| 周瑜 175〜210年。字は公瑾。 容姿端麗、体格にも優れ、誰からも好かれる度量の大きな人物で、 親しみを込めて周郎(若様)と呼ばれていた。 音楽に造詣が深く、演奏を間違えた奏者がいるとそちらの方を振り返ったと言われる。 同年の孫策とは義兄弟の契りを結び、孫堅が董卓討伐の兵を挙げた時から行動を共にしている。 二張(張昭・張紘)を孫策に推薦したのも彼である。 夫人は美人で名高い喬公の姉妹で、姉を孫策が、妹を周瑜がめとった。 赤壁の戦いではこのことを孔明が利用して、彼を主戦派に仕向けている。 彼自身知謀に優れた策士で、赤壁の戦いでの勝利も彼あっての勝利なのだが 「知者は知者を知る」で孔明の知略の深さを感じてしまい、 嫉妬や恐怖の相混じった感情から、幾度も彼を亡き者にしようとする。 が、すべて裏をかかれてしまい、その悔しさからついには憤死してしまう。 「天はすでにこの周瑜を地上に生ませ給いながら、なぜまた孔明を地に生じた給えるや」 は『演義』での死を前にした周瑜の有名なセリフである。 |