フツーの日記/1999年6月版
最新の「フツーの日記♪」へ |
小間物屋トップページへ |
Go back to English top page
さて、寝るか、普通な日曜に感謝しつつ。
このページのトップへ戻る
なんだか最近、幾つかのキーのストロークエンドで「ぐにゃん」という感じがする様に思えて気持ち悪くなってきていたので、久々にキーボードを洗う決心をした。
キートップは気がつくと拭いたりしているのだけれど、中の方までは上からでは拭けない。エアーで埃などを飛ばすという手もあるが、キートップと本体の間にイロイロと落っこちて、このストロークのぐにゃり方からするともしかしたらおどろおどろしい世界になっているのでは、という恐いもの見たさもあり、3箇月ほどぶりの分解掃除洗浄と相成った。
パソコンの電源を落とし、キーボードの裏蓋を外す。この状態ではまだのっぺりとした基盤の裏側が見えるだけである。この基盤を外すと、ラバー製の、小さな吸盤の様な形をした「スプリング」と、キーの裏側が見える。このスプリングはキーの数だけある訳だけど、かなりの割合で一枚のシート上に一体成形されているものの、キーボードの種類によるのか一部だけは独立している。これがキー側にくっついていたり基盤上に貼り付いていたりするんだけど、いずれにしてもぽろっと落として無くしがちなので注意する・・・って、無くすのなんて、店主だけかな。
キーを裏側から抜く。ここの部分の構造はそれそれだと思うけど、店主のとこのキーはガイド兼戻り限ストッパーをキーの裏側から押し込んである。マイナス・ドライバーをこれに差込み、ぐっと押してやると、ぽん、とキーが抜ける。これを繰り返す。
キーが全て外れて、洗える状態になった。をを、なにやらいろいろとと落ちているが、なんか恥ずかしいので描写は割愛する。なにがあったか知りたい方は、店主宛メールにてお問い合わせ下さい・・・ほんとに寄越さない様に。洗うのは各キーと、本体上半分(:実際にキーが組付けられている部分)である。キーはまとめてネットに入れ、洗濯機で洗う。本体の方は風呂場にタワシと歯ブラシ、洗剤を持ち込んでごしごしと洗う。
洗い終わったら水切りをして、一晩陰干しする。「陰干し」としたのは、なんとなくデリケートっぽさを出したかったから、である。特に意味はない。
組付け。パソコン雑誌をめくってキーボードの写真を探し、それに従って組付ける。写真は撮ったのだが、一部きちんと写っていなかった為こうなった。方法は、予めキーをぽこぽこと所定の位置に差しておき、置ききった所で上から平らな板をあてがってそのままひっくり返し、裏からストッパーを指で押し込んでいく。全部押し込んだ所でそのまま持ち上げ、(キーが下になる様にして)キーの高さを確認する。他より飛び出ているキーはストッパーが入りきっていないので、改めて押し込む。
OKとなったところでスプリングを組付け、組付け、クミツケ・・・一個足りない。ちゃんと全部回収したつもりだったんだけど・・・ややあってデスクの引き出しの中に落ちているのを見つける。そういえばここ、開いてたっけ・・・。基盤を元どおりにネジ止めし、裏蓋を組付ける。どれどれ、と叩いてみると、うん、「カンッ」とストロークエンドにソリッドに当たる感じがして気持ち良い。
まぁ、そこから作り出される文が相変も変わらずこれであるが、これでしばらくは、道具のせいにはちょっとしにくくなった。日記のネタに用いてしまい、正に自縄自縛。
このページのトップへ戻る
朝8時から11時過ぎまで仕事をして、やっと帰ってきたら今日の夕食は牛丼だと言う。あ、なんか嫌がってる様に見えるかもしれないけど、その逆です。この土地で牛丼を食べようと思ったら、作るしかないのである。そこら辺でぽっと買っては来れないのだ。しかも薄切りの肉が手に入りにくい。スーパーなのでは売られていないのだ。ニューヨークなどと比べてはいけない。ここは田舎なのである。日本の産物はさほどポピュラーではないのである。
閑話休題
元来店主は少ない食器に盛られた食べ物が好きである。カレー、チャーハン類、丼物、など、器一つで食べられるものが便利で宜しい。
で、牛丼を食べ始める。う、うまい!、店主感激。どんどん入る。
が、魔が差した。「これに卵を加えれば旨いのではないか?」と思い始めたのである。確かに入れれば旨そうだ、でも失敗したら、店主に合わなかったらどうしよういやしかし捨て難い・・・なんて事を食べながら考える。で、結局半ばまで食べた所で入れる事にした。
・・・・はっきり言って失敗した。いや卵自体がどうこうと言うのではない。味は・・・良い筈だ。「筈だ」、と言うのは、迷っている内に牛丼を思いのほか食べてしまい、相対的に卵過多になってしまったのだ。卵の味がきつい。そして結局、卵をかけた時点から半分ほど、1/4ほどを残してしまった・・・貴重な一品だったのに。
「ギャンブルの次のターンに期待」、「道路の横断」、「花札のコイコイ」、「通らばリーチ」、等に加えて「牛丼に生卵」を、「躊躇ったらよせ」リストに心で泣きながら付け加えたのであった。
このページのトップへ戻る
実は先日、この店主を驚愕させる事態が起きたのだ・・・ってか、まぁ、今はまだ「起きるかもしれない」、くらいの初期段階であるけれど。
ある日、いつもの様に店主の手でバリバリにチューンされたOutlookExpress5を起動してメールを配信した所から話は始まる。因みに「バリバリなチューン」とは、5つ入っているメーリングリストの各フォルダへの振り分けと、これまで来たSPAMメールの件名にあった単語どもをOR8扱い+受信せずにサーバから削除、でぼんぼん放り込んだだけという乱暴なリジェクト・フィルタの事である。つまりバリバリにテキトーなのである。
で、それらの粗雑な難関を切り抜けて受信トレイに収まった、初めての差出人からの一本のメール・・・「?」、と思って開いてみると丁寧な文で、要約するとこんな事が書いてあった。
「会社で企画が出ている日記集に載せようとするものの見本として、上層部に見せるものを探している。ついては、もしこの企画が面白そうだと思ったら、良ければ明日の日記を書いて送ってもらえないだろうか?勿論断っても構わない。この話がこの先どうなるか分からないが、もし企画が通って本になるとしたら改めてお願いする事になる」
どっひゃー。
店主一人の日記を本にする、という訳ではなく何人分かが集まる様で、店主独演では差出人氏、無謀、捨て身ということになるが、違う様で良かった。それにしてもびっくらこいた。
この差出人氏の「会社」というのをちょっと検索等して調べてみたら、店主のOE5のテキトーフィルタなんて100万時間正座の刑にさせられそうなバリバリに固そうな会社であった(間違ってたらごめんなさい、店主的に調べた範囲で、なので)。で、結局送ったのが、6/18(金)/「今日の世界経済に関する一考察 」、である
今頃は俎上にのっているのであろうか・・・・。何はともあれ、差出人氏の出世評価年棒賞与にせめてマイナスの影響を与える事だけはありません様に、と祈る次第である。
このページのトップへ戻る
実に一年ぶりくらいに髪を切った。途中一回後ろを揃える位に家で切ったのだけど、お店で切るのはほんとに約1年ぶりである。うーん、頭が軽い・・・あ、別の意味で納得しないで下さい。
髪型と言うのはみんな見ていない様で見ているものだと思う。「を、髪型変えたね?」てのは日常結構聞かれる様に思うし、イメージを変えたいときに男性なら真っ先に検討する項目の一つになるだろう・・・女性でもそうか。化粧のスタイル、という手もあるけど、女性のそれほど一般的ではない様に思う、オトコの場合。
前後左右それぞれ5センチくらいづつ、感覚的には「ばっさり」という感じで切り落としていく。昨日まで、頭の後ろでまとめると位置によるけど7〜8センチくらい飛び出ていたし、前髪は顔がほぼ隠れるくらいに長かった。あ、髪を切ろうと思った理由の一つは、何かを食べる時に髪まで咥えてしまう様になってきた事である。
一時間を待たずに出来上がる。店主の毛質はほぼ完全なストレートなんだけど、うなじの辺りだけが複雑にくせ毛になっているというもので、だからこの辺りを切り取ってしまうと気分が宜しい。また頭の後ろ側部分が潰れてすとんと落ちた様になるので、これを防ぐ為に膨らませる様にブローすると良い、と教えられたが、店主の性格からして「自分で見えないから、いい」、と放っておくであろう事は明白である。
その、後ろ側の長さを確かめる様に、と手鏡を渡される。合わせ鏡にして映してみながらふと気が付くと、顔の角度を変えてみたり表情を変えてみたり、顎に手を当ててみたりと、要するに結構その気になって細々とチェックしている自分が鏡に映っていた。
そそくさと手鏡を返し、「これでOKです。」、と告げる。その際に、美容師さんが「くすっ・・・」としてはいないかと正面の鏡でチェックしてしまう辺り、店主はまだまだ未熟者である。
このページのトップへ戻る
インターネット上のこの「高機動小間物屋」の店主というのは実は店主的には副業で本業は地味なサラリーマンだったりする。
で、サラリーマンの宿命の一環として、日々働く中で頻繁に耳にしたり当事者になったりする、「〜が届かない」、「〜が緊急で必要」、「〜が壊れたのですぐ見に来てほしい」といった電話、メール、怒号といったものは、全世界では一日にいくつくらい飛び交っているのか?
それに対して「わかりました、なんとかします」という返事はどれくらいされているのか?また「いやそれはちょっと」、「もう数日待って頂けますが]、「今出ました」、はどうなんだ?
今日もこれらはいつもと同じ様に聞こえてきていた。これは自分、いや、自分の会社、もうちょっと広げて地域、更に広げて国までいっても、そこに固有、とか限定、といった類のものではない様だ。つまりは全世界、なんらかの経済活動があるところで広く言われてるらしい。少なくとも店主が仕事をした事があるアメリカと日本ではそうだ・・・って、なんてこったGDP世界1位と2位の国ではないか。こいつらでさえこの有り様だ。
そこから考えられるのは、世界経済というものは、実はかなり際どいバランスを保ちながらその時その場をその日暮らし的にきり抜けているのではないか、という事である。うちの社で起こっている事が他所では一切ないとは考えにくい。つまり全世界の「会社」で起こっている筈だ。
こういった物たちの発生とそれへの対応が起こる度に、世界経済は倒壊の危機と一時的安定の間を行ったり来たりしているのだ。うちの事務所のコピー用紙が切れちゃったばっかりに、どこかの会社の株が暴落するってことが絶対無いとは言えない。
「そんな簡単な事じゃない」、「阿呆か貴様」という叱責もあろう。甘んじて受けよう。が、そう言われようが思われようが、こういった事柄は毎日起こり、その度に対処されているのだ。これは紛れもない事実なのだ。実際今日だって、4件ほどになんとか対処したぞ、店主は。ふぅ。
え?これのどこが(題)「今日の世界経済に関する一考察」かって?ああ、これ、読み方間違えないで下さいね。「こんにちの」じゃないです。店主的にその日暮らしの世界経済の一翼の内4件分をしっかり担い、破綻させずに済んで良かったな、という、「きょうのせかいけいざいにかんするいっこうさつ」です。そこんとこ宜しく。
このページのトップへ戻る
店主は甘いものが大好きなんだけど、摂り過ぎの気があるので注意していなければならない。が、最近また一つ禁断のアイテムをこの土地で発見し、手に入れてしまった。
それは「水飴」である。長らく(直接水飴としては)口にしていなかったので、気がついたら250グラム入りのものを1週間で既に2/3ほど食べてしまっていた。困ったものだ。砂糖よりは体に良いと思っているんだけど、何にせよ摂り過ぎは良くないに違いない。それに確か「還元麦芽糖水飴」ってのは、お腹をゆるくする(要するにお通じが発生しやすくなる)らしい、ってこれは過激でない限りそう悪くもないか。
良い点としてはカロリーが低い(砂糖の半分ほど)、血糖値が上がりにくい、虫歯の原因にならない、穀類からできている場合なんとなくエネルギー変換効率が良さそうに思える(根拠無し)、きれい(店主主観)、食べていて楽しい(何がだ?)、なんてのがある。本当は「食べる楽しさ」を高める為に、子供の頃に駄菓子屋で売っていたちょっと硬めの水飴の様に割り箸などを使って練り込んで空気を混ぜてから食べたいんだけど、こいつは専ら料理用なのか箸に絡んでくれるほどには硬くない。ではどうやって食べているのかというと、実はスプーンにのせて頂くのだ。
ああ水飴よ、透明で無垢なお前がスプーンの上にのって口に入れば、すっと広がる甘みとそれを引き立てる柔らかい食感・・・なんて事は、実はほとんど考えないなぁ。一日当たり約25グラムも口の中に流し込んでいれば、そんなものに浸っている暇なんてないのである。
このページのトップへ戻る
で、何だかんだと言いながら今日もマウスを握ってキーを叩いている。文句は多々あれど、当分嫌いにはならなそうだ>>PC。
このページのトップへ戻る
少し前の事になるけど、とある掲示板でこの日記がお褒めの言葉を頂いていた。曰く、「どうやったら順ちゃんみたいに短くても面白くて内容のありわかりやすい文が書けるのだろうか(1999年6月7日の「ごみばこ」/管理者 : 瑞枝さん、の掲示より引用)」。どうもありがとうございます。
この日記は、日記としてはかなり一回の文章量が多いと思うんだけど、それでも「短くて」と言ってもらえると実はかなり意識して短くしようと努力している店主としては嬉しい、ものすごく嬉しい。
同じ内容を伝える物であるのなら文は短い方が良い、と思っていて、しかし一応誰もが読むであろう事を想定すると一部にしか通じない言い方や引用をなるべく避け、例え説明調になっても誤解の起こらない様な、きちんとその日の日記単体で独立した文となる様な表記を心がけている、自分的にベストを尽くして。しかしそうするとどうしても文が長くなりがちであり、それをなんとか圧縮(或いは簡素化)しようと無い知恵を絞って考えるのである。実はこれはそれなりの時間を費やしていてあーでもないこーでもないと試行錯誤する事もしばしばなのです。
あと、その日に書いて基本的にそのまま上梓するんだけど、後から読み直して「おかしいな」、と思った所には手を入れる。一応いろんな方が読む可能性があるって事で、まぁ一旦世に出た各種著作物でも「改訂」って事もあるからいいよね、という理屈の元に気がついた所に手を入れている。でも文意を大幅に変えたりより受けそうなオチができたからそっちにする、なんて事はなくて、あくまで意味をわかり易くしたり誤字を含む文章/文法/表現法を直したりという範囲に留まる。
んで、さぁ今日もそこに差し掛かりつつあるけど、ほんとのほんとにこの日記の中で一番手間がかかっているのはこの下に来る最後のまとめ、オチの部分なのである。時にはすっと出てくる事もあるけれど、大抵は少し〜結構長く考え込む。もしかしたら精神エネルギーを一番注ぎ込んでいる部分かもしれない。
かと言ってメンドクサイからここだけ読んでやれ、なんて思うと、うわなんじゃこりゃつまらんってな事になる。例えばショートケーキの上のイチゴは格別の味がする。が、それは土台になっているケーキと一緒になってこそ、の事なのである。
このページのトップへ戻る
土地柄その手の日本語資源が少ない事もあってかもしれないけど、マンガにしろ活字の本にしろ数回或いはそれ以上読む事が多い。んで、意外と飽きないのが面白い。もちろん中には一回読んでいやこりゃもう結構、ってなのもあるんだけど、特にマンガ(単行本)、活字とも長編になると再読が苦にならないというより先がわかっているのに楽しめてしまう。で、なんでだろ?、と考えた時にぱっと思い当たる理由は二つある。
一つは読み込む事による理解、解釈の深まりが出る事。一回目には読む所が常に新しい訳で、その部分が果たして後々鍵になるのかならないのかはわからない。一回通して読んで「むむむそうだったのかこの2コマ(或いは2行)はこういう事であったのか・・・」と記憶にとどめ、次回からはそのつもりで読む事で進行や情況がより整理される。霧が晴れる様に全体が見え始める。
もう一つは、まぁ殆ど上と重なるんだけど先がわかっている事による、新しい理解とでも言うべき物が出てくる事。例えばある場面で登場人物が幸せの絶頂に居るとして、一読目は「ああ、幸せだね良かったね」と見えるその場面が2回目にはその後に訪れる不幸を予め知っているのでその対比による落差がそこに加わり、理解と感じ方がかなり異なる、ってな具合。
しかし実際の所はどうなのだろう?大体店主はストーリーなどを読む傍から忘れていくタイプ、今、そこにある物を楽しむタイプなので、状況が少し入り組むと途端にわからなくなってしまう。それが、さすがに数回読むとちょびっとは頭の隅に引っ掛かり始め、何回か読む内にやっと他の方々の一読分位になるのではないのだろうか?
うーむ、「一回で理解できない覚え切れない」、が、「読む度に味が出てくる」、にすり替えられて美化されている部分がある・・・なーんてのは、一回この日記を読めばわかっちゃいますよね。何回か読まなきゃ気がつかないのは店主くらいのものであろう。
このページのトップへ戻る
アメリカ製の家電製品ですこぶる出来が宜しくない物、それは何と言っても電球である。とにかくまず、当たりと外れで寿命が極端に違う。今日取り付けた電球なんて、その命わずか2秒。交換してやれやれと思ってスイッチを入れたら切れた。なんなんだ。
とまぁここまでではないにしろ、総じて日本製の電球よりも寿命は短い。「どれくらい短いのかデータを見せろ証拠はどこだ」、なんて言ってもそんな物ないもんね(Consumer Reportsでも探せばあるかもしれないけどさ)。とにかくこの店主の常時メモリリーク型のおつむにそうだと残るくらいなんだから短いったら短いのだ開き直ってやるのだ。
基本的にアメリカの家の照明光源は電球である(「白熱灯」なんて言葉も知ってるぞ)。んで、その電球も照明器具によって色々な形(バルブ部、ソケット部とも)と明るさがあるのでややこしい。更に寿命が短いことからスペアを用意しておきたいんだけど、家じゅう分のスペアをまともに揃えると、下手すると20種以上の電球の在庫管理をしなけりゃならなくなる。やだ。「切れたら買いに行く」でいい。
DIY店あたりに買いに行くと、壁一面電球である。並んでいる。聳えているのだ、パッケージが。よくもまぁこれだけ揃えた物だ、ほんのちょっとずつ違う物を。で、その中から選ぶ。もしかしたら「良い電球の見分け方」なんてのがあるのかもしれない。でも店主には分からない。これは果たしてもつのだろうか、また22秒で切れちゃったりしないだろうか。球の成形具合は?フィラメントの状態は?なんか切れ掛かってないか、そこ?・・・迷い出すと切りがない。
結局見極めることもかなわずにその他と同じに見えるパッケージを掴んで歩き出すと、例の「電球と取り替えるだけ、明るさ同じで消費電力1/3、寿命は10倍以上」という謳い文句の小ぶりな蛍光灯が目に入る。ふっ、と軽く口の端を歪めて通り過ぎる。だって、始める前から勝ちが見えてる勝負なんて面白くないじゃないか。さぁ、気合入れて輝けよ、4個入り電球その1。
このページのトップへ戻る
風邪を引いて寝込んでたりするといつも思うんだけど、こういう時の姿勢(ってか体勢)について、他の人ってどんな工夫をしているんだろうか?
寝てばかりいると腰が痛くなってくる。んでそれを庇おうとして姿勢を変えるとその他の部分に力が入るのか妙なとこが妙に痛くなったりする。一番困るのが眠っている間に無意識にとっていた姿勢のお陰で頭が痛くなる事なのだ。店主はおそらく首筋か肩から来る左目奥辺りの偏頭痛が持病化していて、ちょっと油断するとすぐにこれに見舞われる。時には寝るのが恐くなる事さえあるのだ、ほんとに。
暫く前までは布団や枕、クッション等を積み上げて腰に負担が来ない様に、頭を楽に預けられる様に工夫していたんだけど、これだと段々崩れてくるし、第一こんな体調の時に積んだりどけたりするのが一苦労だ(寝る時にはどけなければならない)。最近はアウトドア用の座椅子(長めのマットにフレームを差し込み、ストラップで保持して座椅子様の形にする。軽くて角度の調整がきいて便利なのだ)を使ったりしてるけど、これとて長い間使っていると今度は体重がかかっているお尻の辺りが痛み出してくる。
こんな事を数日繰り返していると、最早どんな格好でも完全に快適ではなくなってしまう。ベストにベストなのはバスタブの中に湯を張って寝転がる事なんだけど(これはラクチンだ。体も一時的にだけど軽くなるし)、ずっとそうもしていられない。溶けてしまう。
こういった症状は風邪自体から来るのではなく、「長時間寝ていなければならない」という治癒上の制約からの副産物であるのだけれど、今の所「風邪薬」といわれるものを摂ったとしても暫くは寝ている事を余儀なくされる。発明したらほぼ確実にノーベル賞だと言われる薬の一つに「本当の風邪薬(諸症状緩和薬、ではなく)」があるそうだが、それがこれらの「副産物」をも解消する、つまり「飲んだ瞬間からもう寝込まなくても良い」といった様な薬になったらそれはそれでまたヤバいのではないか、などと心配している。
このページのトップへ戻る
風邪引いた。
この下で随分元気の良い事書いているけど、その後風邪引いた。今回は予兆の様な物がほとんど無く、ほぼいきなりと言って良い様な形でやってきた。昨晩6時頃から急に体にだるさを感じ、8時頃には鼻孔と上口蓋が継がる辺りが痛み出し、9時頃には何かを飲み込む動作が辛くなり、体の方は動くのも億劫なほどのだるさになっていた。参ったなぁと思いつつ、手早くお風呂を使って早々に寝入る。
今朝起きたらかの部分は結構ひどい状態になっている様で、喉にどんな動きをさせてもさせなくても痛い。頭はぼーっとしている。会社に行くのは諦め(こういう時は諦めが良い)、療養に徹することにする。って、実際はまた寝込んだだけだけど。
経験上、食事をすると何故か痛みが和らぐのを知っていて、ちびちびと時間をかけて食べる。しかしずっと食べ続けている訳にもいかず、布団の中に頭を突っ込み、少しでも湿気を喉に回そうと努力しつつ寝る。その甲斐あってか昼近くには「仕事のメールでもチェックしようかな・・・」と思える様な状態にはなった。
メールをチェックし、一本にだけ返信する事にする。が、打ち込んでいる途中で段々調子が落ちてくるのがわかる。チェックから始めてたった30分ほどなんだけど、おいおい、そこまで変わる物なのか?、と自問するが、実際に体調が自答してるのだから仕方ない。なんとか打ち終えて送信し、寝込む。
浅い眠りを繰り返しながら午後を過ごす。喉の痛みの変化が激しく、ほぼ無痛と何もしなくても痛い状態を5分ほどで行ったり来たりする。夕方付近になってまたちょっと調子が良くなり、更にメールをチェックして内1本に返信する。なんてしてたらまただるくなってきて寝込む。
暫く寝て夕食。寝惚けた様な状態で食べてる内はそこそこ痛みとだるさも和らぎ、変わらない内に、と思ってこの日記を打ち込む。
なんか、調子が良くなりつつあるのか悪くなりつつあるのか良く分からないなぁ。短いスパンでころころと体調が変わる。「休む」と言ってしまったのだからそう思い切っていればいいのに、調子が良い(と思える)時間には、なんだか罪悪感めいた物を感じている。こういう肝っ魂(?)の小さなところが体調をころころと変える要因なのかもしれない。
このページのトップへ戻る
をを、一発で変換したぞ>>「れんちゃん」。IMEって結構砕けてるのだね・・・ってなことは置いといて、先週末から珍しく3日続けて汗をかくくらいに「自転車「で運動してみた。
1日目。1週間座りっぱなしの仕事だったのでこれはいかんと腰を上げ、エアロバイク+室内トレーニング。このエアロバイクにはカロリーメータやらスピードメータやらが付いていて、前に書いたと思うけどもうこの「数字ども」が魔物な訳ですよ。「あと0.5MPH(マイル/時)」、「もう20Kcal」、ってな具合でほれほれと誘ってくる。パルスメータもついてるんだけど、160前後まで上がる。一応心拍数が150を超える様な運動を行なう場合、あるいは35歳以上の場合は医者に相談してから使う様に、って注意書きがあるけど、へっへっへ、両方とも引っ掛かってやがるぜ。思えばあの苦しい日々も今となっては懐かしい・・・って、20分くらいひーひー言っただけである。その後、腕立て伏せ、腹筋といった一連の運動を行なって約1時間。西日が差し込む部屋で夕方にやったので汗だくだくになった。スポーツ飲料がうまいのだ。
2日目。「スパンデックスのライナーパンツが入った、マウンテンバイク用のショーツを買うのだ」と立ち寄った自転車店で、長い事「買わなきゃ」と思っていたロードレーサー用のタイヤを見つけたので買う。最近Giro 'd Italia(このページの中ほどにあります)のレポートをアウトドア番組中心のCATV曲で放映していることもあり、「ロードレーサーで走りたいなー」などと漠然と考えていたら、たった2本だけ残っていたタイヤが目に付いたので買ったのだ。帰宅して自転車に組付け、ついでに各部の埃などを払っていたら段々乗りたくなってきて、よっしゃと支度をして走り出した。やっぱり早く走る様に出来ている自転車なので同じ力でもマウンテンバイクよりも速い。件のタイヤとは空気を入れた時(大体、自分達シロートで8気圧前後で充填する)にタイヤの幅が2センチほどしかないチューブラータイヤと言われる特殊なタイヤで、これの生み出す「滑走感」とでも言うべき乗り味は魔物である。「もうちょっと・・・」と思いつつ気が付いたら小一時間走っていた。止まると汗だく。
3日目は、その日の昼にちょっと放映していたマウンテンバイクの世界選手権に刺激されて、一丁いくか、とマウンテンバイクを引っ張り出した。先週乗った後に洗って整備してあったのでなんか気分が良い。いつも行く林の中のトレイルに持ち込んで、心意気だけはレーシング・ライダー、で走り出すが過去2日間の疲れが溜まっているのか10分ほど走るとアゴが出てきた。しかしダートを走るのはまた自転車を「操る」という感じがして楽しい。このトレイルは結構ツイスティで忙しく、走っている間は他のことをあまり考えられないくらいに集中する。それに、自分の行き先をきちんと見ていないと木の根や落ち葉といった物に足元をすくわれてひっくり返る。・・・で、疲れたこともあったけど、なんか段々虫刺されが増えてきて痒くなってきた様な気がしたので1時間ほどで退散する。
高校生の頃に一番良く走り(このお陰で背が伸びたと今でも思っている)、ここまでなにかしらのスポーツバイクが手元にあり続ける生活を送ってきた。今でももちろんライディングは楽しいけど、昔は入れなくても良かった気合を入れないとならなかったり、大義名分が必要だったりとなってきたのが気になる所ではある。
このページのトップへ戻る