「いい知らせと悪い知らせがある」
男は相変わらず唐突だった。
低い、よく通る声で、何の前置きも無くそう言ったのだ。
悪趣味な事に、初恋の人と同じ名のブウサギを傍らに連れ、
いつものように、自信を自身に纏って。
金の髪と褐色の肌は、燃えるよう。
何が楽しいのかニヤニヤとした笑みを、貼り付けていた
。
「………」
男は相変わらず拒絶で応えた。
針金の手足と蜘蛛糸の髪は、透けるよう。
そのどちらも小さく丸めているだけで、男は何も応えなかった。
打ち捨てられた人形のような、死色だった。
「…ん?何だ、迷ってるのか?
どっちからでも良いって言うなら、俺が決めるぞ。じゃぁまず―――」
男は、まるで死色の男を気にする様子も無く話を続ける。
「…………。どちらも悪い知らせでしょう」
そしてディストの方が折れるのもまた、相変わらずだった。
髪の隙間から、彼の崇拝者と同じ罪色の瞳が、ピオニーを睨付ける。
眼の周りは落ち窪んでクマとなり、顔の彫りを深くしていた。
薄い唇は、かつてのような毒虫色では無く、くすんでいて、皮が剥けている。
顔を上げたことで、細い首に掛けられた鎖が、 ちゃりちゃり と囁いた。
その鎖の先は、白い壁(もっとも、文字が犇いている所為で、赤黒く染まっている)。
壁は天窓へと続き、唯一の光源である月明かりが、彼の明暗をよりはっきりと映し出した。
「そいつはどうかな」
ピオニーは、ディストの視線を心底楽しそうに受け止めて、
どっかりと彼の前(もちろん鉄格子越しである)に胡坐をかいた。ネフリーを呼び寄せる。
そして、重苦しい監獄の空気を押しのけて、心地良さそうにその体に顔を埋めた。
ディストがもう一度ため息をはくまでしっかり遊んでから、ピオニーは顔を上げる。
「で?聞くのか、聞かないのか?お前にも関係がある事なんだがな」
「…どうせ聞かなければ帰ってくれないのでしょう?」
ディストはまた、ため息を吐いた。
ディストがジェイドによって捕らえられてから一年あまり、
ピオニーは何かにつけて、ブウサギを引き連れてディストを訪ねていた。
それも、大概下らない話をしに来るのである。
この間は「ガイラルディアの結婚式は見ものだった。さっそくティアの尻に敷かれていたぞ」である。
だからディストは、戦後処理やレプリカの保護に追われて、ピオニーが本来、
ここへ来る間もない程忙しい事を、看守同士の雑談から知った。
それでも、ディストにはどうでもいい事には変わりが無い。
取り戻したいのは一人だけ。大切なのは一人だけ。
…それ以外の事など、記憶したくなかった。
今までも。
………
これからも。
「“死霊使い”
の事なんだが」
たった今想っていた人物の名が出て、ディストは急速に意識を浮上させた。鉄格子に噛り付く。
鎖が苦しい。胸が苦しい。千切りたいのに、契れなかった。あの…
ピオニーは、一度瞳を伏せ、たっぷり1分言葉を溜め込んで、言った。
「とうとう、死んだぞ」
がらり。
がらり、と。ディストの形相が反転する。
天窓の方向へ咆哮をあげる。
「ジェイドが…あのジェイドが殺されるはずがありません!
完璧な孤高と強さと美しさを与えられたあのジェイドを傷つけられる存在なんて、
もう“この世界”には………ッ!!
」
最後は嗚咽混じりになりながらも、爪の剥げた赤黒い指をのばし、ピオニーに掴みかかった。
縋る様に。鉄格子と鎖と現実に阻まれながら。
「そんな…嘘だ…ジェイドは私を置いて行ったりはしないんです…ッ!
どんなに離れても必ず、坂の上で私を…“僕”を…待ってくれていたのに……!!」
人払いがされ、自分を守る看守も居ないというのに、ピオニーは、ディストを好きにさせた。
頬が引っ掻かれて血が滲む。それでも動かなかった。
荒い息のままディストが崩れ落ちた時になってやっと、親指で頬を拭って血を舐めると、肩を竦める。
「おいおい。俺は “ジェイドが死んだ” なんて言ってないぜ」
ピオニーは服の乱れを軽く正してから、豪快に笑った。
「悪い悪い。そのまま話したんじゃ、面白くないと思ってな…
ちょっと趣向を凝らしてみたんだが、気に入らなかったか」
「ん?」と覗き込むように伺ってみるが、ディストは応えない。
ただ、「悪趣味」と胸の内で毒づいた。
「だがまぁ、安心しろ。コレは『いいニュース』の方だ。それに俺は嘘は言っていない。
俺は嘘をついた事が一度もな―」
「さっさとジェイドの事を話しなさい!」
「ヒステリックは嫌われるぞ…まぁ良いか」
不意に視線をはずし、ピオニーはブウサギを呼んだ。
ディストの狂乱にすっかりおびえ、隅で丸まっていたネフリーを、そっと抱きしめる。
「ルークが帰ってきた」
瞳を閉じて、ピオニーは、ポツリポツリと言葉を零し始めた。手は、ネフリーの耳をいじっている。
「2週間位前らしい…っても、俺がその事を知ったのは、この前の結婚式の時なんだが…
いくら表沙汰にしたくなかったからって、そりゃぁ無いよな…また俺だけ置いてけぼりだ……あーいや、
ともかく、ルークは戻ってきた。……ジェイドの理論を裏切って。皆との約束を裏切らない為に、な」
一度、ピオニーは顔をあげる。
瞬きを忘れて、震える子供が網膜に焼きついた。眼を、細める。
「そんな…ジェイドは間違えない…」
「ジェイドは間違えた」
声も震わせているディストに、ピオニーの即答。
「一度目は過大評価。今度のは過小評価、だな」
ピオニーはネフリーに視線を落とす。眼が合った。微笑する。
「それにしても、あいつの動揺ぶりといったら無かったぞ。
ガキみたいにルークと手を繋いでいやがったんで、後ろから声をかけたら、マジでビビッていたしな。
数々の戦果を挙げた
“死霊使い”とは思えない間抜けっぷりだった」
語りに熱がこもり、パァン!とピオニーは小気味よく膝を叩いた。
石に囲まれた牢獄では、それもすぐに虚しく消える。
「…で、だ。さっき、俺に謁見しに来たんだよ。ルークと二人で。
殴り飛ばしたくなる位、もの凄い幸せそうな顔をしていやがった。
『私としては全くの不本意ながら、向う見ずで思慮が足りなくて口下手で幼稚で
ムードという物をまるで解さないな問題児の子守を、再びしなければいけなくなってしまいました。
さすがに、子守と仕事を両立できるほど私も若くはありませんので、
キッパリすっきり、軍籍から外させて頂きます。
あ、退職金には今まで陛下の無茶を散々聞いてきた分、乗せておいて下さいね
v』
…とか何とか、言いたい事だけ言って、スキップしそうな勢いで走って行ったぞ。
あれほどヤツをキモイと思ったことはないな
。ルークと一緒にドン引きだ 」
くくく。と、ブウサギを抱きしめて笑うピオニー。
ディストからは
ブウサギが邪魔で、ピオニーの表情は伺えなかった。
…“ルークと共に歩む道を選んだ”事に対して、
ディストは思っていたよりもショックを受けなかった。
予感が、あったからかもしれない。
この牢獄に入れられる直前に交わした、あの会話から。
それ以前の、戦場で並ぶ二人を見てから。
触れる物全てを凍てつかせた、金の貴公子。
最悪のシナリオ。でももし、ジェイドが死ぬならば―――。
彼の氷を、あのレプリカは溶かしてしまったのだろう。
”聖なる光の焔”で、“死霊使い”を焼き殺したのだろう。
―1人の死を悲しみ、1人の生を喜ぶ男に、死霊は使えない。
「…………どこが『いいニュース』なんですか」
長い沈黙の後、ディストはやっと声を搾り出した。
言葉とは裏腹に、薄い口元は笑んでいた。
「やっと、人として自分の道を歩き始めたって事さ」
一度ブウサギをきつく抱きしめた後、ピオニーはやっと顔を上げた。
言葉とは裏腹に、深海色の瞳は暗かった。
「…で、『悪いニュース』の方は?さぞかし私が喜びそうな事なんでしょうね?」
皮肉たっぷりの口調で口を開いたのはディストの方だった。
震える声が隠せて居ればいい。そう願いながら。
瞬間、深海色の瞳に、光が差す。
ブウサギを横に置いてから腕組みし、一度瞬いた後には、
いまだ夜だというのに、ギラギラと、太陽のように揺らめいていた。
その視線に、ディストは焼かれそうになる。
「お前をベルゲントに送ろうとする動きがある」
ピオニーは、眉をしかめた。
大切なケーキを、誰かに捕られた子供のような顔だった。
「今だマルクトに限らず、世界中で問題が山済みだ。
預言の方は、教団が頑張っているから良いにしろ、レプリカ問題やエネルギー資源…
ビナー戦争の戦後処理もまだ完全じゃない。“ネコの手を借りたいほど忙しい”ってやつだな。
…スピノザとか言ったかな。あの研究員と似たような扱いになるだろう」
ピオニーは一旦そこで言葉を区切る。ため息を吐いた。
ディストは。
ディストは、この言葉を予想し続けていた。
ジェイドの事よりもずっと明確にずっと確実に。
きっと自分の生かされている理由は“それ”だろう、と。
だから、ずっと用意していた台本通りの言葉を紡ぎだす。
それで何が守られるか なんて、ディスト自身、何も解らないのに である。
「ハッ!私はジェイドの代替品の“ネコ”ですかッ?!この薔薇のディストを舐めないで下さい!」
ディストが立ち上がると、首の鎖がざわめいた。
大仰な仕草で両手を広げ、ピオニーを見下してみせる。
「そうだよなー」
ディストの予想を裏切って、ピオニーはディストに同意する。
「俺もその話は気に食わなかったんでな、断った」
「………………はい?」
ディストの絶句。
「お前がベルゲントへ行くと俺の楽しみが無くなる。それに…」
フォミクリー理論がびっしりと書き込まれた血色の壁を一瞥し、ディストへ視線を戻した。
「譜業の方は知らんが、少なくともお前はもう、フォミクリーの研究はしたくないだろ。
このままベルゲントへ送り込んでも、良くて脱走。最悪自殺だ」
当然のように紡がれたその言葉に、ディストはまた絶句する。図星だった。
譜業技術もフォミクリー理論も、
ただ一人に認めてもらう為のものだった。
ただ一人を取り戻す為のものだった。
今となってはもう、そのどちらの願いも叶わない。
ならばもう、生きる意味なんて、無いに等しかった。
「生きる意味が無いなら」
ディストの心境を読み取ったか、ピオニーの言葉がディストの思考に滑り込んだ。
「俺のそばで、俺のためだけに生きろよ」
ディストは3度目の絶句。思考も動きも、一瞬停止する。
遅れて沸いてきたのは怒り、だとディストは思った。
鎖が揺れてがなり出す。
「だから貴方は嫌いなんですよ!
自分勝手で周りをかき回すだけかき回して、
私の欲しい物を全て手に入れておきながら平気で手放してッ!
優しい顔をして、いつも私の一番見たくないものを見せつける…!!
貴方は…ッ!結局は私を嘲っていたいだけでしょう!!」
おもむろにピオニーが立ち上がった。
立ち去るのかと思って顔を歪めるディストに、今は遠い雪国を重ねながら、
ピオニーが笑顔をよりいっそう深くする。ネフリーが、心配そうに彼の足元に擦り寄った。
一度呼吸を止めてピオニーが「行け」と命令すると、名前の主と同じに賢い彼女は、
ピオニーが歩んできた道を引き返してゆく。
牢獄に残るのは、二人だけとなった。
ピオニーはネフリーを見送ると、立ち上がって銀の鍵を取り出した。
カチャリと乾いた音。次に、鈍い鉄の悲鳴。
「俺は今まで、『一番欲しかった物』だけは手に入れられなかった」
ピオニーは微笑んだ。今まででディストに見せた中で、一番優しい笑み。
けれど、だからこそ。ディストは次の言葉を吐き出せなくなった。
笑顔が眩しくて。笑顔が痛々しくて。
牢獄には相応しく。王者には相応しくない、笑みだった。
しかしそれは一瞬で、すぐに顔を引き締める。
決意表明のように、はっきりと言葉を紡いだ。
「――皆俺を置いて行った。だから、今度は逃がさない。
何もかも利用して、何よりも優先する。邪魔な奴は黙らせる」
ピオニーは、一歩を踏み出す。
牢獄の中に、足を入れた。
鎖を左手に絡み付けて、思い切り引き寄せる。
足をもつらせて無様に転んだディストは、ピオニーの前に跪くかたちとなった。
ディストはピオニーを、思い切り睨み付ける。
けれど、ピオニーは相変わらず笑って受け止めるだけだった。
ディストに傷つけられた頬を、大事そうに撫でる。
「…お前はネフリーのように美人でもない。ジェイドほど頭が回る訳でもない。
だがな。
“俺を怒る”のはお前だけだ」
聡明なあの兄妹は、皇帝たる自分を諌める事は出来ても、怒る事は出来ない。
ただ、ディストだけが今も、幼き日と変わらず、ピオニーに噛み付いた。
“何の肩書きも無いありのままの自分”として、ありのままの感情を、飾らずぶつけるから。
それは、
ネフリーにもジェイドにもピオニーにもできない事だった。
皆1度、理性で感情を押し込めて、愛する人を手放しているから。
「だから俺は、お前が好きだ」
そんな愚かで幼稚で間違いだらけで子供のままの素直な、目の前の存在がいとおしい。
ディストは、その青白い顔を一気に赤く染めた。
「好きだ」と言われたのは、生まれて初めての事だった。
しかも、相手はあのピオニーである。
冗談にしては性質が悪すぎる。本気だったら最悪の一言だった。
何度も何度もピオニーの言葉がディストの内面を木霊し、かき乱す。
鎖が悲鳴を上げた。
たまらず、ディストは耳を塞いだ。けれど、胸の鼓動と、鎖の躍動は止まらない。
―――取り戻したいのは一人だけ。大切なのは一人だけ。
…それ以外の事など、記憶したくなかった。想いたくなかった。
なのに…それ、なのに…!
ディストは駆け出した。ただ逃げたかった。
けれど当然、牢獄に逃げ場なんてあるはずが無い。
またもピオニーに力強く鎖を引かれる。
今度は、よろめいた所を抱きしめられた。
ピオニーに触れられている全てが、火傷を負ったように熱かった。
全ての感覚が麻痺したようでいながら、全ての感覚が研ぎ澄まされていた。
だから、ピオニーが喉を鳴らして、埃まみれのディストの髪を梳き
耳元に口付けた時の笑みの音も、はっきりと脳髄に響いた。
ピオニーは、1度ディストから顔を離すと、右手から鍵を取り出した。
ディストの鼻先に突き出す。
ピジョンブラッドの宝石をあしらった金細工の、鎖の鍵。
ディストが、熱に呆然としたまま見つめていると、上から声が降ってきた。
太陽の声が、牢獄に響く。
「さぁ、お前はどうする?…選べよ、“サフィール”。
ずっとここに独りで居て、もう無くなったモノを望みも無いのに思い続けるか、
俺と一緒にここを出て、新しい望みを得て一歩を踏み出すか」
目線はディストに固定したまま、顎で牢の出口を指した。
扉は、開け放されている。
―――いつの間にか月は消え、天窓からは朝日が差し込み始めていた。
金色の鍵は、太陽を受けて熱く輝いている。
サフィールの鎖が戦慄く。
それは酷く甘い、脅迫だった。
製作日;2006’6.3
ピオニー×ディスト…というか、ピオニー→ディストでした。
初めて書いてみましたがいかがでしょう…?
最初はコメディータッチになる予定だったのに、気がついたら妙な雰囲気に…;
タイトルは、『強く儚い者たち』や『Between 0 and 1』等迷いましたが、
結局は『脅威存在《共依存罪》』で。
二人とも、依存心は高いと思います。
正反対の、似た物同士。
私の中では、ジェイルクと対極の位置にあるカップリングですね。
…まぁ、これからゆっくり変わっていく事と思います^^;
あ、口調とかおかしかったら、遠慮なく指摘してやって下さい;