遠山水系

遠山水系は遠山本谷、北俣沢、池口沢、八重河内梶谷沢が主戦場。本谷がまだ仏島が車止めであった頃、そこからが軌道跡の道で、これを利用し上流へと釣り歩いた。北俣も大きな堰堤がなく北俣渡の少し上が車止め、そこからが軌道跡の道で歩いて上流を目指したものである。池口もまだ林道の終わりに堰堤のない時代であった。梶谷に至っては車止めの林道奥に鎌倉の老夫婦がひっそりと暮らしていた頃から入っていた。今と違ってどの渓にも豊富に良い型のアマゴが生息しており、適度に楽しい釣りが満喫出来た。時は移りどの渓にも大きな堰堤や取水堤が出来、度重なる出水で渓魚も少なくなり、アマゴの姿が消え失せイワナの渓へと変貌してしまった。あの綺麗なアマゴたちは何処へ行ってしまったのか、このアルバムで古き良き時代を思い出してアマゴがまたよみがえる事を祈りたい。

梶谷・池口

池口沢

池口は何故か良い思い出がある。それは数もそうであるが何よりも幅広で良く肥えた大物が釣れた事でる。アマゴもイワナも大物を釣ったり遊ばれたりと色々な情景が思い出される。そんな経験から何時までもせっせと通った。渓流は競争だから前夜7時や8時には車止め到着、宴会をひとしきり挙行、翌朝暗いうちに入渓した。5月の連休は隣接する梶谷と両方を釣りながら車で泊まり宴会付きの釣行もやったものである。料理にも力を入れアマゴ寿司、なめろう、遠山ジンギスの焼肉、アマゴ炊き込みご飯etcである。しかし今日この頃のこの河川の状況は悲惨で堰堤は出来、出水で荒れ放題、魚影も少なくなり、遂には発眼卵を放流し禁漁として渓魚の増殖に努めている始末である。これからも渓魚を取り巻く環境は厳しいものがある。せめて釣り師は必要以上に魚を持ち帰らず育てて行く気を持って渓流と接する様に心掛けたいと思う。

これもお見事、頭もっこりの幅広である。ここの魚は特に凄いと感じる。魚のバックが新聞紙とはチョットいけてないね。失敗。
とある5月の連休時の釣果、大きいので30cm結構良い釣りが出来たものである。
中流域の滝、この前後は何故か釣れなかった。この滝も今となっては浅くなり渓相も低下した。
二又上流の通らずを泳いで上流へ、この下へ釣れたアマゴを持って来て放したけどどうなったのかな。
通らずを越え釣って行くと出くわす滝、この下付近までイワナは生息していた。この滝は中央の丸太に取り付けば乗り越せたが時間切れのため終了、次回の楽しみに取ってある。

八重河内梶谷沢

梶谷に行き始めた当時は長野の解禁が2月16日と早かった。まだ釣りを始めて間もなかったため、釣りたい一心でまだ雪の積もった兵越峠を一目散に下ったものである。当時は随分上流の我々が通常広河原と呼んでいる所までアマゴの良型が生息しており、ひとつのポイントに餌を入れると色んな方向から3,4匹が餌を目がけて向かってくる位魚が濃かった。しかし一度渓相が一変する程の大水が出て、川が真ッ平らになってしまった時があった。それ以来アマゴの姿がめっきり減ってしまい釣り始めの滝上部からイワナの領域と化してしまった。
渓相自体は昔の梶谷の渓相へと戻っているものの、あの良型の綺麗なアマゴたちは何処へ行ってしまったのか寂しい限りである。車止めから下流は漁協で放流しているのでアマゴの姿は健在である。アマゴに会いたい人は下流を釣る事をお勧めする。

源流部のイワナたち。良く肥えた36cmの大物。魚拓を録ろうとヌメリを取っていたら、お尻の所から何やら白い物が出て来たではないか。見てびっくりサンショウウオの骨であった。魚を処理しようと腹を掻いたら、これまた二度びっくり、サンショウウオがそのまま出て来たのであった。卑しく何でも食べちゃうのでイワナじゃなくてイヤシと呼んでもいいくらいだ。
気合いを込めていざ出発、今とちがって頭には煮しめた様なタオルを巻いている。ダサイのである。今は格好つけてバンダナを巻いている。薄くなった頭を隠す意味が大きい。
昔は山師の人が仕事で山に入っていたので、この様な立派な橋が架かっていて楽に上流へ行けた。現在は腐りかかった橋と岩場に掛けられたワイヤ−を使い恐る恐る越えて行くのである。
上流部の渓相、岩もしっかりしており良いポイントが沢山あって魚はいたる所から反応してくれた。
最下流の小嵐川との合流点付近、現在のヤマメ荘の前付近である。のどかな田舎の風景である。昔は子どもも沢山見かけ人々がどの家にも住んでいた。しかしここも少子高齢化で空き家が増えめっきり人の数が減ってしまった。訪れるのは釣り師ばかりである。
上流の段差のある渓相、このまだ上流にもアマゴの姿は健在で大物も竿を絞ってくれた。
昔の車止め、鎌倉のジイジとバアバがのんびり暮らしていた。ここも山崩れに遭い跡形もなく埋まってしまった。月日の流れは早いものである。
昔の良き時代の釣果、随分上流に入ってもイワナの姿など見る事はなかった。すべてアマゴ一色である。今と大違いである。
最上流のイワナたち、現在も健在で勢力を増して川全体に生息範囲を広げている。アマゴは何処へ行ってしまったのか、イワナもちょっとは遠慮しろと言いたくなっちゃうね。
そこそこの釣果、写真を撮っといて良かった良かった。今となっては貴重な写真である。
夕闇迫る中、小屋の一角を借り一晩の宿として、魚を焼き「プシュ〜〜グビッグビッ、ぷふぉ〜」そして一人つぶやく「たまらんの〜、これがあるから釣りは止まらん」その習慣は今も続いており釣りに行くのがメインなのか酒宴会がメインなのか解からないのだ。
小屋にてお連れと、いつもこんな写真ばっかり、キリンの缶ビ−ルのデザインが懐かしい。
本谷・北俣沢

遠山本谷や北俣へも通ったものである。その頃は取水堰堤等なんにもなく水量豊富でイワナ、アマゴの型も数も十分であった。余り大物には出会えなかったけど、釣り師の数も今とは雲泥の差で一日独り占め状態も多々あった。今は本谷にも北俣にも大きな取水堰堤が出来、どの支流にも堰堤が作られ見るも無残な姿である。釣り場としての魅力は全滅、挙句の果てに放流のし放題、ニッコウイワナまで放流する始末である。昔を知る者としては釣りに行く気も萎えてしまう程の現状だ。昔の姿に戻るのは無理だろう。魚は兎も角自然環境が余りにも破壊されてしまったから。人間もいい加減なもので「自然環境を大切にしよう」等と散々手を加えて破壊しておいて今更何なんだと言う気分である。そんなこんなでこちら方面へは余り足が向かないこの頃である。

北俣最終の堰堤

北俣中流の堰堤

しらびそ高原からの下降路の吊り橋

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見事な幅広しゃくれ顎アマゴ