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フツーの日記/2000年9月版
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09/30 (土)-豆腐

家の近くに「自然薯と豆腐」を看板に上げた食事処があって、どんな所かな、行ってみたいな、と思いつつも何回か通り過ぎていたのだけど、今日遂に行って来た。因みに店主的にはこれは快挙で、河口湖の向こうの24時間オープンのラドン温泉、朝霧高原のもちや二輪車博物館など、「何度も通り過ぎつつ気にしながらも行ってない」所が多数ある中でこれを果たした意義は大きい。で、がらがらと引き戸を開けて入ると、あの豆腐の匂いがしてくる。子供の頃、近所の豆腐屋さんから流れ出てくる湯気の中を鼻の穴を広げてくんくんしながら通ったことを思い出す。

とりあえず座敷に上がり、メニューを眺めてみると、をを、さすがに看板に上げるだけあって豆腐、山芋のメニューが並ぶ。で、両方を一緒に味わえる「麦とろご飯膳」(小さな冷奴と揚げ出し豆腐付き)を選び、更に田楽を頼んで待つこと暫し、思ったより色々と載せられたお盆が運ばれてきた。見れば、動物性の物は冷奴にかかった鰹節だけで、他は全て野菜である。

頂く。どこを食べても植物性で、なんか体にとても良い事をしている様な気になる。味はさすがにあっさり目で、するすると入っていく(含とろろ)。豆腐は絹ごしっぽくて軟らかいんだけど、でもしっかりと箸でつかめる・・・硬さ的にはプリンやゼリーを想像して頂ければ良いかと思う。あと、店主は甘いもの好きで、だから甘味噌味の田楽も好物なのだ。ぱらぱらと散らされている胡麻が嬉しい(胡麻も大好き)。

お膳の上をすっかり平らげて、いやぁ良いもの食べたなぁ、体にいいよねこれは、と思いかけて、ぽんぽんになったお腹を意識する。幾ら豆腐が健康食品の代表格の一つとはいえ、苦しくなるくらいに食べてしまっては消化器系に良いわけが無い。

豆腐だろうがステーキだろうが和食だろうがフレンチだろうが、やはりまずは腹八分目に医者要らず、が基本なのだ。
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09/15 (金)-迫る車

もしかしたらクルマを運転しない人はあまり気にならないかもしれないんだけど、或いは運転する人でも「いやぁ、そうかな? 何でもないけど。」って人も居るかもしれないけど、でも、自分の車の後ろ側にやたら近付いて走られるのは大抵の場合鬱陶しいものだと思う。
誰でも一度ならず経験があるのではないだろうか? 「おいおいこの人大丈夫かな、ブレーキかけたらちゃんと即座に反応してブレーキ掛けてくれるんだろうな」ってなくらい、ルームミラーで見ると自分の車のリアウィンドウ一杯に向こうのフロントウィンドウが映っちゃってるくらいにくっ付いてくる人が。
恐らく、こういった人の殆どって悪気とかがあってやってるんじゃなくて、癖なんだと思う。店主的には信号なんかで止まる時にすーっと減速していって、最後の少し手前で一瞬、今までの減速度から向こうが期待しているだろうよりほんのちょっと強めに減速して、自分は思ったより先行車に迫っているのだ、と気付いてくれないかな、なんて試みている。

あと店主は主にマニュアル車を運転していて、で、クラッチをいたわりながらの坂道発進の時にはどうしても一瞬下がり気味になるんだけど、この時すぐ後ろにくっ付かれているととっても嫌だ。だから坂道で止まる時には後ろに車がいたら、一旦止まった直後にわずかに車が下がってからブレーキをかけて止まっている。これで大抵の人は少し広めに間をあけて止まってくれる。単純に落ちてくる車に更に近づいていこうと思わないだけなのか、或いは「こいつはもしかしたら下手クソなのか? 君子危うきに、だよな、あ、ちょっと違うかまぁいいか」と思うのか定かではないが、結果が良ければ良いのだ。
でもほんとに困っちゃうのはせっかちな人、それも明らかに、自分が思う通りのスピードで交通が流れていない事に年中憤ってる様な人、それとどんな速度で流れていようがとにかくそれより速く走りたいらしい人である。例えば片側1車線の道路で交通がある程度流れていて、店主車の前に車がいて、その前にも、更に前にも、ずっとずっと向こうまで車がつながっているのに、店主車の後端間近に迫って、いわゆる「あおる」という行為をする人がいる。右に左に車を移動させ、ぐぐっと迫ってきては少し離れる事を繰り返す。或いは実はもう当っているのではないだろうかと思うくらいに近づきっ放しになる。

店主をあおって10台前の先頭車がとばし始めてくれればそれなりに意味もあるのだろうが、大抵は店主が鬱陶しい思いをするだけで無意味である。こんな時「あーあ、馬鹿だね全く」と思って放っておくのも良いけど、でも鬱陶しいのには変わりない。またこちらから様々な嫌がらせをし返してやるのも良い・・・良いのか?・・・わからないけど良いとしておこう、ま、良いのだけれど、そんな事をしていて万が一にもぶつかったり喧嘩になったりしてもつまらない。

そんな時店主はこう思うことにしている、「あ、この人、ウンコを我慢してるんだね」、と。

そう、先に行きたい気持ちは限りなく強いに違いない。とにかくどこか、安心して用を足せる場所に早く「着かなければならない」のである、この後ろで焦ってる人は。恐らく、それまで運転に振り向けられていた身体的能力の30%くらい、思考能力に至っては100%に近く、排泄の欲求との戦いに振り向けられているのだ。余裕が無いのだ。可哀想な人なのだ。こうしている最中にも、今まさに「大きな波」と必死の戦いをしているかもしれないのだ。まわりは自分を陥れようとしている、或いは邪魔しようとしている敵だらけの中での孤独な戦いなのだ。

そう思うだけで穏やかに慈悲の心を持てるのに気が付いてから、危ないな、とは相変わらず思うけれど、腹の立つ事は激減した。また、街中などをどえらい勢いで走り抜けていく車を見ても同じ事を思えば、なんだか滑稽さと哀れみを感じてしまう。

実際辛いのである。だから相手がそうなのだろうと思う事で腹の立つ事も無くなるのだ。因みに「運転中にその種の我慢? いや、経験した事無いな・・・」という方、わかる様になるよりも煽られて腹を立て続けるほうがずっとお得です、と申し上げておこう。
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09/03 (火)-DQ7

自ら「国民的ゲーム」と銘打ち、また周囲も「ま、良いんじゃない?」と納得しているらしいRPGのビッグ・ネーム、ドラゴンクエストの最新版、「ドラゴンクエストZ-エデンの戦士たち」を始めた。プレイステーションのコントローラーを握るのは実に久々である。

これのかなり前にもう1つのRPGのビッグ・ネームたる「ファイナル・ファンタジー[」をほんのちょっとやってみたんだけど、リリース毎に複雑になる設定やら操作やらに嫌気が差して、30分くらいでギブアップしてしまった。少し慣れてみれば良かったのだろうけど、その時にはその根気が持てなかったのだ。

その点、「ドラクエZ」は初期の設定が簡素で操作にも一貫性があり、とっつき易い。安心できる。もちろんそれでも、アップ・トゥ・デートな機能は、店主が嫌にならない程度には盛り込まれている様だ。最初にコントローラを握ってとりあえずは操作説明を見なくても何とかなるし、状況設定が簡素なのも嬉しい。最初は街は夜で、そこら辺に居る人に一通り話を聞いて歩き回っていまうと「寝て、翌朝を迎えざるを得ない」状況に追い込まれる無理矢理さも久々に体験すると新鮮だ。

今の所はまだ街の中で、戦闘を始めとする操作一般で行っていない事の方が多いのだけど、でもまぁここから先をやる気にはなっているのでおいおい経験を積んでいけるだろう。

それにしても、他人の家に入り込んで勝手に箪笥やら壷やらの中を探して薬草とかお金を手に入れる、連綿と続くコンセプト、何とかならんのかいな・・・。
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