平成12年9月 一般質問 全般

正風クラブ所属議員として一般質問をします。
今、日本は、明治維新、戦後の改革に続く「第3の改革』の時代だといわれています。

農業革命・産業革命を上回る情報技術改革が進んでいます。この、IT革命が進むと、好むと、好まざるにかかわらず、社会のシステム、経済のシステムが変わり、地方分権・住民参画がさらに進み、NPOが社会の中で、大きな地位を占め、政治・行政の果たす役割は、ますます重要になってくるものと考えます。

ところが、新しい秩序や、価値の創出に、政治・行政がチャレンジしきれず、閉塞感が漂っている現状から、市長には、明快な答弁を期待するものであります。

一つ目の質問は、21世紀の観光戦略をどう考えるか伺います
本市の観光は、厳しい経済状況がづづいている中で、個人消費は足踏み状態になっており、また国民の旅行ニーズの多様化と、高度化の中で引きづづき厳しい状況がづづいています。

本市は、海・山の緑に囲まれ、また、温暖の温泉地
として発展してきました。
しかし、最近ではこの種の魅力以外に,都市の持つ複合的な機能や各種の文化、情報の発信機能そのものが観光客にとって高い観光魅力となっています。

伊東市がさらに魅力ある観光地として誘客を図っていくには、既存の観光素材あるいはまだ顕在化されていない素材を発掘し、来遊客にじっくりと伊東市を満喫してもらえるようなゆとりと楽しさを兼ね備えた観光地づくりを推進する必要があると考えます。

取り組みの1つとして、観光素材への徹底したこだわりが必要ではないでしょうか。
観光伊東は、その山と海と温泉に徹底的にこだわり自然都市伊東のイメージをさらに作りあげていくことが必要でしょう。さらにその中で城ヶ崎の景観等を含め、水産業の営みとその自然環境や施設を観光に生かしていくことが重要であります。

しかし、伊東市はすばらしい資源はありますが、それが全市的なイメージとして発信できていない。温泉と自然がいっぱいの味わいが、まちの雰囲気として醸し出されていない。自然環境への徹底したこだわりが足りないではないでしょうか。

そこで質問の1点目は、自然環境の保全の施策はどのように取り組んでいるのか伺います。
日本温泉協会が毎月発行している雑誌「温泉」の8月号では、昨年開催した、旅と温泉展の来場者を対象に温泉に関するアンケート調査の結果が掲載され、もっとも印象のよかった温泉地の第2位に、伊東が選ばれております。

印象の良かった理由の第1には自然環境が挙げられています。
本市の第3次総合計画策定のための市民意識調査で、特に力を入れてほしい施策の第1位は「自然環境の保全」となっています。

また,夢づくり市民会議の提言は,町づくりの目標として「みんなできづく世界の伊東 自然を守り豊かな心を育むふれあいのまち」と掲げています。しかし、都会からきた人から、「伊東の人はいつも住んでいるので自分のまちの良さが判っていない」と言う言葉をよく聞きます。

このことは、自然環境を守っていなかったり、どの場所がどのように良くて、この環境をどういうふうに守っていくのか、という具体的な施策と計画がないからではないでしょうか。

私たちは、もう一度観光地伊東の魅力を一つ一つ洗い直す必要があるでしょう。
本市の印象のよい自然環境はどこで、その保全施策はどのように取り組んでいるのかお伺いします。

2点目の質問は、自然環境の保全にこだわった城ヶ崎トラスト運動の取り組みについてお伺いします。
ナショナル・トラスト運動とは、野放図な開発や都市化の波,そして相続税対策による見切売りなどから貴重な自然環境や歴史的建造物などが破壊されるのを防ぐため,国民から広く寄付金を募って,その土地や建造物を買い取ったりして保存、後世に残していこうという運動です。

日本では、北海道・知床半島や和歌山県・天神崎など全国各地で40ヶ所を越え,運動を展開しています。
各地域のトラスト活動は、それぞれ独立して運営されており、その成り立ちは、市民団体が中心になって始まったもの、地方自治体主導で始まったもの,市民と自治体の協力で始まったものなどさまざまです。

この運動を進めたい城ヶ崎海岸は伊東を代表する景勝地です。
城ケ崎は、溶岩台地が広がっていて、海に流入した溶岩流は荒波に侵食されて変化に富んだ美しい海岸線をつくっております。 この海岸線に沿って、富戸港から伊豆海洋公園まで約3キロのピクニカルコースと、蓮着寺から八幡野港まで約9キロの自然研究路があります。

このコースは、黒松の大木やビャクシン、タブノキ、ヒメユズリハ、ヤマモモなどの常緑樹が海岸線を守るように帯状に豊かな自然林を茂らせています。黒潮の影響もあって、冬暖かく夏涼しい温暖な気候で暖かい土地にも生える植物も多く1年中花が絶えません。

城ケ崎海岸は、地形的な特徴、自然林や植物、野鳥や昆虫の自然観察を楽しむ人を含め年間200万人が訪れています。
しかし、この遊歩道を含む一帯の所有者は、伊東市もありますがほとんどが個人の所有地になっています。

このことから、我が会派の宮崎議員は平成8年9月と平成9年3月議会で、市の50周年事業として城ヶ崎の自然環境を未来永劫にわたり守り育てるトラスト運動はいかがかと質問し、市長は、国・県の公有地化の要望の推移を見極めながら何らかの方法で城が崎の自然環境を守り育てたいとと答弁されました。

さらに半年経ちどう研究されたのかの再質問に、県の公有地化を図るべき当面のこととして、土地所有者の意向を伺うことを考えておりますと答えております。城ヶ崎の自然を守ることは、市長を含め市民みな同じだと思います。

しかし、市長には自然環境を守るこだわりが足りないのではないでしょうか。守る気持ちにこだわれば、トラスト運動をしたり、市独自で買い上げてもよいではありませんか。

こういった動きが国・県を動かし何らかの支援も得られるのではないでしょうか。
城ヶ崎のトラスト運動はどのように考えているのかおうかがいします。

3点目は、自然にこだわった観光基本計画の策定についてお伺いします。
観光という言葉は、旅行者の立場からは「光」をこめて「観」つめることを意味し、迎える側にとっては誇りをもって「観」せるという意味とされています。

つまり市民が誇りとする、伊東の資源を市外の人に見てもらうという気持ちが基本であり、もてなしの心があってはじめて観光客も癒されるといえます。

観光志向・観光形態の多様化の中で、市民の協力や参加なくしては、今後の観光の振興はありえないといえましょう。したがいまして、市民参加をとり入れた、観光の基本計画があってしかるべきと考えます。 

3月議会で、基本計画策定の質問に市長は健康回復都市宣言をして、全国に発信し、これを結実させていくため、長期滞在型の観光と、誘客対策の一環として健康保養や健康体験プログラムの策定を進めていく。と答弁しております。こういったプログラムの策定を進めるには基本方針、観光伊東の基本の目標が先になくてはならないと考えます。

3月議会に続き、再度観光基本計画の策定はどのように考えているのかお伺いします。

二つ目の質問として河川法の改正による地域の意見を反映した、豊かで美しい河川環境づくりにどのように取り組んでいくのかお伺いします。

わが国の河川法は、明治29年に制定されて以来、何度かの改正を経ながら、「治水」「利水」を主な目的として、経済発展を支えてきました。
しかし、近年の社会変化は河川を取り巻く環境だけでなく、その地域に住む人々の川に対する意識も変えています。

河川の役割を治水や利水だけでなく、潤いのある水辺空間や、多様な生物の生育する環境空間の場として、役割を期待されるようになってきています。これらの時代のニーズに合わせ、平成9年度、新たに河川法が改正されました。改正により、河川整備には住民の意見等の聴取・反映手続きが法制化され、流域住民等のニーズを的確に把握し、まちづくりと一体となった川づくりがもとめられています。

また、改正された河川法は「河川環境の整備と保全」が位置付けられ、豊かな水域環境の保全・創出を積極的に推進する川づくりには、大きく4つに分類されています。
魚にやさしい川づくりは、魚類の生息・生育環境の改善を図るため、魚道の設置・改善を行い,魚類遡上環境の改善を行う整備で、整備等の中で,一体的に良好な水辺空間の整備・保全していくもので、

ふるさとの川づくりは、周囲の自然的・歴史的環境を地域多自然型は、河川が本来もっている生物の良好な生息環境に配慮し、あわせて美しい自然環境の保全あるいは創出をめざします。

そしてスーパー堤防型は人口・資産が高度に集積した大都市の洪水による壊滅的被害を未然に防ぐために行われるものです。
この4つのタイプで整備していこうとしています。

河川法が改正され3年を経過し、他市町村では進んでいる整備が本市ではどんなタイプの川になっていくの方向が見え
てこないことから質問しました。本市は、自然が美しい観光地といわれております。

豊かで美しい河川環境の創出を真っ先に取り組まなければならないと考えます。
河川法の改正による地域の意見を反映した、豊かで美しい河川環境づくりにどのように取り組んでいくのかお伺いします。

3点目の質問は昭和33年の狩野川台風後の改良工事により変更が生じた河川用地の処理についてお伺いします。
昭和33年9月26日今から42年前の台風22号は、狩野川上流一帯にわたり1時間80ミリから120ミリの降雨で、湯ヶ島では
総雨量753ミリを観測しました。

伊東では、26日の雨量は345ミリに達し、伊東大川,寺田川、小沢川,宇佐美の3河川が氾濫、、死者42名,行方不明16名、負傷者732名全壊家屋125棟,半壊家屋140棟流失家屋76棟、床上浸水1937戸田畑の流失57ヘクタール、その他道路,鉄道堤防通信公共施設など大きな被害を受けました。 その後,復旧状況を議会では大先輩の方々が質問しております。
 
 昭和33年12月議会では、今後の復興にあたっての川幅の拡張各河川の浚渫についての質問に当時の沼田市長は、たとえば宇佐美の阿原田においてはまっすぐになるよう改修してもらいたいというふうな陳情書を送ってまいりました。

それらについては当局と相談のうえご意見とうりやっていくのが当然だと思います。と答弁し,災害復旧にとりかかっています。したがいまして、蛇行していた川は真っ直ぐとなり、台風前と後では川の位置が大きく変わりました。

事務処理からすれば、現地の測量、公図の訂正、現河川と廃川の交換、となっていくと思いますが、42年経った今でも
所有権の移転がされていません。このことで、新たな問題も出てきております。

新河川法は時代のニーズに合ったものなのに、現況とは大きく違います。狩野川台風後の改良工事により、変更が生じた河川用地の処理について、どのようになり、どう進めていくのかお伺いします。

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