趙雲

?〜229年。字は子龍。
 身長は約8尺(185cm)、眉は太く、眼は大きく、容姿端麗で素晴らしい体格の持ち主。 槍の名手で思慮沈着、智勇備え持つ名将。はじめは袁紹に仕えていたが、その器の小ささに見切りをつけ、 一時公孫サンのもとにいたときに、公孫サンを頼ってきた劉備に出会い、一生かけて仕えるべきは劉備だと決める。
 長坂の戦いでは、曹操の大軍の中劉備の子 阿斗を救い出し、 劉備に「子一人のために、またとない名将を失うところだった」と言われている。
 劉備・孔明に最も信頼されていた人物の一人で、蜀建国後は五虎大将軍の一人に任命される。 劉備が呉に報復戦を挑もうとした時は、「国賊は曹操であって、孫権ではない」と諌めたが聞き入れてもらえず、 劉備が敗走した時に援軍として駆けつける。
 第一次北伐では、老齢にもかかわらず参戦し奮闘するが、敵に誘い出されて囲まれてしまう。 ここで死を覚悟するが、関興・張苞が駆けつけてきたために巻き返し、魏軍を敗退させる。
 229年に病没。劉備の死後は武官の柱だった人物であったため、趙雲の子らが病没の報告に来ると、 孔明をはじめ武将たちは泣き伏したという。