、それは見応えのある事でしょう。花が終わると葉で楽しめますので、約2ヶ月は十分、楽しむことが出来ます。店がグチャグチャとしていますが、来年の春はまた、深山つつじを生けて楽しんでみようかなと計画したくなります。
 どうしても器を見ると、どんな花が似合うかなと考えてしまいます。花生けの器って、ほんと楽しいですよね。


瀬戸美濃 半筒猪口

 瀬戸と美濃は山ひとつ越えるだけの土地です。車で走ってみると一目瞭然で、小高い丘を瀬戸から登って下ると、美濃の町(多治見)に入っていきます。昔から陶工同士の交流もあり、同じ様な作品が焼かれていましたので、ぱっと見ただけで違いが判断しにくいものです。
 この半筒猪口は、磁器ではなく土ものですので、伊万里などの磁器とは違い、温かさが感じられるやきものです。呉須は、山呉須でしょうか、ほんのりと淡い青色です。土ものならではの、ぼてっとした感じが手に馴染みます。
 文様も単純な構成ですが、そこが瀬戸美濃の良いところでしょうか。菊の花を二つに割ったようなデザインと、サイコロ模様。飽きのこないシンプルさが魅力ですね。僕の場合、そば猪口型(逆台形型)より、この半筒タイプに目が無いので、このタイプの猪口を見つけると、思わず手にしてしまいます。



 
瀬戸石皿

 馬が勢いよく飛び出してきました。ディープ・インパクトとまではいきませんが、僕が走るよりは、よほど早そうな姿をしています。目をくりくりさせて、耳を後ろ向きに立てて走る様は、ほのぼのとした日本の昔の様子を想像させてくれます。バックには鉄絵で山を描き、春なのか、夏なのか、秋なのか、それとも冬なのか分かりませんが、草原を飛び回る若い馬をイメージしてしまいます。
 瀬戸で焼かれた石皿は、それこそ雑器の代表選手です。柳宗悦らの民藝運動推進者が発行した雑誌「工藝」の創刊号は、石皿特集でした。この石皿をもって、民藝とは何かを訴えようとしたのも頷ける気がします。
 江戸後期になると、このような石皿が何百・何千枚と焼かれたと思います。20年程前はどこの骨董屋さんにも1枚くらいは、こんな石皿が並んでいました。しかし、最近は全くお目に掛かれなくなりました。たまに見付けても、草花の絵が多く、動物を描いた楽しい石皿は見かけません。久し振りに出会えた、嬉しい1枚です。



瀬戸 タイル

 日本のタイルが特に好きで、見つけるとつい買ってしまいます。たとえ多少高くても、値段で売れそうにないのが分かっていても、まあいっか、てな具合で買ってしまいます。このタイルもそんな一枚です。「ちょっと安くして頂けませんか」とお願いしても、「ダメダメ、これは東京に持っていけば、高く売れるんだから」と梨のつぶてでした。
 タイルと言えば四角。そう思っていましたが、探してみると雪輪や扇形、丸に三角と様々な形があります。これは、回りを雪輪形に成形して、竹に吹き墨で月を描いています。何とも言えない日本的な風景です。どんな場所に貼られたのでしょうか。若干、モルタルの跡がありますので、実際使われたタイルだと思います。
 人それぞれ、好きずきがありますが、こんな下手物にも楽しさが感じられます。


狛犬

 とても狛犬とは思えないような顔をしていると思いませんか。人間のような、不思議な表情です。お約束通り、阿吽の表情をしています。右が阿形、左が吽形です。しかしよく見ると、左は吽ではなく、「にー」って言っているような口元に見えますよね。こんなところも、人間的と言うか、とても剽軽な表情の狛犬です。
 「石の古民芸」と言うタイトルの本を、松本民芸家具を創設された池田さんが出版されていますが(私はまだ読んでいない本です)、この狛犬も仏教美術と言うよりは、古民藝に含まれるような、のんきな・剽軽な狛犬だと思います。この狛犬の石は、硬い御影石を手彫りで成形し、うっすらと全身に苔色が出て来ています。愛すべき逸品。僕だけでしょうか、こんな風に感じるのは。
 久し振りに、楽しい石の物が手に入りました。


江戸切子

 江戸切子の大きな鉢(口径約20p)ですが、兎に角、凄い旧家から出してきたと言うことで、ウブ出し屋さんが持ち込んで下さいました。無キズ、完品。言うこと無しです。無色透明のガラスなのですが、鉛ガラスだからでしょうか、このように黄ばんだ?色あいを呈しています。そこがまた、江戸切子の魅力なんでしょうね。
 魯山人が若かりし頃、昼食時にバカラの鉢で冷や奴を食べていたら、上司に「あいつは若いのに、あんないい物を食べている」とにらまれたとか。冷や奴なんて、別に贅沢な食材では無かったでしょうが、バカラの鉢で食べていたので、さぞ豪華に見えた事でしょう。
 私も魯山人にあやかり、この切子鉢で冷や麦を食べてみようと思っております。さて、そのお味は如何なものかな?


洋燈

 久し振りにらんぷが入荷しました。火屋は上部に赤でうっすらとボカシが入り、白のかきあげになっています。まん丸で、好きな火屋です。台は、下に乳白で油壷は赤ですが、台座と油壷の間に透明ガラスを一段挟み込んでいます。台座から火屋まで比較的大振りで、健康的な洋燈だと思います。また嬉しいのは、元々の箱が付いていたことです。
 明治から大正にかけて、このようならんぷが実際に使われていたわけですが、少しでも、そんな様子を実感してみようと言うことで、らんぷを買うと必ず火を灯してみることにしています。今回もやってしまいました。さて、如何でしょうか。らんぷの上にマウスを持っていって下さい。ほんのりと明るい火が灯ります。どうぞ、このほのかな灯りを実感してみて下さい。


古伊万里 赤絵渦巻き皿

 なかなか楽しい絵皿が入ってきました。赤の色具合、器体の作り込みを見ますと江戸中期あたりの古伊万里ではないかと思います。表も裏も渦巻き模様。更に驚くことには、高台内からスタートした渦巻き模様は、高台畳付きの上を跨いで口辺に至り、そして表に繋がってぐるぐると中心部へ進んで描かれています。 遊び心があったのでしょうね、当時の陶工たちには。
 以前、輪線模様の古赤絵は見た記憶がありますが、渦巻き模様で外も内もぐるぐる巻きと言うのは初めてです。
 兎に角、楽しいではありませんか。珍品なんでしょうね。