[その五]

馬車駐車場

湯ヶ島地区と市山地区を結ぶ「すのこ橋」や馬車の駐車場、そして大仁駅は物語中に

随所に登場してきます。洪作とおぬい婆さんが豊橋や沼津へ、また後編では洪作の沼津

への一人旅や母「七重」の帰郷の様子などが思い浮かんできます。

下の写真は狩野川台風前のすのこ橋付近です。当時の田園風景もこの様なものだった

のでしょう。駐車場が有った辺りは、国道414号線を行き交うの車の騒音と新しい建物の

ため、往時の姿を知るすべはありません。行く手に浮かぶ富士山のみが、何ごとかを語り

かけてくる様感じます。




[すのこ橋]




軽便鉄道・大仁駅

昔、日本には「軽便鉄道 」というなまえで、低予算で建設できる輸送機関として、

全国各地の地方で数多く建設されました.

伊豆では明治31年、豆相鉄道株式会社が三島町駅(現三島田町)〜南条駅

(現伊豆長岡駅)間の軽便鉄道の営業を開始しました。その後、三島駅(現下土狩

駅)〜三島町間が開通、翌明治32年南条駅〜大仁駅間も開通しました。そして

大正13年、大仁駅〜修善寺駅間の延長工事が完成され現在の路線が整いました。

その後「駿豆鉄道株式会社」をへて昭和32年「伊豆箱根鉄道株式会社」となって

いきました。








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