[終章]

おぬい婆さんのこと

 「上の家へ行くと、あんまりええことはないぞ。大五の餓鬼はほんとに小憎らしい。

 道で会っても知らん顔していよる。みつはみつで、前はほんに気前のええ子だっ

 たが、いまはみんなを見習うて、いつ会ってもふくれっ面をしよる。大方、大人たち

 が悪いことを吹き込んでいるずらよ」

 おぬい婆さんの言うことは決まっていた。洪作は三百六十五日、毎晩のように本家

 である上の家の悪口を耳にしなければならなかった。おぬい婆さんは本家の子供

 たちの悪口を言ったが、本当はその親である洪作の祖父母たちをやっつけたくて

 堪らないらしかった。しかし、さすがに祖父母の名は口には出来なかった。そうした

 おぬい婆さんの心の内部は、子供の洪作にも手にとるようによく理解できた。

 「上の家のおじいさは嫌いだ」

 時に洪作が祖父のことをこう言おうものなら、おぬい婆さんは眼を細めて、洪作の

 頭を撫でんばかりの恰好で膝をすり寄せて来た。

 「洪ちゃの本当のおじいさんだぞ。眼に余ることがあろうと、どんなこと言われようと、

 悪口を言うでないぞ。いいかい。上の家の衆は料簡は狭いが、みんな根はいい人

 たちなんじゃ」

 そんなことを言った。それは洪作にというより、自分自身を納得させる言葉を声に

 出して言っているに違いなかった。



しろばんば’は井上靖が自分の小学校時代をほぼ忠実に書き綴った自伝小説ですが

おぬい婆さん抜きには出来えなかった物語だと言っても良いと思います。

幼児から少年期の奇異な体験が作家としての感受性を養ったとか人間形成に影響を

与えたと言う等の論評されていますが、上のおぬい婆さんの一節からも二人が互いを

認め合って親愛な家族関係を持ちながら生活を送っていた事が伝わって来るではあり

ませんか。そして、題名のしろばんば’も初冬に飛び交アブラムシ科の小さな虫のこと

ではなく、白い老婆すなわちおぬい婆さんのことではと思わずにはいられません。


曾祖父辰之助が存命中は当時の言葉でハイカラな生活を送っていたこともあり、また

東京へも一緒に行ったことなど、気づかぬ内に自慢話になっていた面もあった様です。

そして親戚や部落の人に憎まれ口を聞いたり、反対によそ者と軽蔑されたりもしました。

しかし洪作と二人の慎ましやかな生活の中から、親しみを感じる人となりが伝わって、

嫌味よりむしろ微笑ましさを感じさせられてします。

また自分が歯が悪いおぬい婆さんが洪作にご飯にみそ汁やお茶をかけて食べるよう

勧めたり、とろろ汁やカレーライスの時はご飯は何杯食べても良いと決め付けている

事など。また共同湯で話し相手を見つけようとし何時までも待機していることや、人の

ことを構わず洪作の身に起きた些細な事件を触れ込み回ったり、ズケズケとものを言う

気丈さなども、寂しさの裏返しから来る行動と思え、近親感を持たされてしまいます。



 初め洪作にはそれがおぬい婆さんだとは思えなかった。まるでひと掴みにでもでき

 そうなひどく小柄な老婆が、背を折り曲げて、地面を嘗めるようにして歩いて来るの

 を見た時、変なたとえではあるが、まるで雑巾でもまるめたようなものが、風にあお

 られて、すこしずつこちらに転がって来るように見えた。が、間もなくそれがおぬい

 婆さんの姿に他ならなぬのを知った時、洪作ははっと胸を衝かれた思いで、暫く

 そのおぬい婆さんの姿から眼を離すことはできなかった。それははっきりと一人の

 老いさらばえた老婆の姿であった。



しかし後編になると今度は、おぬい婆さんが老いてゆく姿に哀れを感じさせられてしま

います。そんな時分、突然おぬい婆さんは故郷である下田から一里程離れた小さな

漁村へ帰郷することを思い立ち、洪作と一泊の旅に出かけて行きます。自らの死期

を悟った行動だったのでしょうか、はかなさと切なさが伝わってきます。


そして翌年の6月になると、母七重と妹弟たちが豊橋から湯ヶ島へ移ってきて、

洪作とおぬい婆さんは母屋と蔵とにそれぞれ引き離されてしまいます。

そのせいかおぬい婆さんは9月の終わりごろから調子を崩し床に伏すようになって

しまい、やがて年が開け松の内が終わると様態は急変し、老衰の上にジフテリアに

かかってしまいます。土蔵から母屋に移され、七重や近所の内儀さんらによって

看病されながら死んでいきました。


その生涯は、下田の花柳界から曾祖父辰之助に落籍され連れて来られ、良人の

死後も湯ヶ島で確りと生きていった、孤独な愛すべき女性だったと言えるでしょう。



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