曹丕

187〜226年。字は子桓。
 曹操の嫡子。曹操の英才教育のために文武ともに非常に優れた人物となる。 が、曹操は弟の曹植の才を偏愛していたため、なかなか後継者として確定されなかった。
 曹操の死後は宦官の昇進に上限をつけ、宦官による国政の独占を防いだ。 そして、禅譲を受けて帝位につく。 即位後も、能力優先の宦官採用、婦女子の政治介入禁止、邪祀の禁止をはじめとした善政をしき、 まず名君と呼んで差し支えない功績を残している。 曹操がその才を警戒していた司馬懿を重用し、また司馬懿も曹丕の代には叛意を抱かず忠臣として献策した。
 曹丕には酷薄なところがあり、曹植を補佐していた将を処刑したり、以前借財を断られた曹洪も無実の罪で処刑しようとしている。
 『演義』では、曹植に「七歩のうちに詩を作らなければ処刑する」という難題をふっかけている。 226年、急病で40歳で死亡。