| 呂蒙 178〜219年。字は子明。 孫策の時代から仕えた勇猛で知られる武将。 自分を侮蔑した人物を殺害、逃亡するが考え改めて自首。 そのとき彼の有能さを見取り、孫策が自分の側近に加えた。 以降武勲を重ね、順当に昇進していった。 あるとき孫権に「将軍たるもの、武芸だけでなく学問も修めていないといけない」 と言われて熱心に学問に打ち込み、呉でも有数の知者にまでなってしまう。 魯粛は彼の成長ぶりに驚き「もう呉下の阿蒙なんて呼べないな」と言うと 「士たるもの三日会わねば成長しているものです」と返している。 魯粛の死後、彼がその職務を継ぐことになる。 対関羽戦では、病気と称して若手無名だった陸遜を代役に立てて関羽の油断をさそい、 関羽が魏に侵攻するとその後ろを衝いた。 荊州に入ると捕虜や領民の人心をつかみ、関羽軍は瓦解していった。 そしてついには関羽を捉え、荊州を平定した。 この戦いの後間もなく、呂蒙は病によって42歳で没した。 孫権は病の彼を見舞う時に、彼に心配させないように壁に穴をあけて容態を確認したという。 その死期から、『演義』では関羽の霊が戦勝祝いの宴に現れ、彼をたたり殺したことになっている。 |