司馬懿

179〜251年。字は仲達。
 警視総監 司馬防の次男。 兄 司馬郎以下8人はいずれも字に「達」が入り、非常に優秀だったことから「司馬家の八達」と称されていた。
 内心を表に出さない人物で、何事も臨機応変に処理ができた。 首が180度後ろまで回せたとも言われる。
 はじめ、曹操に招かれるもこれを拒否、のちに曹操の強引な招きに仕方なく出仕した。 はじめは曹丕の相手役をつとめ、次第に頭角をあらわし、政治・軍事の中核を担う人物になった。
 孔明の第一次北伐の時は、内応しようとした孟達に対して非常に早く手を打ち、 行動を起こされる前に急襲して討ち取っている。 五丈原では、長期戦の構えを見せ、孔明はここで病没した。
 翌年、反乱を起こした公孫淵の討伐に成功。 239年、明帝が没して幼帝が即位すると、曹真と共にこれを補佐した。 が、政治を曹真派に独占されると老病を理由に隠居し、曹真らを油断させた。
 249年、クーデター決行。 実権を握って丞相となり、その後相国までのぼったが、251年73歳で没した。
 この後、孫の司馬炎が魏から禅譲されて、晋王朝を創立する。