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フツーの日記/2001年7月版
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7/26 (木)-目から鱗-(多分)その2

良く行くお得意先の担当者氏(アメリカン)と打ち合わせを終えて雑談していて、昨日そこのビルに落雷があって全館一斉に停電した、なんて話になった。店主が「アメリカにいたときに、木に落雷するのを目の前(但し店主は建物の中)で見た」、と話せば、負けずに担当者氏は「電柱にある変圧器に雷が落ちたら、そこでボール状の火の玉ができて道路を跳ね回った、でも後から行ってみたら痕跡が何もない、不思議だった」と応戦する。雷は自然現象なくせに普通じゃないエネルギーを持っているから考えられない事を起こしても不思議じゃないねぇ、とお互い納得し、で、雷は空気中を走る時に最も抵抗の少ないところを通るんだよね、考えている訳でもなかろうに、不思議だよね、と店主が言ったら、ああ、水が上から下へ流れる様にね、と言われた。

店主驚愕、絶句、畏怖畏敬・・・なんと簡単な事よ。

ずーっと前から、「電気って抵抗の最も少ない所を見つけて流れていく」というのがとても不思議で、一体どうやってそれを見つけるんだろう、と思っていた。水が流れるのと同じなだけだった・・・流れる水は、行く手に障害物があれば乗り越えたり回り込んだりしてそれを避けている。電気=電流だって同じ事、雷というものが空気の絶縁を破壊しながら空中を突き進むというダイナミックさに圧倒されて、何かしらの特殊な性質があるのだろうと思い込んでいたのだ。

まぁ今までン十年生きてきたんだけど、そう多くの経験や知識がある訳ではない。だけれど折角貯め込んだものだから、それを維持したまま目、視点だけは子供に戻れないかなぁ、などと思う。 そうすればきっと、そこからの人生、悪くない・・・あ、「悪ガキ」ってのもありか。
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7/14 (土)-微妙な羨望

店主は結構クルマが好きで、このサイトにも自分のクルマの日記的コンテンツがあったりする(ちょっと宣伝)。で、店主の所有車(因みに「愛車」って「マイカー」と並んでダサい響きだと思っている)のフルモデルチェンジが行われ、店主号はいわゆる「前モデル」となった。

まぁクルマを持つ理由は人それぞれあれど、店主の場合は半分趣味が入っている事もあってこのフルモデルチェンジはかなり気になる出来事だった。クルマが趣味性や(下らない事に)ステータス・シンボルとしての性格を持つ工業製品である以上、時間と共に進歩する技術やアップ・トゥ・デートな設計、市場の要望などが取り入れられて商品価値を維持、向上させるというのは必須、必然であり、まぁ平たく言えば「良くなっているんだろうな」、と抽象的に確信、憶測しつつ羨ましく思うのである。

で、先日この新型に短い時間だけど乗ってきた。詳細はそのクルマなコンテンツの方に上げるとして、個人的な結論は、「今の店主号から敢えて(これの新型だという理由で)買う、買い換える必要性は非常に薄い」、というものだった。それはそれで良いと思うんだけど、問題はこれが「旧型乗りのやっかみに見える可能性がある」事だ、というか、店主がそう見える可能性があると思っているという事だ。

ほんとにそうじゃないんだよと理由を述べても、はたまたさらっと書いても、いずれにしてもそう見えてしまう様な気がする・・・ここにこうして取り上げる事自体、既にこだわっている事の証なのだろう。店主の場合、あまり派手にではないけれどクルマに手を入れる(=部品等を好みのものにして改造する)事もあり、今までの投資と手間も頭の片隅にあって「買い換える必要性は薄い」ってな結論を出しているんだけど、でもほんとのほんとに、クルマの成り立ちの本質的な部分で「名前は同じだけど別のクルマ」と認識したので(これの新型だからという理由で)買う、買い換える必要性は薄い=別のクルマと捉えて検討した方が良い」、って思ったのだ。まぁあとは端的に、あまり魅力を感じなかった、ってのもあるけれど。

だけど人の考え方は千差万別、また旧型に乗っている/乗った事のある人の方がそうじゃない人より圧倒的に少ない筈で、更に乗った事のある人全員が店主と同じ様な意見を持つとは限るまいという事で、同じ様に考える人の方が結果的に少数派となる事は明白だ。雑誌のレポートなんかを読んでも「旧型に比べて格段の進歩」、ってなってて、「旧型とは別の種類のクルマと考えた方が良い」、なんては書いていない。何たって発売元が「フルモデルチェンジ/新型だ」って言ってるんだから、これは公式な事実なのだ。それでも敢えてこんな事書いて、羨ましがっていると思われるのを気にしている。それならいっそ、こんな物書かずに黙って乗ってりゃいいじゃないか、というのがもっともな意見になるんだけど、半分は公の場で宣言してしまって自分で自分を補強したい、ってな思いもある・・・なんて書くとやっぱりこだわってるんじゃないかって事になって、そうじゃないよと説明し・・・これじゃ終わらない。

だからこの辺りで公言は止めつつも、わずかな羨望感を放散しながら自分の中では循環し続けるのだろう。半減期はない。次に気に入った、新型を見かえせる様なクルマを見つけて手に入れるしかないのだ・・・って、やっぱりこだわってるねぇ。
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