ホウ徳

?〜219年。字は令明。
 馬騰軍きっての勇将。 馬騰が朝廷に召されると、その長男の馬超に従った。 曹操との戦いに敗れて、馬超とともに張魯のもとへ逃げ込むが、曹操が漢中を制圧すると降伏した。
 曹操の配下として宛での反乱を鎮圧すると、そのまま進軍して関羽と対峙した。 劉備の陣営には、彼の主君 馬超や兄がいることから内通の疑いをかけられたが、必死の覚悟をもって関羽軍にあたった。
 『演義』では、その覚悟の程を見せるために棺を作らせ、それを持って出陣したと書かれている。
 彼は白馬にまたがっていたので、関羽軍の将兵には白馬将軍と恐れられた。 この戦いでは、大雨によって渭水が氾濫、水の中孤立していたところを船でもって関羽軍の降伏勧告を拒絶、処刑されている。 同じく捕まった古参の于禁が降伏したことから、曹操を「于禁は仕えて30年になるが、かえってホウ徳に及ばないとは」と嘆かせたという。